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時々更新mn日記

( 2004/12 ← 2004/11 → 2004/10 )


[ 白川建設のサイト完成 ]
白川建設(株)のサイト完成



中野区弥生町3丁目バス停前にある「白川建設株式会社」のサイトが完成しました。今年の新年会で白川社長の公約のひとつに「サイトを開く」というのがありました。その約束を果たされました。「快適で、長持ちする住まい」をモットーに地元で活躍する建築会社です。昨年春から白川智久社長の長男である剛史さんが入社され、ますます活気ついている会社です。有能な大工さんを抱えていますので、お薦めできる会社です。

サイトの内容は「会社紹介」「新築工事」「リフォーム」「家つくりに思うこと」及びリンク集です。「家つくりに思うこと」ではこのサイトを作られている白川剛史さんの若い感性が光ります。「IHヒーター」「ビューティルリ―バリアフリー」「ミストサウナ」など多彩な話が載せられています。

これから沢山更新されていくと思いますので、乞う御期待。
こちらから



2004/11/29(月) 晴れ


[ 悪い話 ]
悪い話


先日、ある大工さんと話をしていたら、700万円引っ掛かって裁判を起こしている最中だという話が出た。でかい金額で自分がもしそうなったら仕事を続けていく意欲もなくなってしまうと思った。またある材木屋さんと話をしていたら、お金を溜めたままの悪徳業者が中野新橋近辺にもいることがわかった。中野新橋にいる「I」や東京土建中野支部のそこそこの役員である「N工務店」。またその仲間で一時行方不明だった「Y」なども最近見かけた人がいるとのことであった。

材木屋さんと大工さんの関係は人と人との繋がりであり、古きよき日本の伝統を踏まえた関係である。誰の元で修業してきた人だから「信用が置ける」とか、腕が良いから育ててみようだとか、氏や素性がわかっていてそれを前提にして取引している場合が多い。裏を返せば、「契約書」などは存在しない。口約束の世界である。これが一番安全なはずだが、そういう時代も過ぎていくのか。

また、ブラックリストを作らなければいけない時がきたようだ。東京土建なども身内の不始末を解決しないで大手の不払いを訴えても信用のおける組織とはならないのではないか。そんな気がしている。



2004/11/27(土) 晴れ


[ お孫さんに ]
お孫さんに



八王子で改造の仕事があります。木材代金で20万円くらいだと思いますが、22日に一度配達してきました。中味は土台、梁、柱、間柱、垂木などです。24日になって再び連絡が入りました。「柱の長さが足りない」と。
通常柱は3メートルもので間に合いますが、このお宅は1階の階高が高く、3300ミリ必要だということでした。結局柱と間柱を3650ミリのものに交換したのですが、よく調べてから仕事をしないといけませんね。先入観を持って仕事をしていると碌なことになりません。

ところでこのお宅は十年程前に大手が建てた3階建ての豪邸で建坪120坪余り。総工費が5億円。1階の車庫だけでも8メートル×11メートルのワンスパンでした。(それでも柱は現状で杉の105角でした)

現在二世帯住宅ですが、今回はお孫さんがくるということでいくつか改造を始めました。改造に伴ってゴミとして捨てるものも多く、そのひとつクリスマス用のイルミネーションを大工さんがくれました。
「お孫さんに持っていったら」

そういわれれば、そういう年になりました。身体のケアには人一倍金を使いますし、目も上がりました。でも気持ちは若いです。


2004/11/25(木) 晴れ


[ 箱根路は ]
箱根路は



橋本哲さんが始めた同人誌「旅想」に投稿し、また同人となった方々の初会合が11月20日、21日と箱根の太陽山荘で行なわれました。ふたりで参加してきました。箱根は5年前にふたりで訪れた場所であり、その後も来ています。紅葉シーズン真っ盛りということも手伝い、渋滞しましたが、なんとか集合時間に間に合うように着く事が出来ました。
今回集られたのは11人。89歳の女性から53歳の私まで、平均年齢69歳でワイワイガヤガヤ。話し好きの人から、話しはちょっと、書く方が得意、という方まで取り混ぜて楽しいひと時でした。帰宅後に「旅想」を読み返すと「うむ、なるほど」ということがあり、顔と名前と文章、さらに感じ方や考え方に納得したりしています。
来年は富山方面で行うことが決まり、季節の食べ物を食したいと思っています。それまでにまた文章を書かなくては・・・


