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時々更新mn日記

( 2002/05 ← 2002/04 → 2002/03 )


[ あわただしかった日々 ]
あわただしかった日々、


このところめまぐるしかった。義母が10日間ほど滞在してくれて26日に松戸に帰った。その日は、新宿木材市場(株)の問屋さん、橋本愛蔵商店で、恒例の特売会があり、覗いてきた。今回は「ダイワ・コム」という木材問屋さんと合同の開催ということもあり、少しはにぎわっていた。
買いに来ていた木材業者は「売値が決まっているから安く仕入れられなければ、商売が成り立たない」「かといって悪いものを買ったのでは、ロスが出て困る」といった感じで、なかなか品物に寄り付かない。これもご時世か、



翌27日は、新東京木材商業協同組合中野支部の総会であった。28店舗中21店参加。私が初めて参加した20年前から約半分になった。

さて、その翌日28日は父親と小川鉄工所の会長夫妻と中野新橋で会食した。私の父も病気を経験し、また小川さんも大病をした後だけに午後二時から「寿司元」でゆっくり食事をさせてもらった。刺身に、煮物、それと盛り合わせの御寿司。どれもこれもおいしくて食べ過ぎてしまった。
こんなにおいしいものを食べたのは久しぶり。





その後父を自宅まで送ったのち、則ちゃんと二人で神明小学校まで手をつないで散歩。40年前は出来なかったけれど、今こうして二人で、学校まで歩いてみた。





2002/04/29(月) 晴れ


[ モック講演会開かれる ]
モック講演会開かれる


去る4月20日土曜日、「新東京モック」主催の講演会が開かれました。講演内容は、山口郁雄氏による「アメリカの木材とアメリカ人の木材に対する考え方」でした。その後、第二部として東京木材ネットワークの製作した「悲しい森の物語」を上演しました。

先ず山口先生の講演は、スライドを交えながらのもので、大変わかりやすいものでした。例えばアメリカを西海岸ア、五大湖付近、東部、東南部、中部の5つに分け、どのような木が多いのか、説明を受けました。西海岸が「米松や米栂の産地」で日本向け、東南部12州が「サザンイエローパイン」でこれがアメリカのメインの木だということでした。山から木を切り出すといっても、日本と違い、海抜70メートルくらいのところに生えている木を切ること、切るのはひと区画を皆伐するとのこと。その後植林をするとのこと。それも試験管で作ったクローンを育苗した後に植えるということなど、スケールの違いを教えてもらいました。サザンイエローパインは「不精な」アメリカ人に似合いの木であり、植えれば下草狩りも枝打ちもいらないとのこと。アメリカの気候風土がもたらした恵みなのでしょう。
このようにアメリカの林業は大規模で、日本との違いをまざまざと教えていただきましたが、根本的な思想は、アメリカも同じで、木材を人工的に、半永久的に利用できる資源として捉え、住まいに橋にガードレールに利用しているとのことでした。
また豊富な資料やパンフレットをいただきましたので、これから読んでいきたいと思っています。

続いて、休憩を挟んで東京木材ネットワークの製作した紙芝居「悲しい森の物語」が上映されました。これは「杉の木太郎の一生」と並んで紙芝居として作られ、東京木材ネットワークの行くところで必ず上演され、また好評を得ているものです。今回は、それをCD―ROM化して販売することになり、その試作品(といってもほぼ完成品ですが)を公開していただきました。専門の方のナレーションということもあり、アナログと一味違った味わいでした。販売に至るまでには、いくつか難点がるとは思いますが、このような発想で私達の考え方や仕事を理解していただくのはとてもよいことだと思っています。製作に携った皆さん、ご苦労様でした。



一緒に「悲しい森の物語」を見る山口郁雄氏


「悲しい森の物語」を製作された内山信一氏の挨拶


こんな感じで上演されました。右手がCDROM化された画面。左側は原画のページをめくる「モック」の会長内田善英氏。





2002/04/26(金) 晴れ


[ 近況 ]
近況

ここのところ、その日暮らしが続いています。23日に決まった細かな仕事は27日から始まります。先週の19日に出した見積りは日曜日にOKがでて、月曜日から取り掛かっています。今週一杯の仕事になります。あわただしい仕事が多くなりました。23日は夜の8時から設計士の方と打ち合わせをして、コーヒー1杯で午前1時が過ぎました。これから木拾いをしなくてはなりません。今日は夜の7時半から大工さんと打ち合わせになりました。

