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時々更新mn日記

( 2002/12 ← 2002/11 → 2002/10 )


[ 福祉住環境コーディネーター ]
福祉住環境コーディネーター検定
3級テキスト

発行:東京商工会議所
定価:1800円+税

目次
第一分野 福祉と住環境の連携
T高齢社会と住環境整備
U福祉住環境コーディネーターの役割と活動の場
V社会福祉と住環境整備の考え方
W高齢者の心身の機能と特性
X高齢者介護のあり方
Y高齢者に対する諸関連施策とサービス
Z関連専門職への理解と連携

第二分野 福祉住環境の整備に必要な理論と実践
[福祉住環境整備の進め方
\福祉住環境整備の基礎知識
]福祉住環境整備の基本技術
]T部屋別・場所別福祉住環境整備の仕方
]U福祉用具の活用と住環境
]V福祉環境整備の疾患・障害別技術


3級の試験は、福祉と住環境の関連分野の基礎的な知識についての理解度を確認します。住環境は安全でかつ安心して生活を続けるための基盤であるという考えの下に、高齢者の身体特性や疾患別の症状と必要な介護、医療、福祉、建築および福祉用具に関する全般的な基礎知識を理解しているかどうかを問うてきます。この本を一通り読んで、試験を受けてきました。11月24日のことです。場所は東京大学。東大の校内は銀杏並木がすばらしく、則ちゃんと二人で歩きながら秋を感じてきました。今年は身体ばかりが忙しく、落ち着いて出歩くことが少なかったので、丁度良い機会でした。
受験後に安田講堂を見に行ったのですが、あまりの小ささにびっくり。1969年大学受験組みとしては、安田講堂での立て篭もりや機動隊の放水車での攻撃などを、テレビを通じてみており、もっと大きな所だと勝手に想像していました。何でも実際に行って見て来ないと駄目ですね。
さて試験は如何に。結果は来年一月にわかります。この本の中では、病名とその特徴を覚えるのが難しかったですね。






http://www.kentei.org/fukushi/
福祉住環境コーディネーターに関してはこちらをご覧下さい。




2002/11/30(土) 晴れ


[ 伊東たみ子さん ]
伊東たみ子さん



11月20日に母の一番上の姉・伊東たみ子さんが亡くなり、21日のお通夜に行ってきました。92歳でした。私の母とは18歳違います。
たみ子さんは明治44年に伊東藤作の長女として静岡県に生まれました。現在の富士宮市下条上野にあたります。すぐ近くの伊東金吾さんの所に嫁ぎ、正徳さんという子供をもうけました。
この伯母との主な繋がりは私が幼いころから10年間くらいだと思います。私が51歳ですから、母に連れられて田舎に行っていたのは45年位前になると思います。それから中学生くらいまでの記憶が多いです。ですから思い出としては一緒に「北山」と呼ばれる場所にいる叔母のところへ、歩いて行ったこと。あるいは東京見物に来た時に二重橋の前で写真を撮ったことなどです。昭和30年代には「ハトバス」に乗って東京見物が流行ったものです。
この伯母さんはいつも穏やかで、伯父ものんびりした人だったので、この二人に会うと気持ちが穏やかになり、まわりの空気もまろやかになっていたのを思い出します。伯父は通称「シタテヤ」(仕立て屋)と呼ばれ、洋品店を営んでいました。夏に遊びに行けばテレビがありましたので高校野球を見たり、住まいの建替えも早かったので洋風浴槽に入れてもらったりしました。

平成7年に私の母が亡くなってからは静岡の家に毎年顔を見に行っていましたが、昨年までは私の顔も覚えていたのが、今年の夏に行った時には「わからにゃー」といわれ、名前を呼んでもらえませんでした。
平成5年にはひとり息子の長男の正徳さんに先立たれ、9年には夫金吾さんを失い、本人もほぼ寝たきりになってしまいましたが、お嫁さんの良子さんと4人の孫。孫には皆、連れ合いも出来、ひ孫の顔も見ることが出来たので大往生の人生だったと思っています。




