[ホームへ] [他の月を見る]


時々更新mn日記

( 2005/07 ← 2005/06 → 2005/05 )


[ 5年前のサイディング ]
五年前のサイディング



5年程前に大掛かりに改築した現場を再び改造することになりました。商売をしていた部分を住まいに直す予定です。それに先駆けて床材やドア枠材など何を使っていたのかを調べておきてくださいとの連絡が入りました。さらに外壁に使ったサイディングも6枚くらい必要だといわれています。そこで早速5年前の資料を引き出してきて何を使ったのか確認しています。サイディングは大建工業の16ミリ厚のものを使いました。が、大建工業では既にサイディングは製造していません。どこかに在庫が残っていないか調べてもらいましたが、ありませんでした。
そこでその商品に似たものを探していただいております。

さて、ここ数年で不況を反映してサイディング業界も小さくなっております。クボタは松下電工と一緒になって「クボタ松下電工外装(株)」になりましたし、トステムと旭硝子が一緒になって旭トステム外装(株)になりました。業界1位は「ニチハ株式会社」ですが、主だった会社の数は減り、寡占化が続いております。

色で似たものは旭トステムに、柄の似たものはクボタ松下にあるそうです。どちらを選ぶことになるのでしょうか。







2005/06/30(木) 曇り


[ 就職した子供達 ]
就職した子供達



今年の春から甥二人が二人とも就職しました。会社は違いますが、それぞれ夜勤があります。そのせいで生活が一変しています。家族で食事をとるということも無くなり、家族が揃うという事もなくなりました。そこで登場するのがメールです。何か用があればメールがきます。用件の80%は車を貸してくださいですが、パソコン貸して下さいとか、どこか良い温泉ない? などというのもあります。
久しぶりに顔を会わせたら、「研修期間だけれど、給料5000円上がった」と言っていました。

「この前さあ、朝10時に仕事に入って、8時までだというから、8時になりましたので帰らせて下さい」と言ったら「ばかやろー。あしたの朝の8時までだー」と先輩に言われたという話や「何を食べても良いけど、食事時間は15分。15分で戻って来い」などという面白い話を聞かせてもらっています。

厳しいのでしょうが、若いうちは何でも務まるものです。二人とも就職してから身体が一回り大きくなりました。よく食べます。感心するほどに・・・


2005/06/29(水) 曇り


[ 暑い日が続く ]
暑い日が続く


今年の梅雨は東京では雨が少なく、急に暑くなってきました。身体がまだ暑さに慣れていないので疲れが溜まる感じです。
それでも晴れなので、屋根の仕事が順調です。もっとも現場の人は大変ですが。

さて、6月は最低の売上げでした。仕事が細かい上に金額の伸さないものしか売れませんでした。昨日も今日も仕事のキャンセルがありました。いずれも在庫していても負担の少ないものですが、一度決まった仕事がキャンセルされるのは疲れます。厳しい時代になりました。事業全体を見直さないといけないように思います。
十年程前に週休二日を実施し、その後なし崩し的に土曜日の営業が始まりました。半日の時もあれば、一日開けておくこともあります。現在ほとんどの用事は携帯電話に掛かってきますが、夕方から夜にかけて問い合わせの電話が多くなりました。土日営業や夜間の営業も視野に入れないと売上げの確保がおぼつかないかもしれません。


2005/06/28(火) 晴れ


[ 大工の高齢化 ]
大工の高齢化



大工の高齢化がいわれて久しくなりました。
我が社の大工・工務店・建設会社の取引先は30店ほどで十年前と変化は少ないのですが、その中味はかなり違います。先ずは買上金額。そして職人さんの数です。

その職人さんの数ですが、十年程前なら40人以上確認できます。それが現在では30人くらいだと思います。この十年で廃業した他の材木屋さんから移って来た方も居られるので見た目にはそれほど少ないという感じは無いかもしれません。
ところが、年齢別にこれを表して見ると
70代=10人
60代=10人
50代=5人
40代=2人
30代以下=3人

などという結果なのです。一番大工さんを使っている工務店さんは職人さんが6人いて一番若い人が62歳と聞きました。これくらいの年代の方だと仕事は出来ると思うのですが、力仕事はもう無理です。また何時、いなくなってしまうか、仕事が出来なくなってしまうかお互いに不安です。この10年同じ大工さんが我が社を支えてくれたのだと思います。

大工・工務店さんは主要な取引先であり、木造住宅の担い手ではありますが、「売り上げ」に対する貢献度は年々下がっています。仕事が取れないからです。営業もしませんし、パチンコの好きな人はパチンコを、お酒を飲む人はお酒を飲んでいます。毎日散歩している人もいます。その時間を使ってビラを配るなり、お得意さんの所に行って顔を出してきても良さそうですが、そういうのは嫌いなのだと思います。

仕事は忙しい人に集中します。一日仕事をしてきて夜には現場を見に行き、お客さんと打ち合わせをしている人は仕事が切れません。
ただ忙しい人も仕事の中味は必ずしも「木工事」ばかりとは限りませんサッシの入れ替えであったり、外壁の塗り替えであったりします。そうなると材木屋さんの売り上げには貢献してくれません。

