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時々更新mn日記

( 2002/01 ← 2001/12 → 2001/11 )


[ 今年1年を振り返って ]
今年一年を振り返って

今年も残り僅か、大喜も冬休みに入ります。
皆様この一年どんな年でしたか。

今日、簡単な集計をしてみました。わが社の売上を4つのパターンに分けてどんな人が買いに来てくれているのかをみてみました。(この二年間の売上に大きな変動はありません。)
区分けは、
大工・一人親方(自ら現場に出て作業するもの)
工務店・建築会社(請負業を主とするもの・母体が大工で、専属の大工を抱えている)
リフォーム会社(どちらかというと初めからリフォーム会社としてスタートしたもの)
その他(電気屋、ブリキ屋、ペンキ屋、水道屋など)
の四つです。
この区分が充分かわかりませんが、売上比は以下のようになりました。

大工・一人親方(2000年度=44%・2001年度29%)

工務店・建築会社(2000年度=36%・2001年度=44%)

リフォーム会社(2000年度=9%)・2001年度=16%)

その他(2000年度=11%・2001年度=11%)

これからわかることは、大工・一人親方への売上が減って、会社関係に納入することが増えています。また、リフォーム会社関係のところに収めるものが増えているのが特徴です。売るものも変化していますが、売り先も変わってきているのだと思います。この変化をどう捉えるのか、休み中に考えてみたいと思います。

今年一年、HPを見ていただき、ありがとうございました。
来年も皆様に見ていただけるようにしていきたいと思っています。
では、良い年をお迎えください。


2001/12/29(土) 晴れ


[ 階段を上がる ]
階段を上がる

急ぎの仕事が入って、ここ四日間で、4回ほど4階まで材料を運んだ。フリーフロアー、ベニヤ、ボード、ドア枠材などである。
大工さんにも手伝ってもらったが、かなりの数往復して私は少し筋肉痛かな。でも秘密兵器その1に活躍してもらってだいぶ助かった。甥が冬休みでよかった。

2001/12/24(月) 晴れ


[ 「SUPER VALUE 赤木圭一郎」 ]
「SUPER VALUE 赤木圭一郎」


赤木圭一郎のCDが去る19日に発売された。トニーが出した25曲の内、16曲が収録されている。これで私が持っているのは全曲集のレコードと16曲を集めたカセット、それに今回のCDの三種となった。
全曲を集めたレコードは現在、居所がわからない。カセットの方は車に積んでいて運転するときにかけている。今回のCDとかぶる部分が多いが、「トニーとジョー」「俺の血が騒ぐ」は久しぶりに聞くことが出来た。
「俺の血が騒ぐ」は同名の映画の主題歌である。挿入歌の「風は海から吹いてくる」は明るい感じの曲だが、こちらの方は静かなバラード風のものである。劇中でギターを片手に歌われている。
「トニーとジョー」は宍戸錠とのデュエット。男同士のデュエットも珍しいが、この二人ほんとに仲が良かったらしく、悪さもし、またキャバレー回りでは結構稼いだと宍戸錠の著作の中に書いてあった。「抜き打ちの竜」と「コルトのジョー」という二人のキャラクターがよく出ていて面白い曲である。
ちなみにこの曲は以前、放送禁止歌であった。「網走番外地」などと一緒で教育的見地からテレビではかからない曲のひとつであった。
放送禁止歌は思想性の強いものか、下ネタ物が多い。前者は私の時代であるとフォーク・クルセーダースの「イムジン河」や岡林信康の「チューリップのアップリケ」。後者ではなぎらけんいちの「悲惨な戦い」ツボイノリオの「金太の大冒険」などはある。これについては機会を見て書いてみたい。