2002/11/25(月) 雨


[ 11月の月報委員会 ]
11月18日の月報委員会



今月の月報委員会は、例月どおりの価格評定に加えて有限会社ウッドライクマツムラの社長である松村茂氏の講演会がありました。
松村さんは「パソコン及びホームページに関して」講演を行いました。

主な目次

新東京情報化委員会について
私のホームページ売上につながる活用方法
   http:://www.woodlike.co.jp/
私のホームページ作り方と更新の実際
  これからHPを作る人に忠告しておきたいこと
身近な材木屋仲間のホームページの紹介とアンケートの答え
 (有)大喜 日記風HP
http://www.mndaiki.com/
    (株)双葉 工事まで受けるがんばりHP
   htto://futaba.tv/
    近藤木材(株) 環境問題HP
   http://www2.justnetne.jp/~kondok/linkp09.htm
    カモシタJS(株) オーソドックスなHP
http://www.kamosita-js.co.jp/

ホームページからEメールをしてくる人への対応
丸宇インターネット市場の感想
ホームページの可能性
材木屋業務の手助けとなるパソコンの活用に関して
新東京価格表、ワープロ・エクセル、プレゼンテーション、販売仕入れ向けアプリケーションソフト

松村さんのところでは、木材や建材だけでなく、木版画用品を販売しております。この特徴を活かして3年前にホームページを作り始めました。そこで松村さんのホームページを開いてみると、桂やホウの木、あるいはシナベニヤなどの版画用製品案内や木版画の話などが載っています。さらに毎年版画の年賀状のやり取りがお客さんともあり、それがギャラリーとなって載せられています。これが全部ご自身で作られているのです。ここまでするのは大変ですが、ホームページを作ること事態は今では難しいものではなくなったと話されました。
では実際に材材木屋のHPにはどんなものがあるのか例をあげて説明されました。上記のレジュメにあるとおりですが、前もっていくつか松村さんから質問を受け、それに応えた結果を話していただきました。
例えば、私のところのものは、日記風HPと位置付けられ、(株)双葉さんの所のものは、工事まで受けるがんばりHPと纏めています。(株)双葉さんの者は等身大の「会社案内」となっていて、アクセスしてくるお客さんに安心感を与えることが出来ます。
また、近藤木材さんの所は地球環境を木材で守るといった主張がはっきりしていますし、端材などもサイズと価格を明示しておりますので、仕事と結びついていると話されました。
カモシタJSさんの所は業者に頼んで作っていただいたもので、オーソドックスなものに仕上がっています。アクセスの数は多いのですが、商売には直接つながっていないというお話でした。
また、月報委員の中におられる宮戸材木店さんが、最近HPを立ち上げましたので、宮戸さんにもお話を伺いました。宮戸さんの所に出入りしている職人さんがパソコンの話をするようになったので、自分でも始めてみようというきっかけを話され、パソコン用語に慣れていくことが大切だと話されました。

以下レジュメに沿ってお話をされましたが、今回参加された月報委員の方に参考になり、自分でもHPを作ってみようという方が、ひとりでも二人でも出てくることを期待します。松村さんご苦労様でした。折角スーツを着てくださったのにカメラを忘れました。




2002/11/19(火) 晴れ


[ 二班の忘年会 ]
二班の忘年会



11月16日、17日は新東京木材中野支部の第二班の忘年会を千葉県の御宿で行いました。16日朝、サンプラザ前を出発した7人は、海ほたる経由で木更津へ。大多喜城下で昼飯。蕎麦屋に入って天丼と盛りのセットを注文した所、安くて上手い。天丼のツユが甘くて、病み付きになりそう。量も十二分で満腹でした。そのため、大多喜城に寄り少し散策しました。ここは徳川四天王のひとり、本多忠勝を初代城主とする近世大多喜城の本丸跡に城郭様式で建設した博物館で入場は無料。「房総の城と城下町」をテーマに刀や鎧、衣装等が展示してありました。駐車場からお城に登る坂道に一本の紅葉が色づいていました。坂の両側に植えられているのは桜でしたので、桜の咲くころのほうが、見所としては多いかもしれません。