さて、依然として大工工務店は主要な取引先ですが、それに代わって不動産屋、水道屋、クロス屋さんなどが仕事を取ってきてくれます。木工事が絡むと大工を使って、材木類を買ってくれます。
また内装屋、リフォーム屋さんの仕事が増えているのもここ数年の動きでしょう。そういうところは木材だけを納め、新建材類は「支給」されることが多くなりました。

ここ数年、あるいはもっと前から請負う人がいて、その仕事を工務店が請けて仕事をまとめていたのが、初めに請負う人が工務店や大工を使って仕事を請けていくケースが増えています。木工事はそれをする大工の腕によって左右されますので、仕事を取った人が「この大工さんに」という形で仕事を渡していくのです。

このような結果、売り先は大工さんの売上げが相対的に低下しました。売れていく材木も構造材が益々少なくなり、下地材中心に変化しました。造作材も加工されたものを求められるようになりました。
木造住宅を作る、木材を売るという観点からいうと大工の高齢化は深刻です。




2005/06/27(月) 晴れ


[ ハッピバースデー ]
ハッピバースデー


松本玉恵さんがこの6月25日で90歳になりました。
それを記念して新中野にある中国料理屋「天翔」でお祝いの食事会をしました。玉恵さんは大正4年6月25日に埼玉県上尾郡に生まれ、大正、昭和、平成と生き抜いてきたことになります。よく食べ、よく話をするのでまだ私の父(82歳)より元気です。長生きの秘訣はマイペース

「天翔」ではケーキの持ち込みOK、記念の写真も写して頂きました。



2005/06/26(日) 晴れ


[ 一日の売上目標は ]
1日の売り上げ目標は


さて、木材が売れなくなって販売の重点が建材や住宅機器に移ってきました。建材メーカーが作る床材や窓枠材、ドアや収納ユニットを売ると纏まった金額になります。ここがいただけるのか、いただけないのかが売上げの分かれ道になります。またいただいたとしてもあらかじめ売値を決められている場合が多く、私の方の仕入先が安く出してくれれば、仕事として成り立ちますが、成り立たない場合が多くなりました。

1日の売上目標は15万円ほどですが、簡単に達成する日と半分以下の日にはっきり分かれてきました。先ほども申したように建材類の発注をいただけると目標にすぐ達します。逆に木材だけの販売ではこの目標値に到達できません。

15万円という金額を、木材を例にとってあらわして見ましょう。
桧の柱が3メートルX105x105の標準的なもので1本5000円しませんから約30本分に相当します。1軒の住まいに坪当たり2.5本ほど使いますが、24坪の住まいの柱を売ることになります。杉材なら桧の半値ですから48坪の住まいの柱に相当します。

またよく使う30X40で見てみましょう。商売上の言葉で「タルキ」という言い方であらわすことが多い材料ですが、これが1束12本入って約5500円。27束分になります。1坪に対して7本から10本程度使いますので30坪の住宅に使われる分に相当します。

今のところ新築住宅は全くありませんが、新築住宅は建て前から完成までおよそ三ヶ月かかります。90日で割っていくと1日の売上げとして安いことが確認できるかと思います。建坪45坪、およそ3千万円で建てた住宅(柱は全て尾鷲桧)の木材及び建材費は600万円、およそ2割です。この住まいで坪単価は66万円になりますが、50万円前後の住まいでしたら削られるのは「木材費や建材費」ですから15%を割り込むと思います。パワービルダーが建てる分譲住宅ならもっと比重が下がると思います。

どうしたらそんなに下がるのでしょうか。大量生産できるものを大量に仕入れて、大量に裁くことができれば、単価は下がります。プレカットを用いて、使う材料に集成材を使うことでコストダウンできると思います。そしてその流れで来たのがこの十年かと思うのです。現在集成材の天下ですが、その中でもホワイトウッドやスプルース材から作った集成材の割合が少しずつ減って桧やレッドウッドに変わりつつあると思います。行政の動向は10年だけ保証できれば良いという方向でしたが、それではローンも終っていませんからエンドユーザーの方からは良質住宅を求める声は多いと思います。

さて、おととい、木材市場に行ったら「杉の赤味だったら土台は腐らない」という話をしていました。桧の赤味でも周りはなくなってくるという話でした。自分の経験からしても檜は芯を残して周りはなくなります。青森ヒバは30年経ったところで見ましたが大丈夫でした。栗の土台は40年を経たところで接着面が腐りました。栗は下小屋、ヒバはアパート、檜は以前の自宅です。

話がそれましたが、木材は安いです。年月をかけて育てていくものにしては格安です。材木屋として再生産できるだけの費用の捻出まで視野に入れて木材を扱っていかねばなりません。オンリーワンを前面に押し出して高く買ってもらいたいですね。



2005/06/25(土) 晴れ


[ 10年前との違いは ]
10年程前との違いは?


