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時々更新mn日記

( 2002/02 ← 2002/01 → 2001/12 )


[ 中野市場開設48周年記念市 ]
中野市場開設48周年記念市


新東京木材商業協同組合の中野市場開設48周年を記念する市が、去る28日に開かれた。市況を反映して入場者も少なく、売上も目標に届かなかったのではないだろうか。関係者の努力には敬意を表するが、やり方を転換しなくてはいけない時期が来ていると思う。
例えば、同組合の市売り市場は二ヶ所、木材センターも二ヶ所ある。

それでは、市売り市場の特徴は何か。
全国の産地と直接的な取引があることである。どこの問屋に連絡すれば、どの程度の材料が納入できるのか見当つくことである。市場問屋の方々は、長年この業に携っており、経験や知識は確かなものであり、安心して買うことが出来る。
その反面、市売りでセリに出される品物は決りきったものとなり、変化に乏しい。それは国産材が売れなくなり、また構造材や造作材が売れなくなったことに関係している。「見て買う」木材が減り、メーカーと等級を指定すれば電話やインターネットで買えるものが増えたからである。次の時代を準備する条件がそろい始めた。

では、次にセンターはどうだろうか。
木材のセンターは組合の直営事業である。集荷は市売りと同じく、全国からあり、小口で買えて有料だが配送もしてくれる。値段は市売りよりもやや高い。よく売れるものでも高いが、何でも揃うという特徴がある。さらに今ではあまり使われなくなった材料「杉の2分3厘の板や南京下見」などを在庫としておいてくれている点はありがたい。

この両者の売上は現在のところ同じくらいである。ただ、市売りが落ち込んでセンターが伸びている。しかも売上を競争している外材は似かよったものが多い。木材業界全体の力が落ち、その中でも市売りの力が落ちているのが、現況である。
とすれば、売れていく木材はその年間消費量を把握し、単価面での優遇性を打ち出していくのがひとつの道ではないか。センターでの一括納入でも市売り問屋が扱っても良いが、ひとつ大きい視野に立たないと現状は打破できまい。

木材を売らなければ社会的責任が果たせないが、木材を売っただけでは食べていけない。木材だけで食べていく時代は終わったのではないか。ただ木材という人間にとって良い物を見捨てれば人々の未来は明るくないだろう。

ともあれ、中野市場当日はこんな感じ。




2002/01/31(木) 晴れ


[ 廣瀬家の慶事 ]
廣瀬家の慶事


去る1月27日には、廣瀬材木店、廣瀬竹夫氏のご長男である廣瀬公彦さんと杉山一郎氏のご長女杉山尚子さんの結婚式ならびに披露宴が「こまばエミナース」において行われました。お二人は友人を通じて知り合い、約二年間の交際を経て今日のよき日を迎えました。
お二人の印象はどちらかというとおとなしくて素直な新郎と明るくてしっかり者の新婦という感じです。それは披露宴の中でも自然な形で出ていて「二人で手作りの結婚式を作り上げる」工夫が随所に見られました。例えば、お色直しの際のエスコート役を新婦の父が務めたり、新婦へ母よりお祝いの俳句が披露されるなどです。司会者(友人)の手馴れた司会ぶりも手伝って突撃インタビューーなど盛り上がりもみせました。
お開き前には新郎の父である廣瀬竹夫氏の挨拶に続き、新郎も公彦氏も、二人で相談しながら、これからの人生を歩んでゆく旨の挨拶があり、その堂々とした姿勢に彼の意気込みを感じたものでした。
当日の朝は雨模様でしたが、式が行われる頃より雨も上がり、披露宴時には日差しも強く晴天となり、お二人の前途を祝福しているかのようでした。











2002/01/28(月) 晴れ


[ モックの活動を応援しよう ]
モックの活動を応援しよう



新東京モックの今年の活動予定が発表された。
この中に去る1月12日には、池袋市場を使って「新春餅つき会」を行ったことがかかれている。私は行くことが出来なかったが、大勢でにぎわったと聞いている。大変良い催しだと思う。市場などに、組合員の家族や一般の方が来ることはチャンスがなく、こういったイベントで見てもらうのは良いことだと感じている。
それに連れて今回、年間の活動予定表が出され、下草刈り、枝打ちに始まりゴルフ、小旅行と盛りだくさんである。TOKYO木材ネットワーク関連の行事も二つあり、また講習会も予定されている。ひとつはリボス塗料の話であり、今ひとつは全米針葉樹協会の山口郁雄氏のお話と聞いている。
私は年齢的にOBであるが、少しは参加したいと思っている。


