[ホームへ] [他の月を見る]


時々更新mn日記

( 2005/09 ← 2005/08 → 2005/07 )


[ 造作材のサイズ ]
造作材のサイズ


窓枠材やドア枠材が松下電工や大建工業を初めとする工業化されたシート状のものになってから二十年くらい経ちます。工業化されたものはドンドン進化を続け施工性の良いものになっています。サッシメーカーのものは窓の大きさにカットされていたり、見込みも種類が多くすぐに対応できるようになっています。

それに引き換え、本物の木材を使う仕事は「個」に対応する形に変化がありません。それはそれで大事なことではありますが、いま少し現実に対応しては如何かと思っています。現在木材で加工を要求されるものは「米栂材」か「スプルス材」くらいになりました。タモ材なら集成材の巾の広いものを製材することになりますし、ラワン材やピーラ材を使う仕事も減りました。

そこで米栂やスプルスに関しても従来のようなサイズの決め方を改めて規格品を作り出すことが必要かと思います。
先ず窓枠について
長さ4000ミリと2200ミリの2種類とし、厚みは仕上がりで21ミリとする。見込みは75ミリ、90ミリ、105ミリとしてこれも仕上がり寸法です。
ドア枠材の関して
長さ3000ミリと2200ミリとし、厚さは25ミリと30ミリとする。見込みは90ミリ、110ミリ、155ミリの3種類。

これは建材メーカーが進めているサイズを書いただけなのですが、そのことを進めるだけでも住まいに関わる部材の多くの部分を無垢材に替えていく準備になると思います。

先ず長さ。通常木材は3650ミリ以上、4メーターものが基本ですが、これに満たないもの、長さの短いものを活用することが出来る。

厚みについて。通常木材の厚みは従来から8分、1寸、1寸1分など寸表示をミリに直したものでした。手で削っていた時はそれでよかったのですが、機械で加工する時代になって、8分(=24ミリ)のものは21ミリに仕上がらなくなりました。そこで21ミリ以上に仕上げるためには25ミリ以上で製材されていなくてないけません。そういう材料が今求められていると思います。

さらに巾について
奥行きのことを見込みといいますが、現在の製材品では巾90ミリ、11ミリ、125ミリ、155ミリ、180ミリといったものが栂材では出回っています。一昔前では90ミリ、105ミリ、120ミリ、150ミリ、でした。5ミリずつ広く製材されるようになったのは機械加工に対応した結果で、進歩です。それをさらに進めるためには、今建材メーカーで作っているようなサイズの決め方から学ぶ必要があると思います。105ミリの柱材を使う仕事で耐火ボード12.5ミリを両面に張るとすると枠材の厚みは155ミリ必要になります。仕様によって多少の差はありますが、155ミリの製材品では155ミリに仕上がらないのは当然で、できれば160ミリ巾の材料が欲しいのです。

いくつかのところで規格品を作り出しましょう。無垢材を使っていただけるように仕向けられる規格品を持ちましょう。その必要性は高いと思います。最近、新里木材で長さ、2200ミリの栂の加工品で3丁入りの商品があります。厚みが25ミリと30ミリ。巾が90ミリ、105ミリ、120ミリです。3丁入りということは縦枠を2本とって、巾が1100ミリ以下であれば横材が2本取れ、ドア枠がワンセット分で1梱包になっています。
「爆発的に売れている」
とのことですが、これなどはニーズを掴んだ商品だと思います。



2005/08/31(水) 晴れ


[ 床鳴り ]
床鳴り

自宅の床の一部に床鳴りがするようになりました。さほど気にはなりませんが、「するか、しないか」と言われれば「しています」と答えます。場所は玄関を入ってリビングとキッチンと廊下が交差する所です。我が家で一番歩く頻度の高い場所になります。床の構造は万協の脚+パーチクルボード。その上に15ミリの合板、そして仕上げ材として15ミリ厚の杉の床板を貼りました。仕上げの床板材は無垢材で本実加工のものです。実(さね)のところからエアで打って留めています。手で留めたわけではないので、しっかりしていると思うのですが、一年半たって鳴り始めました。15ミリの合板の上に仕上げ材として同じ合板で出来たものを使えば、接着剤も効いて剥がれなかったのかもしれませんが、仕上げの無垢材は「含水率20%以下の乾燥材」を使いましたが、無垢の材料ですから「伸び縮みはします」、1ミリ、2ミリといった巾の大きなものではありませんが、0.2ミリとか0.5ミリとか云う単位では動きます。その際合板と杉板の間に使った接着剤が剥がれた可能性はあります。

