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時々更新mn日記

( 2004/09 ← 2004/08 → 2004/07 )


[ 8月は決算月 ]
8月は決算月


8月は決算月です。いまの所、前年よりも売上げはありますが、利益率が少し落ちています。また、売れるものが限られてきました。木材で売れていくものは相変わらず下地材が中心で、値段の高いものが売れていきません。一ヶ月仕事をして請求書を作る段になって計算してみると思ったほどでないのがつらい所です。8月は、木材は売れていきましたが、建材類が少なかったですね。住宅機器は全くありませんでした。暑い最中、木材を担ぎながら汗を流しましたので身体の健康には良かったかもしれません。5月からはじめた減量作戦も7月25日を境にして少しずつ上向いてしまいました。「AB4」というサイズのスーツが着られたのは一瞬でした。現在リバウンド中ですが、風邪も引かずにここまでこられたので、「ヨシ」としなければなりません。

さて、今幡ケ谷で行なっている改造の仕事が内部の解体が終了して、間取りの変更、ユニットバスの設置、1階2階に根太が入りました。住まいが少しずつ出来上がっていくのを見ていくのは楽しいものです。

今日で8月も終わりますが、とにかく8月も忙しい月でした。墓参りに始まって、夏休み、軽井沢でのテニス合宿に地域の夏祭り。その間に仕事をしてその暑かった日々。よく動いていると感心しています。



2004/08/31(火) 晴れ


[ 口座閉鎖 ]


最近、ある建材問屋さんから「口座閉鎖」を言い渡されました。買上の少ない所をカットして「メイン」のお客さんだけを相手に効率よく仕事をしていこうという、かなりわかりやすいやり方をとるために、大喜さんはカットです。少し抵抗して買上を増やそうかと思いましたが、持続して買上を維持できないと思いますので、「したければしたら」と考えることにしました。

実際、いまの私の立場に置き換えてみて、メインとして「大喜」を支えてくれている人が安定的に買上をしてくれれば、お客さんを増やすことより、その顧客を大事にしたほうがよいと思います。深いつながりも出来るし、思い切った仕事が出来そうです。ところがそういうお客さんがかなり減って、しかも仕事も減っているのでそこまで思い切れません。まして仕事はどこに転がっているのかわかりません。今月の売上げの半分以上はブリキ屋さんの仕事が二つに合い見積もりで獲得した設計屋さんの仕事です。この相見積もりの仕事は平面図1枚で「材木代いくらくらいになる?」と聞かれて大雑把「これくらい」と答え、「全体で1700万円くらいかかりそう」「2000万円あれば、楽だと思う」と答えていたら、決まってしまった仕事で我が社としては大変ありがたい仕事です。期待していなかっただけに・・・

ただこれらの問題点は、実際に仕事をしてくれる職人さんとの繋がりがないことです。大工さんは仕事をするだけ、材木屋さんは請負師から電話をもらって配達するだけ。使用する部材の打ち合わせもなく、言われてから用意するものも多く、自分のほうから言えば効率が悪いのです。大工さんが仕事を取れなくなってから、こういうことは日常になりました。
ともあれ、仕事はいただきました。誰が仕事を持って来てくれるのか、わかりませんので我が社としては口座閉鎖は考えないようにしています。




2004/08/30(月) 晴れ


[ 団塊の世代 ]
団塊の世代




1947年から49年に生まれた世代を俗に「団塊の世代」といいます。第二次世界大戦で敗北して日本に戻ってきた人たちが「父」となったために人口が多いのが特徴です。私はこの世代のすぐ後に生まれました。
あおりを食らったのは大学受験の時くらいで、後はこの世代を見ながら、育ちました。

小学校から中学にかけて遊んでもらった「小林君」。彼には囲碁や将棋を教わりました。大学生の時の高久さんからは、自由民権運動を教えてもらいました。いずれも大きな存在として頭の中に染み付いています。

最近、この世代の方が亡くなりました。仕事中に脳溢血でした。友人の事故死や病死は経験していますが、彼の突然の死はショックです。自分に残された時間の短さを感じます。人生を所々で纏めていく必要を感じてしまいました。

「ついにゆく 道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは 思わざりしを」



2004/08/26(木) 晴れ


[ WW ]
WW



WW(ホワイトウッド)は商品名で、樹種名ではないと日本木材総合情報センターの岡野健氏は書いています。オウシュウトウヒなり、ユリノキをさす場合が多いと書いてありましたが、私なりの理解では、スウェーデン、フィンランドやドイツなどのパイン系の木材で柔らかく、加工しやすいものだと思っています。腐りやすい木ですが、人工乾燥して下地材として使うには、使い勝手の良い木だと思うようになってきました。

