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時々更新mn日記

( 2002/04 ← 2002/03 → 2002/02 )


[ 訃報 ]
訃報


昨日届いた早稲田中学・高校の校友会会報を読んでいたら、鈴木秀枝(ほずえ)先生が亡くなられたことが報じられていた。平成14年1月4日、74才であったと書かれている。
私は直接担任になったことはないが、日本史が専門だったので歴史研究部の顧問として、お世話になった。夏合宿で京都や奈良に行った時、京都では宇多野のユースホステル、奈良では飛鳥の橘寺でごろ寝だった。当時先生は40代。よく付き合ってくれたと想い出している。
先生が双子で生まれたことや早稲田高校47回の卒業生であり、赤穂浪士の四七士にかけて同期会を催していることなどは直接聞いていたが、今回の会報ではお母様が津田左右吉の娘であるとかかれていた。学者肌だった先生なら「さもありなん」と思うと同時に血筋の良さを改めて知らされてた。ご冥福を祈るばかりである。

また、今回の会報には、私の同期の為藤和夫氏が逝去したことも載っている。これで、山崎正一郎、湯川謙治、松田良一、藤木正、太田信博に続いて6人目となるのか。為藤はおとなしい奴だった。

2002/03/28(木) 晴れ


[ お彼岸 ]
お彼岸


3月21日には、上尾へ則ちゃんのお父さんの墓参り。24日は小平へ大野家の墓参り。今年もお彼岸は二ヶ所にお参りをして日が暮れました。
上尾では松本の実家が花屋さんなので素敵な百合をいただき部屋に飾って目や香りを楽しんでいます。白にピンクにオレンジ、それに薄いオレンジのものと色とりどりです。



今年は桜の花の咲くのが早かったので、21日の墓参りの帰りには哲学堂まで足を伸ばし、中野通りや新青梅街道の桜並木を車上から見物。ほぼ満開の桜を目にすることが出来ました。

24日は中野新橋「春のイベントの日」でした。ここでお餅と赤飯を買い、お汁粉を食べると小平へ出発です。少し風はあるものの小平霊園は穏やかな天気で、景色が止まっています。
桜と水仙は満開。チューリップも咲き始め暖かな春の到来を教えています。
その後、叔父の「いとう薬品」のよってから帰宅となりました。







2002/03/25(月) 晴れ


[ 情報化と月報委員会 ]
情報化と月報委員会


以前、組合の「WOODS」という月報に以下のような寄稿をした。


私は情報化の委員会と月報委員会の二つの委員会に参加している。前者では主にホームページの更新内容に、後者では木材や建材の価格の評定に携っている。その関係から思いつくのはパソコンを活用したら、である。
例えば、センターや建材部門での在庫品の項目を一覧表にしてHP上の組合員専用コーナーに載せる。組合員がそこにアクセスすれば、何処に何があり、いくらなのかがわかる。そのうち価格の変動したものだけをピックアップすれば、月報委員会の資料となる。
今ひとつは組合員への営業支援である。すでにCADサービスやプレカット事業を組合では行っている。それを現在的にアレンジする必要があろう。それに加えHP上に各お店の紹介をしては如何か。現在50店舗ほどが参加されているが、これを増やしたい。ホームページを持つことは当り前になったからである。


今週は18日に月報委員会、22日には情報化の委員会と二つの委員会が開かれた。前者では、木材や建材の価格評定を主に、後者では組合のホームページの更新についての話が主なものであった。
昨日の情報化の委員会では、ホームページのリニューアルの話が本格的になり、一二ヶ月を要してイメージを変える予定。いうまでもなくホームページにはエンドユーザーに対して情報を発信するという部分と組合員向けという部分がある。が、私は当面組合員向けの部分を充実させたいと思っている。例えば、組合員だけが入れるページに掲示板だけでなく、「Web WOODS」や価格表も登場させたい。昨日の委員会はそういう方向で動いている。今ひとつ、松村さんから「メイン」となるものを作り出す必要性がいわれた。主としてユーザー向けとなるのだろうが、在来工法をフラッシュを使って動画で表すことや、東京木材ネットワークで製作した「杉の木太郎の一生」をネット上で電子紙芝居としてあらわしていく話である。同作品はすでにCD-ROM化の話もあり、これが実現するとユーザーに対して材木屋の存在を知らせる新たな可能性が出てこよう。

