[ホームへ] [他の月を見る]


時々更新mn日記

( 2006/09 ← 2006/08 → 2006/07 )


[ 8月31日 ]
8月31日


今年も決算月を迎える事になりました。この一年間の売上げはどうだったのでしょうか。7月は閑でした。その分8月はかなり忙しかったように思います。が、1ヶ月で2か月分は働けないので二ヶ月を一つとして考えるとたいしたことないかも知れません。このように忙しかったり、閑すぎたりと、平均して仕事をしているという事が少なくなったように思います。こういうときは売上げも増える事はないと思います。

次に売上げが上がっても利益に結びつかないものが増えました。建材類はこのところの品不足+値上げで売上高はあがっていると思います。利益もあるかに見えますが、ラワンのコンパネなどはここ三ヶ月で、4割ほど上がっています。仕入れるたびに仕入れの値が上がり、これに一定の利益を載せて売っていますが、今度仕入れたものをそこまで利益を載せて売り切れるか、実際の所悩みどころです。

また、建材メーカーの床材や建具材などは利益を薄くすれば売り先を広げる事が出来ます。100万円売って5万円ほどの利益という仕事なら、ありますが、これでは物を売るよりお金を貸したほうがよくなってしまいます。

仕事は見積を競争した後に得るものになってしましました。住宅産業は「特命受注でなくてはならない」と主張しているホーミーグループがありますが、これはもっともな事だと思います。人と人の信用に上に成り立って作られる住まいは、良い仕上がりになると思います。お互いの納得感が高いものになると思います。それが住まいは「作るものから買うもの」になり、作り手の存在がおろそかになり、機械的な設計図通りに仕上がっているかが問題になってきます。ここ十年くらいで法規的な体制も整い、町にいる大工で図面を作成して申請して確認を得るという作業を出来る人しか仕事が出来ない状態になりました。その結果、大工は元請から下請けへ、あるいは新築住宅でも、大工仕事だけを担当する事になっています。こうなると町の材木屋の出番はなくなります。自ら進んで請負っている所しか残れないと思います。

また、大工の方も大工仕事だけでなく、総合的に請負っても責任を負わされるだけで、利益が上がるわけではないので、新築を請負うことをしたがらなくなりました。リフォームの方が、まだ自分の融通性が利くのでその方が力を発揮出来るのだと思います。リフォームでは一ヶ月くらいで終了するものが多く支払いに関しても安心できる事も見逃せません。

さて、この一年間でどれだけの仕事をしたのでしょうか。大きな収穫もなく一年が過ぎてしまった感が否めません。明日からは新しい期に入ります。風も少しさっぱりしてきました。気持ちを新に仕事に取り組んでみたいと思います。


2006/08/31(木) 晴れ


[ 今日の仕事は辛かった ]
今日の仕事は辛かった


今日の仕事は厳しいものがありました。大森の現場で荷揚げのバイト君を頼んだので月曜日に材料を持ってきて欲しい、と先週の金曜日の夕方に言われていたのを配達してきたためです。3トン車一台では積みきらないので、土曜日に半分配達したいとお願いしていたのですが、土曜日は生憎エアコン屋さんが仕事を行っているので現場に入れない旨を言われていたので、日曜日にとにかく積めるだけ積んで、今日、月曜日の朝に一度配達してきました。
11時過ぎに帰ってきて他の配達をお昼まで行い、大森に二度目を行って帰ってきたら、4時手前、かなり疲れました。

ここの所、お盆前からですが、仕事が混んできて、それはうれしいことなのですが、目一杯に忙しいという感じになっています。もう少し余裕のあると良いのですが、材料を確保するのに時間がかかるご時世なので、一週間後に使うものは今頼んでおかないと間に合わないかも知れず、仕事の依頼があればすぐに材料の発注だけはしておくので、それをどこに置くのかも決めながら、早く使うものが下敷きにならないようにするだけで大変です。材料は少なくなり、しかも値上がりしている現状ではやむをえないかもしれませんが、急速な値上がりで請負った人も苦しいのが現実です。