たまに夜に仕事をすると二十年も昔に戻ったような気がします。その頃は、夜の9時までは店をあけて仕事をしていました。お酒を楽しみにくる大工さんもいましたし、見積はたいてい夜でした。大工さんが木拾い表を持って来てくれて金額を入れ、話が決まれば(かなりの確率で話は決まっていた)、材料を用意するだけで仕事が進みました。今は図面を見ながら説明を受け、材料を拾うことの方が多くなってきました。それも見積もりだけというのもかなりあります。しょうがないなという気もあるし、このままでは時代に流されるだけ、という気もしています。自分達なりのシステムを作り上げないと先へ進めません。

4月に入ってからは昼も夜も忙しいです。先週はテニスに始まり、無尽、月報委員会、モック講演会など外に出ることが多く、そのせいか、一週間に一度は早く眠りに着きたいと思っています。幸いなことに、日曜日の朝はひたすら寝かせてもらっているので、ありがたいと思っています。
思い起こせば三年前までは、こんな生活が続いていたんですね。とにかくバタバタした生活を送っていました。時間的には同じような状況が続いていますが、精神面ではかなりの変化です。気持ちの落ち着いた生活を送れるのは全く則ちゃんのおかげです。50を過ぎて体力の低下を肌身で感じているので、無理をしないようにしながら生きていきたいと思っています。


(モックの講演会のことは次回に書きます。)

2002/04/25(木) 曇り時々雨


[ 「近くの山の木で家をつくる運動宣言」 ]
「近くの山の木で家をつくる運動宣言」(私の本棚)

発行:緑の列島ネットワーク
発売:農文協
定価1000円(本体価格952円)

山と町、
生産者と消費者、
流通の川上と川下
そして各地の運動を結び、つなぐ、
ネットワークの大きな力が、
国産材による家づくりと
健全な山を取り戻す。

第1章  緑の列島その歴史と現状
第2章 近くの山から地球環境を考える
第3章 木で家を建てる・木の家に住まう
第4章 森の経営と求められる木材質基準
第5章 近くの山の木で家をつくる運動へ



この本は、「新東京モック」からいただいた。しばらくどこかに紛れていたが、ここのところ、富山和子さんと田中淳夫さんの本を読んだ関係もあり、読み始めました。
緑の列島所の歴史と現状では、こう書かれています。
私達の国が近くの山の恵みを生かして、地域らしい表情を持って「木の住まい」を建てて住んできました。それが「消費革命」の波にあって、地域の風景まで一変してしまいました。自然素材が敬遠され、「新建材」が好まれました。シックハウス症候群などもあって、再び自然素材は見直されています。
第二次世界大戦の折、山は「はげ山」となりましたが、人工林を植えたおかげで、(山として完璧ではないけれど、)森が広がりました。
今そこにある危機は、伐採されずに放置されることによって山が荒れていくという深刻な危機です。木を切り、それを人間の生活に用い、その代金を山に返してあげることが私達を救う第一歩となるのです。
これは今通用している市場原理だけでは計れないことです。山と町がスクラムを組んで新しい社会システムを作り出す時代に入りました。
近くの山の木を生かし、地域らしい住まいを作り上げることで、施主、設計士、流通業者、施工業者の連携が生まれます。この小さな関係の広がりの向こうに自然界の物質循環の環の中に参加し、自然の恵みを享受することが出来ます。
この本ではそのようなことを訴えかけており、また現実の運動としているところが優れていると思います。私も見習わなければと感じました。
緑の列島のホームページをご覧下さい。

緑の列島ネットワーク
http://www.green-arch.or.jp/







2002/04/20(土) 晴れ


[ 4月の月報委員会 ]
4月の月報委員会


今月の月報委員会は18日の6時から開かれました。木材に関する価格表が単価も変わり、また見やすくなりました。さらに来月からは、新建材や住宅機器についても単価の見直しをして、実情に見合った価格表にしていくつもりです。組合員の皆様にとっても使いやすい単価表になると思います。
今月の市況ですが、木材に関しましては、国産材がやや下げ基調。その他のものは横並びです。ベニヤ類も値段が上がらず、ほぼ横ばい、ラーチ合板などは少し下がってきました。それだけ仕事が無いということでしょうか。

