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時々更新mn日記

( 2003/06 ← 2003/05 → 2003/04 )


[ 写真で見る木道楽展 ]
写真で見る木道楽展



5月25日にはつくば市で開かれた「八溝の森の木道楽展」に行ってきました。つくば緑友会の主催です。会員のアイデアあふれる作品をみたり、触れたり。楽しいひと時でした。茨城産の木のレベルの高さを感じてきた一日でした。


「木道楽展」全景です。
猪も参加しています。


先ずは朝礼から。


樹齢100年の桧


これが一本あたり、138000円。
安いと思いませんか。


枝打ちの後が残っていました。


沖山製材所のコーナー
麺台や麺打ち棒も販売していました。


沖山製材所が出展した「地桧」の「杢」
大変珍しいものだそうです。


阿見常陽木材製作の「鹿のプランター入れ」
節が目に見えませんか


(有)ヒダさんのアイデアで作られたシーソー。
一台はすぐに売れました。買われた方の所は広い庭があるのですね


渡辺木材(株)のコーナー
本棚がよく売れていました。


木工教室も開かれました。




2003/05/30(金) 晴れ


[ 私を支えるもの ]
私を支えるもの


歯を治そうと思い、かかり付けの歯医者さんに電話をしたら、留守電になっていた。翌日のこと、歯医者の代理の方から電話をいただいた。先生が体調を壊して、診察できないとの事。10日や一週間で回復しないことを告げられた。その歯医者は西新宿にあり、自転車で5分足らず。近くて上手くて、私にはもってこいの所だった。かれこれ二十年になる。5年に一度見てもらう程度なので先生の方も年をとっていたのを忘れていた。先生も60歳は確実に過ぎているだろうから、体を壊すこともあるだろうし、やめてしまうこともあるよね。
どこか紹介してもらえる所はないかと聞いてみたら、できれば近くに行ってくださいといわれてしまった。親戚のS先生はまだ開業していますか、とお聞きした所、「会」の仕事が多いから、今は一般の方はやっていないとの事。

自分もいつのまにか、50才を超え、若いといわれる年を超えてしまった。自分の周りの人も一緒に年をとっていくのだから、あの人に聞けばわかるとか、あの先生の所で直そうと思っていても、相手がいなくなっている場合がある。かかり付けのお医者さんも65才だし、散髪屋さんも年金をもらう年になっている。こうしていつのまにか時代は流れてゆく。

同じ事だが、例えば住まいを建てようとしている人から見るとあの大工さんはもう年だし、知っている人もいないから、「ハウスメーカーに任せようか」となるのだろう。頼りになる人は減った。
でも自分には仲間がいる。

先ほども、少し離れたアパートの住人からベランダの下に「蜂が巣を作ってしまったのでなんとかなりませんか」という問い合わせがあり、早速アパート近くの畳屋さんに「チョット見てきてくれる」と連絡した所、「小さいのが三つあったけど、ブロック塀に登って取ってきたよ」と折り返し電話がきた。
仲間は大事だとつくづく思う。




2003/05/29(木) 晴れ


[ 月報委員会9 ]
月報委員会9



5月19日に月報委員会が開かれました。価格の評定はさーっと流して本題は新東京木材商業協同組合に属する問屋である新里木材と渡辺木材からそれぞれ「若手」である新里さんと石垣さんをお招きして市売り問屋として現状をどう見るのか、あるいはこれからどうしていくのか、そういったお話を伺うことが出来ました。

新東京木材には木材を初めとする住宅資材販売に関して大きく分けて二つの部門があります。市売り問屋による売上と組合の直営部門による売上です。前者がほとんど木材に対して後者にはプレカット、建材なども入ります。ここ数年後者の直営部門の売上が伸び、市売り問屋の売上が凹んでいます。そのような情勢の中でお話を聞いたのですが、先ずは現状から。

渡辺木材は新東京の組合員約400社のうち、120社と取引があり、取り扱い品目は杉、桧、栂、WW、集成材など全般にわたり、仕入先は約30社。そのほとんどが契約であると説明されました。
新里木材は同じく400社のうち、200社と取引があり、取り扱い品目は杉、桧、栂、WW、レッドウッド、ドライビームなど。仕入先は約50社。ほとんどが契約販売であり、中国木材の「ドライビーム」や佐川産業の「アトピーキラー」など有名な商品も在庫をしています。
両問屋とも安定した品物を常時集荷しており、都内の市場の問屋としてはレベルが高いと思っています。

