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時々更新mn日記

( 2006/06 ← 2006/05 → 2006/04 )


[ 「電光石火の男」 ]
「電光石火の男。赤木圭一郎と日活アクション映画」(私の本棚)

末永昭二
ゴマ書房
1429円+税

目次
序章 「伝説は作られる」
第一章「ドキュメント昭和36年2月」
第二章 赤塚親弘から赤木圭一郎へ
第三章 日活アクション前夜
第四章 ダイヤモンドラインが生まれるまで
第五章 映画スター赤木圭一郎
第六章 大衆文化の中の「拳銃無頼帖」
熊井啓監督インタビュー
あとがき

題名の「電光石火の男」は赤木圭一郎の唯一のシリーズ物、「拳銃無頼帖」の中の一作品の名前です。このシリーズは4作品作られていますが、この原作は城戸禮氏の貸本小説からとられたものです。昭和の30年代には「貸し本屋さん」という職業がありました。一冊3円か5円で荒唐無稽の冒険小説や漫画本を貸してくれました。テレビの普及で貸し本屋は潰れていきますが、昭和30年代のはじめには全国で3万店舗あったと、この本に書かれています。ちなみに3万店というと今でいえばコンビニの数になるそうです。

その貸し本小説から映画化されたものはどれくらいあるかは書かれていませんが、城戸禮氏の作品だけでも16本、赤木の主演作は5本になるそうです。1964年生まれの著者の末永氏は「貸本小説」という著作を持っていますが、その関係から赤木に興味を持ち、彼に接近したのだと思います。赤木について今まで書かれたものを上手く使って、赤木を描いていると思います。赤木を知る本としては一番まとまっていると感じています。





2006/05/31(水) 晴れ


[ 木材は使われなくなった ]
木材は使われなくなった。


新築仕事で、三鷹まで問屋さんに配達を頼んだ。間柱、根太に筋違の三種類を運んでいただきました。その問屋さんに言わせると、新築住宅でも木材を使わなくなった、との事。

プレカットで建てて、タルキ、筋違、根太、間柱に天井下地や壁下地くらいが木材です。構造材は工場で加工してくる事が多くなり、その方がロスが出なかったり、楽です。屋根材もベニヤになりました。外部の壁も針葉樹合板が多くなり、もちろん床もベニヤです。大引を使わない工法も多くなりましたし、たとえ使ったとしても「束」は鋼製のものを使うようになってきました。

ふた昔前は、屋根の野地板は杉板、壁のモルタル下地も杉板。床の板も杉を使いました。それが今では、ベニヤに耐火ボード。外部はベニヤ下地にサイディング。かなり以前ですが、「日本の木だけを使って住まいを建てたいというお客さんがいて、どこに相談したらそれを叶えてくれるか」という質問を受けた事がありましたが、今なら「無理です」と答えると思います。手間も掛かるし、材料を集めるだけでもかなり苦労すると思います。

ただ、いま少し時代を経ると外国からの材料の質が落ち、国産材を使って住まいを建てられる所になるかもしれません。外国の下地材も高くて悪くなっていますし、国産材のメーカー品は乾燥・強度・精度においてレベルが上がっているからです。

新築に於いても木材の量は使われなくなりました。木材をもっと使ってほしいという希望を材木屋として持っています。



2006/05/30(火) 晴れ


[ 清里の山荘へ ]
清里山荘へ


今年も急に6年3組のクラス会を行うことになり、8名参加で清里へ行って来ました。先発組は小淵沢の蕎麦屋「雁川」で山菜のてんぷらをいただいてから、八ヶ岳の「アウトレット」へ。後発隊は一時過ぎに中野を出発しました。私は後組みです。幸い中央高速もすいていたので4時前には今夜の宿泊先である山荘に着きました。ここを利用するのは一年半ぶり。本日参加するメンバーとは父のお通夜以来です。



宿に着いてビールをいただいて、ワイン風呂に入って、ワイワイガヤガヤ。子育てが終了して孫の面倒を見ているもの。親の介護の最中のもの。昔話から各自の近況。回を重ねるごとに少しずつ深まっていく友情。


