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時々更新mn日記

( 2005/01 ← 2004/12 → 2004/11 )


[ 暮れてゆく日々 ]
暮れて行く日々


今日は雪が降りました。
今年の一月に引越しをしてから初めての雪です。
我が家の階段は滑りやすいので、気をつけて歩かないといけません。

今年一番の出来事は住まいを作ったことです。落ちついた生活を営んでおります。

その反対に残念だったのは3月に木村顧問が交通事故で亡くなられたことです。私を引き上げてくれた方の死はやりきれない悲しさがあります。この方が残した仕事は何だったのか、考え直してみないといけないと思います。

また、今年は友人との繋がりが深まった年でもありました。高校、大学時代からの友人との再会もあり、もちろん小学校のクラス会もありました。二軒隣の知り合いの方が「大野さん、同志社でしたよね」「こちらの方は同志社ラクビー部のOBのかたで・・・」などと道路で長話をしたこともありました。
「君も、ワンパースの口か・・」「今度漬物送るわ・・」「楽しいな・・・」
立て続けに飛び出す大阪弁に懐かしさを感じました。

人間を長くやっていると繋がりが出来ていきます。その繋がりを活かしながら新たな人との繋がりを作り出して生きたいと思います。

来年は、ふたりで旅行に行きたいと思っています。


2004/12/29(水) 雪


[ この一年を振り返って ]
一年を振り返って


今年一年を振り返る時期になりました。
あなたにはどんな一年でしたか。

仕事上では、細かな仕事が増えました。木造の新築住宅が一件もなかったことがそれを象徴しています。材料を支給されてしまう仕事が増えつつあります。現在代田であるメーカーが建てている住まいの不足材を運んでいます。1回行けば5万円以上になるので仕事としては捨てがたいものがありますが、達成感は低いものです。建材や住宅機器には定価があり、その何割かが工務店入りという「掛け率」の商売になっており、そこでは品番と数量を間違えなければ、決りきった金額がはじき出されてきます。
そういう部分が多くなったのが最近の仕事の特徴です。

屋根材いくら、風呂はいくら、サイディングはいくら、と迫っていくと木造住宅も材木屋で大工が手加工するよりも、「プレカット」して材木と加工賃を合わせて「いくらいくら」と金額が出たほうが楽だと思います。予算をオーバーすることは「間違いない」ので、どこを切り詰めていくかがいつも焦点になります。いちばん簡単なのが「大工の手間の省略」と「木材のグレードを落とす」ということになります。代田の現場について云えば、「土台は防腐土台。柱はスプルースの集成材。梁は赤松の集成材」でした。ホームエレベーターのついた60坪ほどの住まいですが、見えなくなってしまう所は余りお金をかけなくなりました。かけることが出来なくなったという方が正解かもしれません。(もちろん十年保証は十分なのですが。)

そんな中、久しぶりに良い話を聞きました。(株)横田木材と松井郁夫建築設計事務所が一緒になって建てている現在進行中の建物のことです。徳島県の葉枯らし材を用いた本格的な木造軸組みの建築物です。今月の初めに車を運転中に横田木材の2トン車が横切りました。「120ミリ×150ミリ」くらいの木材をトラックの屋根にかけて運んでいました。初めは桁材かと思っていましたが、仕口が違うので「あれっ?何かな」と疑問に思っていたら、「屋根垂木なんだ」と思いつきました。屋根にかけて運んでいたのは長さが4メートルを超えていたからです。通常用いる屋根垂木の大きさは45ミリ×60ミリくらいですから、垂木の大きさも6倍以上の大きさです。本体に使われた木材を想像してみてください。おととい横田木材の社長さんにお目にかかった所、「88坪の住宅で50立米の木材を使用した」と話されていました。

このような木材を多用した建築を行なえる所は限られていますが、「日本の木材を使う」「手業を継承する」そういう場を作り出していこうとする意欲に敬意を表したいと思います。

ところで私の所では、作り付けの棚を作る仕事が出来上がりました。木材が10万円、大工が14人工、かかってしまいました。発注者からは「高いものになった」「まからないか」といわれています。ちょっとした仕事でもすぐに大きな金額になってしまう所がこの仕事の悩みどころです。金額が大きいと融通が利きますが、細かな仕事は仕事の割に手間がかかってしまいます。そういう仕事を受けてくれる工務店も少なくなるのは当り前かもしれません。

