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時々更新mn日記

( 2005/11 ← 2005/10 → 2005/09 )


[ 第4回「材木屋のい木い木ふれあい祭り」開かれる ]
第4回「い木い木ふれあい祭り」開かれる


去る10月29日土曜日、新東京木材商業協同組合池袋市場において、「材木屋のい木い木ふれあい祭り」が開かれました。曇り空の中、千名を超す来場者があり、スタッフ一同感謝しております。今年で4回目になります。毎年来られる方もあり、中野の十四日会が担当した「木工教室」では定連さんもいて「今年はプランターはないの」とか「昨年はCDラックを作ったから、今年は踏み台にするわ」などといった会話も聞かれました。今回十四日会で作った商品は、「踏み台、机、スノコ、CDラック二種類、道具箱、本入れ」などでした。

今回の特徴として、製品を買っていくお客さんが増えたこと。また隣の「新東京モック」のコーナーで自然塗料の実演会を行っていた関係で、木工教室で作ったものに塗装を始める方もいました。さらに今回出したスノコのサイズを少し詰めて頂きたい、という注文もあり、次回への課題になりました。

さて、私はといえば、高知の森澤さんからご紹介された武田さんという、立教大学の女子大生と共に材木市場を案内しながら立教の先輩である新里年伸さんや新東京モックの大渕会長さんなどを紹介しました。彼女は環境系のサークルに入っており、「下草刈り」などにも行っているとのことなので、これから接点が増えるかもしれません。また武田さんは秋川木材協同組合の方のお話を聞いたり、「杉の木太郎の一生」という紙芝居を見られたので、私の話よりためになったと思います。さらに「杉の木太郎の一生」のCDも買っていただきました。何か感じるものがありましたらご連絡ください。ありがとうございました。

来年は中野市場で行う予定です。今度は組合のホームページでも案内を出せるようにしたいと思います。


エントランスのすぐ横は、大森支部の模擬店。ポップコーンやフランクフルトの販売です。


秋川木材協同組合のコーナー。


木村農園の朝取り新鮮野菜を販売しました。


餅つきコーナーです。


模擬店はこちらです。



木工教室です。皆さん一生懸命です。


「火おこし体験」のコーナーです。


ミニ上棟式です。お餅も撒きました。


紙芝居「杉の木太郎の一生」を見入る子供達。


ミニ躯体の上から宮戸理事のお囃子です。


今回池袋市場を訪ねていただいた武田さんです。



阿部理事長による手締めの挨拶で終了です。



2005/10/31(月) 晴れ


[ 今年の秋は ]
今年の秋は



10月はお天気の日が少なく、雨や曇りの日が多い月でした。こんなに寒い十月は初めての経験だと思います。事務所の床には暖房器具がこの半ばから置かれています。今年は夏が暑く、残暑が厳しく、その分普段の9月の長雨が10月にずれ込んだ感じです。また湿度も例年よりも高い気がします。赤松や杉の材料が「カビ始めています」
なるべく「ADかKD」(天然乾燥させたものや人工乾燥したもの)を仕入れるようにしていますが、それでもしばらくすると「白太」の部分が青味がかってきます。なるべく太陽に当てて干すようにしたいと思います。今年は天気も仕事もスカットしないようです。

さて、中野支部のレディースの会や従業員慰安会も終り、29日に新東京木材池袋市場において行なわれる「材木屋のい木い木ふれあい祭り」を残す所となりました。このイベントも今年で第4回になりました。「中野十四日会」では今年も「木工教室」を担当します。今年は、種類も多く、クオリティーの高いものがキット化されていますのでご参加いただければ、楽しめるかと思います。心配はお天気だけです。

2005/10/28(金) 曇り


[ 写真でみる第8回寒梅会 ]
写真でみる第8会寒梅会


去る10月2日に行われた第8会寒梅会の写真をダウンロードさせていただきました。

当日の雰囲気をお楽しみください。















2005/10/23(日) 晴れ


[ 問屋への負担の軽減を ]
問屋への負担の軽減を


理事会では毎月のように売上げの低下が報告されています。実際の所、この夏から木材の売上げは低下を続けています。従来の顧客である大工・工務店に仕事が少なく、あるいはあっても請負い金額の少ないものが増えています。そのため、木材費にかける金額は自ずと少なくなり、簡単に作るなり、手間もあけないものが増えました。