挨拶に立つ橋本哲さん




2004/11/23(火) 晴れ


[ 月報委員会11月 ]
月報委員会11月



11月18日は月報委員会でした。雨の中を多くの方が集ってきます。今月は市況に変動が少なく、コンパネ類が一部下がっただけで、あとは据え置きとなりました。弁当を食べた後、標準小売価格表の単価の割率について話されました。
現在、標準価格表に載せている価格はかなりレベルの高い商品を前提にしています。決め方は、

仕入れ価格×一定割合=標準小売価格表
  ↓
仕入れ価格はセンター価格を基本にして出しています。
センター価格は木材も建材も小口で出している値段を前提としているので、この価格表の使われ方は、以下のような評価を受けています。留守番の方に値段がわかるように、単価を設定しているので実際に取引される価格とは、一部違います。これを工務店が施主向けに使ってはどうかとか、実際にお施主様用に使っている方もいて、総じて限りなく「エンドユ―ザー価格」に近いものになっています。

 現在の私ども材木屋の仕事も木造新築住宅がほとんど無く、中心は住宅やアパートのリフォームです。新築住宅はプレカット工場で加工されたものを現場に届けるようになりました。我々が材料を仕入れ、店に置き、それから現場に配達することが少なくなりました。木材の在庫が減りました。
 また、建材類もホームセンターが台頭してきて、そこが充実することによって、コンパネ、ラーチ合板、波板、接着剤などが今までよりも安い金額でエンドユーザーが入手できます。単価だけで対抗することは困難になりつつあります。ホームセンターの材料と我々のそれに違いがあるのならば、それを明らかにし、同じ物であれば、単価を下げる努力も必要でしょう。
 何よりも「材木屋独自」の商品を数多く作り出さなければ行けません。新東京木材の木材問屋である「新里木材」では、杉の床板材や羽目板材を数多く在庫しています。こういうものは張るのに手間もかかりますし、技術も必要です。値段もクロスなどより高いですが、張りあがって毎日生活する中で飽きはこないし、色の変化も楽しめます。塗装しなければ香りも楽しめます。そういう商品が数多く存在することをお知らせすることが大事だと考えています。
 
 話が脱線してしまいましたが、私の個人的な意見としては「標準小売価格表」の単価は各お店に属するもので、各お店で価格表が作れるように指導していくのがよいと思います。その際、資料となるものを提供していくのがこの委員会で仕事の1つだと思います。ですから、現在の価格表に載せている600品目に留まらず、センターや建材課の在庫品全ての仕入れ価格がわかると「オリジナルな価格表」も作りやすいと思っています。

 さらに話は飛びますが、18日に機会があれば話そうと思っていたことがあります。それは池袋住建センターに絡むことです。中野住建センターの雰囲気が「明」なのに対して池袋住建センターのそれは暗いのです。それが気になります。先日建材課の職員の方が営業に見えて、「コンパネ買って下さいよ」とお願いされました。今私の所では、「F☆☆☆のJAS」と「坂政のロング」を在庫品として置いていますが、仕入れの値段を教えると「それでは建材課の出る幕はありません」と答えられました。私のところのような小さな会社で買える価格よりも遥かに高くては売上は伸びないでしょう。
また最近仲間内で話をすると「建材課」の話が良く出てきます。良い話ではありませんが、紹介すると先ず見積が遅いです。次に配送がさらに遅いのです。私が今「午前中に建材課の在庫品を頼むとしましょう」私の店に入ってくるのは翌日の午後4時です。道が混んでいれば5時半くらいになります。他の区の方にまだ聞いていませんが、中野区ではこうなっています。何か時代に逆行していると思います。電話で発注すると「明日でよろしいでしょうか」という返事が一番初めに来るのは納得のいかない所です。「急ぎのものは取りに来い」ということでしょうか。
「在庫品」だから、その日に来るなどと甘い考えは捨てないと行けないのでしょうか。もう一台トラックを増やすなり、営業マン(ウーマン)を増やすなりして対処して欲しいですね。新東京木材の組合員が存在する地域は南北に長いので「今ひとつ」拠点を設けるのも手かもしれません。