さて話は戻って、18日の委員会では、舷燈社の柏田さんの骨折りで、会議の後に小宴が開かれた。会議の中では4月から「標準価格表」が新たな形で出てくることが決まり、直に組合員の中に示されるであろう。
小宴では、参加した委員と歓談したが、一番多かった話は新東京木材商業協同組合の仕入単価のことであった。他の市場との価格差がつき過ぎてはいないか。仕入の仕方に不備はないのか、仕入に対しての努力が足りないのでないか、など本音の部分も聞けて参考になった。誰しもが思っていることなら、変えていくのはそんなに難しい問題ではない。自分なりの価格表を作って見たいと思った。


2002/03/23(土) 晴れ


[ お誕生日 おめでとう ]
お誕生日おめでとう
今日22日は、満生君の誕生日です。
そして誕生花はムスカリです。
去年に続いて、今年も屋上に、ムスカリの花がたくさん咲きました。
3月1日に、最初の花が葉の間から顔を出してから、次々と咲きはじめ毎朝楽しみに見ています。もう、100以上になりました。
爽やかな透明感のあるきれいな青紫色の小さな花が鈴なりになって、一つの花になっています。2ヶ月から3ヶ月ちかく咲き続けます。豊かな気持ちになれる花です。
ムスカリさん、しっかり咲いてね。そしてまた、来年もよろしく。則子









2002/03/22(金) 晴れ


[ 北のグルメ ]
北のグルメ


北海道ではカニや鱈子、イクラの醤油漬けなどお土産を買ってきた。場所は場外市場である。そこは「北のグルメ便」と銘打ったところで、「おまけ」としてホタテを4枚つけてくれるといってくれた。
私達は、航空便を頼むと裏の食堂で朝食と相成った。「ウニいくら丼」「ボタン海老」「カニ汁」など。おなかを満たした後は、そのお店の前で記念撮影をしてもらって、ここを後にした。

さて翌日には、お土産が届き、早速食べることにした。ふたを開け、中身を確認すると、ホタテが3枚しか入っていない。4つと聞いていたので、4人で食べようと準備していたのだが、1枚足りない。
そこで、仕方なく分け合ってたべた。

話はここから始まる。早速1枚たりなかった旨のFAXを送ってみた。翌日になると早速クレーム処理係のお姉さんから丁寧な謝りの電話があり、その翌日には、北のグルメ便が届いた。中にはホタテが6枚。しかも大きい。しかもこの前より新鮮。これならお刺身でも食べられる。その夜はホタテづくしで満腹となった。

