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時々更新mn日記

( 2004/06 ← 2004/05 → 2004/04 )


[ CDを聞く ]
CDを聞く


職場でCDを聞いているというと少し違和感があるかもしれません。今パソコンの中に入っているものは石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、吉田拓郎、森進一、舟木一夫、西郷輝彦、渡哲也、鶴田浩二、美空ひばり、高峰三枝子、伊東ゆかり、加藤登紀子、クレージーキャッツなどです。それをアトランダムに聞いています。427曲収録してあるので、朝の10時ごろから掛けっぱなしにしても一日のうちでは同じ曲に出くわしません。それでも半年も経つと自然と好みが出てきます。CDを持っていること自体、その歌手なりが好きなのですが、もっと絞った「BEST版」が欲しくなりました。そこで編集して聞きたいものだけを気分別にいくつか作ってみました。「BEST」とか「この頃」とか「希望」とか名付けて聞いていますがいくつか同じ曲が入ってしまいます。

「グングン節」「唐獅子牡丹」「それはないでしょ」「黒い海峡」「俺は待ってるぜ」などですが、それらとともに「哀愁日記」がとても気に入っています。美空ひばりが歌っているのですが、歌詞カードがありません。また、ひばりのオリジナル曲でもないのです。そこで「日本流行歌史」を取り出し調べた所、初代コロンビアローズの歌だとわかりましたが、歌詞カードは見つかりません。インターネットで調べましたが、同様でした。そこで昔取った方法で、つまり耳から聞いて手書きで写してみました。それが以下のものです。

「哀愁日記」

山の一夜のゆきずりの
愛の言葉を忘れかね
涙ぐむ 清い優しい瞳の君を
呼べば都の夕日が赤い

雨の降る日は 窓の外
風の吹く夜は 星の空
あの人はいつもどこかでわたしを見てる
涙ぐむように いとしむように

弱い乙女の行く道は
いつも砂漠の一人旅
幸せは見えぬ小鳥か 消え行く虹か
愛の泉の沸く街 恋し

何の事はない歌詞なのですが、美空ひばりの歌が上手いのか、聞いていると気持ち良くなってくるのです。二番の
「あの人はいつもどこかで わたしをみてる
涙ぐむように いとしむように」

という所がいいですね。
この歌を聞いていると落ち着くのです。こうして仕事場でリラックスしています。
私は歌が好きなのですね。
そういえば先日、森田ヤヱ子さんが亡くなりましたね。「がんばろう」も歌いました。




2004/05/31(月) 曇り時々雨


[ 市場に行かなくなった ]
市場(いちば)に行かなくなった




私がこの仕事に入った昭和50年代です。材木屋は大工に材料を卸す仕事が主でした。大工が得意とする住まいつくりは木造軸組み工法と呼ばれるもので柱と梁で構成され、木材の特徴を活かし、安価で融通の利く住まいつくりでした。その中でも和室を中心とする真壁つくりの住まいが多くありました。柱が見える住まいつくりです。従ってどの部屋にどの柱を持ってくるのか、節は無い方が良いのか、少しあったほうが見栄えがするのか、一部屋見渡して9本なら9本の柱をバランス良く配置するためにその材料を探し出してくるのが材木屋の仕事でした。桧の三方無節や四方無節の柱を使うなら吉野材。無節・上小節から特一等までの部屋であれば、尾鷲材を買い求めました。尾鷲材の土井商店や小島商店の品物は色見も良く、60年生以上の木が数多く市場に入荷していました。土台は九州か四国の西もの。梁は東北の地松でした。全国各地から入荷する材料のうちから、その住まいにふさわしい材料を仲買である材木屋が選べるシステムとして「市売・市場」は機能していました。また、大工さんのほうも屋根タルキ、根太、大引、野地板、筋違などの大きさや樹種はその人なりのこだわり方法で行ってきました。大工さんはお施主さん直の仕事を取ってきて材木屋の下小屋で刻み、建前ともなるとそれを材木屋が運び、材木だけでなく、新建材類も材木屋経由で買っていただいていました。木材と建材を足すと総工費の25%くらいになりました。

