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時々更新mn日記

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秋晴れの朝、屋上では菊の花が咲き始めた。昨年買い求めたものが昨年のうちに二度咲きし、長い間菊を楽しめた。今年になってから三つの鉢に植え替えをして、水遣りを忘れずにその一方で自由にさせていたらかなり大きくなった。7月には暑さよけの簾をつけ、則ちゃんが大事にしてきた。そこへ蕾みが沢山ついたものだから、いつになれば花が咲くのか楽しみにしていた。
その日は訪れた。
ごらん下さい。



これが7月の始め、菊のために日よけの簾を作りました。中央に見えるのが菊です。






10月26日にはこのようになりました。
まだ咲き始めです。大きな花はありませんが、花の数はひと鉢につき1000くらいあります。多いと思いませんか。

2001/10/26(金) 晴れ


[ 区商連のホームページ開かる ]
中野区商連のHP


10月25日から中野区商店街連合会のホームページが開設された。80余りある商店街のうち、今回参加したのは半分くらいだが、ここにアクセスすると「中野区にもいろいろな商店がある」ことがわかる。ちなみにキーワードを「材木」とすると9件ヒットした。阿部材木店が母体となっている「カーテン屋」さんを入れると10件ほど紹介されている。好むと好まざるとにかかわらず、そういう時代になった。


http://www.heart-beat-nakano.com/

2001/10/25(木) 晴れ


[ 婦人部親睦会 ]

婦人部親睦会


穏やかな日の日曜日(10月21日)、中野支部の婦人部では、新宿コマ劇場において、細川たかし錦秋公演を鑑賞しました。第一部は“初もみじ夫婦囃子”、第二部は“熱唱細川たかし”です。参加者は16名でした。
第一部のお芝居は、細川たかしが町人ものに初挑戦です。普段は腕の良い大工(八五郎)ですが、玉に傷はお酒。飲み助で喧嘩っ早いという江戸っ子に扮していました。物語は大工八五郎(細川)と女房・おはま(光本幸子)の夫婦喧嘩から始まり「町人と殿様という二役の早変わり」などを交え、この二人の夫婦愛が全体のテーマでした。町人役初挑戦の細川の八五郎もなかなか良かったのですが、芸では光本幸子の方が一枚上手。光本は細川とのからみや、一人芝居など芸の見せ所があり、またそれをきっちりこなす所は、本職だなと感じてきました。

第二部では「北酒場」や「心のこり」といったおなじみのヒット曲を熱唱。またお客様との夢のデュエットコーナーもあり、舞台に花を添え、盛り上げてくれました。
それでも圧巻は「ソーラン節」と「津軽三味線」だったでしょうか。三味線の栗原光康さんと沢田勝紀さんの「曲弾き」も良かったですし、細川の「津軽山唄」もすばらしかったと思います。細川たかしはやはり民謡を中心とした歌が似合いです。他を差別化できる本業の必要性を感じた一日でした。

さて、幕間には別室でお弁当をいただき、また終了後にはお土産も頂戴して、三々五々帰路につきました。わずかな時間でしたが楽しいひと時でした。
今回参加していただいた婦人部の皆さん、ありがとうございました。また、準備していただいた田中支部長、船越副支部長、亀田会計さん、ご苦労様でした。

なお、これに先立ち従業員慰安会(9月8日)を開いたことも付け加えておきます。



コマ劇場前にて集合写真



昼食の際、挨拶に立つ、田中支部長、船越副支部長

2001/10/22(月) 曇り時々雨


[ 命日 ]
命日

今日は母の命日。じっと静かにしていよう。
先週の土曜日から三晩続けてテニスをしたら、肩といい、腕といい痛い。月、火と疲れが出ないと思ったら、木曜日の昼に二時間ほど昼寝をしてしまった。疲れが遅れて出てくるようになった。
さて、このところ、ネットを使ったビジネスもあちこちで始まった。丸宇木材市場と辻井木材が中心となって始めたもの。これは木材をネット上で売っていこうとするもの。また、エンドユーザーを視野に入れた東京木材相互市場の新オレンヂシステムも開始となった。市場だけでなく、業界全体が大きな渦の中に入って再編成のために動き出したようだ。
鹿児島建材市場。松下電工とTOTOの業務提携。ナイス(旧ナイス日榮)、住宅性能保証機関の動向。などきりがないほどにたくさん動きがある。この中で勝ち組みに名乗りをあげるのはどこなのだろうか。自分や仲間の動きも行政を含めた大きな流れを無視した形では生き残れない。そういった変化を予感しているし、また変化は恐れないつもりでいる。