また、仕事を進めるルートも広がりました。リフォーム屋さんや水道屋さんルート、電気屋さんルート、サッシ屋さんルートガス屋さんルートなど、様々です。材木屋さんを通すルートが従来の顧客の落ち込みから少なくなっています。

このような中で「材木屋」だけを相手にしている市場やその問屋は売上げの低下をまぬかれないでしょう。そのまた上の製材所はもっと厳しいと思います。今朝の日刊木材新聞には、静岡の藤里木材商会が自己破産の申請をしているとの記事が載っていました。藤里木材商会は桧の土台やスノコ材など新東京木材の市場でもその製品の優秀さは群を抜いておりました。私の所も二十年来そこの土台を使っていました。そういうところも「やっていけなくなったのだなあ」と実感しております。

さてそのように売上げが厳しくなると材木屋だけをあるいは組合員だけを相手にしているところでは売り先は限られており、伸びる要素がありません。従来のやり方では限界点に近づいていると思います。そこで、今までの方法にとらわれず、売り先を広げさせていただくか、さもなくば問屋への手数料負担を軽減していくのが良いのではないかと考えるようになりました。少しでも長く事業を継続できるように配慮をし、「小さく残る」態勢を作り出す必要性を感じています。


2005/10/22(土) 曇り時々雨


[ 輝ける分水嶺 ]
輝ける分水嶺 1960年の日本(赤木圭一郎の時代)


著者 相馬尚文
発行所 新風社
定価 本体1200円+税

はじめに
第一章 日活アクション映画と赤木圭一郎
  1日活アクション映画
  2赤木圭一郎

第二章 安保闘争
  1安保闘争
  2高度成長
おわりに


1945年に生まれた著者の関心は1960年安保闘争の盛り上がりとその後の大衆の急激な後退である。岸内閣打倒まで盛り上がった大衆の力は池田内閣の登場と共に潮が引いていった。革命前夜と思われた情勢は自民党の安定政権と高度経済成長をもたらした。この謎の解明に日活アクション映画が関わっているとするものである。

9ページにはこうかかれている。

「日本にはかつて三つの大きな娯楽映画が存在した。時代順にいうと、東映チャンバラ映画、日活アクション映画、東映ヤクザ映画である。」
「東映チャンバラ映画、東映ヤクザ映画と日活アクション映画の大きな違いは結末である。全二者では悪は滅びる。主人公などによって悪玉は殺され、悪の組織は滅亡してしまう。ところが日活アクション映画では、主人公は一応敵を打倒するだけである。相手の組織を全滅させようという発想はない。最後は警察に任せたり、あるいは謝罪した敵を許してしまうというケースもずいぶん多い。」

このように日活の映画は勧善懲悪的なものが少なく、東映映画と比べて「スカットしたラストが少ない」中途半端な終り方をするものが多い。この中途半端さが60年の安保闘争を解明する鍵だと見ている。

急速に萎んでいく大衆闘争を、こう分析する。著者のいう所を聞いてみよう。

1960年7月19日に成立した池田内閣は、「寛容と忍耐」をスローガンとし、政治的低姿勢で政局の運営を進めていくこととなった。ポイントは二つで、一つは野党との協力、もう一つは世論の重視である。
自民党は目覚めた国民の恐ろしさを肌で感じた。以後世論を無視した政策は不可能だと感じたのである。

著者は自民党は安保闘争で憲法改正や軍備強化などの「従来型国家」と決別し、「平和経済国家」の道を選択した。と考えている。だからそれ以後の自民党は国民の要求を先取りする形で、勢力を伸ばし、また高度経済成長を成し遂げたとしている。

その中心の年、1960年を「赤木圭一郎の時代」と命名した。1960年(昭和35年)は日活アクション映画の全盛期である。裕次郎や旭がずいぶん長い間大スターであるのに対して赤木は1960年だけのスターだった。しかも赤木は安保闘争のデモにも参加している。それは「男の怒りをぶちまけろ」の撮影がラストに近づき、「霧笛が俺を呼んでいる」のロケが始まった頃である。西村滉に誘われてデモに参加する。樺美智子さん追悼のデモに参加したこの青年は人間的な成長を見せる。