クレーム処理に慣れている所なのだろうけど、そのすばやさは見習わなくてはなるまい。





2002/03/20(水) 晴れ


[ 十四日会の旅行に則ちゃんも参加 ]
十四日会の旅行に則ちゃんも参加



中野十四日会では毎年旅行を行っています。今年は区切りの良い十回目。行き先は札幌でした。一人欠員が出たために則ちゃんにも参加してもらいました。
3月16日早朝、羽田を飛び立ち、10時には札幌の駅前にいました。考えてみると近いものです。駅前には雪もなく、荷物をホテルに預けると札幌の市内観光から始めました。
先ずは旧北海道庁です。赤レンガでおなじみの庁舎では、旧執務室などが公開されていました。ここは他の部屋と違って建具や腰板にタモの1枚板が使われ、しかも玉目です。窓周りの唐草模様の彫刻とあいまって重厚な空間を作り出していました。
次は時計台です。札幌といえばここですが、二階に上がった方はどれくらいいるのでしょうか。ツーバイフォーの簡単なつくりで、大空間を作り出しています。これで持つのだろうかという疑問が浮かびましたが、同行していた亀山さんが時計台の建物自体が上から見ると「T字型」になっているので、だから大丈夫なのだろうと言っていました。
また、一階では、修繕されたときのビデオがあり、修理の仕方が細かく写されていました。補修工事では、部材のうち腐ったところはその部分だけを削りあるいは切り取り、なるべく古い部材を残すようにしていることや、そのために多くの手間や技術をかけている様が写されていました。文化財の保護の仕方を見せてもらいました。
ここを出る頃がお昼。ホテルで聞いたおすし屋へ出かけましたが、営業時間前。そこで仲間内で連絡を取り合い、「とっぴー寿司」という回転すし屋で食事。ウニ、大海老、つぶ貝など北の幸をたくさん食べ、満腹状態。おいしい所でした。
おなかを満たすと次はお土産。六花亭を場外市場へ出向き、お土産ツアー。私達二人はここでみんなと別れ、藻岩山へ向かいました。ロープウエイで中腹まで、さらにリフトで頂上へ。ここまでくると雪もあり、スキー板をつけないで乗ると変な感じだねと話していました。ここは札幌市内が一望できるところです。羊が丘、札幌ドーム、中の島公園、テレビ塔、北大、大倉山シャンテ、さらに天気が良かったので石狩湾。「あれがきっとポプラ並木だね」「ここまで登ってきて正解だったね」・・・
夜は「かに屋」で宴会。それがはねるとラーメン横丁を散策。昔来た時はもっとたくさんお店があったように思えたけど、・・
すすきのの町を歩き、狸小路のアーケード内を通りホテルへ帰りました。

翌日は、朝市へ出かけ、蟹を仕入れると共に、そこで朝食。「ウニいくら丼」+大海老+かに汁といったメニューで満足満足。
ホテルへも戻ってから、本日の観光予定である小樽を目指しました。小樽は札幌から30分強。人口は10万人。この50年間あまり増えていません。かつてのニシンが取れたとき北海道第二の都市だったのでしょうが、今は観光が主力でしょうか。小樽運河、北一ガラスを散策した後、西へ向かい、灯台市場をへて「青塚食堂」で食事。観光客や地元の人でにぎわっていました。蟹、ホタテ、粒貝にうに丼。何か同じようなメニューになりましたが、やはりおいしい。
ここを後にし、すぐ近くの「旧青山別邸」へ向かいました。ここは大正時代にニシン漁で財を成した青山家の別邸として建築されたところで、当時の栄華を今に伝えています。大正6年から6年の歳月をかけて建築され、当時のお金で31万円をかけてとのことです。ヤン衆の手間賃が3ヶ月働いて80円、新宿の伊勢丹デパートが50万円ということですので、莫大な金をかけて造られたものとのことです。手作りのガラスや春慶塗の廊下など見所はたくさんありましたが、中でも孔雀が羽を広げたところをイメージして作られたという「タモ材の玉目を活かした階段は見事なものでした。観光に来て研修もすることが出来ました。
その後小樽へ戻り、北一ガラスの倉庫を改造したビアホールでコーヒーを飲み、帰路に着きました。
帰りの飛行機がゆれましたが、無事たどり着きました。あわただしいながら楽しい二日間でした。


時系列に並べると



札幌駅にて


旧道庁前にて



時計台にて修理時のビデオを見る




時計台にて


場外市場にて


藻岩山



夜の狸小路。見知らぬ人と


小樽駅前


小樽運河にて



青山別邸入り口にて



飛行機はミッキーマウスでした

2002/03/18(月) 晴れ


[ 仕事を取る努力 ]
仕事を取る努力


つくばの肥田さんから昨年来取りくんでいた「板倉工法」の家が出来上がり、現場見学会を催すとの連絡を受けた。「板倉工法」に関しては肥田さんのHPを見ていただきたいが、木材をふんだんに使った住まいの作り方である。都内で建てるのは難しいが、木材が見えて触れられて、香りも嗅げるのは、人間が住む条件としては一番良いと思う。精神的な安心感を持つことが出来るからである。ひと部屋だけでも木材を見えるところに使いたいと感じている。