まあ、よく飲みました。
もう少し経つと自分の老後や年金がいくらもらえるか、とか話題が変化していくのだろうけど、今はまだ、みんなで遊ぼうといった感じ。2日目は白樺湖まで足を伸ばし「パターゴルフ」をしてきました。今年中には、本物のゴルフもやるようになるかも・・・




2006/05/29(月) 晴れ


[ 総会 ]
総会


新東京木材商業協同組合の本部総会が去る5月26日午後3時より開かれました。私は20年ぶりに出席してきましたが、参加される方の数が大分減ってきました。15支部ある中で各支部3人くらい平均だったかと思います。事前に決算理事会を開いており、波乱もなく過ぎましたが、今年は売上げも少なくなり、配当金も出ない状態で、これからの一年が思いやられます。

さて、中野支部では今回の総会で二名の方が、永年勤続従業員表彰されました。数は少なくなりましたが、比較的若い人がまだいるので、支部内の協力体制を作っていきたいと思っています。若い人が一人増えるだけでパワーが出てきます。

若い力は大切だと、2次会や3次会を行って感じてきました。


2006/05/28(日) 晴れ時々曇り


[ 品不足が続く ]
品不足が続く


米栂を中心とする木材の不足は代替品の活用で何とか目鼻がついてきたようですが、ラワンをはじめとするベニヤの関係は品不足がますますひどくなっているようです。12ミリの下地合板のF☆☆☆☆などは欠品が続いています。代替品として11.5ミリ厚の下地合板を用いている所が増えているとのことです。

針葉樹合板もラワン合板の不足を受けて数量が少なくなっているそうです。特類のものは特に欠品が目立つようになりました。仕事を抱えている工務店や材木店は材料をそろえるのに苦労しています。

木材も集成材やラワン材を中心に不足がちです。値段も上がっています。両方というのがきついですね。




2006/05/27(土) 雨


[ 衰退する商店街 ]
衰退する商店街


毎月1日と15日は中野新橋商店街の大売り出し、2日と16日は川島商店街のそれです。商店街といえば私が子供だった40年前は、すぐ近くの商店街で何でも間に合いました。50メートルか100メートル歩けば必要なものは何でも揃うし、八百屋や酒屋は御用聞きに来ました。特別なお客さんが来れば店屋物を取ることもありました。定食屋やカレーライス、ラーメンにお寿司と出前を頼む所に事欠く事がありませんでした。

さて、私の父は肉が嫌いで、そのため食卓はいつも魚中心でした。カレーもひき肉入りでしたし、肉を食べるようになったのは私が成人してからでした。朝はご飯に納豆、味噌汁、卵に海苔。鯵のひらき。昼は鮪ブツが中心でした。進藤さんという活きのいいおじいさんが捌く鮪ブツは安くておいしい本物の味でした。卵は高価なものでしたが、家の前にある農家から買ってきていました。豆腐は関根さんの榛名食品の手作り豆腐は良いものでした。ここの油揚げを用いた吉田屋のいなり寿司を超えるものは無いですね。幼い頃から食べたものの記憶にかけるものは無いでしょう。どれもこれも今では食べる事が出来ないものです。松島市場の中にあった小島のうちの天麩羅も冷めても美味しいものでした。

今から30年くらい前から商店街に変わりスーパーマーケットが、20年程前からはコンビニが力をつけてきました。その結果商店街は力を落としていきました。中野新橋商店街では近くにサンデーマートというスーパーが出来てから、肉屋、魚屋、八百屋、雑貨屋、瀬戸物屋、パン屋などがなくなりました。出前をする店もぐっと少なくなりました。

川島商店街では、現在でもまだ商店街としての格は持ちつづけていますが、昔を知るものとしては人通りの少なさに淋しさを感じています。魚屋や豆腐屋がなくなってしまいました。全体で300メートルほどの商店街ですが、賑わっている所は二箇所でしょうか。オリンピックというスーパーと松島市場の中にある魚屋「魚建」、坂入八百屋。それに「肉の松本」、ここが一つ。

今ひとつは4年程前に出来た安売りの八百屋「ベルジュ」。商店街の真ん中あたりにあるこのお店は初めは安売り店としてデビューしましたが、安売りが受けて店も大きくなり、アイテムも増え、良いものも安くなりました。いつも人だかりがしています。

