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時々更新mn日記

( 2004/04 ← 2004/03 → 2004/02 )


[ 朋遠方より来る ]
朋遠方より来る




同志社時代からの友人である平木君が仕事で上京してきた。彼は現在高松で高校の先生をしている。季節柄大学回りが仕事らしい。
さて3月28日午後5時に新宿の紀伊国屋書店にて待ち合わせをした。私の結婚式に参加して以来の上京だというから4年ぶりになる。「東京は人が多いなあ」私も新宿の人込みは久しぶりなので、めまいがしそう。せっかく紀伊国屋書店で待ちあわせをしたので、しばらく本屋で本あさりをすることにした。私はこのところ石川啄木の歌か、織田信長を巡る書物に興味を示していて、この日も買いたい、探したい本があった。先日藤田達生氏の「謎とき本能寺の変」を読んだので、今度は立花京子氏の「信長と十字架」が欲しかった。探し当て買うことにした。

その次は食事。紀伊国屋書店の裏手にある「虎之介」で会食。値段は手ごろ。個室もどきもあって雰囲気もいい。今回は隣りが少し元気すぎだったが、平木君と私たち二人の三人だからまあいいか。今一人参加してもらおうと電話をしたら、上海へ出張中とのこと、そこで今回は則ちゃんが参加して三人となった。

近況に始まり、友人達の動向や家族のこと。そして自分達のこれから。話は行きつ戻りつしながら、のんびりとした時間。平木君の朴訥とした話し方は学生時代から変わっていない。翌日は彼の母校である早稲田大学に行く予定との事。高田馬場で降りて、30年近く前に下宿していたあたりに行ってみたいと話していた。友人と話をしていると昔の記憶が甦り、そのときの人や街並が目に浮んでくる。脳が持っている記憶に感心しながら過去と対話していた。

これに先立ちこの日は昼間に府中の大国魂神社で桜見物。則ちゃんが住んでいた府中の街も変化が激しいが、境内は別。しだれ桜が満開でした。







2004/03/29(月) 晴れ


[ 情報化委員会3月26日 ]
情報化委員会3月26日


以前、組合の「WOODS」という月報に以下のような寄稿をしました。字数に制限があり、舌足らずですが、先に掲げておきます。


私は情報化の委員会と月報委員会の二つの委員会に参加している。前者では主にホームページの更新内容に、後者では木材や建材の価格の評定に携っている。その関係から思いつくのはパソコンを活用したら、である。
例えば、センターや建材部門での在庫品の項目を一覧表にしてHP上の組合員専用コーナーに載せる。組合員がそこにアクセスすれば、何処に何があり、いくらなのかがわかる。そのうち価格の変動したものだけをピックアップすれば、月報委員会の資料となる。
今ひとつは組合員への営業支援である。すでにCADサービスやプレカット事業を組合では行っている。それを現在的にアレンジする必要があろう。それに加えHP上に各お店の紹介をしては如何か。現在50店舗ほどが参加されているが、これを増やしたい。ホームページを持つことは当り前になったからである。


3月26日新東京木材の情報化委員会が開かれました。今年度二度目になります。昨年9月に行われた委員会には参加できなかったので、私にとっては1年ぶりの参加となりました。来年度から現在の近藤副理事長から岡島常務に情報化の委員長が代わることがまず申し渡されました。これからは岡島氏を中心に進めていくことになります。なお、近藤副理事長も委員会には参加して委員の方の意見を聞いていただける旨の発言をしていただきましたので、心強い限りです。

さて、話題は、委員会のこれからということになるかと思いますが、皆さんの意見としては、組合員に対してどういうサービスを組合が展開していくのか、扱うものが「情報」であれば、時間との戦いが必要ではないかということが話されました。たとえば、毎月月報委員会が開かれ、その際組合の職員から木材や建材の現状や今月の観測などが話されますが、一ヶ月経つとそのときの話は「WOODS」に載りますが、それまでのタイムラグがもったいないのでは、ということです。今年の場合、木材も建材類も4月1日から値上げをする、という品目がかなりあります。3月18日に開かれた委員会でもその話は出ていますが、さりとてまだ値上がりもしていないものを予測して値上げするのも変ですし、値上げになってから組合員に報告するのはもっとおかしいではありませんか。それなら、リアルタイムで委員会での話をホームページ上に載せ、「値上がり品目がたくさんありますよ」ということを伝えたら、組合員への支援にもなるし、組合のホームページも見てもらえる・・・