2001/10/20(土) 晴れ


[ 月報委員会3 ]
月報委員会3

10月18日には、新東京木材の月報委員会へ行きました。
今回は、木材の小売価格についての見直しが主な議題です。木材を構造材、下地材、造作材と大まかに分けて値段の動きを見ます。
構造材は住宅の骨組みですが、東京で建てられる新築住宅の7割は「プレカット工場」を経由するものだといわれ、木材市場経由のものは量的にはけなくなった事がはっきりしてきました。その関係で単価も、構造材は店売り価格と「プレカット価格」の二重価格になりつつあります。また樹種から行くと輸入の米栂材――杉材――国内挽きの栂材――桧という風に単価が上がってきます。しかし数年前に比べてかなり下がっているのが特徴です。

また、造作材についても「枠付きのドア」が中心をなし、木を見える所に使い、木を削って取り付けるといった作業も少なくなってきました。そのためあまり売れませんが、希少価値ということもあり、値段は据え置かれたままです。(ただ、壁に杉板を貼ることは増えつつあります。)

今、市場での荷動きは下地材が中心となります。単価の変化はあまりありませんが、サイズや樹種あるいは産地には動きがあります。「乾燥、精度、強度」が問われ、そこをクリアーできないものはシェアが減りつつあります。例えば杉材がこれに相当します。杉は軟らかく、加工性に優れていますが、乾燥材が少なく、乾燥すれば縮みますし、力もそんなにありません。触って暖かく目にも優しい素材ですが、今風の共通一次試験では不合格になりがちです。人間で言えば「人間は良いが勉強ができない」といったところでしょうか。
それに代わって「カナダツガ」や「ヨーロッパ材」に元気があります。強度、精度、乾燥とどれをとっても平均点を超えます。そこには輸出国の力の入れようを感じています。それらに問題点があるとすれば、日本の梅雨にどれくらい耐えられるかぐらいです。
私も頭の中では、日本の木を使っていきたいのですが、現実には外材の方が優れた面を持ち合わせています。わが社の中で外材と国産材の売上の割合は8対2で外材が多く、また木材そのものの売上は3割を切り、建材や住宅機器の売上が半分以上あります。これも時代の流れでしょうか、材木屋より住宅機器販売業といった方が実態を反映しているかもしれません。
話がそれましたが、木材に関しては、構造材がやや下がりその他は据え置きといったところでしょうか。木材は厳しい状況です。私たちとしてはもっと木材を使っていただけるように「木の持つ良さ」をPRしていかねばなりません。

2001/10/19(金) 晴れ


[ 木と暮らしのふれあい展 ]
木と暮らしのふれあい展


10月13日と14日には、木場公園において「木と暮らしのふれあい展」が開かれていた。この催しは「森を育てたい だから木を使う」「木は永遠の循環資源です」をキャッチフレーズに今年21回目を迎えた。
私はいままで一、二度しか参加したことがないが、14日の日には、則ちゃんと二人で行ってきた。晴天に恵まれ日差しが少し強かった。





先ずは、東京木材ネットワークの紙芝居。第二弾「悲しい森の物語」を見る。日本の森の現状と人間の役割について語ったものだが、題名の通り中味も暗い。危機的な現実を目の前にして、明るく振舞うのは難しいが、ここは革命的ロマンティズムの方がいいのではないか。「杉の木太郎の一生」が名作だけにもう少し明るいほうが、良いと感じてきた。それにしても自分なりの考えを「紙芝居」といった形にしていく若い人たちの力に希望を感じてきた。ネットワークの人たちも少し若返り、又まとまりがあるのをうれしく思っている。
ところで、第二弾の紙芝居は内容も難しいと感じたが、大人の方にも見ていただきたいと、人寄せのときに言っていた。そうであれば、椅子も大人が座れるくらいのものも用意する必要があるのでないかと則ちゃんはその時言っていた。



続いてはカンナ削り。則ちゃんの勇姿を見よ。





上手に削れましたね。


その後ゲームをし、展示を見て回る。辰巳太鼓を聞きながら昼食をとり、木場公園をあとにした。
次に「出世稲荷」にお参りして、今度は月島へ。ここで「もんじゃ」を食べた。熱いのは苦手だから、皿に移して冷ましてから食す。いま少し寒くなるともっとおいしいかな。ともかく「もんじゃ」をクリアーして、帰宅。
その後、哲学堂公園でテニスをして、気持ちの良い一日を送った。