直してから一年半になります。
さて、これはクレームになるのでしょうか。
答えは「ならない」と思います。当然予測される誤差の範囲になると思います。よくクレームのついた住まいを表現するのにパチンコ玉を使って転がしている光景をテレビで行いますが、「パチンコの玉が転がらない」家などないのです。ビルでもマンションでも分譲住宅でもパチンコ玉は転がります。ただ、「程度の差」はあります。
こういうことは住まいを作る側が当然のこととして心がけていたものです。改造仕事などで床を直す場合でも掃出しのサッシの高さや物入れの敷居の高さが決まっていて、しかも床の一部が沈んでいたりすれば、根太で調節しますが、どうしても出来ない時は床板をねじりながら全体を平らに見せて仕上げることもあります。その場合はお客さんに一言説明しておけば、良いのだと思います。


2005/08/30(火) 晴れ


[ 平沼伊津子さん逝く ]
平沼伊津子さん逝く


祖母の妹である平沼伊津子さんが去る8月26日に亡くなりました。87歳でした。この叔母さんは私の父方の祖母である大野きの、旧姓平沼きのさんの妹にあたります。平沼の本家は飯能市の「戸丸」という所にあります。伊津子さんは戸丸から少し下った所にお嫁に行き、「中内のおばさん」と呼ばれていました。

私の祖母も飯能ですが、祖父も戸丸よりさらに奥まった所の出身でその辺りには親戚が数多くいます。私は幼い頃や小さな頃には父や祖父母に連れられて平沼の「戸丸」や間野飼の大野宅に行きました。間野飼には大野波蔵さんが健在でしたし、戸丸ではきのさんの母親である波類(ハル)さんもいました。波類さんは今思えば寝たきりで要介護5といった所でしょうか。下の世話をしてもらいながら、「おらも、こんな姿になっちゃった」と私に言っていた記憶が甦りました。戸丸の当時の家は戦前に旅籠を営んでいた関係もあり、1階は大きな広間があり、波類さんはそこに寝ていました。明治の十年代は絹の道だったのでしょう。

さて、伊津子おばさんと父はあまり年が変わらないせいか、叔母と甥というよりも姉弟に近い関係だったと思います。私の祖父母が中野に居を構え、戦前は八百屋をしていましたが、戦時の統制で辞めさせられ、戦後焼け出されて一時小石川、板橋におりましたが、昭和31年中野に戻ってきて学生相手の下宿屋を始めると、飯能からも遊びに来たり、泊りに来るようになりました。

お通夜の席でも「中野に泊りに行ったことあるよ。おじちゃんもいて」という伊津子さんの娘さんの言葉に「大酒飲みの・・・」と付け加えてしまった私。「あっ、そうそう」と返されて、我が祖父母の所に来たのは間違いなさそうです。その祖父も逝って27年。祖母も24年経ちます。人生などあっという間だと感じた次第です。


2005/08/29(月) 晴れ


[ ここの所の仕事 ]
このところの仕事


いや、改造仕事は大変ですね。
住んでいて、そこを直しているのですが、なかなか進まなくて大工さんの手間ばかりが増えていきます。今寮を直していますが、7部屋あって、一部屋あいた所を先ずは床直ししました。4畳半です。そこに次に直す方の荷物を入れ、荷物をどかした部屋を直してゆきます。畳を上げ根太を敷いてフロアーに変更します。出来上がるとその部屋に荷物を戻して、三番目に直す部屋の荷物を運び入れます。
部屋の大きさは四畳半か6畳くらいですが、荷物を移動して直して荷物を元に戻して、ごみは捨てる、という作業なので一部屋終了するのに2日かかります。荷物のない、人が住んでいない部屋を直すのなら、人件費の見積はしやすいですが、住んでいてしかも荷物の移動に時間をとられる、今回の仕事はえらく高いものにつきます。
今回直すのは床だけですから、いいようなものです。一部屋全体であったなら、時間をたくさんいただかないと出来ませんね。

