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時々更新mn日記

( 2005/10 ← 2005/09 → 2005/08 )


[ (株)ジューテックの展示会にて ]
(株)ジューテックの展示会にて


10月16日の東京ビッグサイトにおいて開かれた(株)ジューテックの展示会にて色々な新製品がありましたが、その中の一つに永大産業株式会社のブースで紹介されていた「ダイレクトハイホット45」という商品目にとまりました。
「遮音等級LL−45をクリアーした直貼り一体型電気式床暖房」です。
従来、マンションや集合住宅での床暖房は、遮音フロアーと熱源部分が分離しているものが主流で、組み合わせて施工すると厚みが25ミリを超えるものが当り前でした。

「ダイレクトハイホット45」は直貼りフロアーに熱源を組み込むことで16ミリ厚の薄型を実現しました。段差等の調整をすることなく、遮音性能と暖房の効果が得られます。

年を経るごとに新しいものが出来、それまでの課題を超えていくことがすごいと思います。売れるかどうかは別ですが、進歩を感じます。




2005/09/30(金) 晴れ


[ 老眼が進む ]
老眼が進む


50代半ばは身体の変化が激しい時のようです。
20代から30代へ、30代から40代へ、それぞれ体力的な変化すなわち「体力が落ちたな」と感じたものでした。その気持ちは50代半ばにして一層強くなりました。40代半ばで老眼になり、細かな字が見えにくくなりましたが、今は遠近両用メガネもつらくなり、運転用、中近用とめがねを二つ持つことになりました。さらに近いものを専用に見るものも欲しい段階です。新聞の字はめがねを外してみるようになりました。カタログの字はめがねを外さないと焦点が合わないことが起こるようになり、細かな見積は嫌です。

今年の春に「大野さん、お孫さんいくつ?」と聞かれましたが、ほんとに孫がいても自然な年齢になりました。つい先だってまで若い方にいたつもりですが、気が付くと「年寄り」の部類になりました。年寄りが増えると年より相手の仕事が盛んになるのだと思います。目、歯、足、ダイエットなどなど。

我々の業界にしてみれば、段差を無くす工事や手すり付け工事などでも貢献できると思います。物を売るだけでなければ、いろんな仕事が考えられます。(株)ジューテックという建材問屋さんでも、リフォーム仕事を請け負うことが出来るようになりました。物を売るだけでなく、作ることまで手を広げられる所は益々伸びるでしょう。

さて、9月23日には、この16日から開通した中野駅行きのバスに乗って中野駅まで行き、中野ブロードウェイB1にある「東大門メガネ」(03−5913−3007)で中近のメガネを作りました。ここは安いですよ。



2005/09/28(水) 晴れ


[ あわただしい日々 ]
あわただしい日々



9月13日に新東京木材の理事会に出席して、14日が十四日会。16日が東京ビッグサイトにお昼頃にいて、午後3時から新東京木材中野市場に於いて第6回の「お宝市」。すこしマンネリの感あり。お宝として出てくる材料も今では使われなくなった材料が主で、他の人に売っても欲しがるものは少なくなったように思いました。これらなどはインターネットを使って売ってみても良いのだとおもいますが、手間の割には「売れない」でしょうね。「お宝市」はイベントとしては面白いのですが、普段市で売っている問屋さんにとってのメリットが少ないので、そのあたりが気にかかるところです。