この二ヶ所以外では衰退する一方です。増えているのは整骨院、ケアサービス、100円ショップ。日替わり店などです。

商店街の青年部や理事の人たちも奮闘していますが、なかなか思うような成果を生み出せないでいます。川島商店街では「コスモスタンプ」を発行し、金券として使えるようにしています。「コスモスタンプ」二千円分で三千円くらいの商品と引き換えを行うイベントを昨年末に行い、受けましたが、いつもいつもこういうわけには行かず苦労しています。人の流れが変わってきていますね。

冷蔵庫のない時代には毎日毎日買い物に出かけその日の食事を作っていましたが、買い物に出かけるのも週に2日とか3日くらいで、後は冷蔵庫の中にあるもので食べればよいとなると、商店街へ買い物に歩くよりもスーパーで間に合わせる方が合理的なのかもしれません。時代は変化しています。50年も生きているとその変化は大きなものです。食生活も健康的な生活を送るための最後の砦は「家庭料理」なのでしょうがここも怪しくなっています。商店街の小売店には本物の味がまだころがっています。スーパーでは味わえないものを売っています。消費者の皆さんはもうひと手間かけて美味しいものを見つけ出してください。そうなる事で賢い消費者になるのだと思います。

商店街も小さくなるのだとは思いますが、個人経営が培ってきた商品知識や美味しいものを提供していこうとする心意気はチェーン店では見つけにくいものです。商店街を歩いて見て探してください。きら星のごとくいろんなお店が並んでいた私の子供の頃とは違いますが、まだレベルの高いお店は個々にあると思います。

2006/05/26(金) 曇り時々雨


[ 建材類は ]
建材類は


一昔前ならば、木材は見える所に使われて、綺麗に削られているか、隙間なく納められているか、など大工の腕前が一目でわかる「基準」がありました。木材は鉋といわれる大工道具で仕上げられていました。粗く削るものからつるつるに仕上げる鉋まで大工道具を見ればその腕前はわかるものでした。それが電動器具の発達で、仕上げも手仕事ではなく、機械の分野に移されてしまいました。その次にでてきたものは建材メーカーのエンビシートの造作材です。現在では環境問題もあり、樹脂シートになりましたが、ここまで来ると大工が削るという事はなくなりました。カットして取り付けるというのが主な仕事になりました。これがここ十年くらいの出来事です。

そうなってしまうと柱の大きさに対して枠材の大きさが決まる、とか外部や内部の下地材の大きさによって窓枠材の見込みが違うなど、を考えそれに合う品番の建材を見つければよい、という風になりました。どのような色で纏めるのかは施主の好みですが、工務店の大きな希望はどのくらいの金額で納入されるかになってしまいました。建材メーカーの商品にはすべて定価がつけられていますが、その定価から何割くらい値引けるのかが主な関心事になりました。これに対応するかのように建材メーカーでは高級品と普及品の二種類を用意して高級なものは値引率を少なくして販売し、普及品は「値引率で勝負」という風になりました。

今私のこのHPで紹介している建材メーカーは松下電工、大建工業、トステム、ノダなどですが、トステムはサッシメーカーでもありますがINAXと業務提携し、大建工業はTOTOやYKKと協力関係にあります。松下電工は、電器から外装材、住まいつくりまで一貫して行っています。建材メーカー同士でもここ十年で協力関係は密になりました。例えばTOTOと取引のある水道屋さんは大建工業の商品を買う事が出来ます。それは逆もまた真なりです。このように住まいつくりの建材類の仕入先としては従来のルートだけでなくなりました。

工務店にとって仕入れルートが増える事はよい事でしょう。消費者にとってもよい事なのでしょう。ところが流通に携わるものとしては厳しい状況に置かれることになりました。競争相手が増えたのです。その結果はどれくらい値引けるかが、一番のポイントになりました。支払いの確かなお客さんなら安く買えるのだと思います。


2006/05/25(木) 晴れ


[ 写真の整理 ]
写真の整理

父と母の写真を整理し始めた。といっても私の手元に残っているものや引出しになどにあった物からであるので、全てではありません。ただそれしか見つかっていないのでその中から纏めるしかありません。父と母の結婚式の写真=板橋にあった当時の祖父の住まいで写したもの、などは見つかっていません。