大工さんが下小屋で構造材を刻み、造作材を加工していましたが、刻みは手加工から電動工具へさらにプレカットへと機械化され、加工も手で仕上げるやり方から、超仕上のできる機械へと変化してきました。手による労働よりも生産性の上がる機械化が主流となってきました。
おりしも住宅メーカーの台頭はこれに拍車をかけています。キッチン、バス。トイレ、間取りの規格化。真壁つくりから大壁つくりへの移行。これによって構造材が見えなくなりました。このことは木材を見て買うといういままでの材木屋のやり方を根本から変えるものになりました。
さらにサッシメーカーの台頭は窓周りの材料の規格化を促し、床材やドア枠材も同色で纏めるという建材の規格化が一般的になりました。このためドア枠材に使われた木材はそれ自体が良材が少なくなったという理由もあって極端に使用が減りました。ラワン材、タモ材、栂材、スプルス材などです。
続いて「建売り住宅」のつくり方は総2階(総3階)建てとなり、外部の形状がフラットになり、そこに針葉樹合板が貼られサイディングなどが仕上材とされるとこれはもう木造軸組みというより木造枠組みといった表現の方が適切になったかと思えるようです。

新世代木造住宅供給システムや住宅コストの低減、品確法やホルムアルデヒドなどの規制など行政の側からの強い要望が住宅の姿をどんどん変えていきます。「50年60年持つ住まいつくりから10年と1日何事もない住宅へ」世の中の流れは動いています。プレカット加工の際の集成材の使用。床も壁も天井も開口部も既製品に覆われ、木材は見えないところにしか使われなくなりました。

先日ご紹介した「木材見本木箱」を作られたウッドライクマツムラの社長である松村さんはそれを作成した動機に関して「ここまで木材がないがしろにされるようになると将来のためにも残しておくべきだと感じた」と述べています。
木材は見えるところに使って手で触れ、目で色合いを見、鼻で香りをかいでこそ価値あるものになると思います。

市場に最近行かなくなりました。見て買うものが少ないからです。売れていくものは電話で買えるものばかりになりました。
これは良いことではない。
市場でしか買えないものを買い、自分の目で確かめてしか売れないものを売っていく努力をしないと自分自身が駄目になっていくような気がしています。北朝鮮に拉致された横田めぐみさんのご両親である横田滋・早紀江さんの行動を見ているとそんな気がしてくるのです。26年間粘り強いですね。





2004/05/26(水) 晴れ


[ 疲れを取るには ]
疲れを取るには


疲れを取るには、温泉にかぎります。
5月23日は久しぶりに予定のない日曜日。ゆっくり起きて、散髪に行き、すっきりしたところで則ちゃんとドライブ。といっても遠く行こうというのではありません。あくまでも近所です。実は行ってみたい温泉がありました。高井戸温泉「美しの湯」です。

ここは甲州街道から環状八号線に入り井の頭線高井戸駅を過ぎた左側にあります。スーパーオオゼキの横から駐車場へ上っていくと環八の喧騒はなく、静かな空間が訪れます。そこが美しの湯です。
休日料金一人1200円を払って中に入りました。大浴場にサウナ、露天風呂にリラックスバスがあります。私はのんびり疲れを取るために先ずは寝湯。背中、腰、太股と水の力でマッサージ。一段落して露天風呂で頭を冷やしてから再び今度はボディージェットにチャレンジ。立ったまま腰や背中をマッサージ。極めつけはお尻。お尻の筋肉にジェットを当て幸せ気分。勢いの良い水は痛いくらいですが、身体を前後左右に動かして調整しながら浸ること10分。すっかり茹だってしまいました。水を身体にかけ、お風呂は終了です。

