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時々更新mn日記

( 2004/01 ← 2003/12 → 2003/11 )


[ 木材問屋は何処に ]
木材問屋は何処に



新東京木材協同組合に参加している木材問屋さんは、7社です。新東京木材は複式市場ですので、組合の直営部門と問屋に分かれます。直営部門と問屋の売上げ比率は6対4から7対3くらいに広がっています。
木材が売れていた時代が過ぎ、ここ十年で木材の売上げはガクンと落ちています。木材は高いと思われていましたが、今では安いということが一般の方にも判るようになってきました。
先日も新東京木材では記念市を開きましたが、参加者は確実に減っており、木材の売上げも同様です。私のところにしても、木材は主要な販売商品ですから、品切れをおこすことはしませんが、余計に置いておく事も無くなりました。必要な分を必要なだけ買っておく様になりました。以前でしたら問屋さんと「お付き合いで」木材を買うということをしていましたが、それさえも無くなりました。
今新東京木材商業協同組合に参加する木材問屋は7社と書きましたが、20年前には倍はいたと思います。今回の記念市の後、問屋さんから「売上げにもうちょっと協力を」という電話をいただいたのですが、断りました。もうそんなに在庫を置く時代ではなくなったのです。
そうなると新東京の問屋さんは売上げが減少していくだけだと思います。我々が木材だけでなく、建材や住宅機器に手を出し、工事物件まで取り込んで売上げを確保しているのに、木材の問屋さんは組合員以外に売り先を広げられず、取扱商品も、苦労して探し当てた「佐川産業」のアトピーキラーなど杉の羽目板材も同等品を直営センターで取り扱われてはかわいそうです。

問題は木材価格の低迷であり、使用量の減少であり、これは激減しています。そこで問屋さんでも売り先を広げられるようにしなければますます低迷するだけでしょう。
最近、機関紙である「WOODS」を使って問屋さんの取扱商品が紹介されていますが、この方向はもっと追求されるべきです。
と、感じています。
2003/12/29(月) 晴れ


[ 毎日の出来事 ]
毎日の出来事



朝7時を過ぎる頃から仕事場に出てお客さんを待っています。時々遅刻をするとお客さんのほうが痺れを切らして携帯に電話してくる事もありますが、7時頃からが私の仕事開始です。作業場を開け、店を開け、倉庫を開けるとパソコンの前に向かい、メールの点検をします。

住まいと店は約二分。同じ時間に通れば同じ人に会います。外股で歩く女性や手を繋いで通勤する中年のカップル、口をきかない同級生。そんな中にポケットに手を突っ込んで歩くおじいさんがいます。下の信号で出会って私の会社の二軒隣りまで一緒です。そしてそこまで来ると又帰っていきます。その間そのおじいさんがする事は公衆電話のお釣りのところに手に入れるか、自動販売機のお釣りを探すことです。健康と実益を兼ねたその行動をもう一年近く見ているでしょうか。お金を見つけた風はないのですが、私のところの二軒隣りまで来ると引き返していきます。

さて、話は変わるのですが、二日ほど前、掛布や北野武の物まねで有名な松村邦弘さんに声を掛けられました。風邪をひいているのか珍しくマスク姿でしたが、もちろん一目でわかる体形です。
「こんちは」やや低い声で私に声をかけました。
今まで道で出会っても言葉を交わすということはなかったのですが、
「しるこサンド、いりませんか」といわれ
「いらないよ」と言った瞬間に破れかけた紙袋から一つこぼれしまい、
私が拾い、
「じゃ、これもらっておくわ」と持ち帰りました。
「お竜参上」にミカンほどカッコいいシーンではなかったけれど、かなり抱えていました。ファンの方からいただいたのでしょうか。
実は松村さんとは以前隣同士のマンションに住んでいました。彼は隠れ家として使っていたところで夜中に落語の勉強をしていたり、台本を読んでいたことが思い出されます。

「しるこサンド」
聞きなれない名前ですが、ビールのつまみに食べています。





2003/12/28(日) 晴れ


[ 月報委員会14 ]
月報委員会14


今月の月報委員会は忘年会が主です。月例会の後、忘年会が開かれました。年々参加者が少なくなってきており、今年は役員席、組合関係者席、一般席の3席のテーブルだけでした。一般席に座らせていただき、盟友クボデラさんや横田さん、清水さん、羽鳥さん、石井さん、渡辺さんに舷燈社の柏田さんを加えたメンバーで、ワイワイガヤガヤ。