「木材業者も建築業者も10年程前とほとんど変わっていない」
という文章を目にして、そうだなーと思ったり、いや違うだろうと思ったりしています。現在は過去の要素と未来の要素が重なり合った所にあるのだから、そう思うのは当然かもしれません。しかし我が社を基準にして考えると明らかに違うことがたくさんあります。

先ず、年間の売上げが十年前に比べて半分になりました。両親と私の3人で売っていた時代と今実質的に1人で商売していることを考えても客観的な数字は変わりません。減った部分はほぼ木材の部分です。
先ずプレカットの進出で、構造材が売れなくなりました。大工が仕事を取ってきて材木屋の下小屋で刻むということがなくなりました。10年前に20坪ほどの下小屋を一つ潰しました。構造材が売れなくなると在庫品も当然少なくなりました。桧の土台、防腐土台、桧の柱、杉の柱、杉の桁材、栂の桁材、栂の柱材とそれぞれ少しずつ在庫していたものが桧の柱、栂の柱。桁は全く在庫しなくなりました。杉の母屋材も在庫品から外れました。

続いて造作材も同様です。桧や杉の45x105ミリの内法材も買い込んだものが無くなると改めて仕入れるということは無くなりました。仕事が入って仕入れることはありますが、「買っておく」ということは無くなりました。ラワン材やスプルース材の平割も同様です。24ミリ厚のものは巾150ミリ、180ミリ、210ミリ、240ミリ、300ミリと在庫してあったものが、言われてから買うという姿勢に変わりました。34ミリのものは2200ミリから3000ミリくらいの長さの物を置いておき、必要に応じて注文されたサイズに加工し直しています。米栂材も同様です。

現在の内法材はドア枠材で仕上がり寸法が長さ2200ミリ、厚みが25ミリか30ミリ。巾も90,100,120ミリくらいがあれば間に合います。窓枠材も21ミリ仕上げになって、長さも2000ミリあれば、8割くらいの需要に応えられます。そこで長尺材=3650ミリから4メーターものの在庫品はほぼ置かなくなりました。

大工さんが刻むことを辞めただけでなく、加工することも少なくなりました。大工なのだから自分で加工すればよいと思うのですが、加工する材料の量が少ないなら自分で削るより加工に出した方が早くて綺麗ということになり、今我が社に来ている大工さんで自分で削る人は3人になりました。

造作材で在庫するようになったものに集成材があります。長さが4200ミリ、巾が500ミリ、厚みが18ミリ、25ミリ、30ミリあります。巾は120ミリのものが4枚取れますし、長さは半分にしても2100ミリあり、ドア枠材に対応できます。30ミリのものはそのままカウンターなどにも使えます。用途が多様なので在庫品になりました。

続いて下地材ですが、30x40,20x40、36x45、27x105,90x90.この辺りが売れ筋で、が決まれば45x90や45X105などが纏まって出ますが、普段は上記のものくらいしか出ません。

総じて我が社では木材の使用量が極端に減ったのがこの十年です。木材市場の木材の部門を担当している問屋さんが大変だと思います。


2005/06/24(金) 晴れ


[ 見積は二つ出せ ]
見積は二つ出せ


「見積は二つ出せ」
相見積もりが常識になった時代には自分が出す見積も数種類出す必要があるのではないかと、ある人に言われました。
私も図面をいただいて、それから「見積れ」と言われた時には二種類の見積は出します。木材なら樹種を変える、建材ならランクを変えます。ただ、実際の所決まるとしたら安い方ですね。

昨年は相見積もりの後出しで、いくつか仕事をいただきました。が、今年は仕事が決まりません。見積もりも少なくなりました。仕事の数が少ないのではないでしょうか。ある問屋には例えば「A邸」の同じ見積がいくつかの販売店や工務店から来るといいます。同じ単価をつけて送り返すとのことですが、その中で仕事が決まれば、その問屋は潤いますが、それ以外のところで決まれば、皆がただ働きです。その割合が増えてきたように思えます。

特別な工法でなければ、プレカットで建てて、サッシはメーカーが二つか三つで、外壁はサイディングでと追って行くと木材の出番は内装材ぐらいにしかありません。そこは本物を使いたいですね。今年の3月に松阪市にある「ウッドピア21」を見てきましたが、そこで見た内装材の注文をいただきました。壁に縦張りするために3メーターものを探していましたが、近県材では3650ミリの物が多くすぐに間に合わないとのことで、松坂から送っていただきました。幸い施主にも好評でした。

まだ数は少ないですが、「良いものを実感していただく」事が大事だと思っています。今日も、自宅を作っていただいた大工さんから、「杉の床板を施主が貼りたいと言っているのだけれど、大野さんの所に張ったのはいくらぐらいだったっけ」という問い合わせが来ました。
木材産業は地道な仕事だと思います。


2005/06/23(木) 晴れ時々曇り


[ 杉の集成管柱 ]
杉の集成管柱


中国木材の伊万里工場で作っている杉の集成柱を東京は小平市にある丸宇木材市場西浜において1本1800円で売っている事が日刊木材新聞に載っていました。二年程前中国木材の本社を見学した際に堀川社長が「これからは杉の集成材の時代」とばかりに九州に工場を作り、それがもうすぐ稼動すると言っていました。今度の話を聞いて本格的になってきたのだなと感じています。この集成柱の価格決めは売り単価が初めにあって、そこから逆算して丸太の買値を決めているので、この価格が実現したと、書かれてあります。