それでも、買うべき立場の人間が少なくなり、また少量しかいらないという状況の中では売上が落ちていくのは仕方がないかもしれません。売り先が組合員に限られていることもありますし、直営部門との競合もあります。
そこで彼らも基本に立ち返り、「木材を売る」というところに力を入れる旨の発言をしてくれました。取り扱い商品の紹介、引き取りやすいように立てておく。ロットを小さくする。小口配送などなど。

また記念市では新東京木材はまだ動員力があり、60名から100名近い参加者があるので、市日を情報交換の場所として活用していくことも話されました。当日は次期理事長に推挙される予定の河野副理事長から、直営部門と共に木材を売るというところに力を入れ、市売りの活性化をめざす旨の発言がされたことも心強く思います。

新東京木材は私どもの仕入先ですから、ここが細くなると、私たち自身も細くなります。私達材木屋が木材だけでなく、新建材や住宅機器を含むあらゆるものを取り扱い品目に加え、「住宅」や「生活」に飛び込んでいったのに対して、木材問屋は木材にこだわり、そこにじっと我慢して留まりながら、木材を売っていかねばなりません。今年も「い木い木ふれあい祭り」を開催する予定でしょうから、消費者との繋がりを大切にして、木材が人間にとってどれだけ大切なものか、空気のような存在がどれだけありがたいものであるのかを訴えつづけることになると思います。
今回お招きしたお二人には「木材のプロ」を目指していただきたいと私は思います。ともあれ、問屋は材木屋の縮図だと感じた一日でした。





2003/05/23(金) 晴れ


[ 「赤木君」 ]
「赤木君」


赤木圭一郎を当時の仲間はどう呼んでいたのか、宍戸錠は「トニー」と呼んでいたらしいがかなりの人が「赤木君」と呼んでいたと親友であった杉山俊夫氏は語った。昨日の出来事である。多摩川にある日活撮影所の移転が決まり、そのファイナルイベントとして赤木圭一郎の映画の上映会ならびに杉山氏のお話があった。主催は「赤木圭一郎を偲ぶ会」である。

プログラム
1=映画「拳銃無頼帖 不敵に笑う男」
2=トニーファン交流会、昼食、記念撮影会」
3=映画「赤木圭一郎は生きている 激流に生きる男」
4=トニーの思い出を語る 杉山俊夫氏
5=撮影所(スタジオ見学)

杉山氏は、映画仲間であり、学年は一年先輩。でも同じ年(昭和14年の2月4日と5月8日生まれ)であり、笹塚の八百屋の2階を隣同士で借りていたし、国領に移ってからも下宿仲間であり、親友であった人。そのため貴重なお話をいくつか聞くことが出来た。
「赤木君」と皆から呼ばれていたこともその一つである。杉山さんのウイスキー(角ビン)を黙って飲んでしまった事。そのお返しに高級品を持参したこと。交差点の真中で車がエンストして赤木が力の限り押して動かした話。事故当時の話や病院に連れて行かれたときに生き延びても植物人間だといわれた話など新鮮であった。
そして彼女の話。4歳年上の人で葬儀の時にも門の外で見送った話も教えていただいた。
また、「赤木圭一郎は生きている 激流に生きる男」を見るのは初めてだと言われた。この映画の中に効果音でゴーカートがぶつかる効果音が入っており、その後彼の葬儀の模様が映し出されている。ここの所は私も4回目だが、見るのが辛い。