その中で「新木場に流通の拠点を作ろう」という話が出ました。新東京木材商業協同組合に参加する組合員は東京都区部の西北部に位置し、南は大田区から北は足立区まで細長い広がりを持っています。この組合員をカバーするにはどこかに拠点を持つ必要があります。この組合は以前には五反田、蒲田、中野、池袋と4つの市場を持ち、それが崩れたいまでも、中野、池袋に市場とセンターがあり、川崎にセンターがあります。組合員の要求にこたえるためには、答えられる条件を備えた所になります。それが新木場であれば、木材に関しても建材に関しても集荷してから配達するという手立てが出来そうだと思うからです。現在でも問屋にしても建材課にしても「新木場に引き取り」は日常の事ですし、新木場の土地価格も安くなっているので借り易さも出ていると思います。すぐにどうこうという話にならないかもしれませんが、全体を整理しながら「小さく残る」ことを意識するならば、話が進めやすいように思えます。

それにしても月報委員会にも人が集らなくなったという感じは否めません。景気の低迷が依然として続き、商売が低迷している事が主な原因です。
例えば、今年と10年前の木材の売上げを我が社の単位であらわしてみると

10年前の木材年間仕入額。約5千万円。
今の仕入額。(今年の分)  約1500万円。(プレカットを除く)
となり、木材の売上げ減がそのまま、我が社の売上げ減に繋がっています。
木材を担ぐというより、ベニヤ類を持つ、運ぶという感じが強くなり、手にできるマメの位置も自ずから変化しています。

そこで、我が社でも建材類を売り、工事物件にも参加するようにして売上げを確保しています。新東京の木材の問屋さんは、その意味では大変な苦労をしていると感じています。

来年、考えてみたいのは、組合関係では
木材問屋が生き残る道。
新東京木材の本部のスリム化。
新東京木材の建材課の意識変革。
新東京木材の支部構成の変更。
などです。

ちなみにこの日は夜中まで飲んだ忘年会でした。

2003/12/27(土) 晴れ


[ 今年一年 ]
今年一年



また、今年が終わってしまいます。一年経つのが、速いです。小学生の頃時間の経つのが長く感じられていましたが、今は季節の移ろいも瞬きする間に過ぎていきます。

さて、この一年皆さんはどんな年でしたか。

私には、終の棲家つくりが一番の出来事になると思います。が、仕事面でも変化が現れています。ここ一年間の売上げは前年と変わりませんでしたが、中身を見てみると変化がわかります。
先ず木材の売上げが極端に少なくなっているという事です。次に売り先が大工・工務店から内装屋さんや不動産屋がらみの仕事が増えています。その結果ますます材木で売れていくものは下地材が中心となり、またそれだけでは売上げが足りない事になります。
それでは私のところで売上げが落ちなかったのでしょうか。それはたまたまラッキーだった、ということだと思っています。今年は新規のお客さんから仕事をいただきました。プレカットであり、床暖房であり、リフォーム工事であり、店舗も行いましたし、施主が近くだからといって下地材を納めた仕事もありました。
人づてに聞いたので仕事をくれた劇団の方もありましたし、インターネットで検索して見つけたという方も少しあります。いずれも現場が中野区弥生町から30分以内のところにあり、あるいは5分以内のところにあったために私のところに仕事の依頼があったのです。このことからわかることは材木屋が「地域の中に存在している」のであり、そこを離れて仕事はきません。その事が印象付けられた年だと思います。

また、今年の後半では、自宅もそうですが、マンションもアパートも直しましたし、水漏れしたところの直しもありました。今まで片手間にやっていた工事部門をより真剣に取り組まなければならないと思います。
工事は木材業とは違い、瞬間瞬間で決定していかないと現場が滞ります。その面白味とともに、仕上がりまでを頭の中に入れ、どういう材料が何時までに揃っていないといけないのか、細かな部材に関しても知識が必要とされ、神経も使い、実際にやってみて「わからないことだらけ」です。大工さんと施主との間に入ると「自分だけでは決められない」事も多く、「工期を間に合わせる」といったことを考えると集中力と持続力が要求されます。木材の販売だけの「楽な仕事」とは訳が違います。
でも仕事の完成は楽しいものです。何もないところから始まって少しずつ形作られ、完成が近づいてくると心からの歓びが沸いてくるから不思議です。時間をかけただけの事はあります。

