[ホームへ] [他の月を見る]


時々更新mn日記

( 2001/05 ← 2001/04 → 2001/03 )


[ 法事 ]
法事


今日は去る一月に亡くなられた浦和工務店社長の百か日の法要ならびに納骨がいとなまれた。この社長は私が知っているだけでもここ二十年間、わが社を支え、安定的、平均的に仕事を回して頂いていた。あまり口数の多い方ではないが、仕事はきちんとこなしていた。一番ためになったのは、正確な見積もり、正確な木拾いである。例えば、現状の図面と変更後の図面が見開きに表示されていて、どこをどのように直すのかが明示されている。さらにその使う部所ごとに材料の明細が細かく出ている。間仕切り変更材何々。床下地材どれどれ。だから、私が生意気に「ここは材料が足りなくはありませんか」と聞くと、「手前は柱を立てるけど、後ろ側は垂木掛けだけでいいから」などといった言葉が返って来る。木拾いを見るとどんな仕事を要求しているのかがわかるようになっていた。
正確な木拾いは、木拾いどおりの仕事を要求し、正確な見積を生み出す。正確な見積は正当な報酬を要求し、それが大きな信用となって跳ね返ってきていた。地道な積み重ねが安定経営の基となった。
一昨年から病魔に倒れ、遂に帰らぬ人となったが、教えて頂いた事は大きな財産になっている。昔、言われたことは、「自分のお得意を作れ」という一言だったが、そういうことが実現できる時期にさしかかったと思っている。

2001/04/29(日) 曇り時々雨


[ 休みが近い、嬉しいな ]
休みが近い、嬉しいな


今年もゴールデンウイークが近づいてきました。昨年は則ちゃんと蔵王の「さんさ亭」と高湯温泉の「玉子湯」へ行きました。今年は京都を予定しております。混雑覚悟のふたり旅ですが、のんびりいってこようと思っています。
さて、休みに入るので仕事のやり繰りをしていますが、注文し忘れたり、注文されたもの自体を忘れてお客さんに聞きにいったりしています。休みが近くて、嬉しいのですが、気を引き締めていないと間違いだらけになりそうです。
間違いといえば、日本の総理に小泉さんがなりましたね。私には予想できませんでした。プラスのイメージだけが先行して、森内閣の不満を上手く掠め取っていきました。この内閣が何をしていくのかを注意深く見ていかないと熱狂だけしか、国民に残らないと思います。
ともあれ、前の内閣よりはマシであるようにしていきたいものです。

2001/04/28(土) 晴れ


[ 東京木材ネットワークを知っていますか ]
「TOKYO木材ネットワーク」を知っていますか



「身近な所に力を入れて」と言ってしまったので、今回は、「TOKYO木材ネットワーク」について少し書いてみます。この集まりは東京都内の木材業界の若手八団体によって1998年5月に作られました。後ほど掲げますが、東京には約2000店の材木屋があると言われ、各お店は、市場や組合との関わりを持って商売を営んでいます。その市場や組合の中には30代40代を主体とした「若手会」があります。若い人には「材木屋はこれから何をなすべきなのか」という意識が強く、それが従来の組織にとらわれない横のつながりを持ち始めるようになったのです。(政治の世界と似ているような・・・)
ですからその分だけ材木屋の役割や将来といった事に対しても真剣味があるのです。たとえば、住まいの中に木を活かすためのPR活動の一つとして、昨年秋には「木と暮らしのふれあい展」「NHK・木にふれあうフェスティバル」そして今回の「アースデー」にも参加しています。これに際しては「紙芝居」という武器を作り出しました。これが好評で、そのことが日本経済新聞にも載ったということです。
ともあれ、材木屋と付き合うと木材や住まいに対するイメージが変わると思います。このホームページでも木や材木屋についてのPRもしていきますので、今日のところは「TOKYO木材ネットワーク」を覚えておいて下さい。この集まりの中では、年に二回ですが、「枝打ちや下草刈り」も行っています。なお、参加団体は以下のとおりです。

鞄結椁リ材相互境市場 昭和会キッズクラブ
丸宇木材市売梶@西浜MJクラブ
東京新宿木材市場梶@CAN
東京材商青年協議会
練馬木材商組合二十人会
木場センター梶@親青会
新東京木材商業協同組合 モック
東京木材青年クラブ
会員数合計 約300社