このところ大工さんから「ホワイトウッドで」といわれることが増え、在庫が増えだしました。その分、杉が追いやられています。桧はもっと少なくなりました。以前は「いつ、どこに何を使う」ことが売る人と買う人の間で。わかっており、桧材を根太に使う場合でしたら、その直前にワンプレーナーかけて「歩を揃える」のが通常でしたが、今の仕事は「すぐ使えるもので狂いのないもの」が好まれ、使うほうの人もそれを前提にして材木屋に買いに来ています。

もちろん、ホワイトウッドも木ですから曲がりますし、ねじれます。その割合が杉や桧よりも少ないというだけですが、それでも使いやすい方に流れます。ホワイトウッドは集成柱や間柱材が主な製品ですが、この分野ではまだ当分この材料が好まれると思います。


2004/08/25(水) 晴れ


[ 島ゼミ第五期生 ]
島ゼミ5期生



去る8月21日、島ゼミ第5期生の集まりが島先生の自宅で行われました。先生は一昨年から体調を壊し、自宅療養しておりましたが、この4月から大学にも週1回のゼミを続けておられます。
私は行けませんでしたが、同期の星野君からメールをいただき、その模様をスラードショーにして伝えていただきました。全く便利な世の中になったものです。

第5期生は学園紛争華やかりし頃の1970年から73年までの期間に「島ゼミ」に席を置いたものです。学校封鎖でゼミが流れたりしてまともに授業を受けた記憶が余りありません。そのせいあり、私たちの回生だけ集合写真がないのです。島先生はとてもマメな方で、体を壊される前まで、ゼミ生卒業生一人一人に年賀状を書き、4年一度「寒梅会」を開いて現役及び卒業したゼミ生との交流を率先して続けてこられました。人と人とのつながりの大切さを教えていただきました。それは現在の35期生まで続いているとのことです。

島先生とはいまから6年前に島ゼミ「寒梅会」でお会いしてから、そのお顔を拝見することはなかったのですが、今回のメールでお姿を拝見しました。正直言ってかなりお年を取られたと感じました。現在66歳だと思いますが、この6年間でかなりイメージが変わっています。もっとも私には36歳の時の先生がこびりついていますから・・・

もっと驚かされたのは、同期生の姿です。30年も会わないとすっかり別人です。6年会わなくてもかなり変化しています。自分も変化しているのだろうけど、同期生を見るとその変化は顕著です。今回は7人だったそうですが、来年には次の同期会を持とうという話になったとのこと。もっと多い人数で集りましょう。いまから皆に楽しみにしています。


中央の島先生を囲んだ同期生



2004/08/23(月) 曇り


[ 集成材 ]
集成材

ここ十年で集成材を使うことが増えています。その理由の一つに規格のサイズがあります。長さが4200ミリ、厚みが25ミリないし30ミリ、幅が500ミリだからです。厚みが25ミリあるので、窓枠にもドア枠にも使うことが出来ます。長さが4200ミリあるので半分にしても2100ミリあり、ドアの縦枠に使っても無駄がでません。幅が500ミリあるので120ミリ仕上がりの幅のものが4枚取れて裁きやすいサイズに出来ています。幅があるので持ち辛い点はありますが、初めに企画した人の頭の良さを感じます。

私にはまだ無垢志向があり、集成材に対してまだ距離をおきたい気持ちもありますが、現実に「木」を使うという所に気持ちを絞ると集成材は使いやすく出来ていると思います。この夏休みに行った上高地と乗鞍温泉の旅館の内装材にはメルクシパイン材が使われていました。改造及び増築した場所の部分ですが、上高地では25ミリ厚のメルクシパイン材がドア枠とカーテンボックスに使われていました。カウンターには35ミリ厚のやはりパインの集成材でした。
乗鞍温泉の「ケヤキ山荘」はその名の通り骨組みはケヤキ材です。新潟県糸魚川市から移築した民家を基本にして作られていました。が、部屋の中をリフォームしたのでしょうか。トイレの枠材は30ミリ厚のメルクシパイン材でした。
ともあれ、使いやすい材料として集成材が選ばれているようです。

なお、このケヤキ山荘のお湯は白濁しており、とてもいい湯でした。天気が悪く山の景色は見えませんでしたが、古代桧で作られた露天風呂で一人のんびりとお湯に浸かれば日頃の疲れも取れるという感じです。私が今まで行った温泉の中では有馬温泉、下呂温泉などと並びかなりポイントが高いのでもう一度行きたいと思っています。