今実際に自宅を作っていて感じたことは、中野区弥生町に住んでいる職人さんの技能のレベルは高いと思えたことです。二十年前と比べて量的には減ったと思いますが、質的にはある程度のレベルは確保していると感じました。「これなら人に紹介できる」と自信を深めたのが私にとって今年一番の成果ではなかったかと思います。



2003/12/26(金) 晴れ


[ クリスマス ]
クリスマス



今年のクリスマスは22日に中野駅の北口にある「クスクス」でディナーをいただきました。ここは年に幾度か訪れる所ですが、今回格安でクリスマスディナーを行っていると則ちゃんがインターネットで見つけてきて早速申しこみました。
生牡蠣を中心とした前菜に、奥さんの実家から送られてくる新鮮野菜。これにパスタとお肉がついて2500円。ビールにワインを飲んでも一万円でお釣り。満腹でした。

翌23日島忠で照明を買い、その後穴八幡まで足をのばしました。「一陽来復」を受けるためです。いつもは本家の放生寺まで行くのですが、今回は時間の都合でカット。(放生寺さん、すいません)

24日はイブ。テニスのスクールが終了した夜の9時過ぎからイチゴのケーキをいただきました。25日にはお昼過ぎにケーキをいただいたので夕方二人で食べ、新宿までガットの張り替えに行きました。買い物ものも終了したのでクリスマスケーキを買いにデパートまで行ったのですが、気に入ったものがなく、イチゴのショートケーキを買い求め、自宅で二人だけのクリスマス。
今年は食い気ばかりになってしまいました。




2003/12/25(木) 晴れ


[ クロゼットは ]
クローゼットは



1200ミリX2000ミリのスペースをクローゼットとして使うことにし、そこの壁には以前からの在庫品である杉の羽目板を用いた。いま少し節のあるものの方が、楽しめたかとも思うが、在庫のものを使えて私としては満足。もちろんそれよりも杉の香りや暖かさを感じることが出来て嬉しい限りです。小さな部屋ですが、「ここは書斎の方が良いかな」などと話しています。

さて、左側に一本の柱を建てました。これも在庫品で二十年程前の杉の柱です。この木は小島商店という紀州材を曳いていた会社の製品で、桧と杉の柱が新東京木材の中央木材という問屋さんで扱っていました。105ミリ角が108ミリくらいあり、削って105ミリに仕上がるので重宝して買いました。
あるとき、桧の柱を小節から3方無節まで100本ほど押し付けられて往生しましたが、何とか売り切って今日があります。私が30代の初めだったと思います。木味もよく、60年生の木材でしたから、好んで買っていました。
今回自宅を作るにあたって在庫を整理していたときに、桧と杉の柱が一本ずつ出てきました。自然乾燥の上真っ黒でした。束子で汚れを落とし、昭栄木工所で加工してもらうと綺麗な姿に仕上がりました。今回桧は使わずに杉の柱を一本だけ使うことにしました。108ミリ近くあった木を100ミリに仕上げてみると、3方無節の二面に節が登場したのですが、これはご愛嬌ということで使っています。この頃私は節には拘らなくなっています。それよりも三つ二つは節を出して「本物だよ」ということを強調してみたいです。

この柱を見るとわたしは30代を思い出します。そういう気持ちをこめてこの柱を使ってみました。






2003/12/22(月) 晴れ


[ ボード不足 ]
ボード不足



基礎的な資材の内、耐火ボードは依然として品不足状態にあります。特に9.5ミリが依然として足りないようです。私のところは売れる量が決まっているので定期的に手当てをしていました。が、やはり突然50枚といわれ、自宅に使用するべくとっておいた「ハイクリーンボード」をお客さんに提供しました。そのため、リビングの壁は「ハイクリーンボード」と普通のボードの二種類となったのですが、この写真でおわかりになるでしょうか。
ボード不足は我が家でも被害にあっています。






2003/12/21(日) 晴れ


[ 富士三つ ]
富士三つ



富士山は様々な場所から見ることができます。私の住んでいる中野区にも富士見町があります。今から40年程前なら道路から見える位置がかなりありました。12月15日に間近で富士山を見る機会を得ました。

