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伊東たみ子さん
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伊東たみ子さん
11月20日に母の一番上の姉・伊東たみ子さんが亡くなり、21日のお通夜に行ってきました。92歳でした。私の母とは18歳違います。 たみ子さんは明治44年に伊東藤作の長女として静岡県に生まれました。現在の富士宮市下条上野にあたります。すぐ近くの伊東金吾さんの所に嫁ぎ、正徳さんという子供をもうけました。 この伯母との主な繋がりは私が幼いころから10年間くらいだと思います。私が51歳ですから、母に連れられて田舎に行っていたのは45年位前になると思います。それから中学生くらいまでの記憶が多いです。ですから思い出としては一緒に「北山」と呼ばれる場所にいる叔母のところへ、歩いて行ったこと。あるいは東京見物に来た時に二重橋の前で写真を撮ったことなどです。昭和30年代には「ハトバス」に乗って東京見物が流行ったものです。 この伯母さんはいつも穏やかで、伯父ものんびりした人だったので、この二人に会うと気持ちが穏やかになり、まわりの空気もまろやかになっていたのを思い出します。伯父は通称「シタテヤ」(仕立て屋)と呼ばれ、洋品店を営んでいました。夏に遊びに行けばテレビがありましたので高校野球を見たり、住まいの建替えも早かったので洋風浴槽に入れてもらったりしました。
平成7年に私の母が亡くなってからは静岡の家に毎年顔を見に行っていましたが、昨年までは私の顔も覚えていたのが、今年の夏に行った時には「わからにゃー」といわれ、名前を呼んでもらえませんでした。 平成5年にはひとり息子の長男の正徳さんに先立たれ、9年には夫金吾さんを失い、本人もほぼ寝たきりになってしまいましたが、お嫁さんの良子さんと4人の孫。孫には皆、連れ合いも出来、ひ孫の顔も見ることが出来たので大往生の人生だったと思っています。

2002/11/25(月)
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