2005/08/26(金) 晴れ


[ プレカット工場の現状 ]
プレカット工場の現状


先日、プレカット工場を経営する竹内木材の亀山社長とお話をしていたら、プレカット工場も単価が下がり、その分売上げも下がり気味だと話されていました。平成8年には900近いプレカット工場が作られましたが、現在では500強。生産量は増えていますから、小規模な所が潰れて大きな所がより大きくなったとの事です。ラインを休ませないでフル稼働するためには無垢の木材では難しく、柱はホワイトウッド、梁はレッドウッドでいずれも集成材を用いる仕事が大半とのことでした。その理由の一つにはムクの木材は「上、下」を人間の目で見て手配しないといけないので時間が掛かるからと言っていたのが印象的です。

それより大変なのはCADの入力作業。加工は間に合っても入力が間に合わないことが多多あるとの事でした。ポラテックでも「CAD入力は上海で行う」記事を以前読みましたので、CAD要員をどれくらい確保できるかで、プレカット工場の生産量が決まってくるようです。

それに請負う方も現場の大工さんも、前者は安ければいい、後者は組み立てればよいといった風潮がかなり広まっていると言っていました。特に現場の大工さんは、現場で直すといったことをせずにそれを工場に要求する、現場で削ったり、短くしたりすればよい事でも工場に要求するようになってきたと話していました。「現場の力が落ちた」

現場の力が落ちただけでなく、単価が安くなったので「自分に関係のない所まで手は出さなくなった」のでしょう。埼玉県に本拠を置く「Aホーム」も坪32万円から建ちますといって宣伝していますが、実際には坪50万円になっていると、今手伝いに行っている大工さんが話してくれました。首都圏では手間が高いですからなかなか安くはならないと思います。適正価格がどのあたりにあるのか、一概に言えませんが、低価格化の競争は終わりにしたほうが良いと思います。そこに住む人も作る方に携わる人にとっても満足感や達成感を中心に据えた住まいつくりが必要だと思います。





2005/08/25(木) 台風


[ 竹内木材のふれあいまつり ]
竹内木材工業株式会社による第二回ふれあいまつり


竹内工業株式会社では、8月21日(日曜日)に狭山市にあるプレカット工場を開放して第二回ふれあい祭りを開催しました。夏休みとあって子供達を中心にその父兄など合わせて約550人が訪れました。当日は気温が34度もあり、暑い日でしたが、子供達は元気に自由工作やゲームを楽しんでいました。午後3時を回る頃から「ミニ上棟」が行われ、亀山社長がぬいぐるみやお菓子などを撒いて、盛り上がりを見せて終了いたしました。当日の模様は以下の通りです。


会場となった狭山工場


竹内木材工業の内容。


木工品やキッド


屋台


火起し


盛況だった自由工作


キッズコーナー


ミニ上棟、先ずは土台を敷きました


柱と桁をつなげて起します。


束を建てて母屋を入れます

仮止めの筋違を入れて、今日はここまでタルキや野地板は打ちません。
人が乗れるようにベニヤを敷きました。


亀山社長が上に乗り、撒く準備は出来ました。


子供達は前の方に陣取っています。


さあ、撒き始めました。




2005/08/23(火) 晴れ


[ 坂政合板 ]
坂政合板



日本国内の合板メーカーである「坂政合板」が9月一杯で生産を終了するという記事が日刊木材新聞に載っていました。
坂政合板は昭和8年に合板製造を開始した日本合板産業の草分けでもありました。今回の撤退は、年明けからの原料高・製品安の構図にあると新聞は伝えています。

坂政合板の品物は他の輸入合板と比べて「値段は高いけど、品物も良い」ということで人気もあり、我が社でもクロス下地合板や構造用合板、型枠合板などを在庫しています。こういう商品がなくなってしまうと「良いものを手に入れる」事が益々困難になります。ましてホームセンタなどに置いてある輸入品型枠合板などとは差別化がしやすい商品だったので、例え高くても買っていただけるものでした。