また、最近「NTT」関連や「○○区のほうから来ました」など、いろんな電話が掛かってきますが、これに対しての対応の仕方や知恵を交換し合える場所があっても良いのではという話も出ました。

建材課がやっとパソコン伝票に変わった話が出ました。この先を考えると受発注や在庫確認などが思い浮かびますが、その第1段階として組合の建物の中に「パソコンコーナー」を作り、そこには最新のパソコンやソフトを入れておき、組合員が建材課の単価や在庫を見る事ができれば、(直営センターのものでも良い)組合員にとって利便性が高まるのではないかと話されました。一台をノート型にすれば、市日に見てもらうことが出来ます。

さらに組合がA2サイズのコピーサービスを格安でしているということがわかりました。その値段ならPR次第で輪を広げることが出来るのではと話されました。

総じて組合の今もっている「財産」をもう少し組合員に提示していく必要に迫られていると思います。組合の改革のスピードは超低速です。これを低速ないし普通にしていくために、もう少しやる気のある職員さんを育てることを薦めたいと思います。






2004/03/27(土) 晴れ


[ 木村惠一氏逝く ]
木村惠一氏逝く


3月21日木村氏が亡くなられました。71歳でした。

木村氏といえば、新東京昭和会の初代会長であり、7年前まで新東京木材の理事長として数々の改革に取り組んだ方であります。また早くから材木だけでなく、住宅を手がけた人であります。蛸壺に陥りがちな材木屋を「集団」として組織し、若い人の力を活用しようとした方でもありました。色々な会を組織し、人と人の繋がりを重視してきた方であります。私のイメージから言えば、「ミスター新東京」といっても過言ではないと思います。成功ばかりしてきたわけではありませんが、自分を絶えず前に前に押し出して、前に進むことで突破口を見つけ出ししてゆくタイプだったように感じています。

さて、私が木村さんと初めてお会いしたのは20年位前になるかと思いますが、新東京木材に「建材課」が出来、展示会を開催した時でした。気軽に声を掛けていただきました。共通の工務店さんがいた関係で私の事を知っていたようです。

その次は木村氏が新東京木材の理事長になり数々の委員会を作られました。その一つで今の情報化委員会の前身である「コンピューターソフトウエア開発委員会」の委員に推薦されたときです。一度はお断りしたのですが、「他の方はみんなOKしているから」ということで委員に名を連ねることになりました。お蔭で色々な経験や勉強をさせて貰いました。中野十四日会会長になった時だったのでチョイスされたのだと思います。

私はここで、仲間を知り、材木屋の友人が出来、コンピュータの勉強をさせていただきました。組合で開いたパソコン通信時に書き溜めたものが私の著書である「ここを跳べ」や「縦の世界」の元になっています。

理事長から顧問になられた頃、中野十四日会で木村さんのお話が聞きたいという話になり、担当幹事としてはじめて木村材木店を訪ねました。丁度神棚に供える榊をカットしている所でした。「大野さん、もうちょっと待ってね」といいながら、たたきに尻をつけ、自ら榊を結わっていた、慣れた手つきが忘れられません。

私が一番印象に残っているのは今から二年前、NHK広場で木材フェスティバルが開かれた時に、偶々一緒にペンキの実演を見たときのことです。若いお兄ちゃんが塗り方の実演してくれたのですが、何かの拍子にペンキが飛び、木村さんのスーツにかかったときでした。「帰ったら奥さんに怒られるだろうな」と私は感じていましたが、木村さんは微動だにせず、話を聞き終えました。「大丈夫、続けて」と態度で示していました。「ちゃんと話を聞く」姿は現役の理事長時代と変わりなく感動を与えるものでした。

