[ホームへ] [他の月を見る]


時々更新mn日記

( 2002/03 ← 2002/02 → 2002/01 )


[ 今ごろになって思い出す言葉 ]
今ごろになって思い出す言葉


皆さん、二月の木材や建材の売れ行きはどうでしたか。私のところはこの一月、二月は基準をクリアーしております。ただ、月が変わってからまとまった仕事が少ないので、心配しております。

そんな折、今は亡き山芳プライウッドの前社長、古敷谷さんの言われた言葉を思いましております。もう7、8年前の話ですが。
これからの材木屋が取り組むものは、
1. プレカット。
2. サイディング材工
3. 建具
4. 水周り
5. 床暖房
といった話でした。
木材販売だけで「材木屋が成り立った」楽な時代が終了して、住まい全般に「材木屋」かかわる中で、木材を売っていく。そうした姿勢がないと、特に都市部での材木屋は成り立たないのだという教えだと思っています。

住宅に占める木材価格が3割もあった時代から、住宅を形作る資材全体で3割5分、残りの6割以上が人件費といった時代の変化に対応して、私どもも売るものや売り先を変えながら自らのファンを作り出していかねばならないでしょう。3月は少し閑なので、本も読みたいと思っています。

ところで今月の月刊誌「建築知識」3月号を読みましたか。国産材の特集が組まれておりました。大変詳しく書かれており、参考になるところが多いかと思います。(最近、国産材を売っていないなー)

2002/02/28(木) 曇り時々雨


[ 昨日は ]
昨日はこんな感じ








2002/02/23(土) 晴れ


[ 2月22日 ]
2月22日

打って変わって2月22日は、楽しい一日の始まりです。
結婚記念日です。
「花を買い来て、妻と親しむ」です。
今日はのんびり過ごしましょう。




今回は少し若いときの写真で。

2002/02/22(金) 晴れ


[ 2月21日とは ]
2月21日とは


今日は、今から41年前に赤木圭一郎がなくなった日です。当時私は小学校5年生でしたが、彼の死亡記事は今でも覚えています。その頃私の家では、読売新聞を取っていました。社会面の漫画がある下のところにスーツ姿の彼の写真に記憶があります。

それから数年して、4年先輩だった小林栄一君が良く彼のことや日活の映画のことを語ってくれました。、日活の映画の楽しさ、カメラワークの良さ、裕次郎のかっこよさなど共に「赤木はゴーカートに乗って事故死した」事も教えてくれました。小林君の髪型は裕次郎を真似た慎太郎刈りでした。

そんな折、テレビのブラウン管から赤木圭一郎の映画が流れました。「抜き打ちの竜」や「打倒・ノックダウン」など、プロ野球の巨人戦が流れたときだけの放送でした。たしかフジテレビです。見るたびに引き込まれ、放映を楽しみにしていました。私が高校1年から2年にかけての話です。

孤独や哀愁といったものに惹かれていた私は主人公になりきって、あるいは赤木のスタイルを真似たコートを着、ネクタイの結び方もブロマイドを見ながら、少しぶっきらぼうに結んだりしていました。詩を書いたりしたのもその頃の話です。

その後、写真集を買い、レコードを聞き、またはじめて一人で映画館にも入りました。新宿伊勢丹の前にあった新宿日活です。映画は「紅の拳銃」でした。

それからも何年かに一度は思い出したように映画館に足を運んで彼の映画を見たり(ぴあが役に立った)、「赤木圭一郎を偲ぶ会」が主催する催しにも顔を出していました。

彼の活躍した期間は19歳から21歳までと短いのですが、初期の作品、裕次郎と競演した「鉄火場の風」や「清水の暴れん坊」などでは子供っぽい顔つきをしていましたが、一年後の「俺の血が騒ぐ」くらいになると男らしい顔つきに風貌が変化してきます。この変化は見事なものです。とても21歳と思えない雰囲気をもっています。不思議なものです。