話は変わりますが、木材問屋さんなどからも国産材が売れないという嘆きを耳にするようになりました。売れていた時代を知っている人では、この難局は突破できないでしょう。
田中淳夫さんの本の中に書いてあったことですが、木材が切れば売れた時代は戦後の復興が始まった昭和25年から39年の東京オリンピックの頃までです。その間にも景気の低迷がありましたから、爆発的に売れていたのはほんの十年間だけなのです。その名残で40年近く引っ張ってこれたのです。逆にいえばそれだけ木材は身近なものでした。
それが今崩れようとしています。木材が使われなくなって山が放置されていることが大問題なのだと思います。

2002/04/19(金) 曇り


[ 今月の市況 ]
今月の市況



十年前の資料に目を通してみた。こんなことが書かれている。
「セリが終わった時点で市場の使命は終了。小売業は時代と共に変化してきている。今時代はプレカット。市場で売れるものはタルキ・羽柄材。市場で扱っていく品物は問屋同士合同で考えていく。市場はセンター化。付加価値をつけて木材を売る。売り先をユーザーにも広げる。」等々。
これは十年前の月報からである。この十年間どれほど進歩したのか。

例えばプレカット。プレカット工場自体が進化して、構造材だけでなく、羽柄材や合板までカットされて現場に収めるようになってきた。首都圏では7割以上がこの方法に頼っている。いくつかの点で注意すれば、プレカットで建てた建物で充分だと思う。
プレカットが主力となったので、どの市場でも自社工場を持つようになった。これを活用して仕事を取り、我々材木店に利用してもらい、また市場問屋からは構造材を提供してもらうなど、相互にメリットを求めている。
そうなると、市場で売れていくものは特殊な材か、ごく一般的なものになる。今市場で梱包もまま売れているものは10種類くらいではないかと思う。後はバラ出し。市場自体がセンター化している。
例えば新東京の組合には直営のセンターと市売り問屋とが木材を扱っている。昨年までは両者の売上比率は同じくらいだったが、ここへ来て6対4で直営部門が優勢となった。直営ではバラ出荷、配達などのサービスがあるが、市売りでは、それが少し遅れた。また市売り問屋一社で材料が間に合わないことも多く、その点でも遅れをとっている。木材を見る眼の確かさや、単価面での交渉などは問屋さんの方が「融通が効く」が「総合力が無い」。
だが健康住宅ブームも手伝って、杉の内装材を床や壁に使う仕事が増えている。無垢のものを部屋の中に用いるようになった。このため、売り先をユーザーに広げることで新たな木材が売れる可能性もあり、またこれをしなくては未来も無いところに追い詰められている。市場を用いたイベントの中で木材を見てもらい、需要拡大に務める必要が出てきた。木材を売るのにも大いなる努力の必要な時代になった。

ここのところ木材も建材もあまり動いていないので市況を書けるほどではない。今月は木材以外のものの売上が大半だった。

2002/04/18(木) 晴れ


[ 日本の森はなぜ危機なのか ]
「日本の森はなぜ危機なのか」(私の本棚)
田中淳夫著平凡社新書760円(税別)

以下はHPに載っていた、著作者本人がこの本について書かれたものの抜粋と目次である。

最初は森林問題を扱い、その希望ある未来を描きたかったのだが、結果的にそれは日本の林業問題を解決することではないかと考え、さらにそれは山村問題であり地域の問題、そして日本の社会システムの問題だということに行き着いたからだ。だから内容も、社会科学的アプローチになったと思う。森を自然物と捉えるだけでは、現実の社会と乖離してしまう。自然物であると同時に、資源でもあり人間社会の一部でもあるという視点が必要だ。また自然を守る行為は、持続的でなければならないが、そのためには人が積極的に森林に関与しなければならない。それならば経済的に森を捉えた方が、わかりやすいしうまくいくはずだ。
 第1部では、森林と林業の歴史、人間との関わり方から「危機」の実相を追求した。第2部では、林業の現場で起きている新しい動きについて紹介した。そして第3部では、社会システムとしての変革すべき点を提案した。そのうえで原点にもどり、「森林はなぜ危機なのか」という部分に立ち返る。
 本書は、一見森林問題というより林業問題にシフトしたように見えるかもしれない。しかし私は、森林と林業を分けて考えること自体に無理があるのではないかと思っている。そもそも「林業」とは何か、と考えてみると、木材生産だけではないのである。木炭を焼くのも、焼畑も、山菜取りも、森林浴さえも林業の一形態ではないか。森林を人が利用することが森林の産業化であり、それが林業だと言えるのではないか。そして人間も森林生態系の一員ではないか。
 だから私にとって、本書は現代林業に関する考察の集大成にもなっている。