風呂上りに水を飲み、天突き体操を10回ほどすると、汗が一気に出ました。ゆっくり着替えてから軽食コーナーに向かいました。同じ階にリラクゼーションルームがあり、座り心地の良い椅子に腰掛け30分ほど仮眠を取りました。目を覚ますととなりに則ちゃんがいるではありませんか。
「あまり気持ちよさそうだったからおこさなかった」とのこと。
ぐっすり寝ていました。

続いて同じフロアーにある「足底マッサージ」30分のコースを受けてみることに。ふくらはぎと足の裏を若い女の方に押してもらい、「腰に疲れがたまっていますね」と。何ヶ所か痛いところもありましたが、30分経つと足が軽くなったようで、たまっていた疲れを取り終えてここを後にしました。



2004/05/24(月) 晴れ


[ 木道楽展2004 ]
つくば緑友会木道楽展2004



今年もつくば緑友会が主催する木道楽展が「つくばセンター前広場」において開かれます。6月6日の午前9時半から午後4時半までです。
茨城県山材で作った日用品をはじめ、地元の大工さんたちと作る「木工教室」や「木材店が薦める部屋」の展示と解説、などがメインですが、今年は昨年よりも参加団体が増えて、全部で24団体になりました。
中心となっているつくば緑友会が十数社の集まりですから、協賛する団体が増えて輪が広がっているのがわかります。
今年も天気だと良いですね。





2004/05/22(土) 晴れ


[ 月報委員会5月 ]
月報委員会5月



5月18日には新東京木材の月報委員会が開かれました。今月は問屋さんをお招きしての会合の予定でしたが、講師の方の都合でキャンセルになりました。そこで通常の委員会だけになりました。
価格評定においては木材では栂材や米松材が強含み。ベニヤ類ではコンパネや野地合板が少しずつ高くなっています。

休憩をはさんで、9月18日に行われる「月報委員会主催市」において今年も「お宝市」を開催するのか、するとしたらどんなやり方にするのかが話し合われました。今年で五回目を向かえる訳ですが、「お宝」といえる材料が揃わなく、また揃っても特定の方だけで市が行われ、なかなか広がりを見せなくなっています。そこで、今回は出展する数量を限定する、入札方式を導入するなど時間を限って盛り上げようとする意見が出されました。来月から本格的に話されますが、今年の「お宝市」は少し変化しそうです。



2004/05/19(水) 晴れ


[ 木材見本木箱 ]
「木材見本木箱」


今月の「WOODS」には、練馬木材商組合の50周年を記念して「木材見本木箱」が作られたことが報じられていました。
たて32センチ、横47センチ、奥行き26センチ、重量17kg、ラーチ合板で外部が作られ、両面開きで68種類の木材見本が納められています。

この見本箱の目的はズバリ施主に「もっと木材の選択権を与えること」です。キッチンやユニットバス、タイルやクロスには多くの見本やショールームがあり、「選ぶ楽しみ」がありますが、木材の場合、よほど施主か設計士の方にこだわりがなければ、木材を選択するという行為はありません。現在の住まいの作り方からすると隠れてしまうところが多いのもその原因の一つだと思います。

そこでこうした木材の見本の現物をお施主の前に差し出して「構造材としてはこれだけの種類がありますよ」「内装用木材には個性豊かな表情を持っています」などと説明して、そのことによって自由に選択していただく、そういう使い方ができるのではないかとかかれています。

この見本木箱には68種類の木材見本が入っていますが、その中味は、
単板見本帳
構造材12種
下地材8種
造作材18種
屋外材6種
集成材8種
和室造作材11種
加工材5種

です。


木箱の全容


中味の構成その1


中味の構成その2

樹種に関する説明書をつけるともっと一般の方にわかりやすくなりますね。


2004/05/18(火) 曇り


[ 軽井沢でテニスを ]
軽井沢でテニスを

5月15日と16日は新東京テニス同好会の初めての合宿で軽井沢へ行きました。参加者は11名。3月7日の時と同じメンバーでした。
曇り空の東京を朝発って、お昼には横田、小川夫妻、鳥井に大野の5人が軽井沢の星野温泉で合流し、「村民食堂」で食事。その後、今回の目的地である千が滝温泉において早速テニスを始めました。