こういう商品がなくなると単価でしか評価されなくなり値段の安いものしか売れなくなると思います。物は売れなくなることで、良質なものはドンドン減っていきますね。





2005/08/19(金) 晴れ


[ 八島湿原 ]
八島湿原(2005年8月14日)


夏休みを利用して霧ケ峰・車山高原に行ってきました。
先ずは、大門峠からビーナスラインを美ヶ原方面へ走りました。上りでは雲に向かって走り、下りではなだらかな高原の景色を満喫しながら運転しました。雲の陰で日陰が出来るくらい天空に近いところを走ってきました。霧ケ峰から美ヶ原の方に向かう途中の八島湿原は今日のメインの場所です。駐車場が小さいから早めに行かれた方がよろしいでしょうという、ペンションのオーナーのいう通り、9時半過ぎについて既に20台以上の待ちになってしまいました。それでも10時前に駐車することが出来ました。早速散策の開始です。
丁度10時から、地元の説明員の方が案内していただけるアナウンスがあり、「あざみ館」の前に集合して、お話を聞きながら歩くことにしました。八島湿原は高さ1600メートルの高地にあり、湿原としては南限にあること。湿原が出来たのは尾瀬よりも古く、およそ1万2千年前であることなど基礎知識を教えていただきました。


八島湿原。目前の池は七島八島。

それから木道沿いの花の名前を教えていただきました。8月は夏の花と秋の花が入り混じって花の数は一番多いとの事。夏の花は下から咲き始め、秋の花は上から咲き始めることや「ノアザミとノハラアザミの違い」など分かり易く教えていただきました。ただ、ニッコウキスゲの花の時期は終っていて実しか見ることは出来ませんでした。


ツリガネニンジン


シシウド


アカバナシモツケソウ


マツムシソウ


ノアザミ


コオニユリ


案内をしていただいた三村さん


花の名前も少し覚えた今年の夏でした。




2005/08/18(木) 晴れ


[ 梁に関して ]
梁に関して


木造軸組み建築は縦と横です。縦のものには、柱があります。それに対して横のものを構成するものは胴差、桁、二階梁、小屋梁などといわれています。通常桁や胴差材は柱と同じ太さの材(105ミリ角や120ミリ角)を使います。
柱は910ミリピッチか、1820ミリピッチに建てますが、幅広く出入り口を設ける場合など2730ミリや3640ミリの両脇にだけ柱が建つことになります。この柱を留める横材は通常の横に使う材料よりも背の高い巾の広いものになります。また、二階に建てる柱の下に1階の柱がない場合など、二階の柱を受けるために背の高いものを使います。これが梁です。梁の大きさは150ミリから450ミリまで、30ミリごとにサイズがあります。受ける重さによって梁の大きさを変えるのです。

さて、今から30年程前の建物に梁として使われていた材はほとんど日本の松(地松)でした。厚みが120ミリあって巾は先ほど申し通りです。現実には300ミリを超えるものは数が少なく、値段も高く、そして重いものでした。この300ミリの梁の4メーターものを起して担いで、また横に戻せれば材木屋として一人前と認められたものです。私は当時は出来ましたが、今では無理だと思います。

さて、地松の欠点は狂うことです。乾燥するとねじれたり曲がったりします。使い方を間違えると垂れてしまいます。また大経木が少なくなり大きな材が減ってきました。そこで登場したのが「米松」です。日本の松に近いものを輸入して製材したものですから「米松」という言い方は良くないのですが、便宜的にそう使っています。この材は厚みが115ミリで製材したものが多いのです。材木は基本的に体積で値段を決めるので、体積が少なくなる=値段が安い、ということでした。

