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時々更新mn日記

( 2001/10 ← 2001/09 → 2001/08 )


[ 軽井沢でテニスを ]
軽井沢でテニスを


23、24日は軽井沢でテニスをしてきました。8月に続いてですが今度はテニスだけです。
朝の九時半に家をでて午後二時に軽井沢到着。二時半から五時まで、一汗かきました。雲ひとつない空の下、澄んだ空気と高原の風を受けて気持ちの良いこと。外でテニスをするのは三回目。でもこんな広々した所ははじめて。でも私は初心者なので、たまたま居合わせた方からコーチしていただき、最後の方少しだけ、ゲーム。
宿泊先は「ベルデ軽井沢」といって練馬区民のための宿泊施設。則ちゃんの友人が手配してくれた所です。中軽井沢と追分の中間くらい高台にあり、見晴らしの良い所でした。ちなみに今回の参加者は16人。
ひと風呂浴びて夕食。そのから則ちゃんと散歩。右半分のお月様と空一面の星。少し暗がりに移動して、10、20と数えていたら300を超えてしまいました。カシオペアのWくらいしかわかりませんでしたが、二人で星を見るのは初めて。ロマンチックな気分に浸ってきました。
さて、翌日も8時からテニス。12時まで動き回りました。おかげで足が痛い、ではなくて「大変楽しかった」
たまに当たることがありますから、面白いんだと思います。
さて勇姿は、











12時でタイムアップになり解散。昼食を軽井沢の「コクーン」でとって帰ってきました。とても楽しい二日間でした。



こちらコクーンです。


2001/09/25(火) 晴れ


[ 法事 ]
法事


9月15日は母の7回忌、9月16日は叔父の3回忌と法事が続く。小平へ、飯能へと身体を移動させている。アメリカでの強烈なテロなど関係ないと思われるほど、個人的な用事の毎日である。
16日は、父の弟の三回忌であり、飯能市の吾野という所にある法光寺でとりおこなわれた。法要後の会食の中では故人を偲ぶだけでなく、大野家にまつわる話が多く出た。その中でも大野治輔氏に関する話題で盛り上がった。治輔氏は私の祖父省三の弟にあたるが、飯能出身の企業家として名高く、治輔氏のおかげで叔父達も職を得、全うすることが出来ている。
治輔氏は24年程前に故人であるが、二葉印刷という会社を興し、戦後大成功を収め、昭和30年前後には、徳川慶喜公の屋敷を手に入れた話を今回初めて聞いた。天井も壁も襖も重要文化財クラスだと話していた。私も生まれているのだから、きっと父に連れて行ってもらっているのだろうが、幼すぎて記憶にない。
1人が出世すると一族郎党を引き上げてくれる。その余韻を感じてきた。
話がそれたついでに一つ祖父の話を書いておこう。最晩年の話であるが。ある夏の日、祖父はスイカを買ってきた。八百屋を営んでいた時代があり、その関係もあって買い物は祖父が行くことが多かった。きっとスイカが美味しそうに思えたのだろう。二つ手に下げて歩いていた。75歳の時である。ところが転んでしまい、スイカをかばった関係で額を強打し、出血し入院する羽目になった。スイカは大丈夫であったが、顔は血だらけ。これがきっかけとなって、その後元気な姿は見られなくなり77歳の誕生日の直後になくなった。

さて話は変わって。
15日は母の7回忌であった。といっても母の兄弟は92歳を頭に静岡にいる。皆さん健在だが、お招きすると付き添いが必要。また父の体力を考え今回は子供と小平にいる母の弟の計8人で行なった。
母は静岡県富士宮市出身。元気がとりえであったが、初めての病気が死に至る病であり、66歳で亡くなった。生きていれば72歳。孫の成長を楽しみにして、また私どもも孫の結婚式には必ず参加するものだと疑うことはなかった。しかし、落とし穴に落ちるがごとく、この世を去った。
今回は子供も孫も全員参加で七回忌を行なえたので、一安心。並ぶと孫の方が背が高くなっていた。時の流れは早いものである。




2001/09/19(水) 曇り時々雨


[ 情報化委員会 ]
情報化委員会


新東京木材商業協同組合(新東京)の中に「情報化委員会」というのがある。現在では主にホームページの更新を担当している。去る3月には、東京材木商組合(材商)と連携して、お互いのホームページにリンクを貼った。東京23区ならびに近郊の材木店を調べるなら、どちらかのホームページ(もしくは、日本木材総合情報センターのホームページ)から探すことが出来る。これにより、組織は違うが同じ材木屋として共同歩調をとる一歩が出来たと思っている。
さて9月13日には同委員会が開かれ、現在ある新東京木材のホームページをどのように改良していくのかが話された。
トップページを変えること。
組合員同士の結びつきを深めるために、また組合員に対する情報提供のために「組合員のページ」を新設すること。
一般消費者に「木材」をアピールするために9月18日に開かれる「お宝市」で出品された商品に関して出品明細を写真付きで載せようということになった。この「お宝市」には天然の秋田杉や木曽の檜など現在の木材市場ではあまりお目にかかれない品物が出品される。小さな写真では「杢目が綺麗にでているのか」など品物の状態を確認することは難しいが、「こんな木材も扱っています」というアピールにはなろう。少なくても興味をもたれる素材に関しては積極的に掲載していこうという話がなされた。
ホームページが特別なものでなくなっているし、通信速度も速くなっているので時代に見合ったホームページへと変化していくようにして行きたいと思う。近藤委員長始め、委員の皆さんご苦労様でした。新東京と材商のホームページは下記まで。