2004/11/19(金) 雨


[ 釘袋 ]
釘袋



「釘袋は要りませんか」
年に一度おやじの代から取引のあるタオル屋さんから電話が掛かってきます。今年も今日電話をいただいて、「もう、一年が経つのか」と時の流れの速さを感じています。数年前までは、釘袋と道具袋を作って、12月に大工さんに配っていました。100とか120とか云う数量を作ると何年ももつようになり、今年は配ることもやめてしまおうと思っています。需要の少ないので「いわれたら」、残っているものを出そうかと思っています。時代は変わりつつあります。




2004/11/16(火) 曇り


[ 「いろは歌の暗号文」 ]
「いろは歌」の暗号文
久保田克巳
文芸社
1500円+税



「いろは歌」については以前から興味があり、読んだり書いたりしてきました。が、この本は今まで読んだものと結論的なところが違います。また、その違いが「こちらの方が良い」と思わせるだけの力を持っています。もう少し読み易く書かれているといいのですが。
さて、本題。

いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむういのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす


以呂波耳本反止
千利奴流乎和加
余多連曾津禰那
良牟有為乃於久
耶万計不己衣天
阿佐伎喩女彌之
恵比毛勢須


上記は承暦3年(1079年)の奥書のある「金光明最勝王経音義」の巻頭に掲げられた誦文で「いろは歌」の現存する最古のものとされています。この「いろは歌」よりやや古い時期に成立したのではないかと言われているものに「あめつちそ」があります。それは、


春  あめ つち ほし そら 天 地 星 空

夏  やま かは みね たに 山 川 峰 谷

秋  くも きり むろ こけ 雲 霧 室 苔

冬  ひと いぬ うへ すゑ 人 犬 上 末

思  ゆわ さる おふ せよ 硫黄 猿 生育せよ 
 
恋  えの えを なれ ゐて 榎の枝を慣れ居て        

(漢字の部分は大矢透さんの訳文です。)

こちらも48文字を一文字づつ使い1つの文章になっています。「あめつちほしそら・・・ひといぬうへすゑ」までは意味が通っていますが、「ゆわさる おふせよ えのえをなれゐて」に部分が良くわかりません。この部分の解釈がこの本では従来と大きく違います。「ゆわさるおふせよ」は「云わざる 仰せよ」「えのえをなれゐて」は「えの字ですよ そこを振り出しになぞってください」と解釈されます。それでは「どのえの字をなぞればいいかといえば」それは「いろは歌」の中のえの字だというのです。

「あめつち」と「いろはうた」の関係は上記の「あめつち」のうたの「ち」の字を縦に読んでいき、「は」の字を取ると「ちりぬるを」となり、両者には一体感が感じられます。そこで「いろはうた」の「え」の字を最初の字として7音ずつ区切っていくとあるメッセージが浮ぶというのが著者の見解です。さらにこの二つの歌を作った人物として「井上内親王」をあてています。