私はその前に軽井沢の別の場所にいる則ちゃんを迎えに追分まで一走り。何とか時間に間に合って午後2時から5時までみっちりテニス。6ゲーム先取のゲーム方式だったので一試合をこなすのにかなり疲れました。そのため、後半は足の動きが普段より一段と止まっていました。

千が滝温泉に浸かり、美味しい食事の後は、街までタクシーで出て反省会。それにしても河野さんや阿部さんは上手い。なかなかその域にはいけませんが、いま少し脚が動くといいのですけど。
それでもテニスを始めて3年。初めの頃から見ると格段の進歩だと自分では思っています。





2004/05/17(月) 晴れ


[ 久しぶりに ]
久しぶりに



則ちゃんが軽井沢で合宿中のため、一人で忙しく動いていました。
本日の昼間にはホームセンターに買い物。ステンレスのビスや道具箱を買い求め、ついでにベニヤの仕入をしてきました。丁度探していたものがあったので衝動買いです。レジのオバちゃんは3X6サイズのものは「コンパネ」としか把握できなくて、結局「コンパネ」として買ってきました。
時間に余裕があったので少し品物や単価などを見てきました。職人が買いに来る店として充実度は高くなっています。金物や大工道具に始まり、2X4の木材や建材のコーナーは数年前にこの店が出来た時に比べてどんどん「進化」しています。ホームセンターの値段を参考にして我々が消費者に値段付けをする日も近いかと思います。
コニシのボンドやタキロンの波板、などは安いですね。手摺材も種類が充実していてドライバー一つで取り付けられるようになっています。養生用のシートやテープも安価で、積層材のカウンター材なども種類も豊富でカウンターの足も選べるようになっているのでお客さんが喜ぶことでしょう。コンパネは品質は今ひとつですが、値段は手ごろです。吉野石膏のジプトンが安いですね。主婦らしいおばさんが自転車に2坪と半端を自転車に乗せて行きました。重そうでしたが、自分で台所の天井を張り替えるのでしょうか。ジプトンのバラだしも脅威です。

さてそんなこんなで昼休みは瞬く間に過ぎ、本来の仕事に戻りました。今日は第3金曜日。明日は問屋さんが休みすので月曜の朝までに必要なものは入荷が終了しているのか、先ずは確認です。どうやら大丈夫だと感じたとき、下小屋に加工に大工さんが来て不足材が出てしまいました。新東京木材の中野市場まで急いで引き取りをして、明日に備えました。実は明日は朝9時までしか営業しません。私も軽井沢へ合宿に行く予定になっているからです。
明日は朝店を開け、一件配達を済ませたら、そのまま出発を予定しています。今日も仕事を終えてから新宿まで出掛けてきました。父の電気カミソリの刃を買うのと自分のズボンを買うためです。一人で新宿まで出かけるのは久しぶり。目に映るものは時の流れです。同じ場所にきているのに店が変わっていて、今まで見慣れた景色と違和感を覚えました。買い物を済ませると、昔良く通った「万世」で食事。ハンバーグに和食セットをつけたのですが、ライスはなぜかお皿の上に。ごはん茶碗でなく、お皿に1本化したのでしょうか。最後まで納得できない一日でした。

それはさておき、明日は楽しんできます。



2004/05/14(金) 晴れ時々曇り


[ テニスを週二回に ]
テニスを週二回に


この4月からテニスを週二回にしようと考え実行に移しています。仕事や雨天で中止の時もありますが、出来るだけ行って見たいのです。ただその分疲れがたまりやすくなっています。行く寸前が一番悩み所です。それでも意を決して行くと楽しみが生まれます。

私はラケットを握ると中村(萬屋)錦之助の言葉を思い出します。確か20年位前に11PMに出た時だったかと思いますが、剣道の話になって竹刀は面を打つように真っ直ぐに構えられるようにならないと一人前ではない、といった話をぐでんぐでんに酔っ払って話していたのです。何でもリハーサルの時に本番と同じペースで飲みながら話をしていたので、いざ本番の時にはただの酔っ払いおじさんになり、同じことを繰り返して話していました。そのことがいつも頭に浮びます。

