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時々更新mn日記

( 2001/12 ← 2001/11 → 2001/10 )


[ 19日の月報委員会 ]
11月19日には、新東京木材の月報委員会へ行き、窪寺さんの顔も久しぶりに見てきました。
さて、今月も市況に大きな変化はありませんが、売れていくものと売れないもの、使われているサイズ・樹種と使われなくなったそれとがはっきりしてきました。例えば構造材はまとまって売れていくことが少なくなりました。グリーンより乾燥材を求める傾向が強くなりました。それも手伝い集成材が増えてきています。
杉は内装仕上げ材としては需要が増えていますが、下地材・構造材として使う量は減っています。割れや曲がりはもとより、長さや乾燥の程度などいまいち「時代のニーズ」に遅れをとっている結果でしょう。また、米栂やラワン材などのように入荷自体が減ってきているものもあります。
ところで、今月の委員会では、木材の標準小売価格の見直しを行いました。現在の価格表に載せてある価格が妥当であるか、少し客観的に委員の方にわかるようにレジュメを組合の職員の方に工夫していただきました。この結果は来月の委員会で話される予定です。
話は少しずれますが、木材の売れ行きは悪いです。特に「国産材」がだめです。
木を見えるところに使っていただくことが少ないので、割れや曲がりが木材の特性として消費者に受け取られず、クレームの対象と考えられているためでしょうか。香りのする木や目をなごます木は使われることが少なくなってしまいました。そのせいもあり、わが社の在庫も一年前と比べると量的にも減少傾向、また国産材よりも外材、無垢の木から集成材に在庫品が変化しつつあります。優良な国産材を売りたいという私の希望と違う方向に現状は移行しつつあります。

2001/11/28(水) 晴れ


[ 「赤い波止場」を見る ]
「赤い波止場」を見る


11月26日、則ちゃんが実家に泊まりに行ったので、今日の夜は映画鑑賞です。テニスのスクールが7時半で終わり、8時過ぎからビデオを見ていました。石原裕次郎の「赤い波止場」です。
昭和30年代の港町神戸を舞台に、裕次郎は「レフトの二郎」という左利きの殺し屋に扮しています。
真っ白なズボンをはいた裕次郎が神戸の港町を歩きつづけるファーストシーン。これがかなり長く続きます。が、このシーンを見るだけでも裕次郎の魅力が溢れていて思わず「カッコいい」と叫んでしまいそうです。役が殺し屋ですから当然、殺しあう場面もありますが、頭を使ったスピーディーな決着の仕方をとり、映画の流れを止めません。裕次郎のすばらしさを十二分に引き出していると思います。舛田利雄監督、姫田真佐久撮影とくれば当然でしょうか。
悪には強いが女子供には優しい役柄で、ハーモニカをとおして通い合う北原三枝との慕情はこの映画の見所です。私は北原三枝を思いながら裕次郎が屋上で歌うシーンが好きです。

俺は思う、海のかなたを
海は素敵だぜ 心が弾むぜ
波止場に咲いた恋は 楽しいものだぜ
白い雲 いつも流れるのさ

この時代に作られた映画はほとんどそうなのですが、「言葉使いがきれいです」
殺し屋が主人公の映画とは思えませんね。いま少し時代が下がると「リアル」にはなりますが、映画としての奥行きは薄れます。裕次郎が若い頃は「いい時代」だったのでしょうか。今度は大画面で見たいものです。


2001/11/27(火) 晴れ


[ お墓の木を切る ]
お墓の木を切る

小平のお墓の中に植えてあった「どうだん」が虫にやられて腐り始めた。「植え替えるから、今のを抜いておいて欲しい」と叔父に言われていたので、去る25日昼過ぎから二人で向かった。
ゆすってみたが、びくともしない。そこで枝から切り始め、次に根元の回りを掘り始めた。シャベルは持ってきたが、スコップがない。
「ペットボトルを持ってきて」と彼女。何をするのかと思いきや、斜めにカットしてスコップの出来上がり。まったく彼女の応用力には舌を巻く。土を掻い出し袋に詰めていくと根っこが見えてきた。これを鋸で切り、さらにその下の根っこを掘り出す。それを繰り返し、一時間半ほどで、どうにか切り終えることが出来た。
二人で行った「一番大変な仕事だったかな」と則ちゃん。
小平霊園は午後5時前で閉まるので、その前の限られた時間の中で、汗をぽたぽた落としがらの冬の夕方だった。
終わってあたりを見渡せば、紅葉が色づき、風も少なく景色は止まって見えた。

2001/11/26(月) 晴れ


[ 紅葉にあんこう鍋 ]
紅葉にアンコウ鍋


11月17(土)、18日(日)は中野支部内の第二班の忘年会で北茨城の平潟温泉へ行ってきました。石又、井上、原康さんに高木さん親子それに私の計6人でした。この班で「鮟鱇鍋」を食べに行こうといってから3、4年経っていますが、それが今回時実現しました。土曜日の昼前に中野を出て、外環・常磐道を経て北茨城インターで高速を降り、先ずは花園神社を目指しました。ここは「紅葉がきれい」というので最近テレビで紹介されたところです。その関係もあってか、道すがら写真を写している人やシートを敷いて紅葉狩りを楽しんでいる方々が大勢いました。それを横目に見ながら花園神社に着きました。ここには樹齢500年を越す杉の大木が連なっていて、中でも「三本杉」と呼ばれる大木は1本の幹が途中から三本に分かれており、名前の由来を忠実に表しています。それを写真にとろうとしたのですが、うまいポイントが見つからず、今回写真にはなりませんでした。その代わり、紅葉を1枚。
さて、宿には3時過ぎには着いたので、少し散歩。一風呂浴びてから宴会です。といってもさっきのメンバーのみ。「どぶ汁」付きの豪華な料理をただひたすら食べ続けました。高木さん親子の活躍によりかなりのところまで、平らげることができました。煮魚も美味。蟹もあんこうも良かったし、刺身も美味い。マグロやイカを使わずに料理を仕上げるところなどは感動ものでした。
宿の名は、「かね久」店内には有名人の写真がたくさん飾ってあります。
翌日も筑波山のふもとでたくさん食べ、おなかが膨れた二日間でした。帰宅後はしし座流星群のことなどすっかり忘れて眠りにつきました。