17日には石綿の講習会に出て修了証をいただきました。そのまま父の見舞いに行きました。18日には大塚にある整骨院に通い、治療の合い間に、近くにある巣鴨地蔵通り商店街に行き、巣鴨のお地蔵さんにもお参りしてきました。塩大福を手に入れ、また1枚100円のシャツも買ってきました。安いですね。その後新宿にあるビッグカメラで最新型のテレビを見てきました。何しろ家に有るテレビは19年前のものでそろそろ買い替えを考えています。
19日は朝から埼玉県飯能市吾野にあるお寺さんで法事。父の弟にあたる、私にとっては叔父さんです。この叔父さんはとても心が綺麗な人で出世も断り平平凡凡に底辺を歩いて生きた人でした。亡き祖父に一番近い生き方だったと思います。
吾野の駅を3時半に出る予定が遅くなり、4時25分発に乗りました。夕方から品川でテニスの練習会があり、久しぶりに参加したいと思っていました。テニス場に着いた頃にはそろそろ終了時。食事会だけ付き合ってきました。身体は意識的に動かさないと駄目ですね。年を経るごとに感じます。
21日にも夕方から出かけたと思うのですが、何処に行ったか思い出せません。年ですね。前は日記をマメにつけていたのにこの所おろそかにしているツケみたいです。
22日には中野支部の三役会議を行い、10月に行われる行事に関して確認してきました。23日にはとユニクロで作業着を買い、デパートにも足を運びました。本屋にも行き、古田武彦さんや安本美典さんの本を探しましたが、絶版ばかり。これもインターネットで探すことにしました。
24日は昼で仕事を終了する予定でしたが、2時までずれ込んでしまい、そのあと、松戸までお線香を上げてきました。お彼岸ですものね。
25日には10月に行う予定の中野支部行事の下見に行ってきました。料理を味わい、おみやげ物を決めたので、一安心して帰ってきました。
26日には9月4日の水害で被害を受けられた支部の方々のお見舞いに行きました。初めて訪れる会社もあり、10月に行われる行事の参加をお願いしてきました。

毎日毎日、何かしら用事が出来ます。不祝儀は遠慮していますがそれでもこれくらいの用事が出来てしまいます。平日の昼間も忙しかったら目が廻るほどなのに、そうでもないのが「良いのだか、悪いんだか」悩みますね。



2005/09/27(火) 晴れ


[ 石綿講習会 ]
石綿講習会


9月17日、新東京木材商業協同組合では東京土建から講師を招いて「石綿使用建築物等解体等業務特別教育カリキュラム」を開きました。わたしもこれを受けてきました。
カリキュラムに従って
石綿の有害性
石綿の使用状況
粉塵の発散を抑制する措置
保護具の使用
関係法令

といった形で進められました。

石綿はアスベストとも呼ばれる細長い形の天然の鉱物繊維です。石綿は、燃えない、混ざりやすい、引っ張りに強い、電気を通しにくい、磨耗しにくい、酸やアルカリに溶けにくい、といった特性があります。そのためいたるところで使われてきました。1970年から1990年の二十年間に石綿の輸入が毎年30万トンほどあり、これらの8割が建材に使われたといわれています。このため石綿にさらされる業務による職業ガン(肺がん・中皮腫)は2000年くらいから急に増え始めています。
石綿は髪の毛の五千分の一という大きさのもので、目に見えるものではありませんし、通常はこれら1本1本がたくさんくっついていて束の状態になっています。この束の状態の大きさでは特に問題が生じることはありません。
しかし石綿そのものを解きほぐしたり、石綿を含む製品をきったり、削ったりすると肉眼では見えない状態になり、空気中に浮遊し始めます。私達は呼吸と共に石綿粉塵を吸い込んでしまいます。吸えば数十年後に「肺がん」や「中皮腫」といった命に関わる病気になります。このため石綿は「静かな時限爆弾」といった言い方をして恐れられています。

従って石綿を取り扱う場合、なるべく空中に浮遊しない対策をとることにより、石綿粉塵の発生を防がねばなりません。30年くらい前に建てられた建物がこれから「解体」される時期になっています。今回粉塵発散を抑制する措置、保護具の使用、関係法令等を学び、修了証をいただきました。4時間の講習でしたが、皆様もお受けになって、石綿の危険性を確認すると共に、それへの対処を学ばれることをお薦めいたします。

修了証には「労働安全衛生法にもとづく石綿使用建築物等解体等業務特別教育」とかかれています。

テキストはこちら






2005/09/24(土) 曇り時々雨


[ 売れていくもの ]
売れていくもの


私達の仕事は、木材や建材などの住宅資材を売ることです。それが講じて広がりを見せているのも事実です。あるものは不動産業をメインに、あるものは建築業を主なものとして生活の糧を生み出しています。木材の売上げとそれ以外を比較した場合、それ以外が圧倒的に多くなってきています。それでも我々は「材木屋」と呼ばれています。それはいつも「木」とつながっているからだと思います。私達はいつも「木と生きて」います。杉、桧、タモ、栂、スプルース、ラワン、米松、レッドウッド、ホワイトウッドなどが市場などでおいてある身近な建築用木材です。