「井上内親王」は8世紀の半ばの人で光仁天皇の皇后ですが、晩年皇后を廃され、幽閉先でなくなったとされています。著者はその方が「咎なくて死す」「「云わざる 仰せよ」「えの字をなぞって下さい」「答えが出てきますよ」と訴えているというのです。「井上内親王」の墓所やその地から南にある「宇井」という地名(ういのおくやま けふこえて)の発見。さらに「宇井」のすぐ近くにある「閉君」という意味深な地名。このあたりが一番面白い所です。井上内親王は聖武天皇の娘で、系図によれば天武天皇のひ孫。光仁天皇は天智天皇の孫にあたります。天武と天智天皇は系図によれば兄弟ですが、最近の研究ではともに朝鮮半島の「王」だった可能性が高いとされています。しかも兄弟ではない。天武系の最後が井上内親王と光仁天皇の子供である「他戸親王」。この方は771年に光仁天皇の皇太子になりましたが、772年に廃太子となり、幽閉されます。これで天武系の力が落ち、光仁の子供で次の天皇になる桓武は母親が百済系ということもあり、彼以降の天皇は純粋な天智系となります。天智、天武の時代から桓武天皇に至る150年間は激動の時代です。古代史は面白いです。





2004/11/14(日) 曇り


[ 片付け ]
片付け


11月も半ばになりました。昨年の今ごろは自宅つくりに追われていましたが、今年は雑用ばかりです。さらに秋口に入ってから仕事の量が減ってきました。配達や引取りなどに使う時間が少なくなり、昼間、時間を持て余すようになっています。そこで少し早いのですが、下小屋を片付けようと考えています。毎年使えなくなった材料やもう使わなくなった材料をマキにしていますが、今年はいま少し大胆に整理しようと思います。杉の縦羽目材の半端なものやヒノキの簀材、サイディングの余りや建材メーカーの廃番のものなど、もう使うこともないでしょう。
25年以上もこの商売に携わっていると移り変わりを感じます。土台は防注か桧で、柱は栂か桧でした。垂木が36x45で、野地板と外部の下地材は杉の9ミリ厚か12ミリ厚の板でした。それが今では垂木は46x60になり、屋根と外部はベニヤ板を使っています。私の会社の下小屋でも材木は極端に少なくなりました。
使用価値がなくなって価値の無くなってしまった材木ですが、まだ燃料としても使えます。廃棄するにも気を使わなくてすみます。もったいない気もしますが、土地を有効に使わなければいけない時期になりました。すこし片付けることにしました。


2004/11/13(土) 晴れ


[ 芸の真髄は ]
芸の真髄は


先日、林家こぶ平がテレビに出ていました。日本テレビ系列の「波瀾万丈」だったかと思います。こぶ平の父親は林家三平、祖父は林家正蔵。落語家です。正蔵は名人と謳われ、三平は新作落語家でもあり、テレビに良く出た芸人さんです。昭和の爆笑王といわれましたが、54歳で亡くなりました。
その三平がいまはの際に長男であるこぶ平を呼んで「これから芸の真髄を教える、良く聞きなさい」といって答えた言葉が
「芸の真髄は、明るく、元気に、一生懸命」

きっとそういうものなのですね。私もかくありたいです。




2004/11/12(金) 晴れ


[ 第2班の旅行 ]
扉温泉の旅


11月の6日、7日には新東京木材中野支部第2班の旅行で信州は松本にある扉温泉に行って来ました。
6日の朝、8時丁度の「あずさ5号」に乗り、先ずは松本市内観光から始めました。参加メンバーが7名だったこともあり、9人乗りの観光タクシーを使い蔵のある街・中町通りで降ろしていただき、街並みを見ながら、大橋通りまで。女鳥羽川を渡って「ナワテ通り」を経てもとの場所にもどってきました。「ナワテ通り」は小さなお店が狭い道の両側に所狭しと並んでおり、ふた昔前の私の年齢にとっては懐かしい商店街であり、ここを歩けたのが収穫でした。といってもこの商店街もかなり廃れてきており、中央に位置する映画館は最近閉館。これは松本の街全体に言える事ですが、活気が薄れているのを感じました。