それから、あまり話をする機会もなく、過ごしていましたが、今回の訃報に接し、言葉に言い尽くせない無念さを感じています。


最後に中野十四日会でお招きをし、話を聞かせていただいたときのレポートを再掲させていただきます。(「縦の世界」より。題名=十四日会9月例会です。)

十四日会9月例会(1997年9月2日)




昨夜は十四日会の会合だった。今回は木村顧問をお招きして、木村顧問が組合の中枢に関わった、この十年間のことについてお話を伺った。この十年はバブルの始まりから、その崩壊、収束の時期に当たり、その中で、組合は「恵比寿の土地」の都による買上げ(これが26億円ほどになった)によって、川崎にセンターを作り、735ビルを買い、池袋に立体駐車場や木造三階建てなどを建て、また池袋市場の改装など、「恵比寿のおかげでエビス顔」といえる状況を作り出した。この背景には組合のスタッフの活躍があった事も話された。この事によって、現在でも組合には余力があり、この余力のあるうちに次の手だてを考え出すことが若い人の役割であることも話された。
例えば、いま大変不透明な時代を生き、仕事はない、木材は売れない、住宅機器は数%という手数料商売になっている状況の中、木材だけでなく、住宅を視野に入れて、単体ではなく、全体を見据えながら、何を売るか、個々の人間が、あるいは一つのまとまりが、考え行動することの大切さを話していただいた。
自由な発想で仕事を始める。組合員から組合に提案する。
前者で云えば、木材だけにとらわれないこと。いま少し枠を広げた考え方の大切さを強調された。例えば、全国の名水を展示あるいは通信販売で売ること、又産直住宅をカタログ販売することなど、今までの枠組みにとらわれないで、木材から住宅へ、住宅関連商品へと枠を広げていく方向が良いと話された。この事を実現する一つの方法としての情報の役割についても触れられた。同業者という枠内だけでなく、広く一般大衆から、知識を集め、会議を起こすにはインターネットを活用するという手がある。
また後者で云えば、各お店のそれそれのやり方から出発して、成功例(あるいは失敗例)を組合に持ち寄ってもらう。自分はこうした。今こんな事を考えているなど。そういう個人とか小集団がいくつも飛び出して、組合を引っ張る必要があるのではないか。その為に月報を活用してみてはという話も出た。
今回の集まりの中では幹事の不手際もあり、ややもの足りないものになってしまったが、土地の有効活用、資産の運用を常に頭に入れた行動がこれからはますます求められてくるのだろうと思う。
現在の中野地域を見ても木材や住宅機器を主に売って生業としている所は数社であり、土地を有効に活用し(マンション経営など)、それを背景にして木材業を兼業している所が多い。現実がそうなっている。中野は都市部材木屋の残り方の一つの見本である。
話が遅れましたが、今回の会合には練馬二十人会からも5名参加していただいた。練馬の方はまだまだ木材業を主業としている。我々は練馬の方から材木を売ることを学ばなければならないし、練馬の方は中野から近未来を見つけることだろう。その意味では練馬は中野の鏡であり、中野もまた練馬の鏡である。
最後に、今回お話をしていただいた木村さんの若い感性に乾杯。