ところがその一方で使わなくなったものもあります。それは樹種というよりもサイズに関するものです。
その逆に使うようになったものもあります。従来建築用木材として使うことのなかった木がそのままであったり、あるいは集成材という形をとって使うようになりました。ホワイトウッドなどはその最たるものでしょう。スプルース系の木材の総称と辞典に書いてありましたので、そのように解釈して使いますが、松系であったり、樅系であったり、あるいは大きな径の木でも小さなそれでも曳けば、30×60ミリくらいの木材は取れますし、集成材にするという手もあります。原産地がフィンランドやフランスといった所から日本に運ばれて来てしかも安いとなれば、日本の製材業者は大変苦しいと思います。

先ほど使われなくなったもの、といいましたが住宅の作り方の変化で貫とかざら板といったものを使わなくなりました。サイズで云えば、14×90ミリとか、9×90ミリ、12ミリ×80ミリなどです。さらに少し丸みのついた「2等材」も減りました。木材が安くなり、大工の手間が材料と比べて相対的に上がったのも一因ですが、作り方が変化したのが大きいと思います。今新築現場で使われる木材はプレカットで使われる構造材を除くと、屋根のタルキに間柱材、根太材に、30×40、20×40ミリくらいになります。さらに根太材を24ミリ以上の厚いベニアに変えてしまうと使う木材の種類はさらに減ります。

これに付け加えて長さの問題があります。3650ミリのものは根太材なら使えますが、屋根材だとどこかで繋がなくてはならないので手間がかかり敬遠されます。また1階の根太などに使われるサイズに36×45ミリがありますが、これも桧だと一度プレーナーを通して「歩決め」をしなくてはなりません。赤松だと節が大きくて使いつらいものになります。(これらを使うと手間=人件費がかかるということです。)従って今では米栂が主流です。この米栂も以前は9本入りで真ん中の段は悪いものが数多く入っていて、ロスになる部分が多かったのですが、最近は盤になったものを曳いているので使いやすい材料になっています。建築材料は以前と比べて「良い」ものになっています。サイズ、精度、強度など東京の材木市場に置かれている材料は、良品です。

その分、材木屋が使わなくなった材料は何処に行ったのでしょうか。少し前なら建売住宅に使われたかもしれませんが、いまではホームセンターで扱っています。ツーバイフォー材は確かに安く、我々でも買えない値段で売られています。商売が上手なのでしょうか。

確かに安いということも必要でしょうが、これからの商売を考えていく上では、高級感のある素材を使ってオンリーワンを演出していくしかないのだと思います。




2005/09/23(金) 晴れ


[ Chanko Dining 若 ]
「Chanko Dining 若」


9月2日は中野区立神明小学校の卒業生、6年3組のミニクラス会で、「Chanko Dining 若」の新宿店に行って来ました。ここは新宿歌舞伎町の靖国通り沿いのビルの地下1階にあります。この7月にオープンしたばかりで、話題性もある所なので幹事の方がここを選んでくれました。

さて、個室を予約してもらった関係で、気兼ねなく食してきました。人それぞれ一品ずつ頼み、後は塩ちゃんことキムチちゃんこをそれぞれ二人前ずつ頼んで、飲みまくりました。飲み放題のコースにしたのです。食べるペースも速く、喋るそれも。9ヶ月ぶりだもの。生春巻、ゴマサラダ、チーズ豆腐にさつま揚げ、手羽先唐揚に角煮など。ちゃんこの鍋それぞれに雑炊とラーメンを作っていただき、デザートを食べてここを後にしました。流石に食べ物は美味しいです。

難点はお店の中に中途半端な段差があることくらい。床を黒を基調とした色で統一されているので段差がわかりつらいことくらいかしら。部屋を借りて飲み放題で一人7000円くらいかかりましたが、楽しく飲んできました。話は川島商店街の事件に始まり、孫のことや自身の退職後の話など少しずつ経年変化を遂げています。前回から数えて9ヶ月ぶりでした。今度は泊りか、大勢にするか。ともかくまた会いましょう。

