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時々更新mn日記

( 2007/01 ← 2006/12 → 2006/11 )


[ 寒い季節になりました。 ]
寒い季節になりました。


12月も残す所、あと2日。寒い季節になりました。事務所の床は大建工業のWPCの床板ですが、所詮はベニヤ板。私のような寒がりには靴下のままでは床の冷たさが足に伝わり頭が痛くなってきます。そこでスリッパを履くことになります。自宅はその点無垢の杉板ですので朝起きた時に素足でもひんやり感がありません。この時期になると本物かそうでないか、の違いがはっきりしてきます。そして杉板の暖かさを実感できます。

さて、皆さんはこの一年、どのような一年でしたか。あっという間に今年も一年が過ぎていきますね。仕事面では忙しかったという、ことしか言えません。特別いい仕事をしたという記憶もありませんし、仕事を右から左にこなすことに終始した感があります。

私生活面ではすでに簡単に書きましたが、大変な年でした。やっと相続も終り、新しい年を新たな気持ちで迎えられそうです。行動のパターンが画一化していますが、楽しく生きていきたいと思います。

このところ大掃除で事務所の片づけをしていましたら色々なものが出てきます。今年上棟した住まいのプレカット図面や見積をしたもの。今年行った場所の案内図などに加えて「中野新橋商店街」の20年前のお店の状況を書き記したものが出てきました。すでに無くなったお店が多いですね。更にこの十二月で廃業した所もあるので街も変化しています。そんな中で最近お気に入りのお店の一つに「丸福」があります。お蕎麦屋さんです。ここのランチを食べる事が多くなりました。「掻き揚げ+お蕎麦」のセットが好みです。850円だったと思いますが、レベルは高いと思っています。他には「とり花」に行くことが増え、「香港屋」は減りました。おいしいところへ足が向くようです。来年もおいしいものを求めて食べ歩きたいです。

皆さんも良いお年をお迎え下さい。

2006/12/30(土) 晴れ


[ 一年を振り返る頃に ]
一年を振り返る頃に


早いもので一年を振り返る時期にきました。
仕事面では4月以降かなり忙しかったように思います。それに加えてベニヤ類の品不足と値上がり、木材の値上がりなどが重なり、あたふたした年でした。身体を使った一年でした。少し自分の身体を整備しないと使いつづけられなくなりそうです。更に今年の品不足と値上がりは来年以降も続きます。こんなに値上がりして仕事が取れるのかが心配です。
私面では、父を失い、義母が骨折し、義兄を失った一年でもあります。その反面嬉しいこともたくさんありました。姪の結婚もそのひとつですが、小学校のクラス会、高校の同期会。島ゼミの寒梅会など、旧友とのつながりは楽しいものでした。これからも大事にしていきたいと思っています。





2006/12/20(水) 晴れ


[ 京都お散歩 ]
京都お散歩

12月10日の朝は7時過ぎに目覚めた。昨晩歌いすぎたせいか咽が痛い。約二年ぶりに京都の朝を迎えた。この前来た時は島先生のお見舞だった。そして朝早く伊勢へと向かった。今回は何も用事がないので紅葉見物して帰ろうと思っていた。岩倉の実相院あたりや東山の法然院。洛北の詩仙堂あたりへ。さらに長岡京近くの光明寺や花の寺などを視野に入れて動いてみようと思っていた。

そこで京都駅に向かい「くらま」で朝食をとるとJRで長岡京へ。バスに乗り光明寺へ向かいました。このお寺の「もみじのトンネルはすばらしい」とガイドブックに書いてあったのでここへきました。もう紅葉は終りに近く散りゆく葉を見、昨晩の雨でかなり散ってしまった紅葉の上を歩いてきました。







続いて「乙訓寺」「向日神社」「長岡京址」を経て「西向日町」駅から阪急電車で四条河原町へ。祇園の一力あたりを経て、八坂神社へお参りし、円山公園を北に向かい、知恩院の入口にある「麺処かとう」できつねうどんをいただきました。加藤滋雄先生のご実家です。ここから東山三条まで歩き、途中「風来居」や一澤信三郎帆布のお店などのお店がありました。次に向かったのは烏丸にあるバスターミナル。昔烏丸車庫といった場所でこの近くに私は下宿していました。


その下宿はまだありました。戦前は医者をしていたとのことで3畳間が二つ、洋風の6畳が一つに8畳と12畳の部屋がありました。個室と大部屋といった所でしょうか。私はその8畳間に住んでいました。建物が当時でも古く冬などは隙間風を避けながら寝ていた事を思い出します。一食賄い付きで一万二千五百円でした。仕送りが3万円でしたので優雅な生活をしていました。