さてどんなものが残っているのかと言えば、父の場合は小学校の同窓会。町会。商店街に工務店関係のものや新東京木材第2班の写真。主に旅行時のものです。そのほか桜菊会とか、亥震会などという旅行会のものがあります。母の場合は小学校の同窓会、女子挺身隊時代の同窓会。町会や材木屋の婦人部などの旅行ものが大半を占めています。共通しているのは親戚の冠婚葬祭のものや二人で出かけた旅行のものになります。とうぜんですが・・・また初孫が生まれた23年前からは孫を中心にしたものが数多く写されています。

さて今回は私の七五三の写真をお見せいたしましょう。昭和31年のことだと思います。昔の自宅前で写しています。


今一枚は私の父方の祖父母。おじいさんの方は素面でいた時の思い出がありません。いつも酔っ払っていました。堀コタツの前に座って右に一升ビン、左にレッド。夜中にビール2本というのが定番だったようです。



このあたりの写真を並べると人生はよく出来ていると思います。先祖をたどっても子孫を見ても三世代までしか実際にあった事が無くその中に自分の人生が含まれてしまいます。これらの写真も私のとっては宝物ですが、後30年もすれば全く価値のないものになってしまうのです。

2006/05/24(水) 曇り時々雨


[ 頭の中の単価表を変えなければ ]
頭の中の単価表を変えなければ


昨日、看板屋の若社長と話をしていたら、看板屋になって6年になるけれどその間にアクリル板などの材料は4割方上がっているとのこと。特にこの一年間は値上がりのスピードも速くてついていけないということでした。大体の単価が頭の中にはいった頃には次の単価に更新していかなくてはならないとのことでした。

そういえば私もここ数ヶ月の材料の値上げが頭の中にはいっていなくて、ついそれまでの単価を答えてしまい、請求書を見てビックリ。こんなに値上がりしていたんだ、ということが起きています。頭の中の単価表を入れ替えないといけない事態に今います。

そういえば、新東京木材商業協同組合のHPもこのところ更新されています。木材や建材類の単価表も組合員は見ることが出来るようになりましたね。少し進歩です。何よりも「WEB WOODS」ができていち早く組合の動きが見られて面白いですね。

WEB WOODSはこちらから。



2006/05/23(火) 曇り時々雨


[ 木材代金は ]
木材代金は


昔の見積は大工さんが木拾いをして来て、それに単価を入れて金額を提示するというのがほとんどでしたが、最近では図面を一枚渡されて「幾らくらいになる?」「いつ何時までに」というのが増えました。ですから見積をしてくれと言われると、かなり忙しくなります。

通常見積もりをする範囲は、「プレカット」「下地材」「建材メーカーの造作材・建具材」「サイディング」などです。水回りまで見積をするのは我が社では稀です。「プレカット」は材工で坪当たり4万円から5万円くらいです。建具やサイディング材は普及品から高級品までランクがありますので一概に言えませんが、下地材は坪当たりに直すと4万円から5万円くらいになると思います。建て坪数が20坪を切るようだと少し上回るかと思いますが、30坪以上あればこの範囲になると思います。

一丁いくらで見積る大工さんはまだいますが、会社関係の見積は「平米いくら」か「坪いくら」で概算で出していくのだと思います。ですから新築でもリフォームでも「平米いくら見ておけばいいか」と聞かれる事が多くなりました。

木材にも1等、特1等、上小節、無節など希少価値に応じてランクがあり、無節になるにしたがって高くなりますが、最近の住宅でも使われ方は、見えなくなってしまう所に木材を使う事が多くなっているので極端に高い木材を使うということがなくなりました。皆さんにも「桧は高い」とお考えでしょうが、(木曾桧の無節や吉野材の役物は確かに高いと思いますが、)一般に使われる桧材は高いものではありません。昨今米栂材や米松材が値上がりしていますが、それらと変わらない単価に近づいています。桧材も決して高いものではないと思いますので、日本の木を使っていただきたいと思います。