2月21日は赤木ファンにとって特別な日です。
つい先ごろ長年の夢だったファンクラブへも入会しました。会員番号1230です。

今日まではブルーですが、明日からはまた明るくなります。

2002/02/21(木) 晴れ


[ 月報委員会5 ]
月報委員会5


2月18日には夜のテニスを休んで新東京木材の月報委員会に参加してきました。今月は、通常の委員会を開き、価格の評定です。
12月の時点で木材価格表の全体の単価を見直すことになり、この日、その結論を委員の皆さんで決めてきました。これについては、4月くらいに組合員の皆様に郵送されると思います。
これに先立ち私は個人的に、価格について勉強をはじめています。木材や建材の小売価格についての一覧表を作ろうと思っています。このため、山の手地域だけでなく、都内くらいを視野に入れてひとつの単価表を作ろうと思っています。完成したら皆さんにもみていただきたいと思っています。先日、そのこともあって、東京材木商組合のHPにアクセスし、「材商」さんではどんな方法をとっているのか、聞いてみました。
「材商」さんの単価表と新東京の単価表を比べると、木材では、杉の桁角、杉の柱材、防腐土台、集成の管柱などが新東京のほうが高く、またベニヤ類も新東京の単価の方が少し高めに設定されています。ベニヤ類などは、新東京と材商が共同で仕入れることが出来れば、私ども組合員にも、よりメリットが出るのではと思っています。

またその委員会のときに配られた、新東京の月報「WOODS」には、興味深い記事が載っていました。
それはTOKYO木材ネットワークの方々による「座談会」です。先月の600号記念に座談会の前半が載り、今回はその後半部分が載っています。題名は「これからの組合の役割」です。
そこに出ている10名ほどの若い方々は、東京木材相互市場、丸宇木材市売、東京新宿木材市場、木場木材センター、東京材木商組合、新東京木材のそれぞれ「若手会」の代表的な位置にいる方々です。TOKYO木材ネットワークに参加している人たちは、木が好きであり、住宅に木材を多用していただきたいと考えている方々です。そのために今までとは違ったやり方をとり始めています。
例えば、「下草刈り」を一般ユーザーと共に行ったり、木材の市場を開放して木材祭りや餅つきなど催し物を開いたりしています。
彼らは個人的にも、設計士であったり、建築に手を出すなど、自らの特色を生かしながら、自らの可能性を試そうとしている点で優れています。
市場や組合が小さくなっていく中で、若い人たちの垣根が取れていくと、新たな現実的可能性が見えてきそうです。
その中の話を総合すると
東京都の材木屋がひとつの組織に結合された方が業界の活性化に繋がるのではないか、ということ。(=人のつながりが増える。仕入や保険でのメリットが増える。オリジナルな商品の開発が可能。)
今ひつとはエンドユーザーに接近して木材のPRを如何にしていくか。(=上記と関係してきますが、施主や設計士の方との接点を深める他、木の使い方や木を多用した住宅の例示など、やるべきことはたくさんあるように思えます。)
さらに付け加えれば、それらを補足するものとしてインターネットなり、情報力の活用が必要ではないか、といったところです。
実際、株式会社組織のところはプレカット工場を持っているし、コンピュータを活用した「システム」(市場や小売店とエンドユーザーを繋ぐ)を持っています。使いこなせているとはいえませんが、新たな事業に乗り出していく姿勢は大切でしょう。

ともあれ材木屋が窓口となって工務店を紹介する、自らが請け負う、あるいは住まい作りの相談に乗るくらいは私にも出来ると思っています。
大きな収穫のあった一日でした。

2002/02/19(火) 晴れ


[ 今日は何の日 ]
今日は何の日


今年に入ってからめまぐるしい日々が続いていました。
正月の志賀高原に始まり、清里行き、それから後は義母が我が家へ見えていましたし、横浜への配達もありました。横浜の現場では、プレカットの階段を間違え、やきもきしました。それもどうにかまとまり、気がつくと二月半ばです。
先日は小平の墓地にも行き、2月19日が命日の祖父の墓参りも済ませ、則ちゃんが以前住んでいた府中の街へも一年半ぶりに訪れることが出来ました。府中の街は駅前の再開発がはじまり、食べたいなと思っていたラーメン屋さんも移動し、少しの間に街の様子が変わっていました。
そして昨晩はテニス。よく動きました。気持ち良く動いた後のビールは格別です。ラージヒルのジャンプは残念でしたが、里谷多英や清水宏保の活躍ぶりをテレビで見ながらのんびりしています。
日本経済の動向は厳しいものがあり、いわゆる「3月危機」は可能性が大です。そのくらい国力は落ち、国民も疲弊していると思います。ただ、ではどうするか、というところで踏ん切りがつかないのでしょう。私自身、いままでの延長線上に自分を置いているように思えます。
そこへいくとイチローは立派ですね。今流れているテレビコマーシャルで「今出来ることを一つ一つこなしていく事。そうすると遠いはるかな目標が見えてくる」などといわれるとここは褌をしめなおして、と思いを新たに致します。
さて、今日は朝のうち、お客さんが見えただけでまだ午前中だというのにパソコンに向かっています。
今日は、今から41年前、赤木圭一郎が日活の撮影所でゴーカートによる事故で重症を負った日でもあるのです。彼は一週間後の2月21日になくなりましたが、事故を起こした昼休みはもう直です。