2001/04/26(木) 晴れ


[ 原宿から ]
原宿から


4月22日は、代々木公園を主にして行われた「アースデー2001東京」を見に行ってきた。当初則ちゃんは草津温泉へ行く予定だったが、それが取りやめになったため、二人で行くことにした。暖かいけど少し風があったので風除けを一枚羽織ながら原宿を目指した。
お目当ての一つは「東京木材ネットワーク」の紙芝居。12時半開始分のそれを見る。昨年秋に見たときよりアレンジが進んで、バージョンアップしたのかと思ったくらいだ。その日誕生日だという窪寺さんも「杉の木太郎」になって奮闘する。子供はあまりいないが若いおねいさんが飴をしゃぶりながら鑑賞。清水さんの熱演も無事終了。固定メンバーの息は合って一塊になってきた。公演終了後、少し雑談。「東京木材ネットワーク」でホームページを立ち上げようとしているとのこと。共通主張ページを作ったり、名簿公開したりなどは現在でも可能。「篠崎、松村、内山、大野」のところはとりあえずホームページを持っているのだからそこの中にコンテンツを一つ足せばよい話だと思う。その他紙芝居のビデオ化など面白い意見も聞いてきた。




そこを後にして昼ごはんを食べることにした。カレーを頼むと「器を貰って来て下さい」とのこと。一つに対して100円払ってお皿をもらいカレーを注文。食べ終わると、自分で食器を洗い元に返すとのこと。紙で汚れをふき取り、洗剤で洗い、最後に水洗いをする。こんなことは小学校以来か?(嘘付け、家でやっているだろう、そうでした)
そのとき一つの出来事が起きた。則ちゃんがNTVの取材を受けたのだ。「食器を洗うのは面倒くさくないですか」という問いに、「ここへ来たのはそういう主旨を理解していますから面倒くさくありません。家でも実行していきたいと思っています。」という模範的な答え。さて、無事放映されデビューしたのでしょうか。帽子とサングラスをはずせば良かったとは彼女の後悔。
「はんこ」を作って会場を後にしました。
原宿の所まで来て写真を一枚二枚。橋の袂には「コスプレ」のおねえちゃん達。一人一人は違っても集団でいると個性が見えない人たち。仲間が欲しいんだよね。きっと。

2001/04/23(月) 晴れ


[ ネットビジネス ]
ネットビジネス


今朝、木材新聞の一面には、「木材市売大手が共同で電子市場」という記事が目に飛び込んできた。このところ、インターネットを使ったビジネスやそれらの試みがかなり報じられているが、今回もその一つであり、かなり大掛かりである。ではそれを紹介しよう。

辻井木材(京都)、西垣林業(名古屋)、丸宇木材市場(東京都)の3社と各種木材輸入大手ニチメン、コンサルタント会社アイ・シー・エフの五社はこのほど、木材市売流通市場のeマーケットプレイス(電子市場)を構築、木材製品の電子取引を開始する。電子市場サービス名は「J―WOODS」。
全国の国産材製材会社及びニチメンが供給する製材等木材製品をJ―WOODSのサイトを通じ、木材市売3社の取引先へ、BtoB(業者間取引)の形でインターネットにより販売していく。
具体的にはJ−WOODS会員会社が必要とする商品を、納期、樹材種、価格等に応じ当該三社が各社の仕入れネットワークを通じ集荷供給する形態、又取引先の国産製材会社及びニチメンの在庫J−WOODSのサイトで提示、会員社に販売していく形態がある。
会員会社は当該三社の既存市売買い方を中心に、木材小売店、プレカット会社、ハウスビルダーなど幅広い参加を呼びかける
としている。

三都市市場の代表的な市売り木材会社が提携することで、全国横断型の国産材製材及び顧客支援が可能になること、コスト面での軽減も期待され価格競争力に優れた商品を供給できるなどの利点がある。またニチメンが絡むことによって米加、欧州産製材、集成材などの輸入材も増えるだろう。

ともあれ、共同のプラットホームが出来つつあることは大きな変化の兆しである。

2001/04/21(土) 曇り時々雨


[ トステム住宅リフォーム価格を明示 ]
トステム、住宅リフォーム価格を明示

銀行が4つのグループに収斂されていくように、住宅関係もいくつかの塊が出来そうである。その中のひとつになると思われる「トステム」では、INAXとの経営統合を決めており、されに住宅リフォーム事業を強化すると新聞は報じている。
住宅リフォームは価格が不明確なケースが多く、消費者にとっては二の足を踏む要因ともなっていた。このたび、浴室や洗面所、寝室など約200種類のリフォームプランを用意、価格を明示して販売するとのことである。
住宅リフォームの場合、住宅の使用状況などにより工事が異なるため、事前に価格を明示するのが難しかった。そこで,この度、工事の方法や手順を統一することによって施工費を一定にし、改修にかかる総コストを明確にしたという。
この動きは私ども材木屋とってもありがたい一面をもっている。手順や価格が明示されることによってそれを活用できるからである。これで智恵をつければ、私どもはトステムやINAX以外の商品を使って同等品やそれ以上の住宅を作り上げることが可能だからである。まして実際に施工する「人」に関しても「安心情報」を持ち得ているからである。