ともあれ、今年も暮れようとしています。皆さんお元気で。風邪などひかぬように留意して新しい年をお迎えください。


2004/12/27(月) 晴れ


[ 月報委員会の忘年会へ行く ]
月報委員会の忘年会へ行く。


月報委員会の忘年会が17日に開かれました。
この所、価格の変動が少なく、委員会も落ち着いています。そのこともあって参加者も減りがちです。今回の忘年会も日頃の委員の方々を慰労しようと中華料理屋で忘年会を開催していただきましたが、通常の開催+木材会館で食事でも良かった気がしています。

今材木屋もかなり落ち込んでおります。それを回復するためには木材だけでなく、住宅に足を踏み入れ、住まい全体を視野に入れた商売を展開していかなければなりません。今30代の若い方が二級建築士や施工管理士を取り、宅建の免許や住環境コーディネ―ターの資格を確保しながら、進んでいるのを見ていると現在の月報委員会も「木材や建材」の価格だけでなく、住まいを多角的に見ていく企画を打ち出した方が良いと思います。

周りを見渡しても
「プレカット工場の経営」
「日本の木を使った軸組み工法の提案」
「リフォーム工事会社経営」
「カーテン工事経営」
などノウハウを沢山持った仲間がいます。これを活用しない手はないと思います。



2004/12/18(土) 晴れ


[ 年一度は ]
年一度は


年一度は照明器具の電球を替えたり、グローランプを点検したりしている。そんな折、蛍光灯が一箇所点滅しだした。すぐになじみの「服部電気商会」に買いに行く。
「一個900円だけど、二個セットならお徳ですよ」と奥さんの声。
2個セットだと920円というのでそちらにした。

それにしても1個と2個で「20円」しか違わない不思議さ。流通はどうなっているのだろうか。

2004/12/14(火) 晴れ


[ 風邪 ]
風邪

忙しさが重なったせいか、体調を崩し、先ずは風邪をひいた。早速かかりつけのお医者さんである「クリニカル南台」にかかり、熱冷ましと注射でその場を凌いだ。夜布団を蹴らないように則ちゃんに工夫してもらい、一杯汗をかいた。シャツを三枚、パジャマを二枚汗びっしょりにし、新しいものに着替えをして寝た。夜中が明け方目を覚ますと胸のあたりがかなり濡れていた。ここでふんばって着替えを済ませれば良かったけれど、眠気が勝って朝まで過ごす。定刻に目を覚ますとおなかが冷たくなっていた。トイレに行ったら下した。

この日は6年3組のミニクラス会がある。忍野八海から御坂の峠の茶屋に寄り、富士山を見てから清里の山荘に泊る予定。

それが「ちょっと辛いかな」と思ったので、朝の仕事の途中で則ちゃんに電話をして「ヘルプ・ミー」
クラスの皆に遅れていくことを連絡してもらい、わが身は休憩&今日も「クリニカル南台」へ。ここの細谷先生は入り婿さんで僻地での経験があり、一人一人に丁寧な診察で知られている。従っていつも混んでいる。
ここで腹薬を貰い、いざ清里へ。出発は午後二時。中央道は空いている。そらは一面青。薬のお陰で楽になったせいか、気持ちも明るい。長坂で高速を降りて清里高原道路を走る。右手に富士山。今年は暖かくて山頂の雪が解けたそうだ。黄色い橋の袂の駐車場で車を止め、外気に触れる。気温5度。寒い。が、夕映えの景色は山の稜線を映し出す。清里の景色は上高地などに比べると雄大で広がりを感じる。身体が冷えないうちに宿へと向かう。

宿にはすでに仲間が待っていた。夕食前に1杯飲み始め、盛り上がる。私は夕食後から一人部屋に引きこもり寝ていました。みんな夜遅くまでご活躍。




翌日、勝沼の「ぶどうの丘」に寄り、談合坂で解散。また来年会おう。

もう一年経ってしまった。




2004/12/13(月) 晴れ


[ 師走 ]
師走


早いものでもう12月。今朝は朝から肌寒く、私もくたびれ気味で、しかも風邪気味。月、火、水とこの3日間は異常な忙しさに追われ、食事も立ち食いの世界でした。それが今日になると「パタッと止み」、電話もかかってきません。

改造の仕事や急ぎの仕事ばかりでした。火曜日には一人が、水曜日にはふたりが、さらに木曜日にはひとりが同じ台詞を言ってきました。
「今年の仕事はこれでお仕舞」

10月半ばから閑になり、やっと仕事が始まったかと思いきや、「もう上がり」という人も出てきています。毎日何もしないままに一日が過ぎていくようです。とにかくあわただしくなりました。やはり師走ですね。