2002/01/19(土) 晴れ


[ 新築現場 ]
新築現場

横浜の潮田で昨年11月の末から、木造の二階建てを建てている。私どもで担当しているのは、プレカット加工、サイディング工事、建具材、それに木材である。
うなぎの寝床のような敷地になので、建て方も後ろ半分を建て、それから手前を建てるようにプレカットの図面を書き直してもらい、無事上棟した。プレカットは亀山さんのいる「竹内木材工業梶vにお願いした。
昨年暮れからサイディングの工事に入り、1月11日現在、それも終了。また建具材も大半収め終わっている。大工さんも5人平均で仕事をしていただいているので、何とか期日までには間に合うと思っている。
新築の仕事は少ないこの頃だが、住まいつくりは楽しいものであり、また楽しさを忘れないように心がけたい。
なお施工は渇Y和工務店である。



基礎の時の写真しかないのだ。

2002/01/18(金) 晴れ


[ 絶対量 ]
絶対量


売上が落ちている。身体は忙しいが儲からない。
原因は何か。仕事の絶対量が落ちている。お得意様の絶対数が落ちている。ここを解決しないと、この先明るい話題を語れないのではないか。
今の私のお客さんを見ても、請負で食べていた人が手間取りに行くようになっている。典型的なところは鳶さんである。十年前まで親方でやっていた人が自分の仕事がなくなり、仕事のあるところへ手伝いに行く。そこがなくなると違うところへ行く。そうこうしているうちに5社あったお得意さんが一社に吸収されてしまった。今年はそこも仕事が少ない。
例えば新東京木材の組合員の数は二十数年前をピークに半減に近いものがある。一社が廃業し、そのお客さんが隣の材木店に行っても、そこが潤って大きくなったという話は聞かない。仕事の量が少ないのである。それに対応して職人の数も減ってきている。
だから第一には仕事を見つけてくることである。作り出していくことである。
材木屋を通して住まいに関する仕事を作り出していこうとする試みは、若い人たちの中に確実に芽生えている。先日送られてきた新東京木材の月報である「WOODS」において「TOKYO木材ネットワーク」に参加している方々の意見にも現れている。自ら請け負うか、大工工務店を紹介していくのか、選択肢は様々であるが、「材木屋が窓口」という点で一致している。さらに我々の強みは木を使えるということである。木をふんだんに、木をバランス良く、木を有効に、木を適材適所に使えるということである。
そう考えてくると材木屋の営業力を高めるアイテムやマニュアルを作り出していかねばなるまい。先の「WOODS」の記事の中にも「組合から消費者向けの」本の必要性が言われていたが、この点でも「つくば緑友会」は先見性が高い。最も実行力はもっとすごいが。
ともあれ、本気で材木屋が頑張らないと次の時代が見えてこないかもしれないと思う。何せ21世紀は環境の時代といわれているのだから。