一つ目は山梨県側からの富士です。表情が荒々しいのがわかります。


二つ目は富士聖苑からです。真中がとんがり帽子になっています。この角度から見る富士が一番美しいと思います。



三つ目は白糸の滝の北約2キロの所にある法蔵院からです。
トンガリ帽子が向かって右に見えます


亡くなった母の一回り上の伯母にあたる有賀春子さんの葬儀に参列した際に映したものです。今年の三月に脳梗塞で倒れましたが、経過もよくリハビリ入院していましたが、この冬一番という冷え込んだ日に心筋梗塞で亡くなりました。87歳でした。陽気な伯母さんで私の母の所へも何度も遊びにきました。懐かしい顔がまた一つ少なくなってしまうのは残念です。

一つ目の写真は国道139号線から白糸の滝へ抜ける途中で、三つ目は白糸にある有賀家の菩提寺である法蔵院から、三つ目は富士宮市の東のはずれになります。富士山を基点にすると北西、西、南西の位置からのものになります。雪化粧した富士山はこの日、雲もなく美しい姿を見せていました。





2003/12/17(水) 晴れ


[ 今年の仕事は ]
今年の仕事は


今年も残り少なくなってきました。あっという間に一年が過ぎてしまいました。今年はどんな年だったのでしょうか。仕事で振り返ると
桧の12センチ角を用いたM邸。
築40年を経た木造二階建て住宅の1階部分の全面的改築を行ったN邸。
木造二階建て住宅を平屋に減築したT邸、
などが浮びます。

これを並び替えると
TMNとなります。
東京木材ネットワークの活躍が目立った年でもあったかと思います。若い材木屋さんがまだまだいます。
このところホームページをみたといってくれるお客様も少し増えました。注文もいただいております。メールやお電話をいただいた方に
「お住まいはどちらですか」とお聞きする事もあります。
「中野区上鷺宮」とか
「後楽園」とかいわれた時には
お近くのMさんやSさんもありますと返事する事もありますし、
もっと本格的なものを必要とされているなら。私のHPのリンクの所から他の材木屋さんに聞いてみてくださいとお話しています。

仲間がたくさんいるということは心強いものですね。





2003/12/13(土) 曇り


[ この一年 ]
この一年


この一年で通し柱を何本担いだでしょうか。木造新築ではプレカットが標準になり、重たい梁や柱を担ぐ事が少なくなりました。造作材も建材メーカーの既製品を用いるようになり、無垢の木材を使う場合でも敷居、鴨居なども加工を施したもので納入しています。
となると木材で売れていくもの、あるいは在庫品として必要なものは下地材がメインです。栂か赤松など外材が主となりました。これらは大きな価格変動もなく、商品も均一化していますので扱い易いのです。下地材は電話でも買え、また配達もしていただけるので市場へ引き取りに行く事も少なくなりました。
「記念市」であっても材木を自分の目で確かめてから買うという行為は少なくなりました。もちろん、それだけ材木が売れていないということですし、材木屋の側から言えば、市場に行く時間を使って配達したり、建材を探したり、現場で打ち合わせをするなど時間を有効利用しないと仕事がこなせません。材木屋から社員がいなくなったのでその傾向が強くなっています。
今私のところで木材と建材の売上げ比率を見てみますと木材が3割以下で建材が7割くらいになると思います。値の張るものは床暖房、水回り、サイディング材工にプレカットを加えたもので、そういうものまで扱えば「材木もついてくる」といった感じです。ここ数年で取扱商品も変わり、顧客も変化しました。流通経路も変わり、仕事そのものも旧来とは違います。後は自分がどう変わっていくかだけのようです。
ところで話は変わりますが、今自宅を直していて十年来の在庫品を使っています。クロゼットの床には青森ヒバを使いました。長年寝かせていたせいで色は悪いですが香りは強いです。ひばの香りは脳をリラックスさせてくれます。今年は木材の良さを体感してみたいと考えています。日本の木材も売りたいと思っていますので。