さて、皆と会う前に昔の写真を見ていました。6年3組を卒業したのは48人ですが、5年3組の時には50人いました。


前列中央の女の子と3列目の右から3番目の女の子の名前はわかりますか。6年生になるときに転校したのだと思われます。


2005/09/16(金) 晴れ


[ らんまん ]
らんまん


今年の夏は蒸し暑かったというのが私の印象です。8月26日には、近所の川島商店街の「夜店市」に二人して出かけ、翌27日には義母も交えて氷川神社のお祭に行って来ました。28日はお通夜でした。

9月に入って2日が中野新橋商店街のカラオケ大会で、カラオケは少し聞いただけですが、今年は則子さんの浴衣を買うことが出来ました。翌日その浴衣姿で中野新橋のお祭へ。わが街弥生町2丁目は神明・川島のお祭と本郷・道玄の祭に一年おきに参加するという、「ぬえ」のような町で「睦会」と「子供会・町会」と「商店街」が一緒になって諸行事を進めていきます。神明のお祭の日時は夏休みのラストの土日と決まっており、その前日が川島商店街の「夜店市」。一週間送れて中野新橋のお祭。それが新中野や高円寺、阿佐ヶ谷と少しずつずれていきます。甥が小さい頃は毎週がお祭行きでした。

さて、4日に6年3組のクラス会へ行き、その夜は台風の夜はによる洪水騒ぎ。翌日はその後始末をしていました。6日の夜には、10月29日に行われる「い木い木祭」の委員会に顔を出し、9日が中野支部第2班の会合。中野駅北口にある「らんまん」(03−3387−0031)です。現在班長の山宮さんが釣りの仲間だということで、美味しいものを低価格で提供していただいています。魚料理のお店です。一見さんでいくと高いお店ですから、山宮さんに連絡してからいけば、安くしてもらえます。2班はまとまりも良く、楽しい集まりです。毎年秋には旅行をしていましたが、今年はそれよりも近場で食事を楽しもうということになり、その結果、10月には「マツタケ」11月には「アンコウ」をこの「らんまん」で食べることが決まりました。同伴OKという事ですから、今から楽しみです。

10日には父の見舞いに行きがてら、早稲田大学の校内を散歩。今から三十数年前、この近くの早稲田中学・高校に通っていましたので、このあたりはお手の物ですが、大分建物は変わりました。


(大隈重信の銅像から大隈講堂を見る)

高校の先輩である安田潤一郎さんが早稲田の商店街の会長さんで、今回の衆議院選挙で自民党の比例代表で当選されました。この比例で当選というのは何かつまらないものです。拘束式から「非拘束式」に変える必要があるでしょう。それにしても今回の小泉式の選挙は国民の心を巧く掴んだものです。結果は小泉さんの圧勝でしたが、「勝ちすぎ」の感は否めません。得票総数では郵政民営化反対の方の数が多いのに、議員の数では三分の二近くを占めるのは拙いでしょうね。

11日には昼まで寝ていて、選挙に行って、車を走らせていました。13日には理事会へ。いつもは議題が少ないのですが、今回は新東京木材商業協同組合の15ある支部の皆さんから「どのような活動をされているのか」お聞きした所、興味ある、また実のあるご意見を多数いただき、中野支部の支部長として大変参考になりました。支部会を開いている所から開いていない所まで、支部費の金額の差異や婦人会活動、新年会や慰安会の開催など、支部ごとで違いはありますが、新東京木材は「まとまりがある」と感じてきました。

そして14日は「十四日会」。石橋会長を中心に10月の「い木い木祭」11月の「研修先」、来年春の「親睦旅行」の行き先などが話されました。「い木い木祭り」では今年も木工教室を担当いたします。その現物見本を確認してから解散となりました。

今日は15日。昨日までの暑さが和らぎ、日差しはやや強いものの昼間の風も秋を思わせるものとなりました。




2005/09/15(木) 晴れ


[ もしも材木屋がなくなったら ]
もしも材木屋が無くなったら


「もしも材木屋が町から無くなったら」
不便だと思います。
この4月に近くの文房具屋がなくなってしまい、ホームセンターまで買いに行きましたが、欲しいものはホームセンターになくて、結局代用品で間に合わせました。これからはそういう時代になるのでしょうか。確かに売れ筋といわれるものはありますが、それ以外のものはありません。街の中の文房具店のほうが品揃えという点では上だったのでしょう。
でも、儲からなかった。