さて、ここを後にすると御宿を目指しました。御宿は童謡「月の砂漠」の作詞家加藤まさおが出たところで、彼を記念する記念館があります。また、砂浜にはらくだに乗った王子と王女の像もあります。この像の所を北に上って岩和田の漁港のすぐ手前が宿です。ここは料理が良いということで選びました。

いよいよ夕食。新鮮な海の料理を食べに来ただけあって、10種類の船盛りに始まりサザエやあわびなどを眼で楽しみ、舌で味わいながらお腹に収めていきました。お姉さん二人のお酌も手伝って、にぎやかに忘年会を楽しみました。

朝目を覚まして海をみれば、7時前だというのにサーファーが10人くらい海に出ています。それがすぐに30人へと増えていくのですから、日曜は朝からにぎやかな所です。今日の予定は特別に決まっていないということで、朝市を見に行った後、養老渓谷を目指しました。ここにある養老温泉は千葉県唯一の天然温泉とのこと。ここで紅葉狩りをし、温泉につかり、昼飯をいただき、帰途に着きました。


料理はこんな感じ。


養老渓谷での紅葉狩り。



第八福市丸のHPはこちらです。
http://fuku8.com/




2002/11/18(月) 晴れ


[ 会食 ]
会食



11月の13日には、則子の姪の佳美さんに男の子が誕生。厚木にいる義兄夫妻はこの子からなんと呼ばれるのでしょうか。子供の誕生はうれしいものです。
その反面、6年3組の小島得志君のお母さんが亡くなられたという報も入り、悲喜こもごも、です。
こうしていつのまにか全体が入れ替わっていくのでしょう。

さて、そんな中で昨日は義母と父親と私たちの4人で外食してきました。場所は香港屋です。この4人で外食するのは初めてでしょうか。餃子にシュウマイ、海老チリソースに炒飯、ホタテと豆腐のスープに杏仁豆腐でお腹を膨らませてきました。行きも帰りも車椅子組みとトラック組みに分かれて移動。無事終了。それにしても義母の食欲は87歳とは思えないほど。お腹一杯といいながら、次々に手が出るのは生命力の証でしょうか。自分の父は少食ですが、体重を考えるとこれくらいで良いのかなとも思います。ともあれ二人とも、今年は元気でした。年寄りが元気だと子供は楽です。







2002/11/15(金) 曇り


[ 法事 ]
法事


11月9日は昨年亡くなった大野晃さんの一周忌が護国寺で行われ、父親の代理として出席してきました。晃さんは大野治輔氏の次男で、治輔氏の兄省三の子供である父喜平にとっては従兄弟にあたります。今回故人から見て叔父、伯母、従兄弟、甥、姪まで呼ばれ、久々に「大野家」大集合となりました。
会食会の中では、亡くなる一年前に、晃さんが長男である徳治と3人の甥を連れて飯能の大野家の実家にいってきた話が披露されました。30代の4人には祖父治輔氏のうまれて育ってきた場所がどんな風に目に映ったでしょうか。馬の背のような斜面の土地、午後2時を廻れば日が翳ってしまう。米は出来ない、食べ物は芋。現在でもあまり開けた場所ではありません。でもそんなありのままを見せたかったようです。
年齢を重ねると自分のルーツを知りたくなるといいますが、それと同時に「今ある暮らしの出発点」も次の代に伝えていかねばならないと感じていたようです。



2002/11/13(水) 晴れ


[ 「森と木の快適さを科学する」(私の本棚) ]
「木と森の快適さを科学する」(私の本棚)



宮崎良文著
林業改良普及双書 NO.139
社団法人 全国林業改良普及教会発行
定価923円(税別)


目次
序章 快適とは、人と自然の同調状態
   1快適さの科学的データを蓄積
   2快適性の考え方

第一章 快適性や感性をどう考え、どう測るのか?
   1アメニティーの考え方
   2感性の考え方
   3健康の考え方
   4日本人の自然観
   5快適性の測り方