2006/05/22(月) 晴れ


[ 雨が上がって ]
雨が上がって


やっと雨が止み、晴れ間が覗いています。来週からは少しは天気が良くなるようです。ここ二週間天気の悪い日が続いていました。その関係で仕事は進まず、今月は最低の売上げになりそうです。それでもいくつか見積もりもあり、また決まってきたものもあります。ただ最近の仕事は俗に「下駄を履くまでわかりません」
仕事は行っていても我が社まで来ないものもあります。建材類は色が変わったり、ランクが変更になったりします。

今日は工務店さん向けの単価表を作っていました。まあ新築の見積も行いました。見積を届けていくつか社長と話をすると「今、大工手間は坪どのくらいだろうか」という質問を受けました。見積をするとこの質問が一番多いのです。住宅の新築で坪4人工、あれば楽ですが、大体3.5人工くらいではないでしょうか。3人工ではできないと大工さんはいいますね。足を出すと。

今行っているのが坪6万3千円。3人でできると一人二万千円。3.5人工掛かると一万八千円になります。まあ、相場ですかね。

これが建売りになると二割方、手間賃が落ちます。長時間働く大工か、手の早い大工でないと1日の手間賃を稼ぐのは大変です。経験のある人はバブル期に仕事に行くだけで二万五千円とかをいただいていたのでその記憶が忘れられずにいます。(それは材木屋も同じだと思います)作業量に対していくらの単価と考えていかないと手間はいくらでも増えます。手間賃を如何に減らすかが、今後大きなテーマになるのだと思います。

今、中野杉並辺りで建売住宅は4000万円台が多いのです。このくらいだとローンを支払える人が買っていくのですが、5000万円台になると銀行の審査にパスしない人が増えるとのことです。地価が少しずつ上がって、資材も上がっている現在、同じ販売価格を前提にすると売り手は手間を下げるでしょう。手間を下げると「手を抜いた物件」が増えるかもしれません。想像したくないですが、木造住宅でも不良物件が増えるかも・・・

今、住まいつくりは作り手=大工から完全に離れて、「会社」でないと請けきれなくなっています。営業がいなければ取って来れない、プランナーがいなければラフプランが出来ない、設計士がいなければ許可される図面が完成しない、など仕事が決まるまでに色々な人の手を経なければなりません。近くのリフォーム屋さんには、社長、専務、コーディネーター、事務員さんといてその下に実際に仕事をする人がぶら下がっています。ふた昔前なら一人でこなしていた仕事を幾人もかけています。この人たちの手間も実際には掛かりますので高いものにつくだろうなと思います。実際に仕事をする人に頼めれば良いものを安く作れると思うのですが、その力も「町場」にはなくなってしまったのかもしれません。会社関係に仕事を頼まれると必ずといっていいほど材料はランクが落ちます。個人で行っている人なら「変なものは作りたくないので、材料にはお金をかけます」

住まいつくりも良い作り手に出会うことからはじめてもらいたいと思っています。



2006/05/20(土) 晴れ


[ 雨の日が続く ]
雨の日が続く


5月の連休から、その後、天気の悪い日が続いています。例年なら五月晴れなのでしょうが、今年は傘を手放せない日ばかりです。その結果、仕事はドンドン遅れていきます。配達予定を延ばすことが仕事の一つになりそうです。

さて、連休でひと休みしたあとは、11日に「2班」の会合、12日が理事会及び中野支部の佐藤家のお通夜。4月28日にも同じ中野支部の舩越様のお通夜がありましたので、この一ヶ月の間にお二人の方が亡くなってしまいました。16日には十四日会があり、17日には「い木い木ふれあい祭り」の実行委員会が開かれました。ふれあい祭りは、今年は11月18日(土曜日)に新東京木材中野市場を使って行うことが決まっていますので、今回の会合も中野市場の中にある「ミーティングセンター」を使って開かれました。

この市場はJR中央線中野駅の西北にあります。線路に平行してありますから車窓からも良く見えます。又乗降客が徒歩や自転車で通るので、人通りはかなりあります。この人たちをターゲットにして今回開く事にしました。もちろん今まで通り近くの小学校や幼稚園にも声をかけます。さてどんな風になりますやら。初回ですので読めない事が多いですが、面白い企画が出てくるといいなあと思っています。



