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時々更新mn日記

( 2003/12 ← 2003/11 → 2003/10 )


[ 自宅つくりの進行状況は ]
自宅の進行状況は



自宅つくりの進行状況は、30X60の間柱を建てはじめ、間仕切りを先行させて配管をしていただいています。水道屋、ガス屋、電気屋さんの配管、配線がほぼ終了し、天井の野縁組みやフリーフロアーを用いた床つくりが始まっています。今回の布陣は万協の脚にパーチクルボード+6ミリのゴム+コンパネまでが下地材です。仕上げは杉の板を予定しています。床暖房は初めから考えていなかったので「杉板なら暖かい」と思っての採用です。

間柱にホワイトウッドを使い、建具は既製品を中心にしています。今まで使うことが少なかった材料や品物を使っています。普段私が売っているものを使ってみる、ことも今回の住まいつくりの一つのテーマです。
壁はスタイロホームをはめ込み、断熱にとりあえず気を使い、天井にはグラスウールも入れてみました。
サッシは取換ない予定でしたが、25年前のものは曲がっていたり、ねじれていたりするので思い切って「カバー工法」で仕上げてもらう事にしました。窓枠は設計士さんの意向を汲み、30ミリ厚。そのために盟友のクボデラ(有)から格安で仕入れてきました。
建具は松下電工のWXシリーズ。受注生産品がいくつかあり、そのせいか納品に時間がかかっています。
さて、今日はユニットバスの搬入日です。朝の9時から荷揚げをして、取り付けを始めています。TOTOの1418サイズのユニットですが、今日一日では終わらずに明日も来るようです。手摺を二つ付けますので、その位置を決めるため、一時間ほどへばりついていました。
さて、明日はクラス会。仕事はお休みです。


間柱を建て、配管を優先しました。


床下地が出来ました。


天井の野縁も組みあがりました。後は杉の板を貼るばかりです。


今日はユニット工事の日です。順番に組み立ててゆきます。





2003/11/28(金) 曇り


[ 剥いで貰った ]
剥いでもらった



自宅つくりの進行状況は、30X60の間柱を建てはじめ、間仕切りを先行させて配管を先にしていただいています。建てこみと同時に水道屋、ガス屋、電気屋さんが入り、基本的な所が終了して、いよいよ床を作りはじめます。

その前に窓枠の取り付けです。タモ材を加工していただいています。窓が南側に4箇所を始め11ヶ所。それぞれのサッシは好きな方向を向いて付いています。傾いているものあり、倒れているものあり、壁が出っ張っているので枠が大きくなるものありで「枠材の大きさが一様ではありません。」
私が窓枠の材料を調達したのですが、奥行きが60ミリから65ミリあれば全部収まると思って頼んだのですが、いざ使う段になって枠巾が足りない所が5箇所ほど出てしまいました。そこでまたクボデラ(有)からタモ材を仕入れてきたのです。
少し材料が余分になってしまいました。
所が大工の篠原さんは、「枠巾の足りないところは剥いで使う」といってくれて共木を剥いでボンドをつけ、播金で占めて幅広材に作り変えてくれました。
自家製の集成材といったところでしょうか。

このように昔の大工さんは面倒見が良かったですね。
木材は1本1本個性があり、曲がるものや反るもの、ねじれるものなど一様ではありません。それを人間の手で「建築用材」に作り変えて行くのですから、大工の技の奥行きは深いものがあります。
私もここ何年も楽な仕事ばかりしていたので、忘れかけていたものを今思い出しているところです。



間仕切りです。


剥いで頂いたタモ材




2003/11/22(土) 晴れ


[ 月報委員会13 ]
月報委員会13



11月18日には、新東京木材商業協同組合の月報委員会が開かれました。この集まりでは
先ず木材や建材の動向を組合の課長さんがお話をしていただいています。
今回は住宅減税の期限を一ヶ月あまりに残し、プレカット工場の景況やそれに伴い正角類を中心に材料がプレカット工場に集中している事が話されました。このためKD材を中心に品薄状態が続き、値上がりの傾向が出ていることが話されました。木材も構造材はプレカット工場が中心になりました。
また、建材類でも耐火ボードが直送一ヶ月待ち。コンパネやラーチ合板も一週間待ちの状態である事が話され、断熱材も4、5日納期がかかると聞かされました。
5年前ほどではありませんが、我が社でも先を見越した仕入をしてしまいましたので、一層品薄状態になったと思います。