今から十年程前まで、我が社では杉の柱は三重か和歌山の材を中心に売っていました。仕入れ値で2500円くらいだったでしょうか、工務店売りで3000円から3200円くらいになっていたと思います。その頃までは60年生の丸太を曳いた材が近くの木材市場に入ってきていました。好んで買っていたつもりですが、刻む仕事が減り、プレカットが主流となると長い年月を経て育ってきたとか、木取り方が美しいなどという価値観は遠ざかり、通直材が好まれ、また価格の安いものへとシフトしてきました。我が社でも途中から「安くてそこそこのもの」をメインにし、ロスが少ないもの、すぐに間に合うものを売っています。悪いものではないけれど、とびきり良いものは売れなくなりました。使う人もいなくなりました。

今市場で買える杉の柱は、そこそこで安いものになっています。良いものを使うという習慣はなくなりました。樹齢を経たものに価値があるという考えも少なくなりました。縄文杉くらいになれば特別な価値を見出せるのでしょうが、40年生の杉と60年生のそれの違いはどうでも良くなってきました。集成材も曲がりますが、無垢の材とはロス率が違います。プレカットという時代に見合う集成材はこれからも売れ続けるでしょう。国産材を使うという点では杉の集成材がホワイトウッドやレッドウッドのそれより使われて欲しいのですが、それだけで終らずに本物の木の持つ個性を認めて欲しいと思います。



2005/06/22(水) 雨


[ 日帰り温泉「ゆしまや」 ]
日帰り温泉「ゆしまや」



いわき湯本にある日帰り温泉に行ってきました。
奥さんと二人で久々に遠出をした帰り道、いわき湯本駅前で日帰り温泉を教えていただきました。そこは「ゆしまや」やといって中心街から少し離れた所にありました。少し見つかりにくい所にありましたが、まだ新しい所でした。聞けばこの6月2日にオープンしたとのことです。まだ玄関には胡蝶蘭が飾られていて花の香りもします。それ以上にヒバの香りがするのです。福島県まで来ると「ヒバ」を用いるこ所が多いのでしょうか。

さて、一般入浴料700円を支払って男風呂と女風呂に分かれました。私はマッサージを受けたかったので2階にあるリラクゼーションルームで予約をしてから入浴しました。
ここの売りは岩盤浴と韓国式あかすりですが、私が気に入ったのは単純にここのお湯。少し硫黄分が入っているのでしょうか。よく温まりました。
ここは、日帰り温泉らしく内風呂と露天風呂がありますが、全体にこじんまりしています。もう少し浴槽の部分を大きくしてもいいのではないかと思いました。

湯から上がるとマッサージです。ここ5、6年これが欠かせなくなりました。今回は時間に余裕が無いので20分のコースを申し込んでありました。幸い他のお客さんもいなかったので一通り全身を押してサービスしていただきました。ここの整体師の方は30代の女性ですが、力もあり、上手かったと思います。終了してすっきりしました。おかげで湯本からの帰り道200キロの運転も気持ち良く出来ました。

「ゆしまや」
0246−72−2619


温泉に先立ち、塩屋灯台下で写真をパチリ。もうすぐ美空ひばりの命日ですね。




2005/06/21(火) 晴れ


[ 低迷の中で、材木屋は・・・ ]
低迷の中で、材木屋の役割


「今月まだ2日しか働いていない」
雨に泣かされた訳でもないのに大工が嘆く。
今月の我が社の売上げを見てもまとまった仕事が無く、2週間から3週間で終了してしまう仕事ばかりです。こういう仕事でつないでゆく事になるのでしょうか。

13日の理事会でも「5月はプレカットが22棟しか建たなくて売上げが伸び悩みました。6月は48棟予定されているので、なんとか挽回できるかと思います」、という阿部新理事長のお話がありました。

さて、プレカットを押えないと構造材が売れません。まして最近では、屋根材や床材の下地のプレカットも普通に行われるようになりましたから、単に加工賃が上乗せになるといった問題ではなくなってきました。これが取れると、外壁材や設備に絡んだものや枠材、建具材といったものの情報がいただけて、何を使うのか同じ土俵に乗れます。図面の情報がいただけるのが一番大きな意味を持つようになりました。材木屋が設計士や工務店を兼ねるようになっていかないと集成材ばかりが使われるようになってしまいます。現在の状況もそれに近いのではないかと思います。確かに集成材を扱うと気が楽です。杉や桧の柱は例えKD材であっても曲がります。ドアや窓に絡むときには素性の良い木を選んでいます。その点集成材では極端な狂いはないので楽なのです。

仕事は難しいものから簡単なものへと変化してきました。木材は主要なものから素材の一つに変わりました。この流れは変わらないでしょう。それでも材木屋には役割があります。
材木屋も材料を運ぶだけでなく、それよりも住まいに関する情報を、木の持つ役割を伝えていかなければならないのだと思います。

森林浴をしましょう。森へ行きましょう。人間と木が身近なものであることを伝えましょう。新東京モックでは6月18日、19日に奥多摩へ行きます。毎年枝打ちと下草刈りを行っています。今年は鹿の食害地の現状視察ですが、森の中へ入ります。私はお休みですが、大したものだといつも思っています。