2004/03/24(水) 雨


[ Jスマイル協同組合 ]
Jスマイル内装協同組合


自宅に使った杉の床板材は三重県の松坂にある「ウッドピア21」の製品です。使用したものは以下の4種類です。

寝室床板材3950X30X150
杉ウッドピア圧密フロアー赤特一等材 定価50000円(3.51u入り)塗装品

リビング床材1820X15X120
杉ウッドピア圧密フロアー赤特一等材 定価31200円(3.28uいり)塗装品

寝室壁材2950X12X105
杉ウッドピアウォール源平上小節 定価17800円(2.99u入り)無塗装品

天井材3800X12X105
杉ウッドピア圧密ウオール源平無節 定価31200円(3.28u入り)塗装品

床を赤味にして、壁は赤と白の混じったものを縦張りに約2坪分使いました。天井は白っぽいものを基調にして、天井の圧迫感を和らげて見ました。床材は圧密フロアーといって板の表面を圧縮して硬くしてあります。木目に沿って凹凸が出来、足を乗せると適当に刺激してくれます。
リビングの床は15ミリ、寝室は30ミリの厚さです。この厚みの違いは上から見ただけでわかります。「深みが違う」のです。30ミリのものは金額が高いのですが、それだけの価値はあると思います。
ところで、人間も表面だけをみて深みの違いが出るのでしょうか。気をつけなければ…

http://www1.ocn.ne.jp/~woodpia/J1.htm
Jスマイル内装協同組合のHPはこちら。



2004/03/22(月) 晴れ


[ 月報委員会16 ]
月報委員会3月18日



3月18日は、月報委員会がありました。

今月の市況では、
まず木材に関しては、構造材の動きの悪さは続いています。その中でお付き合いして買えるものは、赤松のタルキ、栂のタルキの良材や杉・W/Wの間柱などです。入荷状況では、マックのKDの角、イギルマのタルキの仕入で苦労している状況です。全般的に米材製品及び丸太、ソ連材の丸太は産地高、船賃高騰および、ここへ来てからの円安傾向の絡んで「強含み」で推移すると思われています。
また建材類に関しても、針葉樹合板、輸入JASコンパネ、カラーフロアー、シナランバーコア合板など値上がりになります。原料高と船賃高騰が原因と考えられています。
組合としては、値上がり前に大量に仕入をして組合員に値上がり前の単価で販売する予定で仕入をしていることが話されました。

価格の評定ではほとんどが据え置きとしましたが、4月になると値上がりするものが多いので、その旨組合員にお知らせ事としました。また、現在標準小売価格表にいくつか追加することも話されました。例えば、ラーチ合板の9ミリ及び12ミリの長尺サイズである「3X9」「3X10」やランバー合板の3X8サイズなどです。追加することは比較的たやすいことだと思います。組合執行部のやる気の問題でしょう。

さて、今月は組合の決算月ですが、どうやらなんとか目標は達成しそうとのことです。来月の月報委員会は4月16日。三國屋製材所の社長で組合理事である渡辺哲行さんの講演があります。委員の方の出席をお待ちしております。


2004/03/19(金) 晴れ


[ 日田 ]
日田


中野区の材木屋の集まりで九州は博多へ行くことになった。3月13日、14日の1泊2日の予定で2日目が自由行動になっていた。そこでどこへ行くかを考え始めた。旅立ちの二週間前である。商売が材木屋だから「木」に関わる所が良いと思い、探していたら「日田杉」が目にとまった。そこで大分県の観光案内書を買い、またインターネットで「日田」を調べると3月は街を上げての「お雛さま祭り」の最中。また、博多からも特急を使えば1時間ちょっと。そんなに遠くないと確信した時から、ここに決めた。

頭の中で大まかな計画を建てる。日田杉を見る。それから日田の資料館やひなまつりの中心的な場所である豆田町をぐるりと散策。お酒も飲みたい、おそばも食べたい。ブラリ旅でひたすら歩こうか。汗をかいたら温泉に浸かって、さっぱりした所でビールを飲んで。特急で博多に戻って空港から東京へ。限られた時間を有効に使おう。

さて当日。前夜1時まで「屋台」にいたが、朝6時20分に目覚める。ここで一眠りしてしまうと次の目覚めがわからない。意を決して着替え、宿を出る。博多駅まで歩いて、日田までの特急券を買い求める。9時過ぎに日田へ着くと先ずは帰りの電車を予約する。16時43分発の特急がある。これを手にして観光案内所へ。こちらの希望を伝え、地図をもらう。「日田杉資料館」「豆田町の散策」「温泉」「ビール園」などなど。

