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時々更新mn日記

( 2002/09 ← 2002/08 → 2002/07 )


[ 「運命の足音」(私の本棚} ]
「運命の足音」五木寛之(私の本棚)



久しぶりに五木寛之を読んだ。「運命の足音」である。引き込まれるように一気に読みきった。
「一枚の写真」「許せない歌」で始まり「同じ引揚者として感じる連帯感」「いま運命の同伴者へ」で終わる構成はさすがだった。それは共通体験である。同じ時期に同じ空間にいたものが味わった「空気」の伝達である。
「一枚の写真」は母親の最後を描いている。死そのものではないが人生の最後を描いている。第二次世界大戦での日本の敗北。当時父の仕事の関係で朝鮮半島の北部の平壌での出来事。母親が暴行され、それを見ているしか出来なかった父親と12歳の五木。その時の事を57年の時間を経て初めて告白している。心の中を襲った強い衝撃は、わだかまりとなって心の片隅にじっとしていた。幾度となく飛び出してきたのであろうが、ありのままに書くには時間が必要であった。
あとがきでは、「もう書いてもいいのよ」という母の声が最近聞こえるようになったと書かれている。「その声は私を許し、父を許し、ソ連兵達を許し、すべての人間の悪を悪のままに抱きとめようとする静かな声である。大悲、とはそのようなものを言うのかもしれない。とふと思う。」
と続いている。

このような、最近の五木の境地とは私はかなり隔たりがあると思うが、この本は読み進むうちに引き込まれていく一冊である。お薦めしたい。
また、「あとがき」の最後の言葉として「挿画五木玲子」と書かれている。五木玲子は寛之の人生の同伴者でもある。





2002/08/30(金) 晴れ


[ ひと段落 ]
ひと段落



暑さもひと段落かと思っていたら、今週のぶり返しはかなり身体にこたえている。昨日は、マンションの5階まで材料を担ぎ上げた。「バイト君」が来ているので助かっているが。
そんな折、姪が運転免許を取ってきたというので、今日は彼女の腕を見るために横に乗ってみることにした。車の少ない所から30分ほど運転させてみたところ、予想より慎重な運転であったので少し安心した。かなり狭い所も走ったが、何とか通過。無事に帰ってきた。


2002/08/29(木) 晴れ


[ お祭とクラス会 ]
お祭とクラス会


8月23日、24日、25日は私の住む町=弥生町では、いくつかのお祭がありました。川島通り商店街では夜店市を、中野新橋商店街ではカラオケ大会と盆踊りを行いました。また栄町公園でも盆踊りが開かれ、氷川神社での民謡と合わせて4箇所で楽しむことが出来ました。
23日には父親と夜店市を巡り、24日にはかわいいお客さんと則ちゃんの三人で4箇所とも廻ってきました。今年の特徴としては氷川神社が寂れていくのに対して、商店街は人集めに積極的になってきたように思えます。




さて、次の日25日は午後3時から「6年3組」の「ミニクラス会」です。新宿に集合したのは9名。新しい顔ぶれが一人来てくれたので、話が多角的になって40年前にタイムスリップです。飲んで食べて、歌って話して。いつものパターンですが、楽しい6時間半でした。
途中で低学年の時の先生に電話をして近いうちに訪問することにしたり、遊びに行く約束をするなど仕事疲れに「6年3組」は役立ちます。
今度は忘年会かな。話込んでいて写真はとり忘れました。




2002/08/26(月) 晴れ


[ 激流8号 ]
激流8号




「赤木圭一郎を偲ぶ会」から会誌である「激流」が送られてきた。第8号である。A4サイズで100ページほどある。ファンの方々からの原稿を集めて一冊の本にしている。私は今年の2月に会員になったばかりなのでこのようなものは初めて受け取った。従って以前のものは知らないのだが、今回のものには興味深い企画がいくつかある。

一つには、ファンが選ぶ赤木映画の代表作はどれかというものであり、次に代表曲は何かというものもある。また、赤木が後一年生きていたら、どんな企画の映画をとったのか、というものもあました。どれもファンの方々の思いが詰まったものですが、私なりにトニーの映画と歌についてベスト5を考えてみたいと思います。

そこで先ずこの会報に載っているものを紹介してみよましょう。
先ずは映画から。映画ベスト5は
1=紅の拳銃
2=霧笛が俺を呼んでいる
3=錆びた鎖
4=抜き打ちの竜
5=幌馬車は行く

