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時々更新mn日記

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[ 御礼 ]
御礼


父喜平の通夜ならびに告別式に際しまして多大なるご厚情を賜りまして誠にありがとうございました。おかげさまで無事執り行うことができました、これも偏に皆様方のお力の賜物と感じております。

さて、父喜平は大正12年に大野省三・平沼きのの長男として東京の尾久に生まれました。22歳と18歳の若い夫婦の初めての子でした。一家はまもなく中野の城山に引越しまして、八百屋をはじめます。「八百省」という、この八百屋があたりまして、十数年間の営業でいくつもの家作を持つまでに至りました。この間に妹、弟が年子で生まれ、一つ離れて又弟が居りました。そのため父とすぐ下の妹は親の手伝いをさせられたと聞いております。祖母は若いだけでなく、からだも弱かったのでその分父達に皺寄せが来たようです。

さて父は東京で生まれましたが、その両親は共に埼玉県飯能市になります。それも大分郊外になります。竹寺や子の権現という場所を聞いたことがある方ならわかりやすいのですが、その麓上中沢辺りが祖父の出身地。祖母はそこから少し飯能に近い所「戸丸」と呼ばれるところの生まれです。今回もこちらから大勢の方に見えていただきました。

父は九州の太刀洗で終戦を迎え東京に戻ってきました。一家の集合先は文京区林町にある治輔邸のすぐ近くに同じ飯能出身の八百屋「八百梅」さんの2階を借りて暮したと聞いております。父は治輔さんの「二葉書店」にしばらくいた後、昭和24年に中野区弥生町において材木屋を開きました。以来五十有四年皆様方に可愛がっていただきました。

十年程前に母親を無くしましてから、父は体調を崩すことが多く、入退院を繰り返すことになりました。今から六年前の私の結婚式のときも入院中で出席できませんでした。その後少しずつ体調が回復し、弥生町にありますデイサービスに通うようになりました。が、二年程前に心筋梗塞を患ってから、少しずつ体力が低下し、生活のレベルも落ちてきました。昨年12月22日より肺に水が溜まり入院していおりましたが、2月17日帰らぬ人となりました。82歳でした。大好きだったお母さんのところへ旅立ったのだと思います。

ありがとうございました。2006年2月27日。



2006/02/27(月) 晴れ


[ 水漏れ ]
水漏れ

自宅マンションの1階の駐車場にある我が社の車の荷台に水がポタリポタリと落ちていました。2月9日の事でした。気がついたのは午前10時を回る頃で場所は2階からでした。早速住人の方に連絡を取り、また水道屋さんにも見に来ていただきました。原因はおそらく給湯の配管からの水漏れであろうということになって、住人の方のスケジュールに会わせて工事日を決めました。その時はまだ部屋の床をめくることはしませんでした。水漏れしている車の荷台にポリバケツを置き、とりあえずの処置をしました。所が夕方過ぎになると水の落ち方が増え始めたのです。ポタリポタリがポッポポッポとスピードが速くなってきました。45リットル入りのポリバケツに8つほどの目盛りがついていてその一つ目と二つ目の間に一時間ほどで水が溜まりました。そこで部屋の方に連絡を取り、給湯器の元栓を閉めてもらうことにしました。

2月11日には、親戚の結婚式もあり、住まいを留守にすることもあり、気が気でなくなりました。寝る前にポリバケツの水を捨て、朝まで大丈夫だと確認して寝ました。翌日10日の一番に水道屋さんに電話をして至急直してもらいたい旨を話しました。そこで休日ですが、日曜日12日に直してもらうことになりました。念のため張替建築の張替守さんにも手伝ってもらいたいと頼んでおきました。

さて、水漏れは給湯器の元栓を締めたため、目に見えて少なくなってきました。これで結婚式へは参加できると安心して家を空けました。そして当日、12日は9時半過ぎから水漏れ発見から始めました。水が落ちてきている真上の部屋の荷物を移動し畳を上げベニヤを取ってみると5センチほど水が溜まっていました。先ずはこれを汲み上げてみました。それが終るとすぐ横に走っている配管を点検したのですが、どうもここから漏っている様子はありません。その先その先と床を剥がしてみましたが、なかなか見つかりません。そこで隣の部屋のキッチンに移り、流し台を外して床下の配管を見てみました。かすかに漏れている個所がありました。主たる原因ではなさそうです。元栓を開くと水が流れてきます。そこでキッチンから洗面化粧台までの所を開けて見ました。洗面化粧台の下を開いてみると給湯菅のL字のところから水が漏れているのが確認されました。どうやらメインの原因はここのところのようです。時間は午後二時半を過ぎていました。