第二章 五感を介した木材の快適性
   1木の香りを嗅ぐと
   2スギ樽貯蔵ウィスキーの味と香り
   3ホルムアルデヒドを吸うと
   4木材に手で触ると
   5木材に足で触ると
   6木材を見ると

第三章 森林浴の効果
第四章 木材とダニ 
終章  生理人類学からの提言
あとがき



著者宮崎良文氏は、木と人間の関係を科学的に解明しようとしている科学者のひとりであり、森林総合研究所に務めている。従来経験的に知られていた森林や木材の快適性増進効果を脳活動や自律神経活動指標を用いた科学的データの蓄積を通じて明らかにしていこうとしている。
宮崎氏は快適性を「自然との同調」と定義して、その快適な状態において、人間の身体に何が起きているのかを探る。快適性を測るために人の状態(脳の中の血流量が増減することや血圧の上昇や落ち着き、また脈拍数が上がる場面、安定している場面など)を測定している。それを彼が属していた研究所の名前をとって森林総合研究所方式快適性評価法と名づけている。この実験は三つの指標を用いて行われている。「生理応答指標としては、中枢神経系と自律神経系が大きな柱となる。それに加えて主観的評価を傍証として用いる」としている。
第二章において実際に木材の快適性を実証している。
いくらかこの本から引用してみよう。(72ページから)
「以前に、木材(スギ、ヒノキ挽き材面)、布(シルク、デニム)、金属に閉眼にて接触した時の血圧、脈拍数、瞳孔径を測定したことがある。当然の結果であるが金属への接触においては(収縮期)血圧と瞳孔径の増大を認め、ストレス状態になる事が分かった。一方、木材とシルクへの接触においては暖かさや落ち着きを感じるとともにストレス時に高まることが知られている交感活動神経は昂進しないことが観察された。
しかしこの内容を発表した時に、比熱が違うのだから木材は暖かく、金属は冷たく感じ、このような結果になるのは当り前であるとのご批判をいただいた。そこで、厳密に同じ条件、にすることは出来ないが、木材は冷蔵庫にいれ、金属はホットプレートで暖めてほほ熱的には同じ条件にして接触実験を行った。・・・」
主観評価としては暖めた金属は“快適で”“人工的な感じ”、冷たい木材は“不快である”と評価された。生理応答としては暖めた金属では収縮期血圧の上昇は抑制されており、快適であるとの評価と一致していた。
一方冷やした木材は当初血圧が上昇すると予想されたが、木材(ナラ材)への接触は血圧の上昇をもたらさず、ストレス状態を生じさせないことが分かった。男子学生13人による実験結果からではあるが、人の身体が自然対応に出来ているので、不快感はあっても、ストレス状態にまで移行しなかったと宮崎氏は考えている。

このような話がたくさん続いている。「ホルムアルデヒドを吸うと」の所では宮崎氏を含めた20代、30代、40代の実験者自身が被験者となって吸ってみたと書かれている。いやはや科学者も大変である。その結果は、血圧が上昇し、末梢血流量は減少し、脈拍数は増加し、瞳孔径が増大するという典型的なストレス状態を示した、としている。生体への悪影響は間違いないものであろう。







2002/11/09(土) 晴れ


[ キムラヤ(中野新橋紹介) ]
キムラヤ(中野新橋商店街)




中野新橋にも木村屋のパンを販売しているところがあります。パンの「キムラヤ」さんです。サンドイッチや惣菜パンも置いていますが、メインはなんといっても昔ながらのパンです。
アンパン、ジャムパン、クリームパン。それにカレーパンなどです。カレーパンには、密度の濃いカレーが入っていますし、アンパンには餡がどっさり。一つ食べるとお腹にズシンときます。アンパンにはウグイスやマロンなどの種類もあり、お好みで選べます。私の最近のお気に入りはジャムパンです。イチゴジャムがたっぷり入っていて、それをこぼさないようにほうばっています。
11時半に行ったのでは、まだ出来ていません。45分を過ぎろころから出来上がってきます。そのホカホカを食べるのもうれしいものです。これらは1個、130円です。

中野区弥生町2-28-9
地下鉄中野新橋駅下車、南の方へ30秒歩くと着きます。




2002/11/08(金) 晴れ


[ 10月の売上は? ]
10月の売上は?