「赤木君」死後40年。今なお、イベントを行えば、200人を動員する力がある。その集まりに初めて参加した。


プログラムです。


会場風景


お気に入りのこの一枚。







2003/05/19(月) 雨


[ 二班の心 ]
二班の心


5月13日には新東京木材中野支部の二班の会合を開きました。5月から私が班長さんになって下準備をすることになり、第一回目はJR中野駅南口の「三河屋」(03−3381−9680)で開きました。ここはいつも使っている所で、個室で話ができるので大変重宝しています。
ただ、難点はいつも同じ料理。お通しから刺身、酢の物、煮物、てんぷらに至るまで(私が知っているここ10年間でも)変化したことが無かったのです。もちろん美味しいのですが、2月と3月、4月が二回に今月ですから、少し飽きてきた所で、「この設定は失敗したかな」などと考え、予約の確認時に「ここの所、鰻を食べていないので、そこをメインにして下さい」とお願いしました。
ふたを開けて、昨日のこと。
お通しも酢の物もいつもと違うものがでてきて、煮物も中味が違うし、中トロの刺身に蛤が二つ付いてきて、てんぷらとロブスターに茶碗蒸。
いつもとの違いに
「大野さん、絞めたんじゃないの?」と言われる始末。
「帰ったら早速みんなにこの事を伝えるよ」と言ってもらえたりして良い方へ転がり、幸先の良いスタートとなりました。
目先を変えることでお客さんを掴むことも大事だと感じてきました。これも日頃の二班の結束から来たものだと思います。




2003/05/14(水) 曇り


[ 「杉 日本の原点シリーズ木の文化1」(私の本棚) ]
「杉 日本の原点シリーズ木の文化1」(私の本棚)


新建新聞社発行
定価:本体1900円(税別)


目次

杉が泣いている
杉の里を訪ねる
杉がつちかった日本文化
杉を語る
杉の巨木には神が宿る
杉を学ぶ
杉の家・杉の作品


杉はいうまでもなく、日本を代表する木の一つです。北は青森県から南は沖縄まで分布し、品種は数百種に分かれるといいます。「杉」の名前は直木、すなわち真っ直ぐな木というところから名づけられたといわれています。
杉は割りやすく、容易に板を取る事ができる材で柔らかな板目は目に優しく、杉の板の上に乗ると暖かく子供を育てるのに最高です。
また、精神的支柱としての役割の見逃せません。神社の境内には必ずといってよいほど杉の大木があり、参道には杉並木が植えられました。こうした木々は大木となることが求められたため、風雪に耐えられる杉が使われたといわれています。
杉の用途としては、住宅建材としての用途が最も大きいものでしたが、近年、杉材の難点が強調されすぎて使われない風潮が生じました。また、杉は価格が安すぎるために生産対象にならないとまでいわれています。
さらに、杉は花粉症の原因ともなり、杉に対するイメージはいま一つ芳しくありません。ところが第二次世界大戦後に植えられた杉の木は資源としてみると豊富になり、伐採の時期を迎えています。風倒木として放置されているものもあります。
杉の資源を活用していくことで環境問題や健康の問題を考えることは私達のこれからの課題ではないかと書かれています。


この本の中では建築家丹呉明恭氏が語る「なぜ、杉の住宅を作るのか」は一読の価値ありがあります。小見出しに「植林された杉の並材で建てる」「山が見える家造り」「ゴミを出さない家造り」「杉から再構築する」と書かれているように丹呉さんは杉の並材を室内や外部にあらわして使うことで木造住宅は森林が都市に移行したものであり、日本の伝統型の構法は作るだけでなく、一方で解体できる構法であって、解体してもほとんどゴミを出さない見事なシステムだと訴えています。
「杉から再構築する」では、丹呉氏は
「杉は水分を多く含んでいるために乾燥が難しく、柔らかいために加工しにくく傷がつきやすい、しかも構造的には一番強度の低い分類に入るので、住宅用材として使用するには扱いにくい木です。しかし、一方では断熱性能や調湿作用が他の木と比べて大きく、室内環境を考えた場合には優れた性能を発揮します。山を維持しながら木造住宅を作って住み続ける、しかもゴミを極力出さない住宅つくりを考える時、私はこのような杉をどのように使ってゆくのかが、一つの試金石になると思っています。」と結んでいます。
私も杉は弱いものである、あるいは欠点が多すぎると思っていますが、それを人間の方で補って工夫して住まいを建てていくという丹後さんの主張に感動を覚えました。

また、木原巖氏は「材木屋は不要なのか」(近くの山の木で家が出来ない理由)は私ども材木屋としてはいつも頭に入れておかなければならないことでしょう。





2003/05/13(火) 晴れ


[ FAXが」来ません ]
FAXが来ません


閑になり、FAXが来ません。来るのは案内のものばかりで肝心の仕事にかかわるものが少なくなりました。以前は見積の木拾いなどが来たのですが、減りました。

ここ二週間で42件の送受信。そのうち、27件が送信、15件が受信です。受信したものの内、8件が問屋からの納期回答。お客さんからのものは5件です。休みもありましたが、二日に一通の割合。FAXも使う割合が極端に減っているのが気にかかるところです。