歌のほうはといえば
1=霧笛が俺を呼んでいる
2=追(おもいで)憶
3=黒い霧の町
4=激流に生きる男
5=若さがいっぱい
でした。
「抜き打ちの竜」は初主演作(公開は1960年2月14日)。その主題歌が「黒い霧の町」です。トニーはこれ以後毎月1本の割で主演作をとっていきます。公開の一年後には、事故を起こして亡くなっています。
赤木の名前を不動のものにしたのが「霧笛が俺を呼んでいる」(公開は1960年7月9日)で、芦川いずみ(現・藤竜也夫人)さんや吉永小百合さんが共演です。同名の主題歌もヒットしました。
さらに「紅の拳銃」(1961年2月公開)は遺作。「追(おもいで)憶」はその主題歌。「激流に生きる男」(1967年11月公開)は赤木の死後にファンの要望で公開された作品で映画としては完成品ではありませんが、歌の方は、赤木の人生を思わせる内容です。
この4本が一般的に言って映画も歌も赤木の代表作だと思います。カラオケ屋に行ってもビデオやさんでもあるのではないかと思います。

これを除くと映画では「幌馬車がゆく」(1960年10月22日公開)と「錆びた鎖」(1960年11月12日公開)。歌では「錆びた鎖」の主題歌である「若さがいっぱい」が載っています。
「幌馬車は行く」では立山連峰を背景に花と共に移動する養蜂隊に助けられた青年を演じましたが、その実ギャングで・・・といった作品で西部劇タッチの軽い作品です。
「錆びた鎖」は横浜を舞台に荷役会社の社長に次男を赤木が長男を小高雄二が演じました。
この映画はテレビで放映された時にビデオに収めてありますので、幾度か見ています。
「横浜港の荷役会社。社長は殺され、会社はパクリ屋の手に。跡を継いだ長男はパクリ屋の言いなりの経営を続け、沖仲士の不満は高まっていく。この問題で対立し、さらに自分が妾腹の子と知らされた次男は、日雇いの仲間に身を投じる・・・。」
あらすじはこんな感じで、今見ると映画としても良く出来ています。皆さんの評価が高いのも頷けます。主題歌である「若さがいっぱい」も明るい歌で好感が持てます。

といったところで、私のベスト5を発表したいと思います。
映画では
1=紅の拳銃
2=霧笛が俺を呼んでいる
3=錆びた鎖
4=海の情事に賭けろ
5=打(ノックダウン)倒

歌では
1=風は海から吹いてくる
2=海の情事に賭けろ
3=ふたりの渚
4=海の掟
5=俺の血が騒ぐ

映画は今一度見たい映画を、歌は普段口から出てくるものを選んでみました。映画はラストに近くなるに従って完成度は高くなっていると思います。芸術的な映画ではありませんが、肩のこらない娯楽映画としてよく出来ていると思います。また私はそういうものが好きです。
以上、没後40年経っても赤木圭一郎は2002年の今を生きている人たちを夢の世界に引きずり込むのですから、その魅力は衰えを知らないと思っています。次の会報を期待します。その時には寄稿したいと思いますし、そのためにも映画を見直したいと思っています。






2002/08/24(土) 晴れ時々曇り


[ 二週間ぶりのテニス ]
二週間ぶりのテニス



夏休みでテニスがしばらく出来なかった。昨日二週間ぶりにラケットを握ったらメタメタだった。これまで週に一度はラケットを握って走り回っていたのに。こんなに休んだのは正月以来である。ものの見事に当たらない。己の実力を発揮して帰ってきた。
そのせいか、本日は筋肉痛である。太ももの前側を頭として、ふくらはぎ、アキレス腱、左の親指などが痛い。如何に力をいれて、力づくで打とうとしていたかがわかる。
力を抜いて打ちなさいと一年間言われ続けたのに出来ていない。やっと上手くなってきたと思い始めたのに逆戻りしてしまった。

仕事も同じである。コンスタントに仕事をこなしていると体力も知力も衰えない。勘も養えるし、困った時にも知恵が湧く。それがしばらくのんびりしていると後退あるのみである。まさに継続は力なりを思い知らされる一日となった。今日も一生懸命働こう。