赤木圭一郎。とにかく良く聞いている。



私が初めて買い求めた赤木圭一郎の本。近代映画社の「赤木圭一郎 思い出のアルバム」
1966年12月号の表示がある。

2001/12/23(日) 晴れ


[ 「さすらい」 ]
「さすらい」


夜がまたくる 思いで連れて
俺を泣かせに 足音もなく
恋に生きたら 楽しかろうが
どうせ死ぬまで ひとり ひとりぼっちさ

この歌を聞いた事があるだろうか。小林旭が歌う「さすらい」である。とある映画の主題歌であったが題名は忘れた。歌はいまだに残っている。昭和35年(1960年)の発売だから私もまだ小学生だった。十代の頃良く耳にした歌で、物悲しいメロディーに酔っていた時代があった。
だが、今回は歌の話ではない。小林旭が同名の自伝を出したのである。
日活入社に始まり大部屋時代。やがて売れ出し「渡り鳥シリーズ」で石原裕次郎と肩を並べるまで。ダイアモンドラインと赤木圭一郎。美空ひばりとの結婚。理解離婚。さすらい。事業の失敗。どん底。そして「昔の名前で出ています」のヒットで借金を返済してしまうまでが「俺」を中心に話し言葉で綴られている。
アクションシーンでスタントマンを使わなかった話や離婚後しばらく「二千万の現金を持ってさすらっていた」話などは新鮮であった。
が、なんと言っても私にとって興味深かったのは、赤木圭一郎のところである。第三の男と呼ばれた赤木が事故死せず健在であったならば、必ず抜かれたであろう事。「ライバルとして唯一脅威を感じた」などである。
赤木の甘いマスク。アウトローで、都会的で、それでいて下品じゃない。ギターもウクレレも似合ったし、拳銃を構えて股を開いて立つと嫉妬を覚えるくらいスマートだったと書いている。このあたりは赤木ファンとして、堪えられない記述である。ぜひ一度ご購読を。新潮社より発売されています。


2001/12/19(水) 晴れ


[ お母さん一週間滞在する ]
お母さん一週間滞在する

去る12月9日から16日まで、則子のお母さんが我が家に滞在していた。6月、9月に続いて今年三度目。昨年末に脳梗塞で倒れて、半年ほど病院のお世話になっていたが、今ではデイサービスに通うまでに回復し、今回もお正月を前にして遊びに来てくれた。お母さんは多少足腰が弱っているので、不安は階段とベッドとトイレである。
さて、我が家は三階建ての建物の3階にある。エレベーターはないので、階段を二回分あがることになる。二階までの階段には手すりがなく、二階から三階までの所には手すりが設置されている。手すりのない部分では、あがるときにはお尻を押し上げ、降りるときには、手をもってここをクリアーする。手すりのある個所では、手すりにつかまれば自力で歩けるし、降りるときには、お尻をつけて下がるという方法もある。
次にベッドである。当然の事ながら住まいで使っているものとは違う。自宅では起き上がり易いように柵や手摺がついているベッドを使用している。私のところのものは、木製の簡易ベッドなので、そのようなものはない。そこで、藤で出来た家具に目方のあるものを入れ動かないようにし、ベッドの横に置いた。上部の柵が握り棒の役目を果たし、これで一人で寝起き出来る事が可能になった。
そしてトイレである。寒くなると夜中にトイレに起きた経験はないだろうか。私も最近、明け方にトイレに起きる時がある。その際ベッドとトイレまでの距離は近いほうが良い。ところが私のところはかなり距離があるので、昼はトイレを使い、夜には簡易トイレを使用してもらうことにした。それらによって私のところでの生活は無事営まれた。

親が来て見て感じることではあるが、50歳を過ぎた住まいつくりには、いくつかのポイントがあるように思えてくる。朝起きてトイレ、洗面、食事、くつろぎの場所。昼寝。移動、入浴、就寝。など一日の生活を頭に描きながら、住む人に必要なものを考えていこう。
例えば、布団よりもベッドでの生活。ベッドとトイレは近くに。段差のない床。手摺の設置。食事はテーブルで。洗面所や玄関には椅子など座れる場所を。等々。
垂直移動から水平移動の重視である。だとすると木造の三階建てなどは良いものとはいえない。親の家を兄弟で相続して、1階を姉夫婦。2階を弟夫婦と階で分けた家があったが、これなどもより良く住み続けることを考え合わせた場合、卓見かも知れない。
ともあれ、1階の床面積が60平米くらいはないとこれらの条件は満たせないのではないかとは思う。