2001/04/20(金) 晴れ


[ 相互市場の新システム ]
相互市場の新システム


本日付の日刊木材新聞によれば、東京木材相互市場ではこれまでプレカットを軸とした「オレンヂシステム」で既存木材流通への支援を行ってきたが、さらに一歩踏み込んで、住宅相談から現場見学会に至るまでの住宅建設に関するあらゆる相談窓口としてのサービスを行う「新オレンヂシステム」を立ち上げると伝えている。
同社は、パソコンを使った作図システムにプレカットを組み合わせた形で工務店や木材業者に営業支援、設計支援、加工支援、資材支援を行ってきたが、昨年4月の品確法の施行、性能表示制度のスタートなど法律や制度は整備されていくものの、大手ハウスメーカーに比して既存の流通の立ち遅れは否めず、それを取り戻すために新たなシステムを構築したとのこと。
私など材木屋も一方で「素材屋」にすぎないのだけれど、これらの方法で、「住宅」まで視野を広げ、自分の商売につなげていくことで売るものを作り出さねばなるまい。ともあれ、相互市場のやる気に拍手。

2001/04/19(木) 曇り時々雨


[ 目出度さ ]
めでたさ


三波春夫が亡くなって、また河島英五や小島三児がなくなる一方で、皇太子に子供が出来た兆候ありと新聞は報じている。
政治に目を転じれば、自民党の総裁選。勝ちそうな人が勝つと、国民から乖離してしまうという矛盾を抱えている。失言おばさんの自重がどう響くのか。
闇将軍といわれた田中支配から、総理大臣は作られるだけのものであった。その象徴は森内閣であろうし、今始まっている総裁選挙はそのラストとなりうるのだろうか。あるいは風穴が開かないために沈没してしまうのか。興味のあるところである。
ともあれ、総裁選だけでなく、総理大臣も変わるし、参議院だけでなく衆議院選挙も行われるのだろうから、今年は変わり目の年に違いない。それにしても生活は自分で守らねば二進も三進も行かない所にいる。頭だけが目出度くなりそうである。

2001/04/18(水) 晴れ


[ 野川公園 ]
野川公園


昨日は天気もよいので、気持ち遠出をして、野川公園まで行ってきました。以前、則ちゃんが府中に住んでいたときに「今度はここへ来よう」と言っていたのを一年半ほどたって果たしたのです。
地図で見たとおりの大きな公園で、入場料はないし、芝生にシートを広げ、お弁当を食べ、寝転んできました。ひと段落してから、人の少ない平らな所で、テニスをしてひと汗かきました。
この公園には、東八道路をはさんで北側に「自然観察園」があり、5月から夏場は夜の八時まで開園しているとのこと。ホタル狩りなどには良いかもしれません。

2001/04/16(月) 晴れ


[ 昭和会総会のことなど ]
昭和会の総会のことなど


4月13日には、私も所属している「新東京昭和会」の第23回総会が開かれた。その後懇親会の挨拶の中で、当会の初代会長であった木村恵一氏は定年制を設けてはどうかという主旨のことを述べていた。それはおそらく昭和会が市売りなどで現実に果たしている積極的な役割とは別に、時代に見合った姿かたちを作り出さないと「会」だけでなく材木屋自身が取り残されていくとの焦りからであろう。
では後に続くものが無いのかというとそうではない。たとえば、「東京木材ネットワーク」がある。東京にある市場や組合の中にある「若手会」を基盤とした集まりでズバリ「東京の若い材木屋」である。昨年秋のNHKホール前でのイベントから少し輪が広がっているように思える。これにかかわる人を4月18日に中野市場で行われる「昭和会協賛記念市」にはゲストとしてお招きする、ということを現会長である横田氏は挨拶の中で語った。また、4月21、22日に代々木で行われる「アースデー」にも紙芝居を持って「東京木材ネットワーク」が参加することも付け加えられた。
そんなに時間をおかないで私たち材木屋も変わるのではないかと感じている。