「何も出来ない自分」から何かをしたい自分への転換。
彼はこの盛り上がりの中で「ブラジルに孤児院を建てる」ことを思いつく。また彼の父は医者であったが、その父にお金を取らない医者になってもらいたいと話す。そして父はそれを実行した。
赤木もまた、ハードスケジュールの中毎月毎月主演映画を出していく。いか「拳銃無頼帖・不敵に笑う男」「海の情事に賭けろ」「幌馬車は行く」「錆びた鎖」「拳銃無頼帖・明日なき男」「俺の血が騒ぐ」「紅の拳銃」と休みなく働き、そして「激流にかける男」の撮影が終りかけた頃、運命の日2月14日を迎える。調布にある日活撮影所でゴーカートを運転中に出入口の鉄の壁に激突して、21歳9ヶ月の若さでこの世を去った。本格的な主演作である「拳銃無頼帖・抜き打ちの竜」の公開から、丁度一年目の出来事であった。

この本は60年安保闘争の謎を1960年のそのただ一年だけに活躍した俳優、赤木圭一郎を通して、あるいは日活アクション映画の役割を重ね合わせて解明した書でである。




2005/10/21(金) 曇り時々雨


[ 老人の行方 ]
老人の行方

年をとるのは自然なことだけれど「老い」が現実に迫ってきました。わたしも老人ホームの入居できる年齢に王手です。足腰が弱り、細かな字を見るのがつらくなりました。だから気ままに遊ばないといけませんね。
さて老後に備えて老人ホームを探さないといけなくなりました。二十数年前から老人ホームを経営している所は入所金も高く、一ヶ月の経費も今の生活以上にかかります。ホームページを使って探してみると入所金も手頃で一ヶ月の費用も「まあまあ」というものが見つかりました。最近チェーン店として手広く老人ホームを増やしている所は、ドンドンその数を増やしているのに驚かされます。老後はホームで生活することを頭におきながらそれまで健康で暮し、寝たきりにならないように始終身体を動かさないといけません。カルシュームを摂って、ストレッチをして。西川きよしさんが朝起きると「筋を伸ばす」「逆立ちをする」といった発言をテレビでされていましたが、全くその通り。身体は常に動かさないと駄目になります。その意味では今の所、定年のない仕事についていますから、毎日身体は動かしています。
ところで本日は母の命日です。十年前にガンで亡くなりました。65歳でした。母の年まであと11年。たまには涙を流そうかと思いますが、現実の生活は楽しく、笑って過ごしております。




2005/10/20(木) 晴れ


[ 東京新宿木材市場株式会社 ]
東京新宿木材市場(株)


東京新宿木材市場株式会社のホームページがリニューアルされました。
市場について、市日の案内。プレカット加工についてなど。中味も充実してきました。
「木材のエキスパート」のコーナーというコーナーがあり、そこに材木屋さんの情報があります。東京都、埼玉県、神奈川県に静岡県。載せている数は少ないですが、EメールやHPを持っているところがかなり載っています。ご覧になって下さい。
また中野区では(株)山口商店、(株)高木製材所、(有)大喜の三店が載せてありました。もっと載せていただいた方が良いとおもうのですが・・・

さらにリンク先を見ていたら、東京木材ネットワークのHPにもあたりました。いつの間にかドメインを取得して、立派なHPが出来ていました。こちらも材木店の紹介のコーナーが充実するともっとよいと思います。期待しております。


2005/10/19(水) 晴れ


[ ストレス解消 昼間のテニス ]
ストレス解消 昼間のテニス


一ヶ月近く身体を動かさなくなって、ストレスがたまっていました。ましてここの所「夜」が忙しくのんびりした感じで生きていませんでした。まして10月は天気が悪くて、まだ4日しか晴れている日がないそうです。そんな折、12日の日には、哲学堂庭球場コートが13時から17時まで抽選で取れていることを知り、その中に加えてもらうことにしました。

少し早めに昼食を取り、13時前にコートについて身体をほぐしていました。幸い仕事の電話の一件だけで、15時に待ち合わせることにして昼間の1時間テニスをしてみました。この日良い天気で暑いくらい。小1時間ほど身体を動かして、大汗をかいてここを後にして仕事に戻りました。