「日田杉資料館」はこの地図には載っていない、といわれ「どの辺ですか」聞くと「この道を真っ直ぐ歩いて15分」と係りの女の方は言う。「15分はもったいないな」と思い、荷物をコインロッカーに預けるとタクシー乗り場へ。資料館へ向かう。運転手さんに30分経ったら迎えに来て、と伝えると電話番号を教えてくれた。資料館に着いたが、人気がない。電気は消えている。が、開館中の看板は出ている。中に入る。呼び出しをかける。再び、三度目。誰も出てこない。内線で併設されている市場に通じると書いてあるのだが、今日は日曜日。休みなのかな。入場料200円をポストに入れ、自主的に見学。12メーターほどの杉丸太が、5、6本横にしてある。インターネットで見た風景だ。日田林業の歴史の解説や大工道具の展示を見て、ここを後にする。タクシーを呼び戻している間に今一度見る。樹齢450年の宮園杉。長さ13m、末口88センチ。「中津江村の宮園神社が1491年に建て替えられたときに植林したものと推定。日田林業の始まりといわれている」と解説されていた。他に元宮杉や行者杉などが展示してあった。

タクシーに乗り、「おひな祭り」を開催している所へ連れて行ってもらった。「豆田町にある草野本家から廻られるといいでしょう。」「隈町の温泉街でも家々に飾ってありますが、こちらの方がまとまってあるので見やすいでしょう」といわれ、草野本家に向かう。入場料500円なり。既に団体の方がいて賑わいを見せている。写真撮影禁止。製蝋業と掛屋を兼ねた豪商の代々の当主が集めたお雛さま合計178体と説明書きに記されている。ここは靴を脱いで部屋の中を廻る。天井高7尺の部屋が多い。団体の方が次々に入ってきたので早めに失礼することにした。

続いては広瀬資料館へ。豆田町辺りは古い街並みが残っており、そこへ電線が取り払われ、写真を映したときに開放感を感じる。天領日田資料館や味噌蔵などを覗き、しばし散策。蕎麦屋は時間前で準備中だし、薫長酒蔵資料館で見学と試飲。鰻屋は混んでいるし、大型バスは続々と来る。急がねばと足を速める。今日は天気がよく少し汗ばむくらいだった。露地を歩いていると「旧豆田検番所資料館」が目に入る。私の地元にも芸者の検番があった。今は貴乃花部屋になっているが・・・そんな関係もあり、興味をそそられて中に入ることにした。お雛様も飾ってあったが、目を引いたのは芸者「小力」の写真。年のころなら23、4。子供の頃にいたおねえさんといった感じの美人。人気があった人だと書かれていて。明治の初め頃から昭和の初め頃まで検番があったそうで、戦争で景気が悪くなって閉めたそうだ。

昼前に広瀬淡窓の「咸宜園」に立ち寄り、ひと休みしていたら、サッポロビール園行きのバス、少し小さめのバスに行き会いました。誰も乗っていません。天井が日田杉で出来ていてお洒落なバスでした。しばらくは貸切でしたが、隈町の温泉街まで来るといっきに人が乗ってきて満員。ここからビール園まではふた駅ですが、三隅川を超え、高台へ続く道を行くとサッポロビール新九州工場が見えてきました。ここからは日田市内が一望でき、景色を見ながらエビスとサッポロのハーフ&ハーフを楽しみました。丁度お昼時で混雑していましたが、それも愛嬌。ご婦人の団体さんが大勢いて飲むわ、食べるわ、声は大きいわと元気がいいですね。

一息ついてバスで三隅川沿いにある温泉街まで戻りました。ここは豆田町と並ぶ日田の今ひとつの繁華街。隈町あたりになります。ひた押し花美術館、日田祇園山鉾会館とまわり、次は会館の真向かいにある神社へ。ここの「むらくもの松」は神社の境内をL字型に松が這うように生きていて一見の価値あり。大蔵常永誕生の地を見てから三隅川沿いを散歩。ひと汗かいたのでやはりここは入浴。日田は沸かし湯ですが、大きなお風呂は気持ちがいい。足をのばし湯につかり、三隅川を眺めてはまた浸かり。日の高いうちにお風呂に入るのは贅沢ですね。のんびりしました。この川ではいま少し暖かな季節になると舟で川遊びができるとのこと。そういうのもいいですね。