さて、第二部では、「ホームセンターの木材・建材価格」を資料として提供していただき、検討に入りました。ホームセンターの価格は目を引くところは安く設定しており、商品全体としては決して安くなっていないけれども売れ筋の商品に関しては我々材木屋もいま少し安く仕入れられる方法を見つけ出さないと残れないのではと思いました。

そこで現在新東京木材の仕入れ価格が東京だけでなく、埼玉や茨城くらいまで視野に入れた時、どれくらいのポジションにあるのか、東京木材ネットワークを活用しながら資料を集めては、ということになりました。
来年の春になるかと思いますが、どのような仕入価格や小売価格が示されるのか楽しみです。




2003/11/21(金) 晴れ


[ せつないね ]
せつないね



70万円ほどためた賃借人に出て行ってもらったり、そうかと思えば一万円を借りに来る人もあり、お金にまつわる話はこのところ尽きない。
売掛金を払わずに大きな顔をして仕事に組合に精を出している人もあれば、今月分は「待って」と言う人もいる。
そんな折、やはり知人からお金の無心があった。こちらだって今大変なんだし、みんなが同じように苦しんだりしながら頑張っているのにと思い、断りを入れた。私にしては快挙である。
でも切ないね。

先の見えない時代にお金しか頼るものがなくて、しかもそれが目に見えて減ってゆく。今はいい時代じゃないと思うよ。助け合えるほど余裕もないね。生活を最低限維持していくのにお金がかかりすぎるもの。

昨日は池袋の地下通路で脱糞している浮浪者を見た。人間もそこまで落ちていくのかな。昨年も思ったけど、今年の末はもっとひどいのだろうな。親は子を殺し、子は親を殺す事でしか自分の欲望を満たせなくなってしまったのか。

笑って暮らしたいね。つくづくそう思う。



2003/11/18(火) 晴れ


[ 戸田へ ]
戸田へ


11月15日、16日は新東京木材中野支部第2班の忘年会を兼ねて静岡県は戸田にいってきました。泊まる所は、民宿「いその屋」。9月に一度則ちゃんと訪れた所です。前回は下見を兼ねていました。
15日朝、原康さんの運転する車に6人が乗り込み、合計7人でした。あいにくの曇り空の中、カーナビを信じて「言うとおり」に進んでいったのです。その初っ端が用賀インターから東名高速に乗らずに第3京浜を走るように指示され、横浜町田インターから東名高速に入ることになりました。ナビの言うとおりに走ると皆さんから、「東名高速は通らないのか」「湘南の海岸を行っても混んでいると思うけど」など疑問も出され、東名に乗るまでその話ばかりでした。
横浜インターから東名に入ると大した混雑もなく、「これなら用賀で入っても」と思うくらい順調に沼津に着き、三島で昼食をとると戸田を目指しました。この間に「いそのや」の女将から二度の電話があり、「もう東京出るかね」「今沼津です。もう少し寄り道をして4時ごろに着きます」「今どこいら」「戸田の岬です」との会話を経て無事「いその屋」に到着。「壱の湯」に行くもの、部屋でくつろぐものなど各自の行動を経て、宴会の開始。お相撲が終わると宴会場にて会食。6時過ぎから9時半過ぎまでコンパニオン二人に、スーパーコンパニオンの女将さんが入って「食べて、食べて」の世界。
美味しいものばかりではありますが、流石にお腹がきつくて大変でした。高足ガニを先頭にアオリイカ、イセエビ、アワビ、鯵にヒラメ、ウニ、イクラ、牡蠣、テンプラに鍋と寿司。混ぜご飯に漬物。修善寺の山で汲んできた美味しい水も講釈付きで差し出され、満腹。
息つく閑もなく、カラオケタイムへ。普段歌ったことのない女将がトータル二十曲くらい歌い、漁師の旦那さんも二曲歌って、どちらが主役だかわからなくなってしましましたが、歓迎してくれた事だけは確かです。
おまけにその場でお土産の相談にも乗っていただき、みやげ物やさんによる手間が省けました。