2003/12/12(金) 曇り時々雨


[ 師走 ]
師走


12月に入ると仕事があわただしくなってきました。
耐火ボードが発注から二ヶ月待ちだと聞かされて、慌てて追加を頼みました。ボードに限らず建材の入荷の遅れが目立つようになってきました。年内に終わらす仕事も抱えていますので発注から入荷後の点検まで気持ちを緩める事が出来ません。

自宅のユニットバスはセット品番から鏡と戸棚を一旦抜き、別のものを注文したら、すっかり忘れられてしまいました。その後、いつ入荷してくるのかまだ連絡がありません。
また受注生産品を注文したら、12月27日の入荷だという返事が来ました。仕事が終わってしまうので代わりのものを探しておかなければなりません。この三週間はいつもの年より気が抜けません。

それにしても携帯電話は便利ですね。
一昨日には26本受けて、14本かけました。直に人と人を結べるので、話が早いです。こういう道具があるので今の仕事が成り立っています。一昔前ならパニックでしょうね。


自宅のリビングの天井に杉板が張られ、床には杉の赤身が張られ始めました。



2003/12/07(日) 晴れ


[ クラス会 ]
クラス会



36歳の時から始めた中野区立神明小学校6年3組のクラス会は4年に一度を目標として開かれている。それが50歳を目前にした頃から年に数回、機会あるごとに集り始めた。
さらに一昨年から一泊二日の企画が持ち上がり、初めの二年は清里へ、そして今年は千葉県の館山に行くことになった。
8月の末に10名ほどで納涼会を行い、そのときに「今年も一泊で忘年会をしよう」と決めたからだ。
館山にはクラスメートの会社のセミナーハウスがあり、ここを宿と決めた。先ずは外房の安房鴨川駅前に集合した。先発隊が大多喜を通って一風呂浴びてくる予定になっていたからである。私達後発隊は12時半に鴨川駅前についた。11月の29日土曜日の事である。当日は季節はずれの台風の影響もあって、あいにくの雨。そんな事も気にせずに先ずは昼食。3台の車に分乗して来た8名が近況を語りだす。
というか、ぺちゃくちゃしている。
それをそのまま引き摺って宿へ。
今回は女4人に男が4人。4つの部屋に二人ずつ入ってバランスが良い。女性軍は風呂へ直行。「中学以来かしら」と一泊初体験の真紀ちゃんが言ったとか。
男連中はすぐに飲み始め、そのまま夕食へ。それが終わると幹事部屋で2次会。飲んで話して話して飲んで。それから「ブラック&ホワイトマジック」などゲームに興じて楽しいひと時。
おじいちゃん、おばあちゃんになった人もいますが、気持ちは小学生。
「栄町通りにパン屋と肉屋が並んでいたのを覚えている?パン屋でコッペパンを切ってもらい、肉屋で揚げたてのコロッケにソースをたっぷり掛けてもらって食べたのが上手かったよな」
「そうそう、あったよね。大野君覚えていないのよ」と則ちゃんが続く。
「コロッケが5円で」・・・

「私、ほんとは神明でなく多田小学校の区域だったの。区域外の人は夏休みのラジオ体操がなくて、夏休みはつまんなかった」
今回は8人中4人が区域外からの越境入学。越境といっても通り一つ隔てた所だけど。じつは私も越境組。みんなと同じ中学に行けないとわかったときに私立入学を決めた。

昔話に自分の健康や老後の事。親の介護の話など話は尽きませんが、12時を回る頃にはすっかり出来上がってしまい、就寝となりました。40代の頃は朝まで飲み会だったのが、段々終了時間が早くなるのは致し方ないでしょうか。

翌日、7時半過ぎに起こされて、シャワーを浴びて朝食。夜中じゅう降りしきっていた雨が小止みになったので、いま少しすれば止むかもしれないと思い、時間一杯ここで過ごす事に。先ずは卓球。それからとんびに餌をやってみました。
ここは「とんびの餌付け会場」も兼ねていてパンの耳をベランダから庭に投げてやると急降下で取りに来るのです。何回も何回もみんなで挑戦して今回のハイライトになりました。

宿を出て昼食をとったのち、「ここで解散しましょう」と幹事の青井くんが一言述べて、それぞれの方向に帰ってゆきました。
「また来年会おう」「気をつけて帰ってね」









2003/12/02(火) 晴れ


( 2004/01 ← 2003/12 → 2003/11 )


[ 管理者:大野満生 ]


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