2002/08/23(金) 曇り時々雨


[ このところ ]
このところ



このところの仕事は、いきなりきて「急ぎ」というものが多く緊張の連続です。昨日も加工材が間に合わなくて、新木場の加工場まで引き取りに行ってきました。今日は今日で荷物がこないので連絡をとったら、積み残してきましたという返事。お客さんにすぐに電話して、明日の午前中でよいかを聞いた所、幸い、それでも間に合うとの返事を貰いほっと一安心しました。

さて、毎月20日ごろは、日本木材総合情報センターのモニターをしています。中味は「今月の荷動き、来月の予想」などで、それをFAXしていますが、ここ一月、国産材をほとんど売っていません。外国産の材料は「ADないしKD」といった乾燥材がかなり増えてきて、曲がりも少なく、在庫ロスも少しですみますが、国産材は、まだまだ、未乾燥材です。見えなくなってしまう所に使うのだし、売れないままにしておけば、そのうち乾くといった意見もありますが、その余裕がなくなってきています。
今、決算用に在庫調べを始めようと思っていますが、曲がった角材がかなり出てきそうです。ヒノキの75ミリ、90ミリ角です。栂の72ミリの角も曲がり材ばかりです。前者はKD材に、後者は集成材で作らないとロスばかりです。

そんな中、昨日は、新東京木材商業協同組合が10月19日に行うイベント「材木屋のい木い木ふれあい祭」の準備会に参加してきました。「組合、問屋、昭和会、モック、新三日会、十四日会」などが主催者の側に名を連ねています。東京木材ネットワークやつくば緑友会の協力を仰ぎながら、池袋の市場を一日開放して近隣を始めとする参加者に楽しんでいただけるイベントにしたいと考えています。
詳細は新東京木材のホームページをご覧下さい。

http://www.zaimokuya.or.jp/


2002/08/22(木) 晴れ


[ 白馬 ]
白馬


8月11日から14日まで夏休みに白馬のペンションへ行ってきました。今年ものんびり旅行です。
関越道から上信越道を経て長野ICで降り、白馬を目指します。長野オリンピック開催に向けて作られた道路のおかげでスムースに走ります。
一日目の宿は「クラレット」隣が「岳の湯」という温泉施設があるということでここに決めました。オリンピック道路沿いに面しているので、少し外がうるさかったけれど窓を開けて高原の風を肌に感じながら就寝しました。


(ペンション・クラレットにて)


二日目は、栂池自然園に行くことにしました。二年前に来るはずだったのですが、当時の台風の影響でキャンセルになった場所です。
栂池高原駅からゴンドラリフト「イブ」に乗り、栂の森駅へ。少し歩いた所から、ロープウエーに乗り換えると自然園駅につきます。この二つ乗り物で標高831Mから1829Mまで約1000M昇ってきます。景色も雄大ですし、肌に涼しさも感じます。自然園の中を歩き始めました。この時期に咲いている花のパンフレットを買い求め、それを見ながら散策です。足元は木橋となっている所が多く、歩きやすくなっていました。「チングルマ」や「ワタスゲ」など可憐な花が一面に広がり、ニッコウキスゲの残っている所もありました。花を見るならいま少し前か、9月の半ば過ぎが良いかもしれません。
入り口――風穴――ワタスゲ湿原――楠川――浮島湿原――銀命水をへて展望湿原にたどり着きました。およそ一時間半を費やしました。ここは白馬の大雪渓が正面に見えるところだと聞いていました。ここで昼食のおにぎりを口にしながら、雲の行方を気にして、待つこと30数分。何とか見えたのがこの写真。中央が大雪渓なのですが、わかるでしょうか。


中央が大雪渓です。


栂池自然園の案内図です。


パンフレットを片手に

ここを後にして帰り道です。自然園を出て、リフトを降りる頃から、大雨になり、今晩の宿泊先である「みそら野」(0261―72―4511)を目指しました。ここのペンションは、貸切風呂が3つあるというが決め手で宿泊先にした所です。食事も美味しいのでオススメできます。ただ、お盆の時期は子供も来ますので、それだけが難点かもしれません。


「みそら野」前にて


夜中中雨が降っていました。明け方から小雨です。朝食をいただく頃から雨もあがり、本日の予定は、白馬ジャンプ競技場と八方アルペンラインです。オーナーの薦めもあって八方駅からゴンドラリフトを乗り継ぐのではなくて、黒菱という所まで、車であがることにしました。この方が前日との関係から行っても変化に富み、面白いと感じていました。
ジャンプ台にあがった後、オリンピック道路から「和田野」のペンション街を抜けながら黒菱林道を登り、黒菱を目指します。この間約20分。眼下に広がる景色を楽しみながらのドライブです。ここは気持ちが良かった。