店の電話も少なくなり、お客さんからの注文は携帯電話にかかります。ですから携帯電話の使用回数は増えてきます。これなく、して仕事ができなくなってきたといっても過言ではないでしょう。口頭で、「○○はあるか」「今から頼んで××は何時入る」など。急ぎのものを直接注文されて、「折り返します」と言っては、問屋の営業マンやメーカーの人間に電話して「何処にあるのか」、「何時までなら間に合うか」こちらも口頭で伝えることが多くなりました。

今一歩進むと、お客さんが直接メーカーの端末を叩いて在庫を確認して、「草加にあるから材木屋さん取りに行ってよ」と言い出すかもしれません。それとも材木屋が「群馬の沼田にあるようだけど、取りに行ってもらえる」と材木屋は主導権を持てるのでしょうか。

時代は進歩していくと思いますが、私としてはあと二日早く注文して貰えれば、普通のルートに乗って「段取りよく進む」と考えているのですが。
昔の大工さんは、仕事が上手く進むように気を配っていたと思いますが、今は改造の仕事が多いせいもあり、かなり行き当たりばったりになっているように思います。

2003/05/12(月) 晴れ


[ 清里へ ]
清里へ



5月の連休を利用して清里に行きました。彼女と共に行くのはこれが八回目だと思います。

3日の日に昼前に清里に着いたので早速「藤乃屋」でおそばを食べ、まきば公園で昼寝。清泉寮でソフトクリームをいただくと、自然観察路へと足を向けました。このあたりの木々はまだ芽吹いている状態で若葉の季節には少し早かったのですが、二人で歩いてみました。観察路の歩道にはチップが敷き詰められており、歩きやすくなっています。「コメツガ」の木の少し向こうに見晴らしの良い場所があります。ここにはウッドデッキが設けられてあり、ベンチに腰掛けて前を見るとなだらかな丘に緑の牧草地が一面に広がります。その向こう側に奥秩父の山々、やや右手の一段高いところに富士山が見えます。「頭を雲の上に出し・・・」とはよく言ったものです。左から右に顔を動かしただけでは富士は見つかりません。目をもう少し上に向けると見つかるのです。
ここは私の一番好きな場所の一つです。富士山を眺めながら出来れば牧草地で寝転んでみたいと思っています。




自然観察路の中で。

さて次の4日に日には、午前中テニスをしてから「北甲斐亭」(TEL0551-48-5541)という所へおそばを食べに行きました。今回お世話になったペンション「ゆい」のご主人おすすめもあって来ました。清里中心部からはすこし離れた場所にあり、しかも食べる所はここしかないという場所なのでお昼時は混んでいました。尤も私達は昼前に入りましたので大丈夫でしたが。
ここはそば打ち体験もできる所です。お子様連れには良いところです。私達はお腹がすいていたのでてんぷらそばをいただき、食べ終わった所でデジカメに撮るのを思い出しました。が、あとの祭り。蕎麦掻を注文してそれをカメラに収めました。おばさんたちが一所懸命に打った田舎そばです。素朴な味がします。


北甲斐亭


続いて、そのすぐ近くの「大滝」を見てから、泉郷へと車を飛ばしました。
目指すは、作陶工房「いずみ窯」です。ここは八ヶ岳高原泉郷の中にあり、「てびねり」に挑戦です。お皿を作るか、カップ類を作るのかで用いるものは違いますが、彼女は日常品を、私はぐい飲みに挑戦しました。
私の場合は、
野球のボール大の粘土をこね、その四分の一を轆轤の上にのせ、1センチ位の厚みに平らにしていきます。轆轤を回しながら作りたい大きさに筋を入れ外側の粘土を外します。その上側に棒状にした粘土を重ねあわせ、外側は下から上に、内側は上から下に上下の粘土を一体にしてゆきます。それから自分の考えた形に変形させて出来あがり。同じようなものを二つ作って、三時間ほど遊んでいました。結構丁寧に作りましたので出来上がりが楽しみです。


「いずみ窯」です。

5日には牧場通りを中心に回ることにしました。「ペンションゆい」を後にすると先ずは「清里マチス」でケーキをいただき、谷口牧場で引き馬をみながら一休み。清泉寮の下のパン屋さんに寄り昼飯を買い、まきば公園で食事。爽やかな風をおかずにして先ほど買ったパンを食べて今回の旅の終了としました。