さて次の日。昨晩の話の中で、最後に出てきた「心太」が美味しかったのでそのお店「盛田屋」さんを訪ねる事にしました。そこは女将の二女の嫁ぎ先であり、場所は土肥でした。車は南下し、土肥の町を過ぎる頃に「盛田屋」は見つかりました。女将から連絡が入っており、「いその屋さんに泊まったお客さんだね」と声をかけられました。心太などを買い求めているといその屋の女将からお土産に貰った「天日塩」が200g600円で販売されており、結構高いものだなと感じていたところ、盛田屋のご主人が「塩を作っている所を見ていくか」といわれ、ここから二、三分だというので案内していただく事になりました。そこは駿河湾に面した海岸沿いにあり、大きな所ではありませんが、30トンの海水を3トンにまで絞る施設とその水を天日だけで塩にする設備を見学させてもらいました。天日干しの器は巾45センチ、奥行き90センチ、高さ20センチの大きさでそこから約250グラムの塩が取れるとのことでした。前半が40日、後半も40日かかるとのことです。そこまで丹念に手間をかけてキロ3000円の塩の出来上がりです。その過程でできる「にがり」の話もしていただき、今一度「盛田屋」に戻り、お土産を買いなおしました。私は則ちゃんにお肌がすべすべになるという「塩クリーム」を買い求めました。

そうこうしているうちにお昼近くになり、岐路に着く事にしました。三島大社に寄り子供の晴れ姿を見、昼食にうなぎを食べて沼津を後にしました。



戸田の岬にある社。


いその屋での宴会。スーパーコンパニオンはこの時はいませんでした。


2班の面々。バックは駿河湾に面した塩工場







2003/11/17(月) 晴れ


[ コア抜き ]
コア抜き



今、自宅を工事中です。二つの部屋の一部をくり抜いて一つの部屋として使うために鉄筋コンクリートの壁を抜いています。

テレビのリフォーム番組でよく壁を壊すというのがありますね。
壁がバタンと音をたてて崩れていく姿を見ますが、今日実際に目にしたものはそれとは異なるものです。あれはテレビ用ですね。
今回のコア抜きは油圧を利用したもので、思ったほど音も少ないものでした。
手順は、


先ず穴をあける。私のところの壁厚は120ミリでした。


四つ葉の形に穴を開けました。


開けた穴に機械をはさんでつぶしています。


だいぶ開いてきました。


向こうと繋がりました。




2003/11/13(木) 晴れ


[ ここの所の出来事 ]
ここの所の出来事


古いマンションの3階を自宅にする工事を10月29日から始めました。今日になってマンションの内部解体工事が、やっと一区切りついたところです。
壁や床を壊す際にはかなりの騒音を発し、2階の住民の方からクレームがつきました。そこで解体する時間を調整しながら進めていました。それが一区切りついたので少し安心しています。
60平米の内部を壊しただけでも、4トン車一台、2トン車5台の廃棄物が出ました。量が多いです。この分を納めないと自宅が出来上がらないのかと思うと気が遠くなりますが、皆さん一生懸命に仕事をしていただいているので、助かります。
遅れましたが、今回の仕事は解体、大工工事を篠原工務店様にお願いいたしました。丁度手があくというので急遽お願いし、順調にすすんでいます。

また本日は、トキ空間設計の若い設計者である滝沢さんと飯田さんにも来ていただき、解体工事を見ていただくとともにどのように仕上げていくのか、打ち合わせをしました。



とりあえず、第一段階はクリアーし来週から次の段階にすすみます。


解体前


今日の姿


斜めの梁がたくさんあります。 





2003/11/07(金) 晴れ


[ 今年の菊は ]
今年の菊は



今年も則ちゃんが菊を育ててくれました。
夏場に水分が不足したのか、葉っぱが茶色くなってしまいましたが、
今年も菊を咲かすことが出来ました。
春先にいくつかの家庭に枝分けしたのですが、
それらの何処よりも大きく咲かせる事が出来ました。
則ちゃんは水遣りを忘れないし、辛抱強い性格です。



2003/11/06(木) 晴れ


[ 護国寺へ ]
護国寺へ



11月1日は、護国寺で大野家の法事がありました。私にとっては祖父省三のすぐ下の弟である治輔さんとその子である大野晃さんのための法要です。治輔さんは27回忌。晃さんは3回忌になります。
大野治輔さんは埼玉県飯能市の寒村に生まれましたが、母親の縁戚からの支持もあり、また戦後の時流に乗って一代で製本業界に名を成しましたが、その後より大きな力に吸収されました。ただ、そのことによって財産を守ったとのことです。
この大叔父さんのお蔭で父の兄弟も3人仕事上でお世話になりましたし、その縁で私も父の代理として「大野家」の関係に出入りする事になっています。
治輔さんが亡くなった時には護国寺も静かで「サンシャインビルもなかった」と当時を知る人が話してくれました。


のっぽビルは池袋サンシャイン。


大野家のお墓







2003/11/02(日) 晴れ


( 2003/12 ← 2003/11 → 2003/10 )


[ 管理者:大野満生 ]


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