11月に入りました。寒い日が続いています。10月はテニス三昧でしたが、さて今月はどうなりますでしょうか。11月に入って厚木にいる義姉の母親が亡くなりました。82歳でした。7月から入院されていて、その間姉妹達が見舞いに行ってぺちゃくちゃしゃべっていると、とっても楽しそうだったということを聞き、それが印象に残っています。親は特に女親は娘といるとホッとするのでしょうか。3日の日からはお義母さんが来ています。娘といると楽しいようです。

さて、10月は9月の残りの仕事が主で、新規の仕事は少しでした。売上は伸びませんね。このところ、低い所で安定しています。総額の低い仕事か、単価の安い仕事が多いです。板金屋の社長が支払いに見えて、「安いか、一日仕事かで、どうにもならない」とこぼしていました。私の所でも特定のものしか出ません。それらは置き場に入って10歩以内にたいていあります。在庫の置き方にも変化が出てきました。売れるもの優先で在庫量を調整する予定です。

それでも10月には、突き板やスギの羽目板材などが少し出ました。主に部屋の内部の壁材です。今月も二ヶ所内装にスギ板を貼る予定になっています。ホームセンターに売っていないものを売っていくことで自分の道を開いて行かねばなりません。そういえば、19日のイベントの際に買ってきた「丸太の輪切り椅子」が4つ売れてしまいました。珍しいものなら売れていくと思います。お客さんは自分で使い道を工夫しますから。

珍しいものを売っているお店といえば・・・
http://www.suz1.co.jp/
深大寺の「鈴一材木店」です。ちなみに社長と私は誕生日が一緒。年は違いますが・・・




2002/11/07(木) 曇り


[ 恩師との再会 ]
恩師との再会

先日、小学校の1.2.3年の担任をして頂いた先生と42年ぶりに、お会いした。というより、新宿区に引っ越してこられたというのを聞いて、クラスメートの4人+私の母、の5人で押しかけたというのが当たっている。私達が5年の時に転校された。
寺田陽子先生といい、私達が1年の時は28歳だったことになる。とても元気で明るく楽しい先生だった。私にはキュロットスカートでいつも走り回っている姿が一番印象に残っている。良く笑う先生だった。
3年の時、出産のため産休を取られて女の子を産んだ。平成天皇のご成婚の時だったので1字とって「成子ちゃん」と名をつけたそうだ。
成子ちゃんが熱を出すと、母(玉恵)が見てあげていたせいで私を抜きで、先生と母との年賀状のやり取りは、ずっと続いていた。それで、母も一緒に連れて行った。
先生にお会いした瞬間に年月を超えて一気に「1年生」に戻った。懐かしい先生の顔、立ち居振舞い、びっくりするほどおんなじだった。持っていったアルバムを見ながら「誰々ちゃんはどうしているの?元気?」。小さいころのみんなのエピソードを良く憶えていて教えてくれた。「えー、そうだったかな」・・・・
暗くなるまで話が弾んで、あっという間の5時間だった。先生はパソコンに向かうのが大好きだそうで、エッセー集を4冊出版されていた。最新版を頂いて帰ってきた。写真がいっぱい入っていて、その時々の先生が良く解る。
気持ちのゆっくりした時間に、大切に読むつもり。先生いつまでも元気でね。また、遊びに行っちゃうよ。               ( 則子 )


寺田先生と教え子達にお義母さんも加わって


小学校の時の写真を見ながら歓談。




2002/11/01(金) 雨


( 2002/12 ← 2002/11 → 2002/10 )


[ 管理者:大野満生 ]


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