今回お世話になったペンション「ゆい」は丘の公園入口近くのペンション街の一角にあります。ログハウス風の落ち着いた二階家でオーナーは関西出身の方。三年ほど前にそれまでのオーナーさんから譲り受けたとの事です。庭の手入れが行き届いていてこれからの季節花を楽しむことが出来ます。また小鳥を呼び寄せる工夫もされていて、スズメやアカゲラ、ヒヨドリ、ヒワなどが寄ってきます。
私の気に入りはオールデイズを聞きながらのドリンクタイム。夜の9時から11時までお酒やコーヒーを飲みながらゲームをしたりおしゃべりをしたり。4日の日は子供連れの家族の方やカップルの方と「ウノ」を楽しみました。8人で行うとなかなか終了にならなくて気がついたら12時前。小学生の低学年の女の子二人の覚えの早いこと。旅の思い出の一つとして気のきいたサービスでした。




ペンション「ゆい」(TEL 0551−48−3331)のHPはこちら。
http://www.interq.or.jp/happy/yui/


泉郷の作陶工房「いずみ窯」(0551−38−4263)はこちらから。
http://www.comlink.ne.jp/~oniko/panflet2003-2.html



2003/05/06(火) 晴れ


[ 回転すし「プラスα」(中野新橋紹介) ]
回転寿司プラスα(中野新橋紹介)


中野区弥生町2-20-12
03-3374-6318
月曜定休
中野新橋徒歩1分


この3月に中野新橋に出来た回転寿司屋さんです。何でも一皿100円。二貫のものもあれば、一貫のものもあります。昼飯代わりに幾度か行っていたのですが、昨日は父親が行きたいということで、則ちゃんと三人で行く事にしました。どうも年寄り仲間で話題の店らしいのです。
私が小さい頃、100円寿司屋には両親に連れて行ってもらいましたが、その頃はまだお寿司は回っていなくて、父からこういう所は初めてだとのお言葉。
そうだったかしらと思いながら食べ始めました。
甘えビ、うに、ホタテ、鰻に中トロ。穴子に赤身。そして鯵のトロ。数えてみると14皿。私にしては食べすぎです。
父も7皿ほど平らげ、小食の父にしては画期的でした。
お寿司の見た目は素人っぽいです。が、ネタは新鮮。はずれが少ないのと「本日のおすすめ」がお得です。
少しつまむ。腹ごしらえにここはお勧めです。
則子さんも美味しそうに食べていました。



2003/05/02(金) 晴れ


[ 今日から5月です。 ]
今日から5月です。


さて5月になりました。お寺の増築も終盤戦です。
そこは宝福寺といいまして、奈良にある長谷寺の系統との事。そこで分けてもらった牡丹が庭先にあります。4月の半ばには蕾だったのが4月24日に配達に行った時には鮮やかに咲いていました。そこで4月26日のお昼休みを利用して二人で見に行きました。
赤と白の大ぶりの花が満開で、今にも零れ落ちそうに咲いていました。そこで写真を一枚。


きっと昨日の雨で花は散ってしまったでしょう。

散ったといえば、
4月27日の日曜日に中野区のテニスの試合に出ました。混合ダブルスですが、結果は1回戦敗退でした。
試合というのは緊張するものです。たかが草テニスですが、試合が近づくにつれて自分自身が硬くなっていくのがわかります。最初のセットはリラックスできず、彼女の足も引っ張ったままでした。続いて第二セットはそれより少しマシでしたが、6−4で敗れ、記念すべき第一戦はほろ苦い味からの出発となりました。ゲーム終了後は口惜しさが残りました。もちろん実力から言えば当然の結果ですが・・・
それでも翌日になるとゲームに出たという達成感と動き回って出た疲れから来る爽快感が伴って、何か清々しい気持ちになりました。テニスを始めて2年。面白さも難しさもわかり始めた所で、また練習です。
この次はもう少し楽しめるようになっていると進歩となりますが。



今日から5月です。
風もさわやかで、気持のいい季節です。
さあ、仕事に遊びに頑張るぞ。




2003/05/01(木) 晴れ


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[ 管理者:大野満生 ]


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