上から見下ろすとジャンプ台の勾配のきつさがわかる



黒菱からリフトを乗り継いで「第一ケルン」まで上がります。山は雲がかかって白馬岳を見ることは出来ませんでしたが、目の前に広がる景色を見ながらここを後にし、「倉下の湯」というところで汗を流し、「みそら野」へと戻りました。夕食をとる頃から雨になり、今年も夏の夜空に星を数えることが出来ませんでした。

14日の日には、青木湖から安曇野ちひろ美術館をへて穂高に入り、「穂高クラフト」で日用食器を買って帰路に着きました。たいした渋滞もなく夕方には暑い東京へと戻ってきました。

今年ものんびり旅行でした。どこが一番良かったかと則ちゃんに聞いたら、「八方のスキー場かな」と言う答えが返ってきました。ここへは30回以上(すごい)来ているけれども、ほとんどスキーのため。夏は少ないとのこと。黒菱平や兎平から滑降するのにどういうコースをとって降りたか、どこで誰が転んだか。苦しかったことや楽しかったことが脳裏に浮かんだようです。ここのコースは長野オリンピックの時にダウンヒルのスタートになった所なので「スキーの指導員でもピンの方でないと降りられない」とか、冬の思い出を夏に重ねて楽しんでいるようでした。


黒菱平から兎平方向を確かめた後の則ちゃん


今年の夏休みも終了です。

今回の旅行に関連した所は以下のとおりです。

ペンション「クラレット」
http://www.janis.or.jp/users/claret/


ペンション「みそら野」
http://www.hakuba-net.jp/misorano/


白馬・栂池の観光案内はこちら
http://www.tokyu-hakuba.co.jp/




2002/08/17(土) 晴れ


[ 8月15日 ]
8月15日


今年も8月15日は、上尾の松本家と町田家のお墓参りです。白馬から帰ったばかりで涼しい所になれていただけに、この日の暑さには、参り気味。
久しぶりに則子の兄弟と一緒の行動です。義母も元気になり、特に則子の父の実家には戦争中からお世話になっていたので、親戚の方々と沢山話をして健在振りをアピールしています。
私も今年で三回目。少し慣れたかな。


2002/08/16(金) 晴れ


[ このところの傾向 ]
このところの傾向




夏をこんなに暑いと感じたのは初めてでした。夜もクーラーをつけっぱなしで暮らしてきました。つけなければ眠れない夜が続いていました。ここへ来て、朝晩の風は涼しくなり、窓を開けて天然の風を入れています。やっと身体が一息つけます。まして明日からは夏休みです。
私が休みの間にも仕事をする方はいますので、その準備に今日は追われていました。何とか上手く「段取れた」と思っています。

さて、このところ、大工さんが直に仕事を取ってくる割合がかなり落ちました。工務店は建設会社や設計士の方を通した見積や仕事がメインになりました。大工さんも不動産屋や水道屋がとってきた仕事に「手間取り」で行くようになりました。私の会社もリフォーム屋、内装店の仕事が増えています。
こうなってくると、売れる木材の大半は「下地材」と呼ばれる比較的安価な、見えなくなってしまうものばかりです。
そこで木材以外のものを売っているのですが、このところの傾向としては少し木材が見直されているように思われます。
リフォームや増改築の際、既製の枠材では収まりが悪かったり、既存部分と合わせるために木材を使用したりする仕事が増えました。その際には、「窓枠、ドア枠材、巾木」などを加工して下さいと頼まれます。
無垢の木材を加工して指定の寸法に仕上げることで付加価値がつきます。売上増につながります。当面、ここを足がかりにしたいと思っています。
少し面倒ですが。




2002/08/10(土) 晴れ


[ きのこ雲 ]
きのこ雲





少し前に買い求めた絵葉書の中に「立ち昇るきのこ雲」がありました。この映し出されている絵はテレビなどでよく使われるそうですが、皆さんはごらんになったことがありますか。
日本には広島と長崎の二箇所に原爆を落とされていますが、この写真は広島の時ではなく、長崎で落とされた時のものだそうです。落とした方も記録に残す準備をしていたのでしょうか。