2004/12/09(木) 晴れ


[ 十四日会忘年会 ]
十四日会忘年会


去る12月4日は十四日会の忘年会でした。今回は中野新橋にある「皇華飯店」(03−3383−0556)で行なわれました。ここの中華はやや高めですが、美味しい所です。この十年間に3回ほど利用していますが、同じメニューが出てこないところです。今回の予算は一人一万円。通常の例会をお休みにして溜めた会費を使います。ひとつの円卓に13人が顔を揃え、輪になっての会食です。「香港以来だね」というと「香港というとワンさんを思い出してしまう」とIさん。香港のバスガイドさんに「怖いおばさんがいたのです。」

さて、この会合の中で来年の3月に研修旅行が決まりました。三重県にある「ウッドピア21」を見学先に予定しています。どのくらい見学できるかわかりませんが、何を見てきたいのか、少し勉強してみます。



2004/12/05(日) 台風


[ 「唐ヶ原」 ]
唐ヶ原



茅ケ崎と大磯の中間にある信号機には「唐が原」と書かれてありました。この場所のすぐ近くに5年程前に新築現場があり、5ヶ月ほど通いました。

先日「旅の記憶を留める会」の初会合で大磯にお住まいのIさんとお話していたら、「唐ヶ原」のことを思い出し、お住まいは、
「とうがわら」の西の方ですか」とお聞きした所、「きょとん」とされました。

しばらくたって「もろこしがはら」ですか
と、言われました。

「唐」は「もろこし」でした。
書記を読んでいると盛んに「もろこし」が出てきます。
近くに「秦野」もありますし、渡来人が数多く住み着いたところです。ちなみに「秦野」は「はだの」とにごるそうです。



2004/12/04(土) 曇り時々雨


[ 東京木材市場 ]
東京木材市場



新木場にある東京木材市場に行ってきました。ここは新木場駅の近くにあります。が私は初めてここにきました。この市場の中には我が社と取引のある(株)ヤマコさんがいます。そこの田原さんが市場内を案内してくれました。「ヤマコ」さんとは二十年くらいの付き合いになると思います。米栂材や赤松材を仕入れていましたが、ここ数年取引額がガクンと下がっていた所です。三ヶ月ほど前に久しぶりに取引させいただきました。その際、「吉野材も始めたから、見に来てよ」といわれたのがきっかけで、ここに寄りました。

(株)ヤマコの取扱商品は米栂、赤松、集成材、スプルース、平柾の建具材、それに先ほど紹介した吉野材です。杉の桁材は値段が合わないのであまり使ってもらえませんが、柱には単価を少し余計に出しても使ってもらえるとのこと。60年生の杉柱材が数多く在庫してありました。目が摘んでいて九州あたりのそれとは比較にならないくらい良いものです。「つくば緑友会」の提言の中にもありましたが、木材の価値のひとつは樹齢です。どれだけ長い間生きてきたか、です。

さて、吉野桧の柱も数多く在庫してあります。3メーターもの3300ミリあるものや4メートルものもありました。貯木場と下の方の木では値段の開きがかなりあること。お施主さんか大工さんに柱を見ていただくと、貯木場の柱を撰ぶことが多いこと。節のある無しではない。「木」が違う。木自体が違います。吉野は大阪で消費するために人工的に作られた木材の産地ですが、数百年を経てうっとりするような木材を生産しています。吉野材を使うのであれば、しっかりした商品にした方が満足感が高いと思います。

ヤマコさんではヒノキの縁甲板の数多く在庫しており、木表の無節のフローリングや木裏仕分けのフローリングなど、忘れかけていた木材の奥深さを、奥行きを感じて帰ってきました。時々目の保養をしないといざという時失敗します。

行ってよかったです。思いがけない成果のある一日でした。皆様も本物を見る努力を怠らないようにして下さい。



2004/12/03(金) 晴れ


[ 「蔵人」に行く ]
「蔵人」に行く



先日箱根で橋本哲さんから、銀座にいい店があると聞いたので早速行ってみることにしました。月に一度通っている「ゆあ」の帰り道に寄ることに。「ゆあ」からは目と鼻の先銀座三越の反対側のビルの3階が、そのお店「蔵人KURAUDO」です。ビル名はサッポロ銀座ビル。ビジネスビル風の中に入って3階に上がるとあります。橋本さんと女将さんが知り間という話を聞いていたので「橋本さんの紹介で・・・」と話すと「女将さんは今日は生憎お休みです」といわれましたが、料理を頼んだ後、一品サービスしてくれました。

豆腐、馬刺し、地鳥、九州野菜など洒落た作り方や出し方をします。美味しかったですよ。ビールはもちろんサッポロです。





2004/12/01(水) 晴れ


( 2005/01 ← 2004/12 → 2004/11 )


[ 管理者:大野満生 ]


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