これに気を良くして金曜日もコートが取れているので参加してみたくなり、水曜日と同様のことをしてみました。この日は水曜日よりももっと暑い日差しで体中がびっしょり。一時間で上がってそのまま仕事に復帰。池袋市場で材料を積んで行く途中で、注文の電話が入り、中野市場に寄って材料を貰って、昭栄木工所で加工材を積み込んで会社へ。材料を降ろしていると、また注文の電話が入り、再び池袋市場へ。無事積んだあと、会社へ戻り、自宅へ。シャワーを浴びて十四日会の会合へ。あわただしく生活していますが、昼間のテニスは気持ちがよく、ストレス解消に繋がりました。

10月16日の帝国ホテルでの婦人会も無事終了して、ホット一息ついている雨の月曜日です。(2005/10/16)



2005/10/18(火) 雨


[ 「第8回寒梅会」開かれる ]
第8回寒梅会開かれる


去る10月2日、同志社大学島ゼミの島一郎先生を中心とした集りである「寒梅会」が開かれました。第8回になります。島先生は一昨年以来体調を崩し、入院加療をしておりましたが、今年の春に35期目のゼミ生と共に同志社大学を退官されました。

今回の寒梅会の企画は退官記念を兼ねた集まりでした。私は参加することが出来ませんでしたが、同期の仲間から聞いた話によると誠に盛大であり、第1期生から35期生まで途切れることなく全ての回生の方から出席があり、総勢170名。会場に入りきれないほどの盛況だと聞き、「さすが島先生」と大向こうから声をかけたくなりました。

私と同期の5期生は今出川校舎での記念撮影と懇親会会場である「東山閣」へのチャーターバスの誘導という大役を無事勤められたと聞いてホッとしました。

先生の奥様から、「入院中にあまり生きられないとしたら、最後に何がしたい」といった時に「教え子達ともう一度飲みたい」と答えたという話が伝えられ、先生らしいと感じています。島ゼミで過ごした二年半はあまり出席しない学生でしたが、先生の偉大さがこの年になると分かってきます。

これからは、ゼミ用の掲示板で近況を伝えるように致します。その掲示板には先生から既に二度の投稿があり、二度目には以下の様にかかれていました。

酒場も、「静」は別格にして、芳子ー山福ーあかね茶屋ーめなみーエルーふうせんー四季ー志津ー五輪など・・・

酒場の遍歴が書かれてありました。私はこの中で「静」しか知りません。当時酒が飲めなかったので、2次会3次会にはでなかったからです。「樽」や千本中立売の映画館の奥のほうに縄のれんがあったと思うのですが、そのくらいしか御一緒していないのが残念です。

ともあれ、先生も「無茶しよるなー」と言われないくらいにしておいて下さい。また寒梅会を開いてください。よろしく。





中央が、島先生ご夫妻。
写真は甲賀氏提供。

2005/10/17(月) 晴れ


[ 十四日会会合 ]
14日会会合


10月14日には、中野市場に於いて「十四日会」の会合が開かれました。今回は10月29日に新東京木材池袋市場に於いて開かれる「い木い木ふれあい祭り」の準備のために集りました。ふれあい祭りでは「木工教室」を担当いたします。
それに伴い、数ヶ月前から石橋会長、伊藤前会長がアイディアを出し、材料をキット化して来ました。そしてこの日は29日当日にお手伝いいただける方々が迷わないようにあらかじめ、製作する手順の講習会です。実際に1人二つほど作って見ました。(私は見ているだけでしたが)かなり時間のかかったものもあり、もう少し時間を短縮するために、「下穴をあけておこう」など意見も出され、無事当日を迎えられそうです。この日は十四日会会員だけでなく、組合から8名の方が、また新里木材の新里年伸さんが参加されました。夜9時半頃に解散となりました。本当にお疲れさまでした。

今年は池袋市場で開催されますが、来年は中野市場で開催する予定です。中野と池袋とでは持っている条件が異なります。開催日のお客さんの多い少ないは行ってみないと分かりませんが、池袋市場は本部を抱え、人も資材も揃っています。さらに池袋市場にいる問屋さんの力がこれに加わります。それだけの人の力があって、初めて「い木い木ふれあい祭り」は成り立っているのです。池袋の問屋さんの力は大きいと思います。池袋の問屋さんは10名くらいが動いてくれます。それが中野市場だと5名くらいになるかと思います。足りない分をどのように工夫して乗り切っていくのか、本部の方の力量が試されてしまいます。ともあれ、今回の10月29日の「い木い木ふれあい祭り」には是非ご参集ください。木工教室にこられたら、一つ二つ作ってみてください。自分の手で制作した作品はかわいいものですよ。