8月25日は、川島の夜店市と中野新橋の盆踊り。26、27日は町内のお祭りでした。26日はクラス会になってしまいましたし、27日も半分仕事。則ちゃんも所用で出かけていたので、私一人で少しだけお祭りに参加。近所の神酒所にあがる奉納金も去年あたりからガクッと落ちています。それだけ経済状態が厳しいのでしょう。近くの食堂も閉店になったり、休業になったりしています。商店街の中に普通の住宅が建つ時代です。商売屋が少なくなったのを実感しています。




2006/08/28(月) 曇り


[ 6年3組クラス会 ]
6年3組クラス会

中野区立神明小学校6年3組のクラス会が7年ぶりに開かれました。幹事の大矢君のおかげです。
今回は6年3組以外の方でもOKということで一次会には、14名。2次会には、15名が参加してくれました。「6年3組」では3ヶ月から半年に一度はミニクラス会を行っていますし、有志では一泊旅行も行っていますが、本格的に参加者を募ったのは、7年ぶりです。特に寺田と小島は13年ぶりの再会でした。又手術のため来られなかった武澤さんからは会場に電話をいただき、みんなと話をしてもらいました。
若いつもりでいた私たちも55歳から56歳になってしまいました。自分のこと、親の事、子供の事、旦那の事や孫の話など次から次に起こってくる現実と向き合いながら、生きているみんなの近況を聞いているだけで気が休まります。「大野君」と呼んでくれる女の子はこの仲間だけです。貴重な仲間だと改めて再確認しました。
今回は一次会が中野の「食酒屋」。二次会が「桜」。三次会が「大都会」と夕方の6時に始まり、午前2時に解散するまで飲んで歌った8時間でした。
次は早ければ秋に行うそうです。次の幹事の青井君、よろしく。






2006/08/27(日) 曇り


[ 地味に暑い ]
地味に暑い

7月の暑さは気温の上昇でしたが、8月に入ってからのそれは湿度の高さも大いに関係がありそうです。朝の7時前のテレビでは現在の気温として28℃。湿度が75から80%に達しています。昨日も曇り空でしたが、気温も最高31度まで上がり、湿度も高かったので、汗がいつも噴出していました。風は涼しくなっているのでエアコンをかけずにいましたが、それでは汗が止まりません。午後二時過ぎに義母の診察に来ていただいた先生が「今日は地味に暑いですね」とひと言。先生の額から汗が伝わっていました。窓を開けて扇風機を回していたのですが、お昼からは除湿冷房が良いと思った一日でした。

2006/08/25(金) 曇り


[ 草津の湯は熱い ]
草津の湯は熱い


草津には共同浴場が18ほどあるそうです。このお風呂は地元の方々が入るために作られているもので観光客用ではないのですが、無料という事もあり、訪れた人にとっても楽しみの一つになっています。
さて、私たちも8月13日から15日の間に草津を訪れ、そのうちのいくつかに入ってきました。草津は4キロ四方の小さな街で歩いて回る事が出来ます。ペンションで案内図をいただき、先ずは湯畑を見学、ここが草津の中心になります。以下入った順番は違いますが、入浴してきたいくつかを紹介します。

湯畑のすぐそばにある「白旗の湯」

ここは源頼朝も入ったというお湯。二つの湯舟があり、一つは48度くらいあるでしょうか。あまりの熱さで足を片足ずつ入れただけでこちらは出てきました。今ひとつは43度くらいでしょうか。腰まで使って10数えて上がって来ました。これでも汗が後から後から噴出してきます。源泉は白旗。

少し下がった所にある「千代の湯」

ここは混んでいたので覗いただけで入りませんでした。旅館街の中心にあり、街並みにマッチしています。源泉は湯畑。

西の河原通りにある「凪の湯」

草津といえば温泉饅頭ですが、このお饅頭とお茶の無料サービスをしている饅頭屋の横を入ったところにあります。少しわかりづらい所にありますが、建物も古くて風情があります。一昔前の浴場はこんな感じだったと思いながら入ってきました。貸切だったので湯もみをしてから入ってきました。源泉は西の河原。

旅館「たむら」の隣にある「地蔵湯」

建物がこの春から新しくなった所です。きれいでしかも広いところでした。草津にしてはあまり熱くなくてゆっくり浸かることができました。源泉は地蔵。

ホテル「高松」の前にある「煮川の湯」

ホテル高松と大滝の湯の間にあります。名前のとおり草津で一番熱いお風呂といわれています。先に入っていたおじいさんがベンチに腰掛け「汗が止まらん」としきりに口走っていました。確かに熱い所でした。手摺に捉まって入り、すぐに出てきました。確かに熱いところです。源泉は煮川。