話は変わって、このところ、材木を売るという場面が少なくなってきている。日本木材総合情報センターから依頼されたモニターの欄に主要な販売品目を書くところがあるが、一番を建材、二番目に木材と書いた。このように私のところでは、売れているものは変化し多様化している。勿論木材が一番競争力を有しているのだが。

そんな折、新聞の折り込みに全建総連から「住まいのご相談は安心できる地元の職人へ」という広告が入ってきた。
表面には「どんな小さな工事でもご相談ください」とあり、
賢い工事発注方法として、
1幅広く相談してみる。
2予算内でどこまで希望がかなうかをしっかり聞いてみる。
3具体的な施工方法などでプロの腕前もしっかりチェック。
4家族でじっくり考える。
の4つが書かれている。
裏面には、中野区の地図と中野区の中での相談先が書かれている。

これを見て、早速拡大コピーして作業場の入り口に貼る事にした。私のところに来ていただいている大工・工務店さんで信頼のおけるかたがたには、このHP上でも少し紹介しているが、これにもっと積極的にならないと駄目だと感じている。しかも自分の目から見ての判断も必要になる。

一口に、大工・工務店といっても色々いる。真面目な仕事振りの人が一番多いのは勿論だが、すぐに威張り出す社長や支払いを遅らせて自社を大きくした社長もいた。数量をごまかしてぼろ儲けをした者もいた。たとえ腕が良くても人柄も加味していかないとこれからは駄目だと思う。
私の住んでいる中野区の南部にいる「親切・安心・責任施工」業者を紹介していくことも私に出来る「仕事を取る努力」の一環となろう。







2002/03/15(金) 晴れ


[ 束の間の語源 ]
束の間の語源



束の間の「束」という字の語源を知っていますか。今朝5時38分からフジテレビの「めざましテレビ」の中でこの話が出ていました。物差しがなかった頃には、人間の各部分が物差し代わりをしていました。例えば、背の高さは「一間」ひじから手首までを「一尺」という風に表現していました。それと同じように「束」は握りこぶしを握ったときの指4本分=約7、5センチの所を指します。ですから「束の間」は「一束くらいの短い間」という意味になります。

この説明に際しては、大工の飯塚恒治さんが実際に束を使って説明していましたが、放映時間は短くて、5秒程度。さてわかったのでしょうか。
実はこの撮影。私のところの下小屋を使いました。撮影時間はリハーサルと本番を入れて一時間半くらい。私は留守でしたので則ちゃんに写真を撮っておいてと頼みました。おかげで雰囲気がわかります。
また、飯塚さんから昨日連絡があり、放映日は今日13日の朝5時38分からだと知らされていたので、二人して早起きして見ていました。

撮影はこんな感じ。



母屋束を置いて準備OK




握りこぶしを作って「束」の大きさをあらわす


2002/03/13(水) 晴れ


[ YKKAP、TOTO、大建工業の提携 ]
YKKAP、TOTO、大建工業の提携


先ごろYKKAP、TOTO、大建工業の三社がリフォームの分野で業務提携することが発表された。
これまでサッシメーカーのYKKは独自路線を歩んできたが、トステム・イナックスの経営統合を受け、部分的にではあるが、その対抗軸のTOTO・電工・大建工業連合に参加することになる。これで、サッシだけでなく、内装材、外装材、住宅設備、水周りまでそろうことになる。
業務提携することで、トータル提案が可能になり、販売面でのニーズの拡大も期待できる。エンドユーザーだけでなく、我々にとっても例えば、「トイレ」ワンセットでいくら、という提案が出来、また工期的にも短縮が可能となる。