材木屋さんも今木材だけでは食べられなくなって色々な物を頼まれます。中野区の紅葉山近辺の歴史を調べているのだけれど、「あなたのお祖父さんがそのあたりに住んでいたそうで・・・」
答え=「おじいさんはとっくに亡くなっています。私は戦後の生まれです。またそのあたりに住んだことは無いので、近辺の町会の方に問い合わせてください。」

「旭硝子の『ほんぱて』が欲しいのですが、旭硝子に電話したら、ジャパン建材へ問い合わせてください。ジャパン建材に問い合わせたら、材木屋さんから注文してください、といわれ、お宅に電話しました」
答え=「問い合わせていただいた方が遠くない距離だったので、すぐに対応して納めました」


「中野新橋にあっ『雅楽多屋』がどこかに移ったと聞きましたが、ご存知ですか」
答え=新宿の歌舞伎町だと聞いていますが、まだ行っていないのではっきりしません。名前は変わっています。

町の中の大工・工務店の力が落ちて、大工と施主とのつながりがなくなってしましました。大工・工務店はクロス屋や不動産業者から仕事をもらい、元請としての体面は保っていますが、営業力と技術力の双方を兼ね備えている所は少なくなっていると思います。そのような知識が欲しければ材木屋を訪ねるのが良いでしょう。

最近の売上げの特徴は現金売りの方が増えている事です。他の材木屋さんに聞いても現金で買いに来る方の売上げが「馬鹿にならない」、つまり増えているという話を聞きます。足らなくなった材料を取りにくるだけですが、この人たちに対応した在庫の仕方を考えようと思っていると、ある材木屋さんは言っていました。顧客に合わせて自分達の姿を変えないといけないところに来ています。



2005/09/10(土) 晴れ


[ 台風の爪あとは ]
台風の爪あとは



台風14号の爪あとは私の暮らしている中野区や隣の杉並区でも数多く現れています。来週あたりから水に浸かったお宅やアパートの直しが始まります。その多くは畳の部屋をフロアーに変更するという話です。一度水に浸かった畳はそう簡単には乾くものではないので、ほとんどの場合捨てられてしまいます。その代わりフロアーであれば少し水に浸かったくらいなら、乾けば大丈夫です。そこでフロアーを選択する仕事が舞い込んでいます。こんな状況ですから畳は益々使われなくなりそうです。

また、この所の仕事で特徴的なのはアスベストに絡むものです。剥き出しの天井を耐火ボードやジプトーンで隠してしまうものです。倉庫や駐車場など石綿をふいただけの所のその下に天井を作るものです。これだけアスベストが社会問題化してくると、その粉塵の発散を抑制する防止措置に関する仕事も増えています。このアスベストに関しましては新東京木材でも組合員を対象に「石綿特別教育講座」を緊急開催することになりました。(9月17日土曜日です。)組合員でご興味のある方はぜひご参加ください。


2005/09/08(木) 晴れ


[ 床上浸水 ]
床上浸水

6年3組のミニクラス会が終了する頃台風14号の影響で雨の降り方が異常に多くなって来ました。そこでタクシーーで家路を急いだのです。家に帰ってしばらくすると携帯にSさんから電話が入りました。Sさんは私のアパートの住人の方です。そこは中野区の北部、妙正寺川沿いにあります。
「今、川が溢れて床下浸水になりました」
「えっ」と私。
今まで30年以上、川が溢れたと云う話も経験もしたことはありませんでした。今から17年前、石原裕次郎が亡くなった、その日の夜も風雨が強く見に来ました。橋下40センチくらいまで水かさが増していましたが、雨も小ぶりになり、「大丈夫、氾濫の心配はない」と帰ってきました。

さて、アパートのすぐ近くにある岩城疂屋さんに電話をして、「川が溢れているそうだけれど見てきていただけませんか」とお願いしました。そのころ再びSさんから電話が入り、「床上浸水になりました」との連絡あり。居ても立ってもいられずに現場を見に行くことにしました。

幸い雨が小ぶりになり、日付が変わった頃に到着しました。水の中を歩くことを予測して、汚れてもよいものを着、着替えを持って臨みましたが、水は退いていて、助かりました。それでも川の中には半分以上の水位を保っていましたが・・・