その他西の河原。ベルツ温泉センター。大滝の湯などに入ってきました。またペンションにも5種類ほどのお風呂があり、その中でも樽のお風呂はお湯も柔らかくのんびり入れました。草津の温泉はお湯の温度が高いので私には浸かるだけのお風呂ですが、腰まで浸かって10を数えて出てきても汗が噴出します。お風呂に入ってマッサージを受けて。のんびりした夏休みでした。

2006/08/23(水) 曇り


[ 暑い日が続く ]
熱い日が続く

米栂の角材が市場から姿を消して数ヶ月が経ちます。住友林業のように年間契約でしなものを受注している所には優先的に納材されているようですが、全体の絶対量が少なく市場に出回るまでいっていないようです。代替品として杉のKD材が市場に出ています。あるいは桧のKD材で賄うことが出来ます。木材はその深刻性が薄いのですが、ラワン関係の建材類に関してはかなり深刻になりつつあります。

ラワンベニヤは2.5ミリ、3ミリ、4ミリ、5.5ミリ、9ミリなど3ミリ刻みで厚みが増えていきますが、12ミリ以上のものはさておいて、「薄物」といわれるベニヤ材の値上がりは2割を超えています。少し前までの売値が今の仕入れ値です。この厚みのものはホームセンターでも欠品状態といわれ町の材木屋にお客さんが戻っています。

又コンパネといわれる12ミリの型枠合板や同じく12ミリのラワンの下地合板も値上がりが急で、2割以上値段が上がっています。それだけでなく、12ミリの下地合板でF☆☆☆☆+TP1のものは品不足です。お盆明け以降、ラワン合板関係が安定的に供給されるのか心配される所です。

先日も書きましたが、新築の仕事はプレカット工場への依存率が増えると思います。建材類を材木屋が集められなくなると、プレカット工場経由で納入される事となります。逆に私たちも仕事をいただくと工場経由で「下地のプレカットまで」お願いする事で仕事に穴をあけずに済みます。ラワン合板がなくなると針葉樹合板(ラーチ合板)は主流になります。床用の厚もの合板である24ミリや28ミリの合板はプレカット工場経由になり、市場に出回らなくなりました。屋根下地、外壁下地に12ミリの「特類」というベニヤも手に入らなくなりました。

ほんとにどこまで波及するのか心配です。フロアーも一番普及品は値上がりしました。ランバー合板も芯に使う材料が値上がりしていると聞きます。建材メーカーは定価の書き換えのため新しいカタログを作り替えています。

これらの問題に対処できるかどうか、わかりませんが、プレカット工場の社長さんをしている亀山さんをお招きしてこの事態とプレカット工場経営者としてどのように捉えているのか、お聞きしたいと思っています。8月8日を予定しています。

では又。
今日はほんとに暑いです。着替えもしましたし、水物もたくさん飲んでいます。土曜日の割には忙しく、多分「仕事痩せした」と思っています。




2006/08/05(土) 晴れ


[ 大手のシェアが高まる? ]
大手のシェアが高まる?


ここ数ヶ月で基本的な資材が値上がりました。木材にしても建材にしてもベニヤやフロアー材なども品不足と値上がりをしています。木材市場や建材問屋では材料を集めきれずにいます。それらの荷物はどこへいったのでしょうか。
一つは年間で契約している所に収められています。優先的に・・・
今ひとつはどこかで買占められているかもしれません。我が社でも通常より多く在庫しているくらいですから、仮需要はかなり多くなってそれが品不足を呼んでいると思います。

今、新築の木造住宅を大工さんが請負ったとしましょう。先ず、プレカットでお願いします。さらに床や屋根材までもプレカットしてもらうことをお薦めします。そうしないと材料が揃わない可能性が高くなったからです。そうすると工場から納めてもらうものは、構造材、屋根材、床材になります。