2005/06/18(土) 晴れ


[ 市日 ]
市日


私はこの業界に入って30年近くなります。早いものです。初めの10年、真ん中の10年、そしてこの十年と区切って考えてみると違いがわかりやすくなります。
初めの十年は木材がまだ売れていた時期。真ん中がバブル期。そしてこの十年は・・・

1975年からの十年間は木材がまだ売れていたと思います。一月のうちに3棟か、4棟の建て前があり、毎週のように忙しく、また3月から6月くらいまでは休みが一月の内に一度くらいだったと思います。(その分は閑になった時に一週間くらい休みを貰いました。)仕事の内容によって材木の仕入先を変えていました。もちろん土台や柱の樹種も違いましたし、ヒノキと書いてあっても例えば柱は近県物で良いのか、吉野桧なのか、尾鷲材を使うのか、見せて使うのか、隠れてしまうのか、それによって仕入れる材も違えば仕入れ先も違いました。材木屋としては面白い時期でした。ヒノキの役柱を100本ほど押し付けられて往生したこともありましたが、何とか売り切ってしまえた時代でもありました。

その頃は新東京木材商業協同組合の市場は五反田、蒲田、池袋(当時は板橋市場といいました)、中野にありました。毎月末尾に3の付く日が池袋、8の日が中野、蒲田と五反田は記憶に無いのですが、新東京の市日は末尾で決まっていたと思います。月に一度は記念市が開かれ、最後に抽選で缶詰とかお茶などを貰ってきました。

また、東京新宿木材市場・北沢が毎週火曜日、相互市場が境市場が金曜日。相互の練馬市場が水曜日だったと思います。毎日のように市場が開かれていました。「利は元にあり」で仕入れが出来ないと埒があきません。私の父親は「一割くらいは安く買ってきた」といつも言っていました。また「今日は欲しいものが落とせなかった」とも言っていました。当時はセリがまだ活発で、欲しいものはみんなが欲しいものなので、競り落とせない時がかなりあったみたいです。そうすると他の市場へ行って買ってくるか、木場の問屋さんに頼むか、です。私は木場の問屋さんに頼むのが好きでした。理由は簡単、持ってきてくれるからです。

市場で競り落としたものは、なるべく早く引き取らないと悪いものばかり掴まされてしまうので、市日の後はこんどは引取りが待ち構えていました。市場の林場は奥が深く、縦1列に材木を立てかけているので、引き取りに時間が掛かったことも今では思い出になりました。

バブル崩壊後、市場は少なくなりました。今都内で市場を開いているのは、東京木材市場と新東京木材くらいではないでしょうか。都市部にあったセンターもなくなりました。今私の所からすぐに行ける市場は新東京の中野と池袋だけです。この二つがあるので仕事が出来るといっても過言ではありません。十五年程前まで新東京、新宿市場、新木場の買上割合は40%、30%、30%くらいだったと思いますが、現在では木材に関しては90%以上が新東京木材を利用して仕入をしています。何とか、この市場を残す努力をしてみたいと考えています。現在新東京木材でも市日は3と8の日ですが、現実には月に1回、どちらかで「記念市」を開く程度になっています。

それでもその市日にいけない、行っても買えない事態は続いています。組合員を増やす努力をスターを生むことによって始めませんか。最近、女子ゴルフのテレビを見るようになって「このパットは入るとか、入らないとか」テレビに向かって叫んでいる私がいます。私はゴルフはしませんが、見ていて楽しさがわかるような気がするこの頃です。



2005/06/16(木) 雨


[ 最後の月報委員会と初めての理事会 ]
最後の月報委員会と初めての理事会


去る5月18日、私にとって最後の月報委員会に行って来ました。新旧交代の合同の集りでした。今回30人いる月報の委員のうち、9人が卒業し、9人が新しい人になりました。この交代で「新東京モック」に属している方が、3分の1を超えたとのことです。比較的若い人が数多くなりました。この方々が月報委員会を引っ張っていかれることを望みます。

さて6月13日は池袋市場で記念市があり、市終了後、「理事会」が開かれました。私のとっては初めての理事会です。中野支部は大野、亀田、太田の3人が本部理事です。3人揃って出席してきました。理事会はどのように運営されていくのか、興味深いものがありましたが、阿部新理事長の初回ということもあり、淡々と進められて40分ほどで終了いたしました。午後3時半開始という半端な時間にもかかわらず、ほとんどの理事の方が出席したのには驚きました。さらに理事会が終了してしまうとさっさと引き上げるというのにも驚きました。2年間何事も無く無事に過ごせれば良いですが、厳しいご時世ですから、色々な問題が持ち上がるかと思います。そういう時は中野支部内で早めに協議しながら、理事会に望みたいと思います。
とりあえず初回を終えました。



2005/06/14(火) 晴れ


[ プレカット率 ]
プレカット率



6月11日付の日刊木材新聞に全国木造住宅機械プレカット協会(斎藤陸郎会長)の発表として2004年のプレカット率の推定を載せています。

推定の方法はラインの生産能力別の生産量を推定するという方法を取り、ここから32万5千棟がプレカットで加工されていると推定し、全木造住宅42万8千棟の内、76%がプレカット加工されており、このうち、金物工法も4万3千棟、10%に達しているとものとしています。