同じような提携がこれからも増えるとおもう。


2002/03/12(火) 晴れ


[ テニスは楽しい ]
テニスは楽しい


3月10日には、新東京テニス同好会が開かれました。晴天で暖かな日差しを浴びてながらのテニスでした。参加者は小川、鳥井、横田、瀬沼、河野、中村に大野の二人の計8人でした。
私は一番下手でしたが河野さんとペアを組み、かなり勝たせていただきました。
結構走ったので今日は「足」にきていますが、それでも気持ちの良い一日でした。
またやりましょう。今度はいま少し上手くなって参加したいと思っています。

2002/03/11(月) 晴れ


[ クロス屋さん ]
クロス屋さん


工期が3月半ばという仕事があり、「いいクロス屋はいないか」と聞かれた。それも二つの工務店からである。そこで早速知り合いのクロス屋に連絡をとると「今は忙しくて、駄目だよ」「大工さんの仕事は少ないけど、マンションの仕事がかなりあるから」と断られてしまった。
その言葉の中で「我々はオーナーとくっついているのだから」という言葉が忘れられない。

2002/03/08(金) 晴れ


[ 3月5日は・・ ]
3月5日は・・・


3月5日は結婚記念日PRAT2の日です。午前中には妹からプレゼントをいただいたし、夜は外食して河豚を食べました。おいしくいただき、おなか一杯になり、幸せな一夜を過ごしました。







2002/03/06(水) 晴れ


[ 「赤木圭一郎よ永遠に」 ]
「赤木圭一郎よ永遠に」


赤木圭一郎のファンクラブに遅まきながら入会して、会報誌を送ってもらい読んでいます。その中に「赤木圭一郎よ永遠に」というビデオのことが載っており、早速注文しました。
それを3日の日曜日に一日かけて見ていました。4日の今日は二回目に挑戦です。166分という長編ですが、かなり真剣に見ています。
主な構成は二つです。
「霧笛が俺を呼んでいる」という映画のロケ地を訪ねながら、当時の映像と現在を重ねあわせている前半部分と
40年前当時のスタッフや映画監督、あるいは赤木の友人へのインタビューを通じて赤木の人間性や俳優としての素質が語られる後半部分です。

後半では、赤木が毎月主演作を撮るようになり、また裕次郎が骨折するなど赤木への負担が増え、仕事の忙しさで赤木に余裕がなくなり、肉体的にも精神的にも追い詰められていく様が事故を起こした1961年2月14日まで時系列で語られます。その様は一ファンとしては気の毒でもありますが、現実でもあります。

また事故そのものについても語られており、その部分は40年経った今でもあまり触れたくない悲しいことでもありますが、それによって赤木は永遠のスターになったのですから仕方ないかも知れません。ただ私どもは、映画や歌あるいは、彼の詩を通じてつながりを持っているので、それらの中から赤木の名場面集を作り上げたいと思っています。

今回このビデオを見ていて赤木がひとまわり上のウサギ年だとはじめて気がつきました。迂闊だなと思う反面、今一度全部の映画をゆっくり見たくなりました。


2002/03/04(月) 晴れ


[ 日本ベニアと丸長産業 ]
日本ベニアと丸長産業


全国に営業網を持つ日本ベニアと関東圏できめ細かい建材卸・工事を行う丸長産業の合併が発表された。
現在、建材業界は住宅着工戸数の減少など需要が後退し、収益を確保するのに苦労しています。そこで位相の少し違う日本ベニアと丸長産業が手を組むことになったようです。建材業界第3位の日本ベニアと第4位の丸長産業の合併によって単純計算すると業界第2位となり、この業界に与えるインパクトは強いと思われます。


日本ベニア株式会社のアドレスは

http://www.nvn.co.jp/


丸長産業株式会社のアドレスは

http://www.marucho.co.jp/

2002/03/01(金) 晴れ


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[ 管理者:大野満生 ]


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