この絵葉書の裏には、
昭和20年8月9日、世界で二番目の原子爆弾が長崎市に投下された。その威力はTNT火薬約22キロトンであった、と推定されている。また、即死者を含めて昭和20年末までの死亡者数はやく7万人と推定されている。
と書かれています。

私が生まれる6年程前の出来事ですが、私たちが今生きている時代でも使われる可能性がありますので、注意していたいと思っています。

2002/08/09(金) 晴れ


[ 則ちゃん、お疲れ様 ]
則ちゃん、お疲れ様

則ちゃんがヘルパー2級を取得しました。則ちゃんは5月末から週に1回、新宿のカレッジに通って講義と演習をしていましたが、7月のヘルパー同行訪問と8月初めの老人保健施設実習を3日間して、無事すべてのレッスンを終えました。

講義が始まる前には6冊ものテキストを昼も夜も読みつづけて一週間で読み上げました。その間、家事は凍結して、ひたすら本とにらめっこ。テスト問題の200問もあっという間に提出。たいした集中力です。

老人保健施設での実習は朝から晩まで一日7時間も立ちっ放しでのお年寄りのお世話(掃除、食事や入浴の介助など)。特にヘルパー研修生が一番大変だったのはなんと「世間話」とか。これは則ちゃんには得意の分野。難なくこなしてきましたが、毎日帰ってくると、バタンキューの三日間で、かなり疲れたみたいです。ご苦労様でした。この甲斐あって、めでたくヘルパー2級の合格です。

このカレッジの中で友人も出来、交際範囲を広げている則ちゃんです。今後へルパーの仕事をするかどうかはわかりませんが、良い経験をして良かったね。



2002/08/08(木) 晴れ


[ ブォーノ ]
イタリアンレストラン ブォーノ(中野新橋紹介)


地下鉄中野新橋駅から北の方に歩いたところにあります。中野新橋に一軒しかない本場のイタメシ屋さんです。自家製の薄焼きピッツアとスパゲッティ―が美味しい所です。お店の雰囲気も良いのでカップルでお出かけするのも良いでしょう。イタリアのローマで経験をつんだ、シェフの味が魅力的、夜遅くまでやっているので気軽にご来店下さい。定休日は月曜日です。夕方6時から夜中の1時半まで営業しています。
一人あたりの料金の目安は2500円から3000円。 テーブル席もありますが、カウンター席でつくっているところを見ながら過ごすのも味なものです。
03−3380−3464 
中野区本町5−3−8 中野新橋ビル 1階    

2002/08/07(水) 晴れ


[ 茄子を収穫 ]
茄子を収穫



8月4日の朝、我が家で育った茄子を収穫した。これを冷蔵庫にしまうと墓参りに出かけた。行き先は静岡県富士宮市。母の実家である。ここには年に一度は訪れている。

さて、10時半に中野を出発し、中央道で河口湖に出て、先ずは昼飯を食べることにした。行き先は、西湖のほとりの「マ・メゾン」。欧風家庭料理屋さんで小平市にもある。そちらは数度行ったことがあるが、西湖は初めて。ここで「スズキのスパゲッティーと丸ごとトマトのスパゲッティー」を注文して美味しくいただいた。量も充分あった。
ここは少しレトロな感じの落ち着いた大人の香りのするレストランである。ホテルも併設されているので、泊りがけもよいかもしれない。

お腹が落ち着いたところで、目的地を目指した。途中雷雨に遭いながらもお墓参りを二ヶ所済ませ、まずは本家の伯父の家で休憩。ここへは小さな頃から幾度も来た。「喜平さんは元気かね」と父のことを気にしてくれている。最近かなり元気になっていることを話すと、それは良かったと同時代を生きてきたもの同士の思い出にふける。父と母が板橋にいた頃そこで結婚式を挙げたこと。満生が生まれたので、叔母が子守りにしばらく来てくれていたことなどなど。その満生君も50を超えてしまった。
この家の西方に川が流れ、一本の松の大木がある。枝ぶりは衰えたが、これだけが昔と変わらない。他は少しずつ違う。馬小屋は子世帯の住まいとなり、隠居部屋は物置となった。川はアスファルトで固められ、周囲も住宅で囲まれた。第一若かった伯父伯母達も老境である。私は一人でタイムマシンに乗って過去に遡ってみた。「ガープの世界」みたいに頭の中でぐるぐると廻ってみた。この家に来ると、想い出が甦る。過去は楽しい。(未来はもっと楽しい。そして現在は充分楽しい。)