やや時間も押してきたので駅に戻り、珈琲でも飲もうかと考えたのですが、適当な所が見つかりません。ミスタードーナツの看板が見えたので、そこでと思い立ち、歩いていきました。すると屋根越しに大きなクレーンが見えてきました。家を建てているのが見えたので近づいてみると建坪が80坪以上ある大きな2階家で梁や柱は杉。屋根ダル木や根太材はベイマツでした。ここで写真を一枚。大きな家でした。今回の旅行では新築住宅を1軒も見ることがなかったのですが、見つければ今度は豪邸。さらによくみると家の中央に木が立っていました。最後に驚かされて日田を後にしました。



日田杉資料館


豆田町の御幸通りです。左に見えるのは「草野本家」です。



お雛様


サッポロビール園からは日田市内が一望できます。


日田祇園会館


むらくもの松


三隅川。暖かな季節には船遊びが・・・


日田駅近くで見つけた「建てまえ」
建坪80坪以上。中央に杉の丸太が据えられていました。



2004/03/16(火) 晴れ


[ 太宰府へ ]
大宰府へ



3月13日、14日は中野十四日会の旅行で九州へ行って来ました。朝、7時20分羽田を出発、福岡空港へ降り立つと先ずは、観世音寺に向かいました。続いて太宰府天満宮へ。境内を歩くと早くも人出が多いのに気付きます。一週間前は雪、数日前までも寒かったそうですが、この日は大変温かく、上着が要らないほどでした。
参道の右や左に梅ヶ枝餅、この名物のアツアツをいただきながら境内へ。梅が満開でした。6000本植えられていると書かれているこの場所は観光の中心でもあり、福岡市民の憩いの場でもあるようです。境内では幼稚園児のお遊戯や猿回しなども開かれていました。私は菅原道真公の一生を綴った「菅公歴史館」を見学。それは16の場面で綴られており、後半の8つの場面が太宰府での出来事であり、57歳から59歳で亡くなるまでの二年間です。この二年間が道真と太宰府との関わりの期間です。

道真公は右大臣まで昇りつめましたが、政治的に対抗していた藤原時平にねたまれ太宰府へ左遷されることになりました。別れ別れになる家族と紅梅殿で名残を惜しみました。そのとき読んだ歌が有名な「こちふかば」の歌です。(延喜元年)

東風ふかば 
にほいおこせよ梅の花
あるじなしとて
春な忘れそ

都を後にし河内の道明寺で叔母さまと別れ、太宰府にやってきました。太宰府での生活は辛く苦しいものででした。道真公は延喜2年の9月10日の夜、「昨年宮中でいただいた御衣を取り出して都を懐かしむ詩を詠まれました。

去年今夜侍清涼
秋思詩篇独断腸
恩賜御衣今在此
捧持毎日拝餘香

道真公は和歌も漢詩もすぐれたものを残しています。菅公は翌延喜3年2月に配所でなくなります。門弟の味酒安行は、菅公の亡骸を乗せた牛車が動かなくなった地に菅公を葬りました。それが現在の太宰府天満宮のご本殿の場所ですと菅公歴史館の案内に書かれてありました。館内では「通りゃんせ」が流れ、物悲しい雰囲気でした。

太鼓橋と心字池にて集合写真をとり、ここを後にしました。その後筥崎宮、香椎宮とまわり、夜は赤坂、大名、天神、中洲と巡って長い一日を終了しました。



梅をバックに一枚。


本殿前です。


香椎宮の北側にあった「不老水」名水百選の内の一つ。甘い水でした。


「稚加榮(ちかえ)」福岡店
福岡市中央区大名2−2−17
092−721−4624


博多といえば「屋台」
三井アーバンホテル近くの「ちから」
「安いよ・うまいよ」











2004/03/15(月) 晴れ


[ 季節柄 ]
季節柄



季節柄、アパートの住人の移動が多くなったのか、床を直す仕事が増えてきました。ほとんど納材だけですが、5坪、6坪、9坪と床のフローリングの注文をいただいています。売れていくものは普及品ばかりで、予算をかけないのが特徴になっています。

