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白栄会旅行
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白栄会旅行
6月9日、10日には、白川建設株式会社の親睦会である「白栄会」の旅行で、長崎と吉野ヶ里遺跡を見てきました。同会は今年で15周年を迎え、それを記念しての遠出となりました。 羽田を7時50分に出発して福岡空港に入り、西鉄バスにて長崎を目指しました。高速道路網がかなり整備されているので、二時間ほどで長崎市内です。 先ずは昼食。お決まりのちゃんぽんと皿うどん。その後「グラバー園」「大浦天主堂」を見学。続いて平和公園、爆心地、原爆資料館へと足を運びました。特に原爆資料館へは初めて行きましたので、今から57年前に起きた「原爆投下」の恐ろしさを見つめ直してきました。白壁に梯子と人間が立ったままの影が写し出された写真や洗濯物が焼き付いた板塀など直接的でないものにしても「ピカドン」の実力を訴えるに充分でした。勿論ケロイドの方の写真や焼け焦げの死体も映し出されていましたが。
親睦旅行としては少し重たい題材でしたが、核戦争の恐ろしさだけでなく、今現実に起こっている「戦争」に対しても常に敏感に対応していけるだけの感性を鍛えておかなければと思い直して同地を後にしました。
その後長崎湾の西部にある稲佐山の中腹のホテルに宿泊し、その夜は卓袱料理と夜景を楽しんできました。
次の日、10日は月曜日です。朝から雨がちらついていました。9時に宿を出発。お土産を買い、有田焼の窯元を経て吉野ヶ里へ到着です。邪馬台国ではないかと言われるこの場所は、 佐賀県の神埼町、三田川町、東脊振村の3町村にまたがり、推定延長2.5kmの壕に囲まれた全国一規模の弥生時代の環壕集落(かんごうしゅうらく)跡です。 この中からは、多数の住居跡、高床倉庫群跡、3,000基を超えるかめ棺墓、弥生時代中期の王族の墓である墳丘墓(ふんきゅうぼ)などが発掘されています、 と解説されています。
時間の関係で実際に見てきたのは「南内郭」と呼ばれる環濠集落郡でした。ここには「大人」と呼ばれる比較的身分の高い人が住んでいたと言われています。ここで復元されている「物見やぐら」には貫き穴が掘ってあり、又丸太を角に挽いてありました。槍鉋や手斧など鉄の道具が2から3世紀にはこの地方に伝えられていたようです。 なだらかな丘が南北に広がり、見渡す限りの広大な敷地では、今もなお発掘作業がされており、この地全体を歴史公園として残していくそうです。二千年近く前の先進地域である吉野ヶ里、なかなか雄大でした。
ここを最後に福岡より空路にて帰っていました。この間には中野区長選挙に加え、ワールドカップ「日本対ロシア」戦が行われるなどせわしい日々でしたが、無事に今年の旅行を終えることが出来ました。幹事さん、ご苦労様でした。

平和記念公園にて白栄会旅行参加者記念写真

「グラバー園」から長崎湾を望む

雨の吉野ヶ里
2002/06/11(火)
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