2006/05/18(木) 雨


[ ラワン関連商品品不足 ]
ラワン関連商品品不足


ラワンを主原料とする商品の品不足が続いています。しかも値段はかなりのペースで上がっています。ラワンの2.3ミリ厚、4ミリ厚、5.5ミリ厚、それに12ミリのコンパネなどは一割の値上げです。ラワン材を台板としているフロアー材などもこれからかなり値上がりをしていくものと思います。熱帯雨林の伐採問題からかなりの年月が立ちましたが、ラワン不足が現実のものとなりました。「我が亡き後に洪水は来たれ」という言葉がありますが、先祖の負の遺産は確実に子孫に害を及ぼす事を肝に銘じていきたいと思います。

2006/05/17(水) 雨


[ ある一日 ]
ある一日


朝早く起きて築地市場に行く予定が前日の疲れからか寝過ごしてしまった。それでもめげずに築地に向かった。家から築地に向かうには二通りの方法があるが、最近出来た地下鉄大江戸線を使うと早いのでそれを用いる事にしました。中野新橋から中野坂上へ。そこで大江戸線に乗り換えると築地市場のすぐ横につきます。ここへは初めて来るのでした。あらかじめどんな店があるのか、あるいは美味しい寿司屋さんは、など頭の片隅にインプットしては来ましたが、生憎着いたのがお昼近くて行列の嵐です。

地元の人に聞いて定食屋に入りました。鮪定食はたいしたことはありませんでしたが、中落ち定食はボリュームもあり、腹ペコのお腹にはスーッとはいりました。


お昼を食べた後は、昼間の散歩です。すぐ隣の浜離宮公園に入って鴨場などを見学。樹齢400年近くになる松の前では大道芸が行われていました。ここから浅草まで水上バスが走っています。今度はこれに乗り一旦「日の出」まで戻ってから隅田川を上ってゆきます。この川沿いの橋は個性的な色や形をしていて目でも楽しむことが出来ます。「見る人によっていろいろなイメージが浮ぶと」いうアナウンスのあったビルが見えて、浅草に到着です。

例のビルです。

ここで甘味処でもよってからと思っていたのですが、用事が出来て飯田橋の厚生年金病院へ。お見舞をし終わって、今日は神楽坂で一杯やって帰ることにしました。神楽坂は横の露地に入っていくと小粋なお店が沢山残っています。私が生まれた中野新橋もかつては芸子さんが数百人いて我が家などでも宴会を行えば芸者さんも呼んだものです。

こんな感じです。昭和36年頃の自宅での写真です。

さて、神楽坂といえば、「鳥茶屋」ということになりうどんすきのお店に入ることにしました。京風のお店でした。18畳ほどの座敷でいただきましたが、隣に座っていた母と娘連れの話が何気なく聞こえてきました。母から娘へ。「人生はあっという間、早いよ」蓋し実感。ほんとにあっという間なので笑って過ごすのが良いと感じて、ここを後にしました。今年のゴールデンウィークはこれで終了です。




2006/05/10(水) 曇り


[ 川崎市民ミュージュアム ]
川崎市民ミュージアム


5月3日から7日までの5日間「川崎市民ミュージアム」では「赤木圭一郎 刹那の輝き、永遠の伝説」と銘打って一日2本計10本の映画を上映していました。以前から時間が取れれば行きたいと思っていましたが、それが叶いました。

先ずは3日。この日は「清水の暴れん坊」と「鉄火場の風」の二本です。赤木と裕次郎が本格的に共演した2本で又それしかありません。
「清水の暴れん坊」はラジオプロデューサーの石松(石原裕次郎)が麻薬撲滅を企画した番組を製作し、密輸団と対決する話で、赤木は麻薬の常習で自殺をしてしまった俳優の息子役で出ています。その姉に芦川いずみ。裕次郎の相手役はもちろん北原三枝。裕次郎のかっこよさが良く出ています。赤木はまだ十代の終りのあどけなさがあります。1959年9月27日公開。