この協会が設立された1985年はプレカット工場142工場でプレカット率は3%に過ぎなかったことを考えると飛躍的に伸びたことがわかります。

新聞ではさらに
「プレカットはCAD/CAMの技術も一巡。プレカットも充足し、限られたパイの中で、工場の情報を活用して新しい付加価値をつけ加える必要がある」と斎藤会長は話している。

としています。
プレカット工場の選別化が進むのだと思います。そんな中、大手のプレカット工場である「ポラテック(株)」の記事を目にしました。

ポラテック(株)(本社=埼玉県越谷市)の拡大路線が止まらない。・・・ポラテックは茨城県岩井に工場があります。そこは第1工場「クリエイティブフィールド」と第2工場「テクノフィールド」からなり、合計加工能力は月産47000坪と圧倒的。・・・
「クリエーティブフィールド」は横架材加工ラインだけで9ラインを備え、顧客ニーズにきめ細かく対応して手間のかかる加工もこなす柔軟性を有する。そのため、特色ある設計で差別化を図っている工務店なども営業対象になる。
一方、テクノフィールドは効率性を重視し、最新鋭の設備で省力化・効率化を実現した。その分加工賃は低く押えられ価格競争力がアップしている。使用材料はほほ100%集成材で、顧客も集成材を活用して効率重視の施工を行う住宅業者に限られる。
現在の顧客は70から75%が分譲住宅などを手がけるパワービルダー、20から30%が地場工務店。

等々。(出典木材情報2005年5月号)

ポラテックの北大路部長は「プレカットの適するものはEW(エンジニアウッド)」、国産材の利用については「使いたいと考えている」としながらも、「国産材もEW化して、価格も輸入品と同じレベルにすべきだ」とEW化が条件との市営を鮮明にする。その上で安定供給も重視している、と話しています。

こけだけの月産能力のある「ポラテック」クラスになると狂わない、安い、すぐに間に合うといった条件が揃わないものは使わなくなると思います。こういう考え方は資本主義の世界では当り前なのでしょう。

今回、「木材情報」を読んでいて「ポラテック」のCADセンターが中国・大連にあると知りました。現在13人の入力スタッフを年内に25人に増やし、さらに2008年には100人で月間10万坪の入力可能な体制を整える、というのには新たな驚きです。




2005/06/13(月) 晴れ


[ 本日の話 ]
本日の話


今日、昭栄木工所の社長とお話をしていたら、仕事がコンスタントに来なくなって遊びになる時もあるし、反対に負われることもあって、バランスが悪くなっていると言っていました。
そんな中、「材木屋さんも施工込みで、大工さんの手当てまでしないと仕事をもらえないって言うじゃないですか」という話になりました。確かに仕事はあっても請ける方は完成した形で請けるので材料と人の双方が揃っている所には「仕事を回す」ことはあっても、片一方だけの所には仕事が来ないのは当り前です。人を紹介して欲しいという話はコンスタントに来ますね。ところが実際に紹介できる人は、限られています。その人が偶々空いていて仕事をしてくれる事になれば」売上げは上がります。

人材は登録制にして「貸し借り」できると便利ですが、実際には大工を抱えている「材木屋」に仕事を持ち込むのが一番良いと思います。

さて、一昨日の山田先生の話ではありませんが、ここ10年20年で仕事のやり方が変わりました。東京都の場合、木造住宅を牽引しているものが先ず分譲住宅になったことです。作る時は「プレカット」作られるものは「住宅性能表示」の高いものになります。そうなると前者からの要請は「集成材・エンジニアウッド」になります。また後者からの要請は「ヒバや桧の必要は無く、防腐防蟻処理してある材料であれば良い」ということになります。
分譲住宅を手がけている「パワービルダー」が住宅産業を引っ張っていくとなると特徴のある素材を使うというよりも住宅が完成した後にクレームの来ない商品というのが材料の選択の第一基準になります。素材にこだわらないものを求められているとしたら、適材適所に使うということはなくなるかもしれません。

木材も人間の労働力と同じになりました。

2005/06/10(金) 晴れ


[ 相見積 ]
相見積



あるお客さんが暇つぶしに遊びに来て「ここ半年仕事が決まらない」とこぼしていました。知り合いの家の見積もりをして金額を出すとお客さんから「このご時世だから、相見積させてよ」と言われるとのことです。そこで「いいですよ」と答えると決まって相見積もりになります。数十万円違う事もあれば3万円の違いで仕事を逃して「この半年、ことごとく決まらなかった」と言っていました。

たとえ仕事が決まっても予算に限りがあり、余裕のないのが今の仕事の現状です。普段良く使われるタルキや根太といったものも束単位で買わずに「何本」といった単位で材木を持っていく大工が増えました。根太なども出入口などは303ピッチの真ん中に今1本入れておけば床鳴りも防げるし、丈夫だと思うのですが、今は決りきった所にだけ入れて手間も材料も節約するのが通常です。これだと大工が仕事をする意味が無くなると思うのですが、「予算が無い」という言葉には勝てません。