2001/10/15(月) 晴れ


[ 特別編  則ちゃん京都旅行記 ]
則ちゃん京都旅行記

9月の終わりの平日に小学校の同級生の女ばかり4人で
京都に行ってきた。ナイスミディパスなんてCMは見ていたけれど
まさか自分が実際に使うとは思ってもいなかった。
3人で行くという突然の企画を聞いてから、私が追加で行くことを決めたのは
旅行日の5日前で、切符の再手配やホテルへの連絡など大変迷惑をかけてしまった。
5月に満生さんと行ったけれど、女4人の旅は、また一味違っていた。
大体の方向やコースは決まってはいたものの、タクシーに乗ってから「運転手さん、お勧めはどこ?」「○○がいいですよ、お勧めですね」「じゃ、そこからスタートしようか」
という具合。計画性が全然ない。気楽といえば気楽この上もない。
誰かが、ここに行きたいといえばそこに決まり、あれが食べたいといえば、それに決まり、こうしようといえば、そう決まり。
「暑いね」「日に焼けちゃうね」「傘を差せばいいんじゃない」「そうか」「風が気持ちいいね」「どこまで歩くの」「どこで電車降りるの」「どこで乗り換え?」「4人だとタクシーが効率いいんじゃない」「ここだ、ここだ」
「何、食べる」「美味しいね」「今度、どこへ行くの」「さっきのお寺、何だっけ」などといいながら、雲ひとつない夏のような陽射しの中をせっせと歩きまわり、のどが渇けば、お抹茶を飲み、気になったお土産があれば途中で店に入り込み、「ほら、行くよ」「待って」。
それぞれが、中学校や高校での修学旅行や家族旅行で何回か来ているため、
初めてのようで初めてでないという余裕のせいか、まさにのんびりの一言。
そうはいっても、そこは女4人のしっかり者。
1日目は東山コース 

泉涌寺・三十三間堂・清水寺・三寧坂・二寧坂・先斗町のまんざら亭で夕食







(清水寺から三寧坂にかけて)


2日目は嵯峨野コース

馬堀からトロッコ電車で嵐山・大河内山荘・野々宮神社・渡月橋・昼食は
湯豆腐の嵯峨野・落柿舎・念仏寺・祇王寺・白川通り・祇園の新山で夕食













(ラストの写真は念仏寺です。以前高校の友達と行きました)


3日目は東山コース 

永観堂・南禅寺山門・無鄰庵・平安神宮・うどんの京菜家で昼食・
西本願寺・東本願寺・京都駅
と、まさに観光をきっちりとしている。
3日間を振り返って考えると、こんなに京都の町中を歩いたり、迷って地図を
見たりしたのははじめてかも知れない。結構、位置関係がわかってきたもの。
こんな旅もいいものですね。「楽しかったね」「また、行きたいね」「今度いつ」
「また、よろしくね」で無事に終了。良かったね。









2001/10/12(金) 晴れ


[ 木材の売上は? ]
木材の売上は?


木材が売れない。木材は構造材、造作材、下地材とも売れ行きが悪い。ここのところリフォーム需要だけだったので、この傾向は強い。今売れているものといえば、「パーティクルボード」「フロアー」と「サイディング」ぐらいだろうか。
フリーフロアーを使う関係で根太の出方が減り、既存の床を壊さないでフロアーを上張りする仕事も増えてきた。ごみを出さず、材料も使わず、手間もかけずといったところか。
さて話は変わって。新築の仕事が決まった。木造の二階建てである。
プレカット、サイディング工事、下地材、建具などをいただけることになった。住まわれる方が畳の部屋も欲しいとのことで、少し変更になるが仕事は決まった。そこで私のところで扱う金額の割合を出してみると「プレカット25%・サイディング工事30%・下地材30%・建具15%」となった。ここまでいただけるので金額が伸びるが、下地材だけで食べていくのはかなり厳しい。木材業者らしい仕事が狭まっている。それは自分だけであろうか。

2001/10/10(水) 雨


[ 9月は法事が続いた ]
9月は法事が続いた。

私の父は大野喜平、母は伊東久江といった。私が生まれてくるためには、どちらがかけても成り立たない。あとから考えると不思議な世界である。だれでも必ず父親と母親がいて又その上に、それぞれ母親と父親がいる。先祖は限りなく続く。一人が生まれるためには二人が、その二人が生まれるためには、四人必要となる。1代2代と数えて30代も遡れば、10億人必要?などという数字は出てくるが、実際にはそんなことはない。昔は親戚同士の婚姻が多いからである。
さて、私の父方の祖父母は、埼玉県飯能市の西北部の寒村に生まれた。名前は大野省三・平沼きのである。すでに二十数年前に故人となっているので、なれ初めなどは知らないのだが、いとこ同士ということは戸籍からわかっている。祖父が11人兄弟、祖母が10人兄弟である。祖父母の兄弟は、7人ほど健在である。9月30日は、祖母の妹のご主人の法事であった。父親の代理ということで、今回初めて、「平沼」の関係の法事に参加した。
「小さなころによく遊びに来てたね」とか「お父さんにそっくりになった」とか、こちらが覚えていなくても声をかけてくれる。
中でも祖母の妹は祖母の思い出を語り、また私にとっては二十年ぶりに祖母に再会した思いであった。

2001/10/02(火) 晴れ


( 2001/11 ← 2001/10 → 2001/09 )


[ 管理者:大野満生 ]


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