「ケヤキ山荘」0263−93−2555


2004/08/20(金) 晴れ


[ 半端になる材料 ]
半端になる材料



久しぶりに窓枠やドア枠材の加工があって大工さんが木取りして、削っています。10年程前までは材木屋の下小屋は構造材の「刻み」があり、建てまえが終わると造作材の加工によく来たものです。
最近はプレカット工場で上棟材は刻んできますし、造作材(ドア枠や窓枠など)も既製品を使うようになったので下小屋を使う頻度は減りました。ゴミや騒音に悩むことも少なくなりました。

さて、窓枠やドア枠材に「木」を使いたいというお客様はかなりいます。一昔前はラワン材が圧倒的に多かったのですが、最近では、米栂かスプルース材、まれにタモや桧を使うことがあります。使用場所は、窓枠、ドア枠、廻縁に幅木です。

窓枠から見ていきましょう。窓枠材は仕上がり厚が21ミリ前後、幅は70ミリから120ミリくらいのところがメインです。長さは910ミリ、1820ミリ、2730ミリくらいまでです。材料は3650ミリのものが多いので、切り回しをしてもらって使います。それでも1メートル前後の半端な材料が残ります。
ただ、ここでの問題は長さよりも厚みです。材料の厚みが24ミリですから、仕上がり21ミリにするためには3ミリしか余裕がありません。加工屋さんに出すと5ミリの余裕を言われますので加工屋さんを前提にすれば、材料は26ミリ以上に挽いたものを使わないと要求された厚みに仕上がりません。そこで大工さんが薄すぎないように加工することになります。
我が社でも15年程前までは27ミリか、28ミリ厚にラワンやスプルース材を挽いてもらっていました。当時は25ミリ仕上がりを言われることが多かったのでそれに対応するためです。
最近では無垢材を使うときは19ミリ仕上げでよいというお客さんもいますが、見栄えから行くと24ミリくらいほしいと私は思っています。仕上がりで24ミリくらいになる材料が欲しいです。

次にドア枠材ですが、厚みは25ミリか30ミリに仕上げることが多いです。幅は90ミリから150ミリくらいまでで、売れ筋は105ミリくらいでしょうか。ここで問題となるのは、長さです。ふた昔前までは、ドアの高さは1820ミリが多かったのですが、いまは2000ミリ。2メーターです。これに対応するためには2100ミリの材料が好まれます。3650ミリの長さのものでは、1本取るとあとが半端になり、使い道が少ないです。そこで長さ2100ミリないし、2400ミリの材料を置いておくことになります。この材はかなり重宝です。4M物と短い材料を組み合わせて使ってもらっています。4m物だけだと半端に残る材料が増えるのです。さらに幅木や廻縁は後付けのものが増え、段々と既製品を使うようになってきました。

無垢の材料を使うことは減っていますが、無垢の木には建材メーカーが作る既製品にない味があります。材料が半端にならないように大工さんと打ち合わせをし、実際に使うサイズを確認しましょう。仕上がり寸法に対して無駄の少ない材料を規格の一部にしていくことも材木屋の仕事だと感じています。


2004/08/19(木) 晴れ


[ 上高地 ]
上高地



夏休みは上高地で1泊、乗鞍温泉で一泊しました。
上高地は水が清んでいて空気の美味しい所です。8月15日の一時過ぎに上高地のバスターミナルに着き、宿泊先である「西糸屋山荘」に荷物をおいて先ずは散策。
河童橋の河原に下りて水の冷たさを確認。その水の流れの清らかさを目と耳で楽しみながら、南下していきました。梓川に沿ってウエリントン碑、田代橋、田代池、大正池と歩きました。砂利道が多かったのですが、所々に「木道」があり、ここは足の裏にも優しく歩きやすかったです。木の優位性を感じながら歩きました。
田代橋から田代池付近は上高地の山々を背景に写真の取れるポイントがあり、お薦めできます。大正池は静寂の中にあり、河童橋付近のにぎやかなイメージに対して、おとなしいイメージです。何か淋しい所だと感じてきました。大正池からは上高地行きのバスに乗り、1日目を終了しました。

二日目は朝早く起きることもなく、のんびり朝食を済ませてから、明神池を目指して歩き始めました。梓川の東側のルートを取りました。こちらの方が山も見えるし、歩きやすいという宿の方のアドバイスもあってそちらを選びました。行きは上り、帰りは下りですが、実際に歩いてみてこちらの方が正解だと思います。奥穂高神社へお参り、明神池を拝観して河童橋まで戻ってきました。上高地は1泊2日くらいが丁度良い所だと思います。


清んだ水の流れ


静寂に包まれた大正池


上高地の山々



河童橋を望む

2004/08/18(水) 晴れ


[ 改造仕事 ]
改造仕事



築30年ほどの木造二階建て住宅を改造する仕事が始まりました。1階はアパートに、2階にオーナーが住むということです。
先ずは解体。
壊してみると基礎は外周だけ、屋根タルキは30X40、野地板は耳付き板、モルタル壁下地も同じでかなり簡単に作られていました。和室にはヒノキの柱を使い、見えるところは上手く作ってありました。
この住まいは30年程前の作りで、私もこの仕事に入った頃を思い出します。当時はまだ木材が高く、手間が安い時代でしたし、住まいを建てるといっても予算に応じていくらでもバリエーションがありました。木材に使うお金で調整を取っていたのです。