2002/01/17(木) 晴れ


[ 清里 ]
清里



1月の13日と14日には、清里に行ってきました。今年は7日から仕事を始めましたが、身体が忙しかったので仕事の合間をぬっての息抜きです。中野から清里までは、160キロぐらいの距離なのでさほど疲れずに行けるので楽です。
13日の朝8時に家を出て、その日の宿泊先「ペンションいろり=0551−38−2237」に着いたのが、10時半。そこで着替えをさせていただいて、野辺山スキー場へ。ここの一番楽なコースで10本近く滑りました。空いていたのと長い緩斜面があるので、かなりの運動量があったと思います。2度ほど転びましたが、まずまずの出来です。
夕方まきば公園で、富士山を見、それから「いろり」へ戻りました。ここは値段が清里で一番安く、料理も量的にも質的にもおいしいし、また表通りから離れているので隠れ家的な雰囲気が私たちには丁度良いのです。
夕食を取ろうとしていたときに、彼女の友人から電話が入り、「近くなので、会いませんか」というお誘いをもらいました。そこで、食事を済ませてから迎えに来ていただき、友人宅で飲みました。
そのお宅は築7年のツーバーフォー住宅で、6LDK+サウナ+水風呂アンド、ガレージに納戸。おまけに8坪ほどのウッドデッキがついてあり、「こんな家に住みたいね」と則ちゃんに言われる始末。薪ストーブが4台あり、一台につき、ひと冬2トンの薪(約8万円)が必要だとのこと。ただし今は林があるので薪はそこで切り出しているとのこと。
さて、このお宅の内装は、床はオーク材の無垢。壁はカナダ杉、天井はパイン材といった具合。マービン社の木製サッシは結露がなく、優れものだとのこと。「こういった家を手がけていないな」と反省することしきり。いい勉強になりました。
時間が来て「いろり」まで送っていただきました。車を降りると外は満天の星。軽井沢で見たより数倍の星が輝き、まさに星が降るようでした。ここは高原なので、空が広く、その分雄大な空間が広がります。
次の日は、「キッズメドウ」へ行きました。ここには一昨年の夏に来た事がありましたが、冬は初めて。午前と午後それぞれ10本ずつ滑って、かなりの運動量でした。三本あるリフト全部に乗りましたが、大好きな緩斜面が大半でした。昨日と同じく二度ほど転びましたが、子供に混じっての緩斜面は楽しいものです。この日も天気が良く、富士山は空中に浮かんでいるかに見えました。暖かな日和で私にとってホッカロンのいらない一日でした。


キッズメドウにて








2002/01/15(火) 晴れ


[ 正月は ]
正月は

今年の正月は志賀高原のサンバレーで過ごしました。則ちゃんが所属する「モンタナスキークラブ」の研修に参加するため、12月30日朝に出発して午後からは、スキーをしていました。
則ちゃんはスキーの先生。それに対して私はここ2年で4回目。十代の頃から数えても7回目という初心者。同じ斜面では滑れません。そこでスクールに入って講習を受ける事にしました。
12月31日のメンバーは30代のお母さん、中学生一人、小学生二人、園児一人に50代の私で計6人です。練習内容は緩斜面を「ハの字」で滑ってくる「プルーク」と「ハの字とニの字」を組み合わせた「シュテムターン」の二種類。これがそのまま、講習内検定の科目にもなります。先生がお手本を見せてそれを真似ながら年の順に滑って練習です。若い子ほど柔軟性に優れ、お手本どおりに滑ります。午前午後とも練習を重ね、一日が過ぎました。
その日は大晦日。宿泊先に帰ってから紅白歌合戦を見、年越し蕎麦を二人で食べ就寝しました。
翌日、午前中に講習内検定を受けました。私と園児、小学生の3人が4級受験の対象で、三十代のお母さんは4級と3級の受験者です。先生に付いて試験前の練習をしていると
これから試験だというのに園児らは「水が飲みたい」、「休憩しよう」「疲れた」など大胆な発言で先生を困らせ、その結果、すぐに試験を始めましょうということになり、年齢の若い順に滑り始めました。
私は「プルーク」はうまく滑れました。「本番に強いですね」といわれたくらい上手くいきましたが、「シュテムターン」は実力が出て、練習のときよりだめでした。それでもその夜の試験結果発表では4級の合格表をいただき、うれしい限りです。最も点数は園児よりも下でした。
その夜はビンゴゲームなどで盛り上がり、遅くまで話し声が絶えませんでした。
初めてスキー場での年越し。スキークラブの皆さんにも気を使ってもらい、何とか無事に帰っていました。恐さもありましたが、天候にも恵まれ、楽しんだ四日間でした。澄んだ空気を身体に感じて、山の上から見た「びわ池」や「丸池」。あれが焼額、これが東館、あれが高天原など、則ちゃんに解説してもらいながら過ごしてきました。また機会があれば、参加したいと思います。今度は滑りながら景色を感じて見たいと思っています。



サンバレーにて



バスで奥志賀まで連れて行ってもらいました。本山さん、西亦さんと

奥志賀ではこんな感じ。




何とか4級合格です。スキークラブ会長の稲葉武さんから合格証の授与です。

2002/01/07(月) 晴れ


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[ 管理者:大野満生 ]


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