2005/10/16(日) 曇り


[ 従業員表彰 ]
従業員表彰


新東京木材商業協同組合(以下組合)では、永年従業員表彰を行っています。10年経つと組合から表彰状をいただきます。この特典は、受賞された方が独立する時に「組合への出資金が減額される」ことです。実は私もついこの間まで中野支部で従業員費をお支払いしていました。社長になってから支払いを止めましたが、それまでは支払っていました。もう二十年近く前になりますが、「10年表彰」を受けております。このため従業員の集まりにも顔を出させていただいていました。

この従業員表彰に関して後継者や会社の取締役は受けられない、という規定が組合の中でいつのまにか出来ていました。表彰す
ればお金がかかるからでしょうか。私は自分が10年表彰を受けているのでそのような制約は必要ないと感じています。まして、今木材業界に入って3年経ち、5年経った方がいるとしましょう。比較的若い方の集まりである「新東京モック」とか、「十四日会」とかに入っていただければ業界の友人が出来るかと思います。

こんなことを考えてまいりますと、先ず二世、三世であれ、従業員であれ、また社長業に専念されている方であれ、この業界で5年を経験された方や10年を経た方々を表彰しても良いのではないかと思っています。新東京モックや昭和会の「ボーリング大会」に無料招待するとか、新年会にお招きするとか、あるいは若い方々だけで集ってみるのも大事かと思います。そのためには、どういう方がこの業界にいるのか把握する必要があります。材木屋として10年経験された方なら誰でも無条件で「表彰」していくのが良いと思います。やはり人を一番大事にしたいですね。

話は変わりますが、中野支部では10月16日にはご婦人の会を開きます。帝国ホテルでの食事会です。また10月22日には、中野支部の従業員の方の慰安会を中野新橋にある中華料理店「皇華飯店」にて開催いたします。中野支部長として両方に出られることを光栄に思っています。

2005/10/15(土) 曇り


[ 理事会では ]
理事会では


10月13日の理事会では、加工屋さんの話が出ました。

我が社でも従来は大工さんが自分の目で確かめて材料を選びながら自分で製材したり加工したりしながら、出入り口枠や窓枠など造作材を作り出したものですが、現在のように主流がシート状のものになってから、自分で加工する大工さんの数は減りました。まして元請がいて、その下で「日雇い」状態になると木材を使う造作は元請が材木屋に発注して「加工」することが増えています。今日14日に頼まれた材料などは仕上がり寸法で(単位はミリ)
3700×30×177  1丁
2000×30×180  1丁
2000×30×150  1丁
2000×30×63   1丁
4000×10×40   1丁

というものでした。

先ず数量が少なくて種類が多い。そのためどの材料から作るのかが一番頭を悩ませる所です。次に時間です。わざわざ発注を遅らせて、「すぐに納入しろ」といってくる方も居りますが、その際はなるべく断るようにしています。
それはさておき、木材は製品となっているものには、長さや厚み、巾などが決まっています。また加工すると5ミリ程度は削ってなくなってしまいます。その分余裕を見ておかないといけません。長さも4メーターまでのものが多く、二つに切断しても、2メーターがやっとです。上記の注文材も長さが2100ミリだったら、4メーターのものを切って、その残りはとりあえず使えません。いずれ出るかも知れませんが、当面「無駄」になります。

さて、少なくなったとはいえ、無垢の木を扱う以上、加工は避けて通れません。「加工」するものがあれば材木屋が忙しくなるともいえます。加工できるか否かは材木屋が商売を続けていく上での一つの生命線です。私の所では加工材は近くの昭栄木工所か、新東京木材の問屋さん、あるいは木場の問屋さんに頼みます。自分の所で出来るものは、やりますが、ほとんど外注です。ベニヤの切断は中野支部の同じ班の(株)高木製材所さんで切って貰います。

いま、加工屋さんは都内で何件くらいあるのでしょうか。例えば新東京木材と提携できる所はあるのでしょうか。新木場まで行けば加工や製材してくれる所は、まだありますが、今私は中野にいますが、中野から材料を持っていって、加工を頼んで出来上がってきたら取りに行くとすると「時間」がかかります。そうなると間に合わないことが出てくると思います。