2001/04/14(土) 晴れ


[ ベランダは花盛り ]
ベランダは花盛り


このところの温かさで、ベランダにあるチューリップが満開となった。昨年秋に則ちゃんが球根を30ほど植えておいた結果である。赤、白、黄色、赤白それに紫。紫のものはやや遅れており、これには確認できないかもしれない。季節的にサクラは終わったが、我が家のベランダは別の賑わいを見せている。

2001/04/13(金) 晴れ


[ こちらを先に載せればよかった ]
赤木圭一郎

私はあまり、新聞を読みません。その中で一度は目を通すのが、テレビ欄と死亡記事の欄です。死亡欄で一番記憶に残っているのは、赤木圭一郎という日活の俳優さんです。私が小学校5年生のときです。読売新聞の夕刊を裏から見開いたとき、漫画の下にスーツ姿の写真入で、彼の死を告げていました。小学5年の記憶としてはその記事と、60年安保のフランスデモの写真が、鮮やかな記憶としてあります。
ともあれ、赤木圭一郎という名をはじめて知りました。時は流れ、5年の歳月が経ち、、その人の生きていた姿を見る機会がありました。リバイバルブームということで「トニー」こと赤木圭一郎の映画が、テレビで放映されました。「抜き打ちの竜」「打倒・ノックダウン」「霧笛が俺を呼んでいる」「男の怒りをぶちまけろ」「幌馬車は行く」「海の情事に賭けろ」「錆びた鎖」「不敵に笑う男」「明日なき男」「電光石火の男」「大学の暴れん坊」と次々に欠かさず見ました。ただ、遺作となった「激流に生きる男」は修学旅行と重なり、見ることが出来ませんでした。
チョイ役で出た「俺は淋しいんだ」や裕次郎と競演した「清水の暴れん坊」「鉄火場の風」などもテレビで見ました。テレビでのブームは「紅の拳銃」という最期の封切り作品を劇場で再映すると云う事態を招きました。私は新宿日活で、これを見ました。今は丸井になってしまいましたが、当時は伊勢丹新宿店の真向かいにありました。併映は西郷輝彦主演の「星のフラメンコ」でした。
孤独と哀愁、日本人離れした風貌。野生と知性を兼ねていた彼は、和製ジェームス・ディーンと呼ばれました。彼の人生は21年でしたが、その足跡は私の心に刻まれております。 
最近彼の出演作品が26作になると写真集で書かれてありました。私が見たのはその内の19作品です。(近日、「映画のことなど」に載せます。)

2001/04/12(木) 晴れ


[ 赤木圭一郎の歌 ]
赤木圭一郎の歌


私が赤木圭一郎を確認したのは、テレビであった。没後5年、1966年のことである。当時フジテレビの夜8時から次々に放映される主演映画に目を奪われ、ときめいていた。それを助長させたのは、歌声であった。決して上手くないその歌が耳に残ったのだった。
「打倒」「男の怒りをぶちまけろ」「邪魔者は消せ」「霧笛が俺を呼んでいる」
そして一つのピークは「抜き打ちの竜」の主題歌「黒い霧の町」だった。

黒い霧の降る町 肩をすぼめて 俺はひとり行く

どこか淋しげな歌はいつも心に残り、また口ずさむことによってそれは助長された。もっと聞きたいと思った私はレコードを買うことにした。新宿にある「おかめや」レコード店に行って赤木圭一郎のレコードが欲しい旨を伝えると二種類のLPを出してきた。セリフ入りの「ベスト」版と全曲集だった。悩んだあげく全曲入りのものにした。はじめて自分で買ったレコードだった。
だから何度も聞いたし、大事にもしてきた。35年一緒だったのだが、ここの所の引越しなどで現在行方不明である。そこで最近では、「ベスト」のカセットを買い求め、ひとりで運転する時などに聞いている。聞いてると眠気が覚め元気が出てくると勝手に思っている。だから不思議な存在として彼は自分の中で生きている。
やや蛇足ではあるが、彼の魅力について触れてみたい。一つは若くして事故死をしたため今なお若いこと。二つ目には端整なマスク。三つ目には自分を素直に表現してきたこと。四つ目には時代背景にぴったりはまったこと。だから煙草を吸うしぐさ一つで1960年前後の暗い重苦しい雰囲気を背負い込むことが出来たと思っている。