「鉄火場の風」は無実の罪で網走に服役していた畑中(石原裕次郎)が出所する場面から始まります。「凍てついた海を越え、俺はやって来た・・・・」この主題歌が流れて、列車は東京に付きます。この主題歌が好きで、よく口ずさんだものでした。話は親分殺しの濡れ衣を着せられた畑中が真犯人である呉羽組組長・高木(芦田伸介)をやっつけるまでですが、川崎球場を使った売上金強奪事件や題名の通り「鉄火場」のシーンもあり、見所は豊富です。裕次郎の長い脚を見せるカットもあり、良く出来ています。赤木は畑中を親分の敵と狙う役ですが、最後には拳銃で撃たれて死んでしまいます。赤木が死ぬシーンはこれと「素っ裸の年齢」だけだと思いますが、この映画の公開から実際に一年ちょっとで死んでしまうので切ない感じが残りました。1960年1月15日公開。

さて、7日の日にも「俺の血が騒ぐ」を見てきました。船長だった父親を何者かに殺され、復讐を誓う船員・邦夫(赤木)。顔役の立岩(安部徹)と面識を得た邦夫は、父の仇との対面を条件にボルネオ行きの玄海丸に乗り込む。しかし玄海丸は、実は麻薬密輸船だった。全ての真実を知った邦夫は悪に立ち向かってゆく。共演は葉山良二。南田洋子。1961年1月9日公開。

どの映画もテレビやビデオでは見ていましたが、大画面は初めて。迫力も違いますし、自分の見る眼も変わってきていると思います。何よりも90分間一つのドラマの中に没頭できるのが嬉しいです。心地良い緊張が映画館にはあります。赤木に限らず映画は定期的に見たいものです。

ここ川崎市民ミュージアムでは5月13日と14日に「土本典昭の水俣」と題して4本の映画を上映します。
「水俣 患者さんとその世界」
「医学としての水俣病 第一部資料証言篇」
「医学としての水俣病 第2部病理・病像篇」
「医学としての水俣病 第3部臨床・疫学篇」

水俣病が公式に確認されてから50年経つのですね。




2006/05/09(火) 曇り時々雨


[ 連休明け ]
連休明け


ゴールデンウィークもあっという間に終了して仕事に復帰しています。このところの仕事の状況は相変わらず特定のお客さんにだけ仕事があります。材料のほうは、品不足と値上がりに困惑しています。値上がりのほうは、昨年来の現地高や運賃の高騰など致し方ないものばかりだと思いますが、昨年末は売れ行き不振で値段を上げることが出来ずにいたものをここへ来て一気に上げられているので、アップ率が高いです。一つ二つと仕事が決まりだしたのはありがたいですが、決まった分だけ、今度は材料を手配しなければならず、値段も手頃なものを見つけるのに苦労しています。

今、ラワンの系統のものが少なくなりました。又栂の角類――105角や90角など、日本で作っていないものが極端に品不足になっています。この角類はKD材になっていて、非常に使いやすいものでした。これが世に出てくるまで米栂・カナダ栂材は粗悪品の代名詞みたいな所がありましたが、一気に塗り替えた商品だったと思います。乾いていて曲がりも少なく、綺麗で、節の少ないものもかなりありますので削って見える所に使う事も出来ました。それがこのところの品不足で手に入らないものになってしまいました。これに変わるものはおそらくないのでしょうが、感覚としては「ヒノキ材」が代用品になれると思います。ヒノキなら力もあるし、節があってもさほど気にならないと思うからです。木材は天然自然のものですから曲がる狂う割れるなどの特徴は当り前ですが、曲がりの少ない、割れの少ない、乾いていてすぐに使える木材も必要だと思っています。これはやはり便利です。もちろんそういったものばかり出来ない事は承知していますが、使い安さは便利です。

さて連休に二度ほど近所のホームセンターに行きましたが、品揃えが充実してきましたね。木材やベニヤも目立つ所においてあるものは「安く」設定してあります。商品の数が沢山あるだけ商品全体で利益率を考えればいいので、こういう商売が出来ます。材木屋もそのようにできればよいのでしょうが、なかなか難しいですね。その代わり商品の質は落とさないようにしています。



2006/05/08(月) 曇り時々雨


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[ 管理者:大野満生 ]


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