そこで例えば新東京木材の中で「自社で加工が出来る」所は何軒くらいあるのでしょうか。相手の了解は必要ですが、調べて一覧表にしておく必要があると思います。その中で「同じ支部の方なら加工していただける所」とか、「組合員なら対応する所」を調べておく必要があると思います。
これはゴミ問題に関しても同様なのですが、「ゴミ捨て場」で場所、値段、連絡先なども情報を共有して組合員の利便性を図る必要性を感じています。


2005/10/14(金) 晴れ


[ 住宅ローンの終了 ]
住宅ローンの終了


父親の住まいの住宅ローンが終って、また一つ連帯保証人から開放されました。
その家は十年前に母親の介護を中心に建てた住まいでした。母はその家に住むことなくなくなりました。が父が今でもそこに住んでいます。土地が25坪。建築面積30坪ほどの木造の二階建て住宅です。
十年が経ち、ローンが終りました。
急いで立てた住まいだけに足らない所も多多あります。また今では時代遅れになった所もあります。

先ず、変化したところは父親が高齢化して、父親の居室である1階の部分に、手すりが付きました。二度三度と手すりが付け加えられ、とりあえず玄関から寝室まで手すりを伝わって進むことが出来ます。またトイレの中は縦手すり、横手すり、建具にも手すりが付いています。トイレに関してはサイズを芯芯で1030ミリ×1820ミリとったのですが、身体を回転させるには少し狭かったのです。あと10センチ広ければ、手すりを掴みながら便座に座ることが出来たと思います。また介助者も入ることが出来たと思います。トイレのサイズとして本などに1200ミリ×1500ミリと載っていたものがありましたが、その通りだと思いました。(ただ小さな木造住宅に組み込むには難しい)

また、お風呂もサイズの関係からユニットバスでなく床及び壁はタイルで仕上がっています。入口を引き戸にして段差のないユニットバスを探したのですが、間取りの関係もあり、その当時は見つかりませんでした。

畳の部屋があり、柱が見える住まいです。住み始めた頃は父もまだ元気で寝床こそベッドでしたが、
座卓に座布団の世界でした。堀コタツもありましたが、段々と椅子にテーブルの生活に変わり、座卓も掘りごたつも使われなくなりました。この変化を見たので私の住まいには老後を考えて畳の部屋は作りませんでした。

現在父の住まいで一番困っていることといえば、床の段差です。廊下と畳の部屋には約30ミリの段差があります。この段差はあとから段差を少なくする工夫をしておりますが、父は歩く時に少し躓きやすいようです。廊下とキッチンの段差も15ミリ程度あります。10年前には「バリアフリー」の考え方が自分の中に染み込んでいなかったことが分かります。

住まいは日々進歩しています。同時に退化もしています。
現在の住まいは機能性が高まり、特に水周りの商品は使い勝手をよく考えてあります。リフォームの際に女性の設計士の方を指名する主婦の方の気持ちもわかるような気がします。設計力は現在の住まいでは不可欠なものになりました。ですから設計士の選び方は大切です。
退化していると思う所を一つ揚げておくと、10年保証の問題があります。「十年と一日持てば、保証をクリアーできる」という逆転の発想から、集成材が数多く使われるようになりました。集成材は便利です。上の下もなく、天然ものでは出来ない長いものや巾の広いものを作り出せます。便利であることは間違いありませんが、同時に剥離などの危険性も持っています。湿気を呼ぶ所などへの使用には注意が必要です。一般の住宅では大きな間取りを作る時に梁として用いるか、柱に使う場合が多いと思います。樹種といいますが、木の種類で腐りやすいものや日本の気候に合わないものは使わない事が大事だと思います。



2005/10/08(土) 雨


[ 不要品交換情報 ]
不要品交換情報


在庫の整理を始めてみて、不良在庫、不要在庫品が目立つようになってきました。廃番になったフロアーとか、ドアとか、あるいは返品をくらったものや預かっていたものなど。使えなくは無いけれど実際使う事のないものが増えてきています。
もうそろそろ、この辺りの整理から始めようかと考えました。

