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「運命の足音」(私の本棚}
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「運命の足音」五木寛之(私の本棚)
久しぶりに五木寛之を読んだ。「運命の足音」である。引き込まれるように一気に読みきった。 「一枚の写真」「許せない歌」で始まり「同じ引揚者として感じる連帯感」「いま運命の同伴者へ」で終わる構成はさすがだった。それは共通体験である。同じ時期に同じ空間にいたものが味わった「空気」の伝達である。 「一枚の写真」は母親の最後を描いている。死そのものではないが人生の最後を描いている。第二次世界大戦での日本の敗北。当時父の仕事の関係で朝鮮半島の北部の平壌での出来事。母親が暴行され、それを見ているしか出来なかった父親と12歳の五木。その時の事を57年の時間を経て初めて告白している。心の中を襲った強い衝撃は、わだかまりとなって心の片隅にじっとしていた。幾度となく飛び出してきたのであろうが、ありのままに書くには時間が必要であった。 あとがきでは、「もう書いてもいいのよ」という母の声が最近聞こえるようになったと書かれている。「その声は私を許し、父を許し、ソ連兵達を許し、すべての人間の悪を悪のままに抱きとめようとする静かな声である。大悲、とはそのようなものを言うのかもしれない。とふと思う。」 と続いている。
このような、最近の五木の境地とは私はかなり隔たりがあると思うが、この本は読み進むうちに引き込まれていく一冊である。お薦めしたい。 また、「あとがき」の最後の言葉として「挿画五木玲子」と書かれている。五木玲子は寛之の人生の同伴者でもある。

2002/08/30(金)
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