早速Sさんの状況をお聞きした所、水は一気に上がってきたとの事。それでも退いていくのも早かったので、浸かっていた時間は短かった。けど恐かったとのこと。岩城さんが来てくれて「差し支えなければうちへおいでよ」と言ってくれたことなど・・・皆さんの確認し、とりあえず二階にある空き部屋を使っていただくことにして帰途につきました。

翌日、被害を確認しに保険屋さんと待ち合わせ。Sさんのご主人の了解を得て、部屋に上がり、また写真も取らせていただきました。「床上浸水」の被害者のうちに入るとは思いもよらない事態でした。
妙正寺川にも水位調節の設備がありますが、一時間に50ミリまでを想定したものだということです。「今度のように一時間に100ミリ以上降ると役に立たないみたいですね」とは保険屋さんも言っていました。最近の雨の降り方は降らない日が多くなり、その一方で降ると「どしゃぶり」だと言われています。設備も想定の巾を広げて作って欲しいですね。

被害に遭われた皆さんには、まだこれから片付けが残っています。生活できるようになるまでに時間がかかります。その上、今日の天気も雨。雨や台風は恨めしいものになりました。


水の線が残っています。



2005/09/06(火) 雨


[ 9月になりました。 ]
9月になりました。


我が社は8月末日が毎年の決算月です。
この一年を振り返ると前半はまあまあだったと思いますが、今年に入り、5月の連休を過ぎた頃から、仕事がコンスタントに入らなくなり、売上げに於いては昨年を下回ることが確実だと思います。ただ、この一年は工事物件や水周りの商品の売上げがほとんどなかったので、利益率は少し上がったと思います。売り先は大工工務店が中心ですが、内装業者や不動産屋、水道屋さんなどへも広がりを見せています。その一方で売れていくものは下地材が中心で単価の安いものへシフトしています。このあたりが売上が伸びてこない一因になっていると思います。材料を売っていくだけでは減少傾向に歯止めがかからないでしょう。

さて、今夜は新東京木材商業協同組合の「ビアパーティー」です。4時半からなので行けるか行けないか、微妙な所でしたが、気になっていた現場の配達が3時前に終わり、これなら行けるだろうと、則ちゃんにメールして彼女も誘うことにしました。ビールはあまり飲めませんが昨年と同じなのか違うのか、雰囲気を味わってくることにしました。これに先立ち、十四日会の石橋会長からも参加依頼がありましたので、ビアパーティーに行く事にしました。

5時を少し回る頃に池袋市場の建材課の前に、多くの参加者が既にビールをあおっていました。中野支部の仲間たちも数多く参加しており、石橋会長をはじめ十四日会のメンバーが数多くいました。その意味では中野支部もかなり若返り、私が年上の方に入るようになりました。恐ろしいものです。

さて、ビールも飲み、肉も魚もいただいて、会場をあとにしました。中野新橋では駅前を使って「素人カラオケ大会」明日からはお祭です。先週は隣町の川島や神明のお祭。今週は中野新橋と週末はお祭ばかりです。則子の母が実家に戻りましたので、久しぶりに二人で居酒屋に行ったり、焼そばを食べたりしています。9月は行事かなりありますが、父や義母のことを考えずに生活を送れるので気が楽です。

9月4日には「6年3組」のミニクラス会が新宿で開かれます。昨年12月の合宿以来の集まりになります。



2005/09/02(金) 晴れ


[ 団扇の風 ]
団扇の風



暑さの峠は越えたものの寝苦しい夜が続いています。窓を閉めてクーラーを効かして寝るのか、窓を開けて外の風を入れて寝るのか、悩む所です。室外の温度が26℃以上あれば、機械的に部屋の中の湿気をとった方が良いでしょうし、それ以下であれば窓をあけるのも良いでしょう。ただ窓を開けたままで寝ると朝方寒くなりますから、それに対する用心をされたほうが良いでしょう。

さて今年の夏は湿度が高く、部屋の中を除湿したり、冷やしました。扇風機もかなり使いました。扇風機の風は個人的には好きではありません。冷たくなりすぎるのです。それに引き換え団扇を仰いでもらうとそこから生まれる風は暑くなく寒すぎず、心地良い眠りを誘います。
毎日仰いでもらって寝ています。


2005/09/01(木) 晴れ


( 2005/10 ← 2005/09 → 2005/08 )


[ 管理者:大野満生 ]


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