原因がつかめたので、やっと修理が始まりました。昼食を取り、水漏れ工事を終了したのは7時過ぎのことでした。

住まいに発生するクレームや事故のほとんどは「水」に絡んだものです。今回のように配管からの漏れはそのほとんどがL字ないしカーブしている所です。初めに設計した段階からその部分の修理を頭に入れて、途中に点検口を設けるとか、水周りを一か所に集めて給湯機と実際にお湯を使うところの距離を縮めておくなど、事故を想定しておくことが出来ると修繕もたやすくなると思います。今回の所は27年間で3回目でした。とりあえず床下点検口をつけておくことにしました。


2006/02/13(月) 晴れ


[ 昭和会の講演会 ]
昭和会の講演会


2月3日には、新東京木材商業協同組合昭和会の講演会が本部4階会議室で開かれました。講演者は岩崎加根子さんといって俳優座の女優さんです。最近では水戸黄門の「お八重」さん役といった方がわかり易いかと思います。2時間ほどの講演でしたが、あまり得るところがありませんでした。

1月末から2月にかけては、私が膝を痛めてしまった関係で整形外科に通う羽目になってしまいました。膝が痛い方は数多くいますが、そんな人の気持ちがよくわかる日々でした。昭和会の講演会も則ちゃんに送ってもらいました。

さて、そんなことをしている時に1月末に加工屋さんが相次いで、事業不振を理由に辞めていったことです。急に辞めていかれたので、実際困っています。今までのように頼むとすぐに出来上がってくるという楽な事態はなくなりました。我が社にある在庫の木材を使ってお客さんが注文いたサイズに加工してきましたが、それが出来なくなりました。小さな木材の製材や加工ならまだ出来ますが、300ミリ巾の梁材を二つ割にしたり、削って仕上げたり出来なくなりました。このことにより、平で買うことが少なくなると思います。加工が出来るところだけが材木屋として残れるのかもしれません。

2006/02/10(金) 晴れ


[ 通し柱がない ]
通し柱がない


梁や柱が腐ってしまい、交換する仕事が舞い込みました。2階梁と通し柱の接触している所が腐っていて、先ほどのもの材料を頼まれました。在庫はしていないので市場に取りに行こうと思い電話した所、市場にも「在庫はないかも」の返事。そういえば杉の105角の通し柱など、ここしばらく使ったこともありません。
とりあえず、市場に行って材料を見てみることにしました。

市場には杉の通し柱は、数量としてはかなりあるのですが、どれもこれも曲がっていてそのままでは使い物になりそうにありません。12センチ角にするわけにもいかず、桧材で探すことにしました。2本必要だったのですが、一本は比較的真っ直ぐなものを見つけ、もう一本は曲がっていましたが、「職人さんの技術でカバーできるかな」と思い、何とか2本揃えました。

問屋さんの話によると「通し柱はロスが多くて、置いておくとみんな曲がってしまう」との事です。木材は自然の製品で、一方で生鮮食料品と一緒で「生もの」です。使うほうは勝手に工業化されたものをイメージし、狂わないものとして木材を使いたいと思いますが、実際の所集成材でも曲がっています。その曲がり具合を眼で確認しながら、それ以上狂わないように使うのが大工の腕です。

ところが、我々への注文者が大工から請負師に代わってから、「曲がってる」の一言で片付けられるようになりました。仕事する人と買ってくれる人が分離してくると要求されるものが変わって来ます。その要求にも応えないとやっていけない時代になりました。

とにかく、コンスタントに売れていかない時代になったので、なんでもすぐに間に合うという考えを捨てないといけなくなりました。お客さんには使用する一週間前に必要な木材を注文してもらいたいと思うようになりました。



2006/02/01(水) 雨


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[ 管理者:大野満生 ]


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