さて、お母さんは特別なこともなく自宅に戻っていった。こちらに来ている間、近所にいる友人とも会えたし、私の父とも会食していただいたので、とりあえずほっとしている。また来てください。お待ちしております。





2001/12/17(月) 晴れ


[ 昭和会記念市行われる ]
昭和会記念市、行われる


豊島区は要町にある、新東京木材の池袋市場では、昨日13日に「昭和会記念市」が開かれた。会を重ねること71回。今年最後の記念市である。小雨が降る寒い日ではあったが、100人を越す買い方が集まり、人でにぎわっていた。
最近材木の売上が減り、市場で仕入れるものも限られたものになってきた。昨日仕入れしたのも、普段良く出る「タルキ、根太、胴縁、小割材」などで、値のはる物は少なかった。
さて、買うものが少なくても人には大勢会うことが出来た。昭和会の会長である横田さんをはじめ、情報化の綿貫前委員長、近藤現委員長、松村さん、清水さんなどの顔も久しぶりに見、また話をしてきた。杉並木材の横山さんとはこの一年間のことを話してきた。年が同じせいか、少しの時間でも情報交換できる。
売上は伸ばしたが、利益率が低下したこと。それは木材の売上が減り、建材類が伸びたことと関係していること。これからは木材の加工に力を入れていきたいことなどである。
さて材木屋で扱える商品は増えてきて、プレカット材工、屋根工事、サイディング工事、サッシ、建具、新建材、流し台材工、ユニットバス材工、床暖房材工、照明器具などである。住まいにかかわるものの大半を扱うことが出来る。
もちろん扱うか、扱わないかは、そのお店の自由である。ただ、今までのような、木材中心の右から左の商売が減り、「材工」といった纏め上げていくら、という商売に代わりつつあるだろう。そのためには、仕事のまとめ方を覚えねばなるまい。今朝、初めに売れたのは「T型金物」である。太め釘で留めなさいと書いてはあるが、わが社では釘は置いていない。置いてあれば仕事の準備が一箇所で間に合う。「セット商品」として考え直さないといけないのかもしれない。

2001/12/14(金) 晴れ


[ 河口湖へ行く。 ]
河口湖へ行く

12月1日2日で一泊旅行。河口湖のペンションに泊まってテニス。
行きは御坂峠の天下茶屋で甘酒飲みながら富士を見る。太宰治で有名な茶屋。
河口湖の湖畔を通って宿泊先へ。5年位前に行ってたペンションだったけど、今回行ったら露天風呂が二つ出来ていて、貸切1時間1000円のところ、無料で良いと言われて入る。思いがけずに貸切で入れて本当に気持ちよかった。ジャグジーとバイブラがあって、ボコボコと泡の中、見上げると青空に飛行機雲。思いっきりのんびり。「やっぱり露天風呂はいいねえ」
夕食もコースで満足。次の日のテニスは二人で3時間半。殆ど休み無し。思い切り疲れて、すぐそばの「湯〜園」という温泉に直行。お風呂が苦手な満生君は、からすの行水で、すぐ個室借りて1時間お昼寝。私は富士の見える露天風呂でのんびり。サウナに二回も入り、打たせ湯浴びて寝湯に入って1時間。帰りの車の中でグウグウ。夕食は笹塚の上海料理店で餃子や点心。「何でもっとゆったりと出来ないのかしら」と、いいながらも温泉三昧の2日間が無事終了。お疲れ様でした。又行こうね。(則子)











2001/12/03(月) 晴れ


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[ 管理者:大野満生 ]


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