http://www.zaimokuya.or.jp/
http://plaza26.mbn.or.jp/~zaisho/

2001/09/13(木) 曇り時々雨


[ 二班の会合 ]
二班の会合


9月12日には、中野駅南口の三河屋で定例の会合を持った。新東京木材商業協同組合中野支部の中には、4つの班があり、私は二班に属している。この班は中野の南に位置する材木屋さん7店からなる。石又材木店、坂本材木店、高木製材所、広瀬材木店、井上材木店、原康材木店、そして大喜である。
二ヶ月に一度の割合で会合を持ち、情報交換やら、親睦を深めている。今回は従業員慰安会や婦人部の観劇会などがあり、それへの参加協力依頼などが話された。
そこへ訃報が入った。元支部長であった春木隆平氏の逝去である。60歳であった。今から9年半前、中野支部の中に「十四日会」という二世三世の会が作られた時、すでに病中であったが、挨拶にこられて、「単なる飲み会で終わらないように頑張って下さい」といわれ、その後手紙などもいただいた。すぐに亡くなるということは無いだろうけど、といわれていたが、10年経たずに鬼籍に入られた。この人が元気でいれば、中野支部も組合の中でより発言力を持ちえたであろうといわれているだけに惜しいことをした。身体にはくれぐれも気を付けねばならない。


2001/09/12(水) 晴れ


[ 従業員慰安会 ]
従業員慰安会


9月8日は、新東京木材商業協同組合中野支部の従業員慰安会が開かれた。慰安会は二年に一度開かれているが、今回は、新宿コマ劇場での千昌夫と八代亜紀の「二人のビッグ・ステージ」の観劇と銀座アスターでの食事会であった。
コマ劇場では、千昌夫と八代亜紀が歌手として成功するまでの話と歌謡ショーであった。千昌夫は自身の境遇を面白おかしく話して笑いを取っていた。中でも「有名になるまでも大変だったが、有名になったらもっと大変だった」というのは実感がこもっていた。この二人もデビューしてから30年以上経過しているが、今回のショーで感じたのは、「初心忘るるべからず」というか、いつも自分の原点に戻って「何をなすべきか」考え行動していかねばならないのと、今ひとつ「売るものは自分自身しかない」と思った。自分も長いこと材木屋をやっているのだから、いますこし「材木を売る」ことに力を注がねばと感じてきた。
ともあれ、観劇のあとは美味しい食事会。満腹で新宿を後にした。参加者が減ってきて少し淋しかったかな。

2001/09/08(土) 曇り時々雨


[ 9月7日 ]
9月7日

9月7日は横浜で開かれた丸長産業鰍フ展示会に行き、そのまま黄金町で映画を見てきました。「シネマ・ジャック」という映画館では、今月と来月「不敵に笑う男達」と題して、赤木圭一郎と宍戸錠の特集です。「赤木圭一郎を偲ぶ会」のHPを見ていて、今回の企画を知りました。毎週通いたいくらいですが、そうもいかず、今回は赤木圭一郎の「海の情事に賭けろ」と「男の怒りをぶちまけろ」を見てきたのです。
「海の情事・・」の方はビデオなどで何度か見ていましたが、「男の怒り・・」の方は34年前にテレビで見て以来です。やはり大画面は迫力が違います。本編はいいですね。1人で三時間固まっていました。
「男の怒りは・・」新宿が主な舞台です。ファッション、髪型、町並み。昭和35年がどんな風景をしていたか、映画を見ると思い出します。そう、伊勢丹も出てきました。新宿日活の前を通るシーンでは、裕次郎の「赤い波止場」の主題歌が流れていました。これはかなり意識的ですね。

「海の情事・・・」の方は湘南が舞台です。赤木圭一郎は泳ぎが上手いですね。綺麗なクロールでした。海も美しく撮れていました。日活撮影陣の上手さですね。

これら二つの映画の筋書きなどはたわいのないものですが、出てくる俳優さんの若いこと。久し振りに青春してきました。まだ上映しておりますので、興味をもたれた方は下記まで問い合わせてみて下さい。

シネマ・ジャック 0120-198-009
横浜市中区若葉町3−51

2001/09/07(金) 晴れ


[ 9月2日は ]
9月2日は


9月2日は飯能に行ってきました。飯能といっても市街地からは西北の地に「中沢」というところがあり、このあたりが私の祖父母の生まれた場所です。今回は母の7回忌ならびに祖父母の供養のために卒塔婆をいただきに菩提寺である「宗穏寺」までやって来ました。
ここは昼の二時を過ぎるとお日様が隠れてしまう、そんな山間の集落の中にあります。私がここを訪れるのは、二年ぶりですが以前とまったく変わらないままです。コンビニなどはありませんし、あるのは蝉の声や水音、木の葉の騒ぐ音などです。今年は猪が良く出てきて畑を荒らすとのこと。山にも食べ物が無いのでしょうか。そういえば今年行った京都の嵯峨野の竹林でも、軽井沢のペンションの所でも熊が出て捕獲されたとのこと。生活が厳しいのは、人間だけではないようです。
さて宗穏寺でお経をあげていただいた後、この近辺で有名な「竹寺」へ行きしばし休息。





昼食を「岩清水」でとり、川原に出て水遊び。



則ちゃんは何をしているのでしょうか。
それから小平霊園でお墓参り。その後は中野新橋のお祭りです。
今日は松戸からお母さんも参加してお祭り見学。

彼女は優しいだけでなく、力も少しあるのです。




2001/09/02(日) 晴れ


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[ 管理者:大野満生 ]


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