続いては昼飯。今回は「木曽屋」で会食。田楽定食はボリュームはありましたが、それだけに飽きる味。それに引き換えおつまみで取った「馬刺し」と「鯉の煮付け」は絶品。こちらをメインにして田楽を減らせば良かったかな、とこれは後知恵。ゆっくり食事を済ませた後は「松本城」へ。穏やかな天気に映える紅葉。山辺の色付きもお堀端の色付きも天守閣から望めば、一味違います。帰り際に落ち葉を拾ってお城を後にしました。続いて「開智学校」へ。外壁を修理していたのでざっと見て、宿へ向かいました。

今夜泊る明神館は、癒しの宿として近年有名になった所です。雑誌などでも数多く紹介されるようになって、この日も満員。仲居さんの館内案内も堂に入っていてそれに従い、先ずはお風呂へ。大浴場に始まり、立ち湯、寝湯そして部屋の中にある露天風呂へ。翌朝も川沿いの混浴露天風呂に。ここは狭く、ぬるく、あまりお薦めしません。おいしい料理を夕食、夜食、朝食といただき、すっかり肥ってしましました。

さて、7日の日は、昨日と同じ観光タクシーで「安曇野廻り」です。大王わさび園、等々力家、穂高神社をへて昼飯場所である「常念」へ。この蕎麦屋さんは田舎の真ん中にぽつんと1軒あるところで、混んでいました。天ざると、きのこにわさび漬けを頼みました。大分待たされるかな、と思っていたのですが、案外早く飲物や食べ物が出てきて、助かりました。蕎麦もうまく、また来て見たい所です。

駅に戻って、「あずさ26号」にて無事新宿駅まで着きました。2班の皆様、2日間お疲れさまでした。そういえば、明神館のお風呂の脱衣室の床板にはカラマツや桐が使われていました。特にダークセピア色に塗られた桐材の床板の暖かさを思い出しました。


埋め橋からの松本城。


宿の入口にて全員集合。


常念の入口は「双対道祖神」がお迎え。手を握ったバージョンです。



2004/11/08(月) 晴れ


[ 今年も菊が ]
今年も菊が

今年も菊が咲きました。
丹精こめて水遣りを行なった結果です。






2004/11/04(木) 晴れ


[ カレンダー ]
カレンダー


先日宅配便でカレンダーが届きました。送り主に心当たりがなかったのでしばらく開封せずにいましたが、よく見たら「日本の米カレンダー謹呈」と書かれていたので取り出してみました。中には評論家で環境問題の専門家である富山和子さんが作っている「日本の米カレンダー(水田は文化と環境を守る)が入っていました。私のHPを見て「富山和子さんから送るように指示された」との添え書きがありました。多分以前このホームページ上で富山和子さんの著書である「環境問題とは何か」を紹介した部分が、どこかの検索エンジンに引っ掛かって知れる所となったのでしょう。人のつながりは面白いものです。

さて、このカレンダーは、「日本の美しい山河を守るため。農林漁業を守るためのキャンペーンです」と書かれています。富山さんはまだ水田が見向きもされない時代に危機感からカレンダーの製作を思い立ち、今年で16年目になるそうです。たくさんのファンの方に支えられて、小学校の教材として使われたり、外国の方へ日本を紹介するお土産に使われたりしているそうです。

「それでも、農山村の実情は厳しく、日本の原風景もどんどん姿を消し、国土は衰退の一途をたどっています。カレンダーの役割はいよいよ重く、何よりも私たちの水や食料を守らなければなりません一人でも多くの読者が増えてくださるように、お力を貸しください」と結ばれています。

美しい日本を残す運動をカレンダーで表現しようという発想に敬意を表します。興味をお持ちの方は是非購入してください。こちらから。

私はこの中の写真では春を待つ棚田のやさしい風景が気に入りました。

表紙はこんな感じ



2004/11/02(火) 晴れ


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[ 管理者:大野満生 ]


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