この人が東映で活躍した期間は約10年です。
私が記憶に残っているのは「笛吹童子」「宮本武蔵一乗寺の決闘」や一心太助、水戸黄門の助さんなどです。「関の弥太っぺ」や「瞼の母」などは印象が薄いです。映画をみた時の私の年齢が影響していると思います。東映の最後の頃に出た「日本侠客伝」は高倉健の主演でしたが、錦之助はすぐに殺されてしまう役でした。
その後錦之助は「子連れ狼」や「破れ笠刀舟」「長崎犯科帳」などのテレビで活躍し、再び東映映画に出ます。退社してから12年後に「柳生一族の陰謀」を太秦の撮影所でとったとき、「若が帰ってきた」「お帰んなさい」とみんなが迎えてくれたと書いています。(「芸能生活50年を語る 萬屋錦之介」非売品)さらに「ああ、この作品は出来たな」と思えたとも。
気持ちが一つになれというのは嬉しいものです。住まいつくりもこういきたいものです。

さて、前を向いて力を抜いて構え、ラケットの重さを利用して全身運動するテニスを目指していますが、実際には力が入りすぎて手打ちです。疲れてくると足がよけいに止まります。脚を鍛えない、と感じています。
「真っ直ぐに前を向く」
「激流に生きる男」の槙竜太郎のように自分を前へ前へと押し出して生きていく必要が出ているのかも知れません。そうなるとイラク問題や年金未納問題に関してひとこと言わないとまずいでしょうか後者に関して私も未加入期間がかなりあります。もっとも政治家でないので問題はないでしょうが・・・




2004/05/13(木) 曇り


[ 配達は材木屋の二軒隣り ]
配達は材木屋の二軒隣り


今朝来たFAXの地図を見て「ありゃ、まただ」と思った。
先月の20日、26日と配達に行った先が材木屋の二軒隣り。世田谷と新宿だった。今度は久我山。
以前との違いはお客さんがくれたFAXの地図に現場のマンションとともに二軒隣りが「材木屋」と示されていることぐらいか。
材木屋がまだまだたくさんあるという印なのか。あんまり近くに材木屋があるのも配達するのに気が引ける。でも仕事だから一儲けするか。
マンションリフォームだから荷揚げもあり、追加の細かな材料もある。そばの材木屋に頼めると楽ですね。


2004/05/10(月) 雨


[ 野辺山でテニス ]
野辺山でテニス



去る5月の2日に東京を発ち、甲府にいる則子の友人宅に途中立ち寄り、その後尾白川渓谷を目指しました。雑誌で吊り橋があるというのを見て私が興味を示したのでここを訪れることにしたのです。

そこには「駒ケ岳神社から徒歩3分」と書かれてあったので、早速ナビで調べ向かいました。山の中腹にある駒ケ岳神社に着き、駒ケ岳の登山道に歩いてゆきましたが、吊橋らしきものは見つからず、今度は反対方向に足を進めてみましたが、同じ結果です。とりあえず駒ケ岳神社にお参りして、そこで出会った方にお聞きした所、駒ケ岳神社は今ひとつあり、そこなら吊橋があるとのことでした。だいたいの場所を聞きそこへ向かうことにしました。

そこは尾白川渓谷の一角にあり、キャンプ場が併設されている場所でした。ここの駒ケ岳神社は竹宇駒ケ岳神社。前者を横手駒ケ岳神社というそうです。この二つはもともと駒ケ岳神社の前宮として造られた所だと言うのですが、明治10年代から両前宮が互いに表登山口を主張して対立した、とのことです。(HPからの後知恵)