次に出て来たものは105ミリ厚の米松の梁です。住宅の洋風化に伴い、外部をサイディング張りで仕上げる住まいが増え、これに対応するように105ミリ角を柱に使う場合は、同じ厚みの梁や桁材を用いるようになりました。プレカット加工の進展はこの状況をさらに進めました。柱が105ミリの時は105ミリの梁を、120ミリのときは同じ厚みのものを使い始めたのです。中国木材が「ドライビーム」を出したのもこの頃からでしょうか。「ドライビーム」は人工乾燥させてあるので狂いが少なく、値段は少し張りましたが、ロスも少なく、機械加工にも適していて爆発的に伸びていきます。人工乾燥する「木」は並材なので、自然乾燥させた方が木の持つ特性や木目の美しさが損なわれると、木場の材木問屋さんはよく言っていましたが、自然乾燥してから売るだけの時間が、我々小売にはなく、乾燥材はありがたい材料でした。その頃、今からおよそ12年くらい前ですが、ラミナーを張り合わせた「構造用集成材」も一般化してきました。セブン工業(株)で大断面の集成材工場を見学に行ったり、日東木材産業(株)にも行きました。このあたりは米松の集成材でした。また、日商岩井の木更津の工場では、ホワイトウッドの集成材が輸入されているのも見学してきました。長さ20メートルもある梁がいたるところに横たわる姿は、壮観でしたが、これも自分達では扱えない商品だと感じてきました。

さて、プレカットが一般的になり、いくつかいただいた仕事の中に集成材を多用した住まいがありました。間崩れしていて梁だらけの住まいでした。そのときは最大7メートル飛ばしたのでホワイトウッドの集成材を使いました。5メーターくらいまでなら米松の集成材を使うようにしました。力的には米松の方が強いと思います。ただ、どちらも集成材ですから「はがれ」には注意が必要です。材木屋の友人が倉庫を建替えた時に幾丁か米松の集成材を用いましたが、そのうちの1本が一ヶ所剥がれてきています。見える所に使っていますので直すことは出来ますが、ちょっと怖い話ですね。築8年になります。多分米松のヤニが剥がれを呼んだのだと友人は言っていました。10年は大丈夫だと思いますが、もっと長期的に見ると問題が起こるかもしれません。そういえば、日東木材産業を見学した時にも外部に雨ざらしになった大断面はやはり剥がれていたと思います。集成材は使い方や使う場所に関して注意をする必要があると思います。


2005/08/11(木) 晴れ


[ たまには焼酎を ]
たまには焼酎を


生ビールの美味しい季節になりました。が、ビールは控え目にして焼酎を寝しなに飲むようにしています。それというのも寝つきがよくなると思っているからです。

今から30年程前に「さつま小鶴」を飲んでいましたが、飲むと寝てしまうので、付き合い酒には向かないものでした。元々私はビール好きですが同時に、甘党で若い頃はビールに饅頭といった組み合わせでお酒を飲んでいました。最近は枝豆の方が向いていることがわかってきましたが・・・

さて、ここ数年父方の叔父さんから焼酎をいただくことが多く、仏前に供えたあとには私のおなかの中に入ることが増えています。「紫美」や「魔王」などをいただき、美味しく飲んでおります。この夏には「魔王」の杜氏である前村貞夫氏が作られた「元老院」と「豪放磊落」をいただきました。数日前から「元老院」の封が切られました。琥珀色した液体を舌の上で転がして飲んでおります。



2005/08/10(水) 晴れ


[ リフレッシュ指圧センター ]
リフレッシュ指圧センター


JR大塚駅前にある「リフレッシュ指圧センター」に行って来ました。この所テニスは月に1回ほどしか出来ないし、朝も夜も束縛される時間帯が増え、精神的な疲れが溜まっていると勝手に思っていました。

そこで今回大塚にある「リフレッシュ指圧センター」を紹介していただき、早速二人で行ってみました。60分+温めコースを選択して、指圧を受けました。みっちり指圧していただきましたのでかなり「楽」になってきました。私の場合腰や肩甲骨の後ろ側に疲れが溜まる傾向があって定期的にとっていくことで身体が持つのです。
また行きたいと思います。

この所、日帰り温泉へ行きマッサージや指圧を受けたり、近所の整骨院へ通っていますが、整体、指圧、マッサージは「当たり」が多いです。いわき湯本の日帰り温泉「ゆしまや」、和光市にある「極楽の湯」、もちろん「ユア指圧センター」などもそうです。
まあこちらが疲れているだけかもしれませんが・・・