さて、解体してしまうととりあえず柱や梁の補強からはじめないと下がってしまいそうです。そこで当初予定していた数量では足りず、大幅に柱や梁の数が増えました。
「ここも梁を受けていた方がいい」
などといわれ、その度に追加の注文をいただいております。
夏休みに入る直前だけにここ一週間良く働きました。木材をたくさん担ぎました。
久しぶりに、材木屋さんになった気分です。



2004/08/12(木) 晴れ


[ ナイスフェア ]
ナイスフェア


8月7日の土曜日、仕事を早く切り上げ、「ナイスわくわくフェア」へ行ってきました。場所は東京ビッグサイトです。今回も一般のお施主さんも見学、参加でき、会場では入口からすぐの所には「ぴったしチョイス」という企画がありました。システムキッチン、ユニットバス、洗面化粧台、リビングドア、トイレ、外装材のメーカーが一覧でき、その中から気に入ったメーカーを選ぶシステムになっていました。金額の張るものを集めた企画は流石です。

ナイスの展示会の今ひとつの特徴は無垢の木材を数多く展示していることです。日本三大美林コーナー、大黒柱コーナーや全国産地材コーナーなどがありました。都会の材木屋では扱うことが少なくなった太角やケヤキなどを見ることが出来、木材市場と一味違った無垢材のすばらしさを目で確かめてきました。
また、自宅の床に使った「株式会社マルナカ」の圧密フロアーも展示されており、則ちゃんに「これが自宅の床材だよ」と説明してきました。

あまり長い時間見ることが出来ませんでしたが、新商品の情報も少し仕入れ実りのあるひと時でした。水上バスで浅草へ抜け、浅草寺をお参りして帰路につきました。


「国産桧4寸角の家」の三栄ハウスのブース





2004/08/08(日) 晴れ


[ 暑い夏 ]
暑い夏


蝶番の間の金具を大工さんが無くしてしまい、取り寄せたり、部品のネジが入っていなくて担当者とやり取りするなど、夏休みを前にしてイライラすることが多い、この頃です。それでなくてもこの暑さは尋常ではありません。観測史上「もっとも暑かった6、7月」とのことですから、致し方ありません。今年は長島さんの脳梗塞や雅子さんの「適応障害」など予測しなかったことが数多く起こります。ごく普通の同じ人間だったと改めて感じています。マスコミの過剰な報道は「そっとしておく」という配慮を日本人は失ってしまったの様に思えます。

さて、父が81才になり、そのお祝いに新宿の「ねぼけ」で則子の母と4人で会食しました。「鰹のたたきが食べたい」という要望にこたえるためです。ここには年に一回来ています。思い返せば毎年ですね。7月31日土曜日でした。

よく8月1日には母方の墓参りに一人で出かけました。義母を連れて連れて行く訳にもいかず、久しぶりに一人で運転です。行きは15キロ、帰りは25キロの渋滞でしたが、渋滞なれしていますのでどういう事はありません。

大石寺でお墓参りして、「北山」「白糸」「シタテヤ」「上野」と親戚回りしてきました。どこへ行っても「則子さんは?」と聞かれ、「今日はお母さんが見えているのでひとりです」と答えながら、話をしてきました。新盆あり、三回忌あり、親の介護の実話や現状などこの年になって「為になる話」ばかりを仕入れて帰ってきました。子供の頃遊んだ川や青々とした田んぼを見、蝉の声を木陰で聞いていると「静岡も富士宮もいいところだなあ」と思えてきて「うらも、のんびりしたゃー」という感じ。ナビに頼って帰り道を設定した所、いままで通った事のない道を使えて、いい感じ。

「谷村」でそばを食べると大月から渋滞。午後八時を回る頃には左前方から真ん丸お月さんが昇ってきて、荘厳な感じ。相模湖では花火が上がるのが見えて、思わず窓を開け、「どーん」という音も楽しみながら、渋滞の中央道を乗り切ってきました。

かなり前に見積った仕事が決まりましたが、先週あたりの話は決まって来ません。新しい見積りも明後日位までに出さないといけないし、これを終えないと夏休みが来ません。何となくせわしくなった8月です。


「ねぼけ」にて



大石寺墓苑から見た富士山


2004/08/03(火) 晴れ


( 2004/09 ← 2004/08 → 2004/07 )


[ 管理者:大野満生 ]


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