2001/11/19(月) 晴れ


[ 父の代理 ]
父親の代理


父親の従兄弟が亡くなった。11月12日のことである。翌日のお通夜は内輪だけということで参列者は親族と親戚がほとんどだった。私は父親の代理で参列させていただいた。故人は大野晃さんといって祖父の弟の次男にあたる方で、私も幾度かの面識がある。ただ、晃さんよりもその父、治輔氏の影がいまだに大きい。治輔氏二葉印刷や二葉製本などの会社を興した方として知られ、彼が興したいくつかの会社を親族で継いでおり、製本関係では少しは知られた方々である。治輔氏は故人であるが、治輔氏の弟妹が健在であり、その関係もあり、今回参列させていただいた。こういう場でないとなかなか集まれなくなっているのは悲しいことであるが、故人の引き寄せで親戚が集える。私も祖父とそっくりな方々(若くなくても若くても)に会い、「大野家」の一員であることを再確認するのである。

大野家の系図は一部だけど、こんな感じ。



2001/11/16(金) 晴れ


[ 建築市場 ]
建築市場

インターネットを活用したビジネスが本格的に稼動し始めた。例えば、9月の十四日会の会合で取り上げられた「建築市場」がそれである。
「建築市場」は中小工務店、設計事務所、資材流通業者に不動産業界や学会が集結して、より良い住宅提案をしていく「住宅生産集団」だとしています。これに施主が参加して「住まいを建てる前、建てている時、建てた後」にわたってひとつの流れ=住宅マーケットプレイスを作っています。
例えば土地の手当てに始まり、次に住まいそのものをどう建てるのか、「品質を落とさないで、建築費を下げる」ためにCADを使い、積算業務や設計業務を簡素化する。またそのデータは保存され住宅カルテとなる。建築の施工業者はなるべく近くの方を使う。また、インターネットを使っていつでも現場を見ることができるなど、面白い特色を出している。
これにより施主にとっては、
地盤調査、性能表示、構造計算、瑕疵保証、完成保証に加え、住宅カルテが電子保存され、住まいの歴史が客観的に残されることになる。このことはリフォームすれば、その個所が書き足され、「中古住宅」物件としても中身のわかったものとなる。
もともと住まい作りはどこの誰がどんな材料を使って作り上げたものであるか、棟梁が把握していた。その棟梁の頭の中にあったものを外に出してデジタル化して見せると「建築市場」のようになるのだろう。後ろに、大学の研究室がついているのが心強い。
平均点は誰でも稼げる時代になった。


http://www.kichiba.com/



2001/11/15(木) 晴れ


[ 減量も大変 ]
減量も大変


この夏前から急に体重が増えだし中野体育館のテニススクールに通い始めた。週一回が基本であるが、用事もあり、毎週通うことはできなかった。
夏休みに則ちゃんと軽井沢でテニスをした頃から面白くなり、9月に入ると楽しみになってきた。そんな折、テニス合宿に誘われ、9月23、24日をテニスで過ごした。このあたりから、偶に「当たる」ようになり、週一回では物足りなくなった。
10月には、哲学堂公園や上高田運動公園、あるいは近くのテニスクラブなどにも顔を出すようになる。テニスを始めて半年近くになり、初級の中では上手い方だと思い上がりながらラケットを振るとボールはホームランになってしまう。来たボールを無心で返すことができないとこの級を卒業出来そうにない。
ところで、テニスの魅力は、気持ち良く汗がかけるという事である。走って走って、走らされて走らされて。それでも何とか追い着けた時の快感はこの上ない。
その上、汗をかいた後の風呂とビールは堪えられない。67キロある体重が、二日連続してテニスをした後では、64、6キロになり、ご飯を食べても65、8キロ。しめしめ減量に成功したと思いきや、昨日の目盛りは67、2キロを指していた。ご飯も食べ過ぎないように注意していてこの結果。さてさて減量というのも大変な作業だと実感するのである。

2001/11/08(木) 曇り


[ 七回忌 ]
七回忌

11月3日は、則子の父親である松本武治さんの七回忌が行われた。菩提寺である、上尾の昌福寺においてである。
当日の朝、厚木にいる義兄夫婦が立ち寄り、屋上にある菊を墓前に供えては、とアドバイスしてくれた。その結果、則子が咲かせた菊もお父さんの元に届けられることになった。



私は彼女の父親のことは直接知らない。生前お会いする事もなかった。だが、縁あって、今回、七回忌に出席できたし、また親戚の方々とも付き合い始めることができた。偏に人のつながりの不思議さを感じ、彼女をもっと大切にしようと思うのである。






2001/11/03(土) 曇り時々雨


[ 菊満開 ]
菊満開


屋上の菊が満開になり、あちらこちらに分けてあげた。それでも一鉢に1000もあるとなかなか減らない。菊満開。鮮やかな黄金色で目が眩しい。




2001/11/02(金) 晴れ


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[ 管理者:大野満生 ]


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