目次

はじめに−−森林と林家のためにできること
T 森林危機の本当の姿
1、 森林危機には2種類ある
2、 木を売らなかった林業
3、 林業の成功、林産業の失敗
4、 林業の不振は外材のせいか
5、 世界最古、吉野林業、誕生の秘密
6、 林業没落の一九六〇年代
7、 森林ボランティアは森を救えない

U 林業を環境産業に変える
1、 間伐しなくても森は育つ
2、 植えなくても木は生える
3、 日本の焼畑はハイテク技術だ
4、 ウシが下刈りしてくれる造林地
5、 材質を5分で変える IT革命
6、 紙から木をつくる究極のリサイクル
7、 森林認証制度が環境と経営を守る

V 日本が変われば森林も変わる
1、 山村ファンをつくるシステム
2、 長期伐採権制度で森林経営を
3、 近くの山の木で家をつくる運動
4、 木の家は本当に高いか
5、 「森のゼロ・エミッション」構想
6、 林業ベンチャーが森林を救う

あとがき 森林問題のアンチテーゼ



章立てを見ればわかるとおり、かなり挑発的なところがある。「林業の成功、林産業の失敗」「森林ボランティアは森を救えない」「間伐しなくても木は育つ」などである。この題名に惹かれて読んでいくといい。実例を挙げながら書かれているのでわかりやすい。また「日本が変われば森林も変わる」のところはぜひ一読を。私の興味からいうと「近くの山の木で家をつくる運動」「木の家は本当に高いか」などは材木屋でも出来る訴えかただと思う。
田中さんの主張は、森を守るためには、伐採してエンドユーザーに買ってもらって、その売上で木を植え、育てるという循環を作る必要があるということ。
林業が経済的に自立し、環境にも優しいシステムに変わることが人間社会と森林の両方を豊にすると書かれている。




2002/04/17(水) 晴れ


[ 今出川倶楽部 ]
今出川倶楽部

「もしもし、岡本ですが」
「どちらの岡本さんですか」
「同志社のときの・・・」
今日の昼休み、突然かかってきた電話は同志社時代の友人・岡本君からだった。会社からだったのだろうか。よそ行きの声だったのですぐにはわからなかったが、話が進むに連れ、広島弁が飛び出し、「間違いない」と感じた。
以前夜中に広島の飲み屋から電話をもらってから、それから二年くらい経っただろうか。取り立てて用件があったわけではない。ただ、4月1日付けで「今出川倶楽部」の名簿を彼にも配信したが、その御礼との事だった。
「なかなか会えんのー」
「丁野は元気にしちょるか」
彼は学生時代ジャズが好きで、鴨川べりにある下宿にはオーディオセットがあった。下宿で「この頃ピアノの良さがわかるようになった」などと話した後に、部屋の電気を消し、「ここはアベックが多くて」と言いながら簾越しに外を見ていた。
私には忘れられない思い出がある。自分の下宿先にたこ焼きを買って帰ってきたあと、すぐに友人に呼び出され、10分ほど部屋を空けたことがある。戻ってみると「たこ焼き」が誰かに食べられて、経木だけが残こされていた。
翌日から早速犯人探し。当時私は1階に大家さんが住む住宅でその2階の8畳間を借りていた。たいていの人間は「大野君いますか」と大家さんに声をかけて、2階へあがってくる。ただ一人、黙って2階へ上がってくる奴がいた。それが岡本。だから犯人を突き止めるのはそんなに難しくなかった。彼は恥ずかしがりやなのだ。
30年近くたって、この話を想い出した。「食い物の話は恐ろしい」