材料が本単位になって、さらに価格を引き下げて欲しい、と言われることも増えました。あるいは「お宅だとこの値段なのね」と言われ、来なくなったお客さんもいます。
材料のランクを引き下げてお客さんを引き戻すか、このまま自分を貫くか試案のしどころになった気がしています。


2005/06/09(木) 晴れ


[ LICC ]
LICC


LICCのメールで山田事務所の山田稔先生から平成元年と平成16年での東京都における利用関係別住宅着工戸数の資料をいただきました。

「平成16年度の利用関係別住宅着工戸数は総数38,507戸に対して持ち家11,888戸、30.9%、貸家7,337戸、19.1%、分譲住宅19,238戸、50.0%である。また、平成元年度着工戸数に対して持ち家は22.6%減少、貸家は73.7%減少、分譲住宅は249.9%増加である。この利用関係別着工割合が木材・建材流通を変革させている。
持ち家、貸家を受注する工務店を顧客とした伝統的な木材・建材流通は縮小し、新しい分譲住宅の需要に対応した木材・建材流通を必要としている。」

そのまま引用させていただきました。

我が社を例にとってみても当てはまる事がいくつかあります。先ず売上げです。ここ十数年で半分になりました。その減った分は木材の売上げです。構造材、造作材を中心としたそれです。プレカットが主流となり、建材メーカーの作成した枠材を住宅に用いるようになったからです。前者では大工が材木屋の下小屋で刻むという事が無くなりましたし、後者では大工が材木屋の下小屋で削るということがなくなりました。

この流れに乗った方は、売上げを倍増したと思います。もちろん厳しい競争に勝利した方だけですが・・

次に、支えてくれた方々=大工さんの動向はどうなったのでしょうか。大手の下請けになった方も居られますが、我が社の場合、多くは町場に留まり、リフォームを中心とした仕事を引き受けてきました。当時還暦大工という言葉がありましたが、今では古稀大工となり、年齢層がそのまま上がってきています。これを材木屋さんの立場から見るとリフォームが中心ですから材木の売上げは伸びません。建具や水周り商品まで引き受けないと売上げを維持する事が出来なくなりました。

また、お施主さんから見た場合、大工さんよりもネームバリューのある会社を選び、住まいを建てています。大工だけでは設計から施工・保証といった総合力が足りないと判断されているからでしょう。土地から手当てする場合も不動産屋や分譲業者にお任せの方が手っ取り早い、手が掛からないということも見逃せません。

従来住まいを建てる方は、作る楽しみや見識をお持ちでしたが、誰でも住まいを建てる時代に入り、住まいの役割よりも見てくれや機能性が重視されていると思います。それをあおるような建材メーカーの宣伝も数多くあり、確かに「欲しい」と思わせるだけの魅力を持っている事も事実です。やはりここは住まいの持つ意味から、木材の持つ役割からはじめないといけないように思います。基本に立ち返ることしかないように思うこの頃です。

ともあれ材木屋から社員がいなくなりました。
材木屋の友人で社員のいるところは先ずプレカット工場を持っている所です。ここはこの十年で社員数が倍以上になっています。次に外国に工場を持っている所です。そして大工工務店をリードしながら建築工事業へ足を踏み出した所です。あるいは不動産業を併設しているところです。設計事務所を兼ねている所にも社員はいます。

我が社には実質的な社員はいません。この体制になって10年経ちます。よく10年持ちこたえたな、というのが実感です。朝5時から配達して、音を立てないように材料を降ろしたり、お昼の時間帯を活用して引き取りに行ったりしました。現場への材料の直送を多用して自分が行かなくて済む態勢も作りました。それでも需要がありました。
ここ半年でそのやり方も限界に来て、次の手を打つ必要に迫られています。十数年間を数字で表すとわかりやすいですね。






2005/06/08(水) 晴れ


[ もう一歩進める事 ]
もう一歩進める事


日刊木材新聞の櫛形山氏の論評を楽しみに読んでいます。
去る6月3日付の「時評」では「創客、探客実現の方法」と題して書いています。ある経営コンサルタントの言葉を引用しながら「魚のいる所に釣り糸をたらす事から、今後は魚を育てていく事が必要となろう」としています。お客を創り出したり、探し出したりと、悠長な事を言っているようですが、安くしたからといってたくさん売れる時代でもないし、一回は有効でも継続的となると疑問符が打たれます。
「同じ商品を同じ値段で売る」事を前提にした場合、頼りになる人から買おうというのは当り前だと思います。そういう材木店になって下さいという感じで読みました。

ところが、と言ってる私も先日失敗しました。カタログに載っていないので「多分無い」と自分が思っていた商品が現場へ配送されていました。わたしがみたカタログは2004年版。家に帰って2005年版を見ていたら、ありました。もう6月ですからね。今年のカタログも頭の中に入れておかないといけませんね。情けない話です。