2002/02/14(木) 晴れ


[ 妻には優しく ]
妻には優しく

最近、妻に優しくないかもしれない。これといった理由があるわけもないのだが、少しなおざりにしているかしら。そんな気もする。
昨日も二人してのテニスで、「ゲームしよう」と言われたときから、少し勝ってみようかと下心が持ち上がり、「ボテッ」(?)と決めてポイントを稼いだ。しかし、「こんなのつまんない」と言われ、反省している。
反省するくらいなら止めておけば良いのだが、昨日は少し勝って見たかった。
最近テニスも自己流になり、当たりも悪い。教わってきたとおりに出来ないから、あたらないのだと思うが、ここは少し初心に返ってみよう。
テニスはともかく、則ちゃんとはもうすぐ3年目に入るのだから。

2002/02/12(火) 晴れ


[ 製材所 ]
製材所


先日、このHPの掲示板に桜の木を製材してくれるところはありませんか、と言うお問い合わせがありました。そこで、私どもで製材を頼んでいる「昭栄木工所」(杉並区)さんに問い合わせをしたところ、「持ってきてくれれば、製材するよ」「金額は1万円から1万5千円くらいだよ」という答えをもらいました。
その折、都内には何件くらいの製材所がありますか、お聞きしたところ、実際に仕事をしているところは少ないよ、と言われました。都内を例に取れば、十件くらいなものでしょうか。
とにかく数は減りました。私の近辺では、豊島区の佐藤木工所と昭栄さんくらいです。
国産材の丸太はその産地で挽いてきますし、外国のものも製品として入荷するものが増えています。実際、昭栄木工さんでも、製材よりも加工の仕事がメインとの事。製材もいったん製材されたものを再び製材するいわゆる再割がほとんどだと言っておりました。
また、最近では、ダイオキシンの問題もあり今までのように焼却炉が使えません。使うためには、毎年年間60万円以上の費用を払って、その焼却炉からダイオキシンが出ていないことを証明しなければなりません。そうかといって新規に法律をクリアーする焼却炉を入れるとなると800万円くらいはかかるとの事。これではおが屑や加工の際に出た鉋屑は、焼却炉で燃やすことが出来ず、ゴミとして業者に持っていってもらうことになります。勿論これにもお金がかかります。これらにかかる費用は受益者に負担していただくようになります。
昭栄木工所さんでも燃せなくなり、ゴミは外部に委託すると聞いています。経営を圧迫する条件ばかりが増えて、これでは製材所が少なくなっていくのもうなずけます。つい最近まであったものが姿を消しつつあります。今は戦後の終わりなのでしょうか。それとも・・・


なお、以上に関連する法律は
「ダイオキシン類対策特別措置法」平成12年1月15日施行
「改正産業廃棄物法(廃棄物処理及び清掃に関する法律)」平成14年12月施行
などです。
くわしいことは環境省などのHPをご覧下さい。

2002/02/11(月) 晴れ


[ 昭和会新年会 ]
昭和会の新年会


2月1日は、新東京昭和会の新年会でした。私は、仕事の関係で、宴会からの参加でしたが、久しぶりに窪寺さんと、二次会では太田さんや古田さんと酒を酌み交わしてきました。
昭和会も会員の減少や高齢化といった課題を抱えています。新年会の参加者も減ってきていると思います。
あまり時を経ないで大きな変化が始まるでしょう。手始めというわけではないのでしょうが、横田会長に口ひげがつきました。

窪寺さんと




2002/02/02(土) 晴れ


( 2002/03 ← 2002/02 → 2002/01 )


[ 管理者:大野満生 ]


- CGI-Island -

Thanks to CGI-StaTion & 手作りCandy