さて話は戻る。友の声を聞くのは元気の源になる。「生きるのが大変だ」といいながらも力づけられるものだ。今年の夏には「今出川倶楽部」も久しぶりに会合を持とうという話がある。
50才を超えたから「会えるときには会っておこう」と思う。
今出川倶楽部は私の原点。このHPでもその名を使っているが、同志社時代の友人の集まりで、40人くらいの消息がわかっている。

2002/04/16(火) 晴れ


[ 今年もチューリップが咲きました。 ]
今年もチューリップが咲きました。


今年もチューリップが咲きました。去年はベランダでしたが、今年は屋上に置いています。咲き始めが早かったですね。3月20日頃に白いものから咲き始め、黄色、赤、紫ときてラストはオレンジでした。烏よけのビニールテープをつけましたので、写真がきれいに撮れませんでしたが、花の色を楽しめる季節となりました。








2002/04/14(日) 晴れ


[ 「環境問題とは何か」 ]
環境問題とは何か(私の本棚)

「環境問題とは何か」富山和子著。PHP新書660円(税別)

本書の端書には以下のように書かれている。

21世紀は環境の世紀。そしてその資源は水と土。日本人は古来、急峻な厳しい地形と闘いながら、この資源を作りあげ営々と養ってきた。だが現在、足元を見れば、山村の過疎、水問題、放置された森林などなど。山紫水明の地は「手抜き列島」と化している。著者は言う。山・川・海・米があるのも、それを守る人がいたから。その守り手の歴史と知恵を人類の生きる術として、世界に伝えていく、それなくして環境は語れない、と。「自然を守るとは農林漁業を守ること」と説く、全く新しい「環境問題の教科書」。


私の祖父母の生まれたところは埼玉県飯能市の西北奥まった山道の中腹にある。二十年程前まで道は舗装されておらず、まったくの寒村だった。それでも祖母の実家は第二次世界大戦まで「旅籠」を営んでいた。この地にまだ電気は来ていなかった。
40年程前(1960年代)の小学生の頃、夏になると親に連れられて、そこに行った。「戸丸」という地名のところである。当時こんな田舎に何で「旅籠」を営んでいたのだろうかという疑問が付きまとっていたが、この本を読みながら、山に人がいたのだと気が付き始めた。明治期には蚕で賑わい、その後も木材の産地として人が行き交っていた。山は決してひと気のいない、寂れたところではなかった。ただし、米は出来ず、主食は芋だったが。
山では木を切り、また植え、川は水をたたえゆったりとした流れを作っていた。釣りをしたり、仕掛けで鰻を捕まえたりもした。私にもその記憶があるが、私の父は「戦前はもっと水量が多かった」と話す。
山に守り手がいて、木をきればまた植えられる。雨水は森に染み込み、土の中で浄化されて飲み水が出来る。山が荒れてくると飲み水も不足するのではないかと著者は語る。都市の住民は山から恩恵を受けていることを再認識しないとしっぺ返しを食らうとしている。




2002/04/12(金) 曇り時々雨


[ 株式会社東集 ]
株式会社東集


新木場に本社があり、主に集成材を扱っている会社です。
ホームページを立ち上げて、何年が経つでしょうか。かなり早い時期から取り組んだ会社です。自社の製品のことばかりではなく、「家を建てる・買うガイド」として

「住まいつくりのための設計事務所活用法」
「住宅品質確保促進法について」(いわゆる品確法)
「住宅と健康」
「木の豆知識」
「木のデータベース」
など、私どもが読んでもためになる記事が沢山書かれてあります。
ぜひ、一度開いてみてください。