ここは「六間衣棚」言えばタクシーで連れて行ってもらえたところです。この下宿から西へ歩いて新町へ。そこを南に下って北大路へ。昔よく通った「李白」もありました。ここの天津飯が大好きでした。又、定食屋の「源平」もありました。大垣書店を過ぎ、地下鉄に乗って烏丸今出川にある同志社大学へ。「学生会館へ行ったか?」昨日島ゼミの集まりで誰かに言われたのが頭に残っていて来て見ました。



ここは幾年前に建て直されたのでしょうか、「寒梅館」という名の建物に変貌し、昔の学生会館のイメージは全くありませんでした。「わびすけ」「モナミ」「東天紅」トリオ」などはまだありました。新町校舎までいき、南に下って、御所の中に入ってみました。御所の中を歩いているとあちこちでカメラや三脚を手にした集団に出会いました。紅葉を写真に収めているようです。そこで私も一枚。






御所の周りはほんとに広いですね。久しぶりに歩いてその大きさを実感しました。丸太町通りまででるとそのまま京極通りを南下し、街並みを見学してきました。このあたりは紙屋さんが多いところです。やがて三条に入ると大混雑です。修学旅行生を先頭に休日に繁華街へ出てきた人たちで一杯です。そこで露地に入り「静」を目指しました。まだこのお店もありました。




四条通に出て東へ、先斗町、四条大橋まできて、南側へ道路を渡り「フランソア」へ。更に「村上重漬物店」へ。千枚漬がおいしい季節になりました。



この後、四条通を西へ歩き、烏丸四条から地下鉄に乗り、京都駅に戻ってきました。


2006/12/12(火) 曇り時々雨


[ 嵐峡の集い ]
嵐峡のつどい


同志社大学経済学部の島ゼミは他に類を見ないゼミでした。島先生の類稀なる人柄を反映して努力の結果、ゼミ生のOB会は開かれていますし、同期会はもちろん全国各地にその輪が拡がりつつあります。

さて、我々今回は5期生の話です。「嵐峡の集い」と題して12月9日に京都嵐山渡月橋の袂にある「花筏」にて集りを持ちました。島先生を初め参加者は7人。京都駅で待ち合わせをし、タクシー二台に分乗して花筏へ。先ずは湯に浸かり汗を流しました。嵐山で温泉に入るとは夢にも思いませんでしたが、内風呂と屋上にある露天風呂の両方に入りながら、周りの景色を見たり近況などを話してのんびりしました。なんでも今年の紅葉はあまりパットしたものではないとタクシーの運転手の方は話していました。雨が少なく、暖かかったので色づきがもう一つとの事。又見ごろは12月の初めまでで見頃終了の所も多かったようです。湯から出ると早速ビールで乾杯をして会食。京都の懐石料理は久しぶりです。

我々5期生は、大学紛争の最中に入学し、入った年が学内封鎖で授業がなく、二年目は70年安保の年。三年目も時々封鎖されて授業がないときも多く、試験はなくレポート提出ですみました。その中で二年生の後半から始まった「島ゼミ」は授業はしたりしなかったりですが、コンパと二次会ではまとまりを見せ、他の期性とは肌の色が違っていたかもしれません。とは云うものの「ゼミ旅行」もしたことがなく、ゼミ生の集合写真もないという回生です。

その意味では今回が始めての「ゼミ旅行」といった所でしょうか。参加者全員60歳を目前にして楽しいひと時でした。島先生がはるか三十数年前に書いた身上書を持参され、そこに書かれている言葉や写っている写真を眺めながら、みんなの変わりようを楽しみました。髪の毛がたくさんあった写真を見ながら「この頃はとんがっていた」とか「中野は三人いたんや」とか昔話に花を咲かせました。とは云うものの先生といった飲み屋の話やそこで歌った唄へ話は発展し、飲みながら食べながらアカペラで何曲も歌いました。「若草萌えて」「カレッジソング」に始まりグループサウンズや舟木一夫。春歌ありの世界でした。そしてここのラストは「六甲おろし」です。島先生は熱心なタイガースファン。大阪タイガースの頃からのファンです。「六甲おろし」をいきなり三番から入ったのにはビックリしましたが、それも熱烈なファンならではです。ともあれ「花筏」でゆっくりのんびり先生と過ごせたのは良い思い出となりました。この勢いは二次会、三次会と続き、歌いつづけた一日でした。島先生、お疲れ様でした。そして参加した皆さんもご苦労様でした。またお会いしましょう。








2006/12/11(月) 晴れ


[ つくば緑友会 ]
つくば緑友会

ここしばらく地味な活動の多かった「つくば緑友会」も11月18日にはバスをチャーターして茨城の森の見学会を行っています。詳しい事は下記からご参照ください。

こちら



2006/12/01(金) 晴れ


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[ 管理者:大野満生 ]


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