ここを後にして、今度は母の一番上の姉である伊東民子さんの家に向かった。通称「したてや」洋品店である。この家には、92歳になる伯母は健在であるが、ほぼ寝たきり。長生きする人はのんびり屋さんでわがまま。ここには、「マー兄ちゃん」と呼んでいた伊東正徳さんがいたが、50歳を前に倒れ、平成5年の7月17日になくなっている。52歳だった。その後、お嫁さん(良子さん)が仕事と介護の両方をしながら、ここまで来ている。幸い、子供達も大きくなって、店の後を継いでくれているので、良子さんもほんの少しだけ楽になったかしら。
去年までは、「満生か」と言ってくれていたが、今年は「わからにゃーな」と言われたけど年に一度だから仕方ないかな。
良子さんと話をしていたら、ひょんなことから家庭菜園の話になった。その時、茄子には沢山の水が必要だと教わった。秋口まで楽しめるよと言われたから、茄子を育てるのはこれからが本番となる。

茄子を収穫中。


だいぶ大きくなっていました。



マ・メゾンで昼食。かなり大盛りでした.



外観はこんな感じです。


マ・メゾン西湖
TEL 0555‐82‐2034


2002/08/05(月) 晴れ


[ 茄子と瓜 ]
ナスとにが瓜



ベランダのひと隅にミニトマトとナスの苗を買ってきて育てている。丁度その頃松戸の兄が「にが瓜」の苗を持って来てくれた。そこで、ベランダの縦格子に横桟を渡して「にが瓜」のツルが伸びやすくした。家庭菜園というほどではないが、それも一月以上経つ。

ミニトマトは幾度か食卓に上るようになったが、ナスは始めに出来たものがひび割れしてしまい、小ぶりの内に味噌汁の具となって以来、しばらく出来ていなかった。
ところが、ここへ来て、3つほど成りはじめたのである。毎朝、楽しみの一つとして、あるいは、夕方雨戸をしめる時などに、「どれくらい大きくなったかな」と触ってみていたのである。

それにしても「にが瓜」は花は咲いても実が成らないね、などと話をしていたら、今朝になって則チャンが、「見て見て、見て」というものだから、何事が起こったのかと思ったら、「にが瓜」さんが道路側で大きくなっていたのを発見。10センチを超える大きさになっているのに、今まで全く気がつかず。言い訳をすれば、茄子が死角となって表が見えなかった。そこで茄子の葉っぱを幾枚かカットして、写真をパチリ。奥の瓜が見えるでしょうか。これから先も出来そうなのがありますので、今度は大きくなる過程も楽しみたいです。


三つの茄子と左奥の瓜




2002/08/03(土) 晴れ


[ 売り先の変化がもたらしたもの ]
売り先の変化がもたらしたもの



小売業は変化対応業だといわれる。それぞれのお店の持っている条件に合わせて売るものも変化する。
さて、わが社では、ここ数年の間に大工・工務店から内装店やリフォーム業者へ売り先が変化しつつある。
その結果、どういうことが起こっているかといえば、先ず国産木材が売れなくなった。柱とか土台に使う杉とかヒノキといった樹種が売れなくなった。次にサイズの小さなものしか売れなくなった。柱といえば105角より大きなものをイメージするが、マンションのリフォームなどでは、45角を使うことも珍しくなくなった。売れていくものは小さなもの、外材、そして乾燥されたものになった。
また、造作材に関しても変化がおきている。従来下小屋で大工が「製材する、削る」といった作業が中心であったが、加工まで頼まれることが多くなった。それは集成材であったり、ラワンやタモ材であったりする。窓枠、出入り口枠、物入れ枠、巾木廻り縁などをワンセットとして注文を受けるようになった。
木材に関しては以上のようであるが、建材やベニヤ類に関しても同様の変化はある。住宅資材全般を買っていただけるところが減り、ボードやベニヤだけしか納入できないところが増えている。

8月になった。今月は決算月。この一年間の売上は?また利益は出るのかなども気になるが、頭を切り替えなければ、自分の道も出てこないと感じている。売り先の変化は、在庫品目なども根本から見直しを迫られていように思える。先ずはここからはじめてみようと思う。



2002/08/01(木) 晴れ


( 2002/09 ← 2002/08 → 2002/07 )


[ 管理者:大野満生 ]


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