それはともかく、材料を売るところから始まって、取り付けて完成させる所くらいまで材木屋も出来ないと「まずいな」と思う事がかなりあります。クボデラ(有)さんの「eー神棚」ではありませんが、施工まで出来ると材木屋の道も開けると思います。すぐれて「工務店的」ではありますが、(株)横田木材、(有)井上材木店、(株)双葉、萩内木材(株)のように工事部門に力を入れている所がこの道で生き残るノウハウを持っているように思います。

2005/06/07(火) 晴れ


[ 野球観戦 ]
野球観戦


6月5日、西武ドームへ野球観戦に行って来ました。タダ券を戴いたのです。自宅から西武ドームまでネットで調べると地下鉄の乗り継いで練馬から西武線に乗るのが一番安くてはやい事がわかりました。時間にして1時間半ほどで着きました。家を出たのが十時半、丁度十二時に着きました。午後一時からの試合だったので、この一時間を併設されている「恐竜展」に費やすことにしました。
中に入るとスクリーンでビデオが約4分と言われ、座席に座って待っていました。ビデオが始まり、恐竜が人類よりも遥か昔、約二億年前に地球に出現し、1億5千万年間栄えたことが紹介されました。人類の歴史が200万年くらいと考えてると恐竜のすごさがわかります。
さて、ビデオが終ると、スクリーンが上がり、その奥に舟が用意されていました。その船に乗って恐竜の時代への探検が始まりました。船に乗ってうす暗い川を移動するたびにいろんな恐竜が顔を覗かせます。親子連れが大半で子供達が次々と恐竜の名前を呼んでいきます。その声を聞きながら「子供の頃は何でも吸収できたのに・・」と思ってしまいました。一周すると出口です。が、もう一回乗りたいと目を輝かせている子供もいました。追加料金は300円です。

思わぬ勉強をしているうちに試合開始時間となり、あわただしく球場へ。今回の席は一番前と聞いていました。西武ドームは一番近い入口が「外野席側」という造りをしています。バックネット裏は一番遠い所にありました。が、歩いた甲斐はありました。広々としたボックスシートでゆったりと野球観戦出来ました。試合内容は投手戦。130キロ台の球と140キロ、150キロ台の音の違いを楽しんできました。久々の野球観戦。則ちゃんとは初めてでした。



2005/06/06(月) 晴れ


[ サイトを開いていると ]
サイトを開いていると



サイトを開いていると知らない方からのメールや電話があります。一時期少なかったのですが、此処の所増えてきています。
メールでは単価の問い合わせが多いのですが、相手先が住所、連絡先、代表者の名前などの情報を明らかにしていない場合はメールの返信はしないようにしています。

「ホームページを見たので」、と言われ会社まで問い合わせをしていただいた方にはなるべくいろんな話もするのですが、相手が会社の場合、取引条件が合わないことが多いですね。

さて、昨日は北海道からクレームの電話でした。受話器を取ると「屋上の防水の下に敷いたスタイロホームが溶けて困っている」「建築した業者は既に潰れているので、どうしたらよいのか」ということでした。
「スタイロホームが溶けることって、あるんでしょうか?」電話先で相手が話をします。私に出来そうなことは製造元に聞いてみていただけますか」という事ぐらいでした。受話器を持ちながらネットをつないで製造元である「ダウ加工株式会社」を出して札幌営業所の電話番号をお知らせしました。

その後どうなったかわかりませんが、色々な事があるものです。

2005/06/04(土) 曇り時々雨


[ 6月になりました。 ]
6月になりました。



6月になりました。
富山和子さん作成のカレンダーは「丸山千枚田」の風景に変わりました。熊野古道の奥深く、三重、奈良、和歌山の県境にある「丸山千枚田」は日本の棚田の代表的なものだそうです。この棚田も一度廃れましたが、住民が十数年をかけ、復活させたものだそうです。2240枚あった棚田が550に減り、それを1340枚まで戻したと書かれています。
「日本を代表するこの棚田の村は、高齢化でも日本一。これが日本の山村の実態である」と結ばれています。

日本は危うい国になっているのだと思います。

さて、昨日は代々木まで配達に行きました貸間の和室を洋室風にするという仕事です。こういう感じの仕事が一番需要があります。2DK+物置といった感じの部屋でゆったりと出来ています。直している部屋の隣の方によると「空けばすぐに決まったんですけど・・・」大工さん、「不動産屋さんがフロアーにしなければ、人が入らないよ、と言ったんで、二間直すんですよ」何でも今まで家賃は16万3千円だそうです。一坪一万円を切るくらいだから、それくらいがこの辺りの相場かもしれません。

家主さんもあまりおかけをかけないで床だけを直すつもりです。畳は「スタイロ畳」でコンクリの上に直置です。そのためコンクリから床の仕上がりまでの高さが余りありません。「万協」の一番高さのない脚を使い、何とか出入口と同じ高さで仕上げるべく「知恵」を絞っています。

久しぶりに4階建ての4階まで階段で担ぎ上げたら、肩や腕が痛くなりました。日頃の鍛え方が足りなさを感じています。



2005/06/03(金) 雨


( 2005/07 ← 2005/06 → 2005/05 )


[ 管理者:大野満生 ]


- CGI-Island -

Thanks to CGI-StaTion & 手作りCandy