豊島区南大塚2−46−1 KMビル8F
03−3941−9025
ここの院長さんはアテネオリンピックの水泳のトレーナーとして活躍されている方です。なお予約制です。




2005/08/06(土) 晴れ


[ 材木屋は保護されるべき ]
材木屋は保護されるべき


「近くに材木屋さんがなくなって困ったよ」
9センチ角を買いに来た一般の方の言葉です。

ホームセンターまでは遠いし、車もないし、何か欲しいものが出来ても近所で探せないので、困っていると言っていました。

確かに私が育った時代、戦後すぐの時代はは、この辺りもまだ周りは麦畑で、通り沿いに家が建ち始めていましたが、そのほとんどが平屋で、「テレビも、お風呂も、電話も家にはない」時代でした。昭和30年代になって都市部に人口が集り始め、お店がたくさん出来ました。八百屋、魚屋、肉屋、豆腐屋、雑貨や荒物、衣料品など半径100メートル以内にありました。

その小経営の時代に乗って出来たものの中に材木屋もあります。我が社なども戦後に始めた会社で時流に乗って現在があります。小さなお店でも商売になった時代でした。それがより大きな資本に吸収され、この近所を見渡してもスーパーかコンビニに成り代わってしまいました。お店は移り変わりが早くなりました。最近、文房具屋が店仕舞いしてしまいました。その結果コンビニに置いていないものは探すのに時間がかかります。「ちょっとしたものがない」のです。

自分の力で動けるうちはまだいいのですが、そうでなくなったものには生きていくのすら辛い時代になりました。郵政民営化も基本的にはその方向でいくのがよいと思いますが、民営化して経営難になって撤退する所が増えれば
そこは誰かがカバーしていかなければ、不便なところはより不便な所になります。

さて、先ほどの客さんは
「こういう商売は国で保護してもらわないといけない」
こう言い終えて帰られました。
材木屋も市場も、問屋も、製材所も林業家もこの業界に関係する所は保護の対象にしてもらわないと維持できないかもしれません。おいしい空気を作り出す森なら尚更です。



2005/08/05(金) 晴れ


[ 最近の見積 ]
最近の見積



最近の見積の特徴は「平米いくら」「材工いくら」というのが増えたことです。見積ですから「仕事が取れるか取れないか、わからない」ので細かく見積もることは少なくなりました。
そのため、仕事が決まってしまってから、慌てて部材を拾うということもあります。さらに部材を拾い、発注をいただいてから、「間取りの変更」「仕様変更」などということもあります。その結果、材料が変わる、残るということもでてきています。一般的な下地材などであれば「やむなし」ということもありますが、建材の「色物」などでは「勘弁してよ」といいたくなります。

確保してくる仕事の金額がぎりぎりなので、仕事を確保する方に重点が置かれていて、肝心の仕事の中味がおろそかになってきているように思えます。職人が携わる仕事も分解されて「俺がやったんだ」という部分が少なくなって達成感がなくなっています。

今鉄骨の新築物件がありますが、内部はケイテンで間仕切って壁と天井はケイテン屋、床は床屋に分離発注して大工の入る隙がありません。仕事が簡単になって金額だけの勝負になった結果です。このような仕事では面白味もなく、モチベーションも上がりません。

面白い仕事は自分で作り出すしかないのでしょうね。


2005/08/04(木) 晴れ


[ 記念市の売上げは ]
記念市の売上げは


去る7月28日新東京木材の中野市場に於いて行われた昭和会記念市の報告が届きました。新東京木材では、月に一度「記念市」を開いていますが、当日は、組合員84名が参加したと書かれています。

さらに、「売上げに於いては目標に及びませんでしたが、達成率は今年最高でした」と書かれています。

年々少しずつの下落傾向に歯止めがかかりません。

8月にはいってからの仕事は少なくなっています。もう夏休みに入ったかのようです。実際あと一週間で夏休みになります。今日ぐらい暑いと涼しい所に行きたくなりますね。


7月28日の記念市の模様です。



2005/08/03(水) 晴れ


( 2005/09 ← 2005/08 → 2005/07 )


[ 管理者:大野満生 ]


- CGI-Island -

Thanks to CGI-StaTion & 手作りCandy