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時々更新mn日記

( 2003/03 ← 2003/02 → 2003/01 )


[ 間取りの不可思議 ]
間取りの不可思議



8畳の書斎の上に10畳の子供部屋を造った住まいがある。完成が近づいて先日の月曜日に施主の子供が自分の部屋を見に来た。幼稚園児だから飛び跳ねる。広いから走り回る。下で仕事をしていた大工に音が響いた。
この建物の床は24ミリのラーチ合板にへーベルを敷き、その上にベニヤ、遮音ゴムそしてフロアーといった具合でかなり、音の問題を考えた造り方をしている。それにもかかわらず、思ったより大きな音だった。そこで1階の天井裏に断熱材を足す事にした。今回使用したのはニットーボーの「暖冷マット」だったが、このように大工は気持ちをこめた仕事をするものなのである。
入れたら、どうだったと聞いたら、
「音の感じが柔らかくなった」と答えてくれた。
子供が走り回るのはほんの数年。大きくなれば自然とそういうこともなくなり、階下に居ても気にならないとは思うが、今回は下が書斎ということもあって、そうしたとのこと。
建売でない「住宅」だから気も使うのである。




2003/02/26(水) 晴れ


[ 近況 ]
近況


19日と21日にテニスをして、22日には則ちゃんと神楽坂へフグを食べに行った。23日には三鷹の松坂屋肉店=小島の所に遊びに行き、コロッケ、メンチに牛肉をもらって、ここの所それをおかずにしている。
昼間は仕事に精を出し、忙しい。幸い「バイト君」が手伝いに来ているので助かっている。昨日は耐火ボードの荷揚げ。お蔭で今日は身体が痛い。揚げるときにひねりを加えた関係か、いつもと違う所が痛い。
ともあれ、今日は天気もよく、仕事も一段落して、のんびりしている。
それにしても売れていくものが限られている。「耐火ボードばかり」である。
不況時になると中華料理屋もラーメンばかりの注文になると聞いたことがある。それと同じ状況が押し寄せているように思える。



神楽坂の河豚屋さんはこんな感じ。


2003/02/25(火) 晴れ


[ 月報委員会7 ]
月報委員会7


月報委員になって一年半が経つ。今回は任期がこの5月で切れることもあり、価格の評定だけでなく、これからこの委員会で行っていきたいことや委員の方の近況などが話された。
はじめの問題をアトランダムに書いていくと、

建築基準法の改正に伴う諸問題。これについては3月の委員会で建材問屋の方からお話をしていただく。

建材に含まれるホルムアルデヒドなどVOC対策について保健所の方~お話をしていただく。

新東京木材の木材問屋にいる若手の方をお招きして、現状や展望をお話していただく。

住宅保証制度について

トラックの排ガス規制について

ゴミ、焼却炉の問題について

放火に対する対策。

こんな感じでした。これを見ただけでも、材木屋を取り巻く問題の多さを感じます。
ゴミの問題では、焼却炉が使えなくなったところも多く、ゴミ処理にかかる費用を大工・工務店に負担していただく所が増えています。
又仕事の方向性としては、新築は少なく、あったとしてもプレカットになり、メインはリフォームだという認識の方が多く、木材や建材だけでなく、ユニットバスやシステムキッチンまで収めさせていただくとの事です。そのため、カタログの見方や材料の使い方を施工者に教えている材木店も見られました。
我々が通常業務として材木を担いだり、木拾いをしたり、カタログから必要なものを見つけだしてきたりしていることを次の世代に伝えていくことが必要なのだと感じてきました。




2003/02/19(水) 晴れ


[ 上棟が一軒 ]
上棟が一軒


2月13日は、 (株)誠和住建さんのご紹介で建てさせていただいたM邸の上棟式がありました。当日は天気もよく暖かで上棟日和でした。
木造三階建てのため、柱をヒノキの12センチ角のKD材。梁はドライビームを使わせていただきました。
柱は太く、梁を沢山使った、がっちりした構造に施主も満足感を表に出してくれました。工期の無い仕事ですが、無事竣工するまでお手伝いさせていただきます。
大工さんからは、「しばらくは夜中にヒノキの柱が割れる音がするけれど心配ないからね」、と施主にアドバイスがあり、和やかの内に中〆となりました。







2003/02/14(金) 晴れ


[ 二班の会合 ]
二班の会合



去る2月12日は、昼間は新東京木材の期末謝恩セールが中野市場で開かれ、夜には中野支部第二班の会合がありました。昼間のセールは久しぶりに盛況で中野市場は人と車で埋まりました。夜は班の会合で、いつものメンバーで和やかに飲んで話してきました。その時の話の中で大きな材木屋さんが建築屋の連鎖で潰れたとの事。これからそういう話題が増えるのでしょうか。また来期からこの会合の班長を私の所で務めることになりました。
さて、前日の11日には、テニスを予定しておりましたが、雨のため中止。そこでお義母さんに留守番を頼んで、二人で映画を見てきました。「トランスポーター」です。単純明快な筋書きと主人公のスーパーマン的活躍で楽しい映画でした。気分がスカッとして帰ってきました。さらに夕食を三人でとんかつを食べ、その後一時間ほど「カラオケ」に行きました。お義母さんも何曲か歌い、喉をからして帰ってきました。