1階の大引や土台から変えていく仕事だと大工の腕も必要ですし、そこまで直すのだと費用もかさむので一部屋全体を直さないともったいない気がします。
一番多い仕事は畳の部屋をフローリングに変更する仕事ですね。畳の下地材がしっかりしているところならば、さほど難しい仕事にならない。30センチ間隔に根太材を入れ、フロアー材を貼っていくだけです。人が良く通る所には15センチ間隔に根太を入れてもらいます。そうすれば上に貼る床板の厚みが12ミリくらいであっても沈むことはないでしょう。根太と根太との間に30ミリくらいの断熱材を入れると保温性が高まります。仕上げ材のフロアーが無垢材だと足を乗せたとき、「ヒヤッとした」感覚がなく血圧をあげることもないでしょう。

無垢材が良いことはわかっていても予算に限りがありますので、現実にしている仕事は先ほど書いたとおりです。そういえば断熱材を入れることも最近は少ないですね。現実は厳しいですね。

そんなことを書いていたら、一つ仕事がキャンセルになってしまいました。フロアーを張り替えずに畳の表替えだけになり、材木屋も大工も仕事がなくなりました。

そういえば私のアパートもどうやって直そうか。真剣に考えなければ。和室の4畳半だけど・・・



2004/03/11(木) 晴れ


[ 中野支部の役員会 ]
中野支部の役員会


新東京木材中野支部の役員会が3月8日に開かれました。昨年春に班長になり、またそれ以前に月報委員を受けてから年に一回この時期に役員会を開いており、今回も参加してきました。
中野支部には28名の支部員がいますが、そのうち15人が役員になっています。支部長、副支部長、会計の三役に月報委員二名と四つある班の班長さん、これに役員を卒業した方々が相談役といった形で残っており、総勢15名になるのです。今回は欠席者が多くて、8名が参加して、これから一年間のスケジュールを決めました。その結果4月の支部総会、9月の店主旅行、来年一月の新年会などが決まりました。

さて、雑談に移るとこれから先のことを考えると従来おこなってきたスケジュールがこなせなくなってくるのではないかという疑念が出されました。例えば、従業員慰安会や婦人部の観劇会など。参加者も少なくなってきており、執行部が苦労する割には「喜ばれない」という現実も控えていることから見直しが迫られそうです。

同じことを続けていくのには絶えず改革がつきものです。続けているということは少しずつ変えているということだと感じるこの頃です。



2004/03/09(火) 晴れ


[ 新東京テニス同好会 ]
新東京木材テニス同好会


去る3月7日、日曜日は世田谷にある「大蔵グランド」でテニスをしてきました。新東京木材の会報である「WOODS」で紹介されていた「新東京テニス同好会」の集まりです。会をはじめて4年になるそうですが、私も3年前から、時折参加させていただいていました。大体半年に一度くらいの割合だったかと思います。私はここがきっかけでテニスを始めたようなものです。ただ、腕はいまだに一番下。ならば「上手い人と組めばよい」のです。もちろんそれ以前に球を追いかけることが楽しいのです。

さてこの日は粉雪がチラチラの、寒い日でしたが総勢15名が集り、コートも二面借りての楽しいひと時。テニスが終わってからの食事会まで全員参加で盛り上がりました。次回は5月22日、23日に一泊二日を予定しています。いい汗かけますよ。



参加者全員集合




2004/03/08(月) 晴れ


[ 引越しして一ヶ月が経ちます。 ]
引越しして一ヶ月



引越ししてから一ヶ月が過ぎました。

夕方家に帰ると外の照明がぽっと明るくなって出迎えてくれます。鍵を開け、玄関の中に入るとこれまた人感センサーで電気がつくというように設定されていて、暗がりでスイッチを探すということもありません。

