[
転機
]
|
転機
52歳になった。52歳という年は私にとって大きな転機になると思う。 それはひとつには身体の転機であり、二つには仕事の転機であり、三つ目には心の転機である。
体力の低下は甚だしい。頭の中で想像していたより遥かにがくんと体力が落ちる。始終身体を動かしていないと現状を維持できない。今まで持てた材木が重いと感じられるようになった。荷物を持ちながらの階段の上りがきついと感じられるようになった。そこで一日30分くらい材木を移動させながら一汗かく事にしている。 生きることは常に動くことからしか生まれないと感じている。50歳からテニスを始めていて良かったと思う。まだ、週に1回から2回しか出来ないが、体力の低下防止にはかなり役に立っていると思う。
ふたつには仕事の転機である。材木屋となってから四半世紀が経つ。その中でもここ数年の景況は経験したことがない。物が売れない、木材が売れないのである。ここ十年を取ってみてもそのことを見越して、不動産業をメインに置きながら木材業を営む形態をとってきた。木材が売れなければ、より住宅に近づき、新建材や住宅機器あるいは工事物件をこなしながら、工務店業やリフォーム業に踏み込んで木材を売ることに励んできた。それは社会的使命感からである。木材が自然の生成物であり、人間はその恩恵を受けてここまで来た。日本であるならば、「木の文化」という形で受け継がれている。それを途絶えさせてはならない。森の中に入って美味しい空気を吸うように、住まいに自然のものを使えば自宅にいながら森林浴を味わえる。今これを書いている場所は築40年の賃貸アパートの一室である。節だらけの柱が見え、塗り壁でこれといった特色のない木造住宅であるが、光は入ってくるし、窓を開ければ自然の風が爽やかだ。(自動車の音も一緒だけど)この部屋が落ち着けるのは「木が建って見える」ということだと思う。最近賃貸で貸していたマンションが空いてしまい、ここを利用して自宅をつくろうかと考えている。
最後に心の転機である。一番目と二番目に大きく関わっているが、50代の前半は、自分のこともしたいし、できる年になった代わりに、親のことや子供のことも面倒を見なくてはならない。仕事も雑用が多く、それを断れないので増える傾向にある。そのように毎日を送っていると一日一日が瞬く間に過ぎ、自分は何をするために生まれてきたのか、何をこの時代に残していけばよいのか、何が残せるのか、思い悩むことが増えた。一人の人のために生きていくのが基本だが、その人を幸せにするためにもまた健康で仕事をしなくてはならないのである。だけど結婚してよかったと思っている。心の悩みが二人なら解決できるからである。
2003/06/30(月)
|
|