自分の会社から納めるものは、壁下地材、天井下地材に断熱材と耐火ボードくらいになりそうです。ドンドン大きな会社に仕事が収斂されていきます。そこが良い材料を使ってくれれば良いですが、材料の選択に材木屋が関与できなくなるかもしれません。木材が工業製品ならまだましですが、実際には工業化されたものでも「耐久性」に関しては木製品の場合「何年持つのか」は実際にその品物を見てみないと決められません。

大工の腕も住まいを作る上で大切な要素です。同じベニヤ一枚張っただけでも腕の違いが出ます。住宅はかなり簡単なプレハブ化していますが、手の仕事は残ります。木材を適材適所に使用しているかどうかは常に気をつけなければならないところです。住宅がプレハブだけですまない理由がそこにあり、民間の大工の腕もレベルはまだ高く、民間の小さな材木屋でさえも材料の選択には気を使っているのです。

それが一気に押しつぶされてしまいそうです。大きな所にしか材料が集らなくなると、そこへ仕事は集中し、そこでしか仕事は出来なくなります。構造材・下地材のプレカット、つまり機械化の進展は材料が工業製品であることだけを望むようになっているのです。

機械化だけでなく、今ひとつの機軸を持たないといけないと思います。木は暖かいとか良い香りがするなどの感覚的なものだけでなく、木に触れる場所の提供や暮らしの中に木製品を使ってみることがどうしても必要です。今年の11月18日には、新東京中野市場において「材木屋のい木い木ふれあい祭り」が開催されますが、その中で今年も木に触れる機会を作る事になりました。松永木材の内山さんが今年も「桧のボール」のつかみ取りを行います。一つでも多く掴んで桧材の香りをご自宅まで持ち帰ってください。

昨日は、そのための実行委員会がありました。



2006/08/04(金) 晴れ


[ 中野市場の記念市 ]
中野市場の記念市


去る7月28日は新東京木材中野市場の「昭和会記念市」がありました。今回で85回を迎えました。年に3回ほど行われているので、28年間行って来たことになります。ずいぶん長い間続いています。たいしたものです。今回は昭和会会長が石倉さんから安藤さんに代わって初めての記念市ということで多くの方が見えました。
さてその成り行きは下からどうぞ。


こちらから


2006/08/02(水) 晴れ


[ 55歳 ]
55歳


55歳になってみると体力の低下が目立つようになってきました。食欲も減りましたし又根気も衰えています。又眼も上がってしまい遠くを見て近くを見ることや新聞を読むことなど辛くなってきました。又まだまだ若い気でいましたが、一気にお爺になったように思います。人生の過ぎる時間の速さを感じています。とはいえ、急に55歳になったわけではなく55年生きてきたから55歳になったのです。体力の知力も衰えてはいますが、段々できることが少なくなって初めてわかることもあります。先ず何を一番大事にしなくてはならないか、です。優先順位が決まってきます。

その何番目になるかわかりませんが、十番目以内に入ることに「万葉集」を読んで見たいと思っています。今から1300年前にかかれた歌を集めた書物です。実際の所、岩波文庫や講談社文庫で幾度かめくっています。人麻呂の歌は白文で書かれたものも読んでいます。全体で4500首ありますのでこれを全部読むというよりは、ある程度研究史を学ぶ中で、自分が何を知りたいのか、何を万葉集に求めているのか、確定して行きながらピックアップして読んでいきたいと思っています。

以前このサイトでもお知らせした事がありますが、人麻呂の歌を一つ書いてみましょう。

春楊
葛山
發雲
立座
妹念

はるやなぎ
かづらぎやまに
たつくもの
たちてもゐても
いもをしぞおもふ


こういう見ても声に出しても美しいあるいは心に響く歌が紹介できれば良いかなと思っています。

今から二十年前に梅原猛さんが「水底の歌」で柿本人麻呂を取り上げ人麻呂刑死説を発表して以来、人麻呂に関した本は読んでいました。ところが万葉集を読み返してみると人麻呂の歌だけでなく、額田王や山上憶良、大伴家持などすぐれた歌人・政治家がたくさん居り、その当時の現実との緊張関係の中で読まれた歌が多い事を知りました。万葉集が生まれた背景を探りながら読んでいけるといいなと、思っています。

2006/08/01(火) 晴れ


( 2006/09 ← 2006/08 → 2006/07 )


[ 管理者:大野満生 ]


- CGI-Island -

Thanks to CGI-StaTion & 手作りCandy