間違っていった所は鬱蒼とした森の中の神社という風情がありましたが、こちらはその意味では俗化され、開けています。竹宇駒ケ岳神社の駐車場に車をおき、山道を幾分下ること3分。左手にキャンプ場、前に尾白川、右手に神社が見えてきました。本殿は2002年火事で焼失し、そのため、基礎だけが残っていました。本殿跡を過ぎると左手の川沿いに吊橋が・・・長さ30メートル、高さ5メートルくらいはあろうかという代物。早速渡り、また川にも降りてみました。水は冷たくきれいです。このあたりの水は上流部の花崗岩層を経たもので名水百選にも選ばれており、サントリーの白州工場やシャトレーゼにも使われています。

さて、本来ならば渓谷を登っていくのですが、その元気も無く、ここを後にすると今夜の宿に向かいました。そこは年に一度は訪れるようにしているペンションいろりです。ゴールデンウイークなので流石に混んでいましたが、同宿の大阪の方は他にどこも空いていなかったので「助かった」といっていました。特別なサービスも料理も無いのですが、それで不満はありません。豪華な食事も残すだけの歳になりました。

翌3日。雲行きの怪しい空を眺めながら清里の森の駐車場へと車を進めました。清里の森の住人の方が主催するテニス大会に参加するためです。年に1、2回ほど大会を開いているそうですが、縁あって初参加です。本日のテニスコートは清里から北へ5キロ行ったところにある野辺山テニスコートです。霧に包まれた清里の森から移動するに従って天候は回復し、試合を開始するにつれてお日様も顔を出すようになってきました。参加者は28名。男子ダブルス、女子ダブルス、混合ダブルスにそれぞれ一人の方が3試合ずつ参加するように試合が組まれていて、私も男子ダブルス2試合。混合1試合参加して0勝3敗でした。

バック側を守っていて相手の前衛の右横をストレートに抜いた一本が快心の当たりで思わず「やった」と心の中で叫びましたが、その相手からは同様の返り討ちを3本あいました。実力の差は歴然としたものがありましたが、風の強い一日でしたが、気持ち良く走っていい汗をかきました。夢中で過ごした4時間でした。夕方お風呂の中で顔を眺めたら鼻が真っ赤。4日に帰宅し、6日には鼻、おでこ、頬と皮がむけました。人柄が一皮向けたのだといいのですが・・・・



尾白川の吊橋で



清里はおなじみの清泉寮。行く度にソフトクリームを売る場所が広がり、建物が増築されています。



2004/05/06(木) 曇り


[ 月報委員会 ]
月報委員会




私が月報委員になったのは今から約3年前のことです。
初めに感じたのは単価の決め方です。かなり値段の付け方にばらつきがありました。そこで一定の利益率を決めて仕入価格と小売価格が連動するようにして見ました。仕入れ価格は新東京木材の場合、直営のセンターの仕入れ価格を基準にしています。これが上がれば「標準小売価格」も上がり、下がれば下がるという風に変動に合わせて数値が変わります。この数字を元にして委員会で審議をすれば審議に要する時間が短縮されると思っています。その余った時間を有効に使うことが大事ではないかと思っています。ここ2年をとってみても細田木材工業(株)の社長である細田安治さんの講演やウッドライクマツムラの社長である松村茂さんのホームページに関するお話もありました。また、木材問屋の比較的若い人として新里木材の新里年伸さんや渡辺木材の石垣茂男さんのお話もありました。先月の委員会には出られなかったのですが、三國屋製材所の社長である渡辺哲行さんの講演も企画され実行されました。このようなことは年間に数回行っても良いと思います。
ところで、最近新東京木材を利用することが少なくなってきました。理由は明白です。木材はあまり売れないので当用買い。建材類は高いので敬遠気味ということです。
前に材商と比べても高いものが目立つと書きましたが、木材も建材も(特に建材類はそうですが)仕入れを洗いなおして組合員のニーズや要求にこたえないとジリ貧が加速されます。
仕入れを本格的に考え直さないとますます時代に遅れをとるように思います。



2004/05/01(土) 晴れ


( 2004/06 ← 2004/05 → 2004/04 )


[ 管理者:大野満生 ]


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