http://www.toshu-1td.co.jp/

2002/04/11(木) 曇り時々雨


[ 高校入学 ]
高校入学

修也君もいよいよ高校生、昨日が入学式で今日から授業です。初めての電車通学。目黒まで通うことになりました。




2002/04/09(火) 晴れ


[ 義母の話 ]
義母の話


則ちゃんの母親は、松本玉恵。旧姓は町田です。お母さんは一昨年の暮れに脳梗塞で倒れ、その後リハビリ入院などしましたが、昨年の夏に退院し、その後の経過も良く、我が家にもしばしば訪れてくれます。そんな折、こんな話をしてくれました。
お母さんのお母さんは桶川の町谷という土地の出身で、旧姓を「大野といった」というのです。
それによると
お母さんのお母さんは「大野なお」、そのまた上のお母さんは「大野ちか」さんと言いました。また、二人はかなり年の離れた姉妹であり、二代続けて大野家から町田家ヘお嫁に来たとの事です。
「大野なお」さんは町田なおさんとなり、町田玉恵さんを生みました。玉恵さんは松本玉恵さんとなり、松本則子さんを生みました。松本則子さんは今では大野則子さんです。
何代かを経て「大野」に戻ってしまいました。
あれれ、不思議。



2002/04/06(土) 晴れ


[ メガネを壊してしまった ]
めがねを壊してしまった。


3月31日に、メガネを壊してしまった。台所の吊戸棚にタッパーをしまおうと思ってあけたところ、中から別のタッパ―が落ちてきて、思わず手で払ったら、自分のメガネ事払い除けてしまった。すぐに眼鏡屋に行って修理を頼んだが、すぐには直らないとのこと。近場用のメガネであり、パソコン用のメガネであったので、今こうして遠め用のメガネをかけてパソコンに向かうと目がちかちかして痛い。
だから、しばらくメガネが治るまでパソコンは見るだけにしようと思っています。

2002/04/02(火) 晴れ


[ スギ材の活用を考える ]
セミナー「杉材の活用を考える」


杉の集成材は国産材進行の活路となるか
平成14年3月26日
三陸木材高次加工協同組合理事長 中川信夫

去る3月26日には、日本木材総合情報センター主催による「スギ材の活用を考える」と題したセミナーが開かれました。講師は二人。三陸高次加工協同組合理事長の中川信夫氏と山田事務所の山田稔氏でした。

今回は中川氏の話を紹介します。以下は中川氏のレジュメです。
1=輸入材の専有化を許す日本木材市場――要求強まる工業化製品
イ=精度と強度を兼備。且つ価格も支配の北欧集成材(ホワイトウッドやレッドウッド)
ロ=輸入材83%、国産材17%と完全にわが国木材市場を支配する輸入材。国産材はどこまで衰退を続けるのか。自給率が一ケタ台に減退なら、回復の目処立たず。
2=杉集成材の需要は見込めるのか――価格がポイント
イ=強度=(A)管柱、縦軸強度 (B)横架材、曲げヤングE70から100、地域差により差がある(RWは120以上)
ロ=価格はスギ材の方が一割ほど高い)
3=スギ集成材の製造の重要ポイント
4=糊は生き物――糊付の製造には温度が決め手
5=成さずして国産材活路は見出せず
6=販売――売ってやる時代から使っていただける時代へ
7=木造軸組み住宅の減少――30万戸時代来る
8=供給体制の改革――攻めの姿勢
9=一段下げの原木、製品価格――動かない、売れない、買い手無し
10=円安の為替ルートが国産材有利に作用――ユーロ115円、ドル135円


先ず、中川氏の「三陸木材」では杉の集成材を作っている工場であり、住宅まで手がけているところだということを前提にして話を進めます。先に掲げたように国産材は危機的な状況にあります。これを回避するためには、ユーザーに使っていただくしかありません。
使っていただくためには、木材製品が現在の住宅つくりにマッチしているものでなければ、なりません。そこで部材化されたものとして考え出されたのが、スギの集成材です。
従来の製材品は「柱」を取ることを主にして製材されていましたが、ラミナーにして貼りあわせる事により、つまり集成材化することにより、精度や強度を一定に保ち、又価格においても北欧材と競争していけるだけのものを打ち出すことが出来ました。されに円安、ユーロ高の今なら、国産材に有利な条件があり、この機を逃さず、攻める事が大事だと中川氏は語っていました。

中川氏のお話では、競争力のある商品を作り、それを実際にエンドユーザーに届けるシステムを作り上げ、実績をあげているところがすごいと感じてきました。


2002/04/01(月) 晴れ


( 2002/05 ← 2002/04 → 2002/03 )


[ 管理者:大野満生 ]


- CGI-Island -

Thanks to CGI-StaTion & 手作りCandy