床を歩けば、杉の床には凹凸が出来ていて、足の裏の感触を鍛えてくれます。改築祝いでいただいた珈琲メーカーと電気ポットが毎日活躍しています。この電気ポットは毎日使う時間になると90度までお湯の温度を上げてくれるという優れものです。IH調理器の使い方にも少し慣れてきました。

ユニットバスは1418サイズで足がのばせます。照明を二つ付けたので明るくて気に入っています。洗面所の天井には着脱式の物干し金物を付け、洗面化粧台は脇スペースにカウンターを延長してタオルや小物が置けるようになっています。

二人で考えて作りました。基本の図面をかなり変更して作りましたが、それが良かったと思っています。

落ち着いた生活を営んでいます。今日も昼飯を自宅で食べました。このHPを開設して3年が経ちます。だからふたりは5年目になります。



2004/03/05(金) 晴れ


[ 厳しい事態は続きそう ]
厳しい事態は続きそう



まとまった仕事がないまま3月になった。昨年末は「バブル期」以来の活況だった工務店も「今は昔」で先の見通しがないままである。
仕事が全くないわけではない。ただ数も減り、一つ一つの金額が少なくなっているのである。だから利益も少ないことになる。

先日、ある工務店が「トイレのリフォーム、35万円でやってね」とお客さんに言われて見積を出してみたら、水道屋だけで大半がなくなってしまい、どうしようかと悩んでいる。「どこか安く仕事をしてくれる水道屋を知らないか」と聞かれたのだけれど、水道屋さんはどこも高い。「一日来れば4万円の日当、2時間来れば2万円の手間」くらいに考えておかないと月末に請求書が来てビックリ。水道屋さんの請求書はお客さんに直に見せて直接支払ってもらうという大工もいる。「ピンはねしていないよ」という証拠にである。
確かに大工が一日目一杯仕事をしても2万5千円稼ぐのが容易でなくなった時代にチョコチョコと来ては「個別に取り付け料いくら」という水道屋さんの請求の仕方は時代に合わなくなっているのではないか。

翻って、木材は1本2000円を越える材が売れないですね。350円、450円といったものはまだ出るのですが、フロアーや流し台を売上げの主力にして材木屋を繋いでいる感じです。大工さんが仕事を取れなくなった(高齢化・営業力不足など)と、つくづく感じています。



2004/03/04(木) 曇り時々雨


[ YOURへ行く ]
YOURへ行く


一ヶ月か二ヶ月に一度スポーツ指圧に通っている。今までは新宿にお店があったが、今年の初めに銀座へ移った。銀座は三越の二軒隣りのビルの中である。身体がくたびれてきたので昨日行ってきた。今年二回目である。
行く時は院長の堀内先生を指名して指圧していただく。このところテニスもあまりしていないし、材木を担ぐことも少ないと思うのだけれど、肩、腰、足と凝っている。先生は肘を使いながら凝りをとってくれる。左向き、右向きからはじめ、うつ伏せ、仰向け順番に指圧してもらいラストに身体を温めてもらう。これが気持ちいい。60分コース6000円なり。
私は疲れがたまってくると「ここへ来れば取れる」という気になっており、もう二年半ほど通っている。今までは新宿。こんどは銀座。あまり訪れる機会のなかった銀座だが、これからは銀ブラできるかもしれない。向かいのビルにはパンの木村屋があるし、三越の中も楽しそうだ。
堀内先生は「ただ押すのじゃなくて、良くなるようにという気持ちをこめて押すことが大事」と若いスタッフに言っていた。
仕事は流れ作業じゃ、駄目なのだと思い直して店を出た。

http://www.y-shiatu.com









2004/03/03(水) 曇り時々雨


( 2004/04 ← 2004/03 → 2004/02 )


[ 管理者:大野満生 ]


- CGI-Island -

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