以前、練馬の材木屋さんである「ウッドライク・マツムラ」の社長さんである松村さんが倉庫の中の不要品の情報を公開して必要な方へお譲りするという提案をしていただいたことがあります。このように「売りたし買いたし」のコーナーを設けてリサイクルではありませんが、使えるものは使って行く姿勢も大事かと考えています。


2005/10/06(木) 晴れ


[ 2班の会合 ]
2班の会合


10月4日の2班の会合は「らんまん」(03−3387−0031)において秋の味覚を楽しむことになりました。毎年秋から暮れにかけては忘年会を兼ねた小旅行を行っていたのですが、今年は話の流れで、秋から冬の味覚を楽しむことになりました。第一弾は「マツタケ」です。国産のマツタケは9月末で終了ということで4日の開催になりました。さらに今回は同伴者OKということにしました。我が家からは二人。
これが今年の食べ始めか、今年はもうないのか分かりませんが、とにかく美味しく食べてきました。

来月は「アンコウ」を予定しています。


2005/10/05(水) 曇り時々雨


[ 100円ショップ ]
100円ショップ


近くの文房具屋さんが店を閉じてしまい、事務用品を探しに「100円ショップ」に行ってきました。おなじみの「ダイソー」ですが、つい先日浅草に行った時にも六区にありまして、しばらく見てきました。そこに行った時に私が住んでいるところからすぐ近くに「ダイソー」があることを思いまして、いってみました。そこは山手通沿いにある大きなマンションの1階にあります。二十年程前までは「フルーツパーラー高野」が入っていたと思います。その後「洋服の青山」に変わり、現在では100円ショップです。

キッチン用品や化粧品。事務用品に肌着、靴下、大工用品など生活に必要と思われるものはかなりの確率で揃います。俗に引越ししたら先ず100円ショップに行って、3000円くらいかければ、大抵のものは揃う、といわれます。ほんとにたくさんの種類がありますね。しかも皆100円。恐ろしい世界ですね。安いのは庶民の味方ですね。店内は若い方を中心に外国人の方が目に付きました。

今回は私が求めていたものは無かったのですが、代用品で済ませることにしてここを後にしました。私の家の近くに「ショップ99」が出来、飲物や野菜、缶詰などが99円で売られています。こういうところも時代の最先端になるのでしょう。また探検に行きたいと思っています。


2005/10/03(月) 曇り


[ 「木と暮らしのふれあい展」 ]
木と暮らしのふれあい展へ


10月1日、江東区の木場公園で行われている「木と暮らしのふれあい展」へ行ってきました。毎年この季節になると行われている恒例の行事です。今年で25回を数えるとのことでした。今年は中野支部長ということもあり、本部から動員を頼まれる立場になりました。何とか規定の人数を確保でき、またそれを上回る人が参加くださいましてありがたく思っています。当日は天気もよく、少し汗ばむくらいでした。昼頃に到着し、食事を取り、ゲームに参加して、一通り見学してここを後にしました。苗木の無料配布や東京木材ネットワーク主催の「寸劇」などを見て廻りましたが、例年より参加者が少なかったかもしれません。



さて、ここを後にして浅草に向かいました。雷門、浅草寺、六区の映画館どおりを散歩して再び浅草寺へ。映画館へは小学生の頃から連れて来てもらった記憶がたくさんあります。大学を卒業した頃には映画館へも足を運びました。浅草寺へは幾度かきましたが、六区の映画館街へは「何年振りだろう」映画は見ませんでしたが、スマートボール場があり遊んできました。一人200円なり。場外競馬場が目立つようになり、道の両脇に自転車を止めるスペースが出来ていました。子供の頃は人で歩けなくなった記憶がありますし、映画を見に来た頃も右も左も映画館だったのが、5、6軒しか残っていませんでした。隔世の感ありですね。

満願堂の「芋きん」とその隣の大学芋を買って再び浅草寺の境内へ。少し離れた所で人だかり。駆け寄ってみると「猿回し」の演芸中。竹馬乗りや逆立ち、長距離をジャンプする芸に見入って見料を払ってきました。仕上げは「ちんや」のすき焼。


奥に見えるのが寸劇です。

木工教室もあります。

家に帰ってテレビをつけると,NHKで「木場公園」での「木と暮らしのふれあい展」を紹介していました。



2005/10/02(日) 晴れ


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[ 管理者:大野満生 ]


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