2003/02/13(木) 晴れ


[ 「挑戦する勇気」(私の本棚) ]
挑戦する勇気(私の本棚)


羽生善治
朝日新聞社
定価1000円+税


はじめに
第一部棋士になるまで
第二部日本で将棋は面白くなった
第三部知識から知恵へ
第四部子供達からの一問一答


この本は大変分かりやすく書かれています。それもそのはず2002年8月に行われた「朝日ジュニア・サマースクール」での話が中心になっているからです。羽生さんは1970年生まれの現在32歳。その彼が小学生、中学生相手に話をしているのです。「好きだから続けたい」という確固たる意思で棋士になった話が第一部です。
第二部では日本の将棋の特徴や将棋の面白さを伝えています。面白さとしては勝ち負けがはっきりしていること、偶然性に頼らない必然性を追及するゲームであること。日本の将棋の特徴としては駒の再利用、同色の駒を使うこと、王将が強くないこと、一番弱い駒を打って王将を取れないこと(打ち歩詰めの禁止)をあげています。
第三部では、将棋を続けてきて感じている事から書き始めています。将棋を学ぶのに先ず「今度は飛車を縦に使ってみよう」などとアイデアを浮かべ、それが有効かどうかを検証し、その後に実際の試合で実行してみるとの事です。実践してみると相手に予想外の対応をされ、反省をすることもありますが、その繰り返しによってアイデアの実効性を検討していくと書かれてあります。頭で得た情報を知識としてではなく、知恵として吸収する必要性。とりわけ情報に自分なりのアイデアや判断を付け加えて血肉化する事の大切さを語っています。そのため、実績や常識にとらわれず貪欲に学ぶという姿勢が立派ですね。これが彼の強さ(=「前しか見ない」「過去にとらわれない」)に現れているように思えてなりません。イチローとの共通点です。
第四部では子供達の一問一答に応えています。例えば過去の人で誰と対戦したいですかという質問に対して升田幸三と答えています。升田幸三の「早く主導権を握る」というスピード感覚は当時突出していました、と語っています。この対戦が実現していたらさぞかし面白いだろうと私も期待に胸がふくらみます。私も将棋を少しかじったので・・・

さて、「挑戦する勇気」いい題名ですね。
「はじめに」のところで「いつも自分に言い聞かせている言葉です。だからといっていつも実行できているわけではありません。心配をしたり、失敗を恐れたり、考えすぎてしまうこともあります。」と書かれています。また、こんな風にも書かれています。「先の見えない時代」というのが最近良く聞かれる言葉ですが、だからこそ夢中で進んで行ければ、とも。

挑戦する勇気を最近忘れていないでしょうか?
好きなことなら、困難も乗り越えられるはずとはこの本の裏表紙の言葉です。










2003/02/06(木) 晴れ


[ 歌声喫茶「灯」の青春(私の本棚) ]
歌声喫茶「灯」の青春(私の本棚)


丸山明日果
集英社新書
700円+税


プロローグ
第一章 旅立ち
第二章 疾走
第三章 光と影
第四章 ロンド
エピローグ
あとがき


「盛り場の人気者」として『カメラ毎日』に掲載された母親の若かりし時の写真。その一枚の写真を手がかりに1974年生まれの著者が母親の青春時代を追いかける。それをドキュメンタリータッチで描いた本である。
母の名は丸山(水野)理矢。彼女は「灯」の創立メンバーだった。荒廃した第二次世界大戦後、の日本社会に明るい希望を与えた「うたごえ喫茶」。その始まりは「灯」だった。
ロシア料理の大衆食堂「味楽」。そこで21歳の誕生パーティーを友人が開いてくれた。1956年3月20日。幸いその日の客さんは彼女達だけ。
素敵なパーティーを開いてくれたお礼に理矢は「草原情歌」を歌い、それをきっかけに「トロイカ」「カチューシャ」「ともしび」など、店内を流れるロシア民謡のレコードにあわせて誕生会は合唱大会」へと進展した。その事がきっかけでマスターの柴田と理矢が出合い、うたごえ喫茶「灯」が生まれていく。1956年のことである。
初期のメンバーマスターの柴田、バーテンのワーリャと調理人のタマーラ。大男のドンちゃん、早番のアッコ、遅番の理矢。それに求人募集で「かほる」。7人がチームワークをくみ、「灯」が生まれ育っていく過程がいきいきと綴られている。
娘は母から青春時代の話を聞き、それをもとに昔のお客さんや関係者を訪ねて場面が要所要所に収められている。その人たちと母親との関係はまぎれもなく青春そのものである。読んでいてその時代の息吹を感じるとともに私の青春時代である1970年前後を思い浮かべるのである。私もまた、友と一緒に歌をうたっていた。それはまたそういう時代の最後の方だったのだろうか。







2003/02/05(水) 晴れ


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[ 管理者:大野満生 ]


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