2001/04/11(水) 晴れ


[ 牛丼が安い ]
牛丼が安い

今朝付けの新聞に「250円セール吉野家ぎゅうぎゅう!?」と題する記事が載っていた。「来客3倍で材料不足。一次休止100店」と書いてある。実際に休店した所があるとのことである。安さが受けて売上が二倍になり、去る7日には1日当りの売上としては過去最高の5億円を記録したと書かれている。
多分そのとおりだと思う。というのは、昨日食べてきたのである。新宿の一角であったが行列ほどではないにしても、並んでいた。おしんこは品切れであったし、何よりも中に働いている労働者がかわいそうだった。「機械」でないと勤まらない仕事に思えた。
とにもかくにも彼女に三度目だという「吉牛」をご馳走した。

2001/04/10(火) 晴れ


[ 花見パート2 ]
花見パートU


4月7日には松下電工の展示会にビックサイトまで行ってきた。中野新橋を二時半に出て新橋へ。そこからはユリカモメに乗り、ここがお台場、あれがフジテレビなどと則ちゃんに説明しながら、会場へと着く。
電工の新しい商品を目にしながら一時間ばかりを過ごす。目をひいたのは、肘掛つきのトイレや手摺り。水周りのものはよく考えられていると感じる。逆に「CSU」クラスのものは戸当りがうまく入っていなかったり、角が欠けていたりして、「あら」が目立つ。プラスチックや樹脂系のものばかり売っていては駄目だと再認識する。
定刻になり外へでた。今日は暖かいし、まだ花見も出来るだろうと考え、「さてどこへ行くか」
水上バスに乗ろうということになり、乗り場に行くと「浅草行きもある」ので急きょ隅田川を登ることになった。「日の出」で乗り換えはあったものの勝鬨橋をくぐり、右側の公園の桜、左の料亭の桜などと川から桜見物。ビールを飲み干す頃には浅草へ。浅草寺にお参りして、「ちんや」で牛を食べました。則ちゃんと二人連れだったのでおいしく頂きました。

2001/04/09(月) 晴れ


[ ご飯お支度は誰がする ]
ご飯の支度は誰がしますか。奥さんですか、旦那さんですか。おばあさんですか。あなたの家のキッチンを誰が使いますか。最近の流し台は調理台まで80センチから85センチくらいに出来ています。これだと背の低い方が調理するには無理な姿勢を強いることになります。そんな時は踏み台を作ってみてはいかがでしょうか。表面に桧材などを使えば、木の香りを楽しむこともできます。


2001/04/07(土) 晴れ


[ 修也も中学三年生 ]
修也も中学三年生


今年の桜は花咲く時期が少し早かったのでしょうか。今日、明日あたりの入学式では満開というよりもやや散り始めたようです。
4月になって亜美は高3、淳一は高2。
そして修也も中学三年生になりました。足のサイズも26センチと私の24、5を大きく超えました。つい最近、卓球を始めたいと言い出し、沼袋まで通っています。子供が大きくなるのは早いです。伯父さんも仕事に精を出さなくては子供に負けてしまいます。
修也も中学三年生。でもこんな時代もありました。

2001/04/06(金) 晴れ


[ 昨日の昼飯 ]
お稲荷さん

お稲荷さんといっても拝む方ではない。食べる方である。昨日の昼飯は則ちゃんお手製のいなり寿司。私はこれが好きで、古くは「吉多屋」そして母親。その二つの味は忘れられない。少し甘めで、あげにしかっり下味がついていることが必要である。
則ちゃんは山菜入りと普通のものを二種類作ってきてくれた。おいしく6個、平らげた。忘れられない味がまた一つ増えた。

2001/04/05(木) 晴れ


[ 赤木圭一郎写真集を買う ]
今日は春らしい良い天気です。いくら寝ても寝たりません。こんな日は寝転んで本でも読んでが一番です。そこで

赤木圭一郎写真集を買う。

写真集「赤木圭一郎」を買った。彼が1961年2月21日に21歳の若さで没してから40年が経ったが、それを記念してマガジンハウス社から発売されたものである。没後5年目の写真集や15年目の伝記、最近ではCDなどは出ているが、ここしばらく写真を伴ったものは知らなかった。だから買ってしまう。
新たな発見もあった。従来、「拳銃0号でデビューし」と書かれていたものが、デビュー作が「狂った脱獄」であると訂正されている点である。これで赤木の出演作は26作になった。彼が活躍した時期は、昭和34年から36年にかけてであるが、写真集を見ながら私もその時代にタイムスリップするのである。(詳しくは「映画のことなど」をご覧下さい)

2001/04/03(火) 晴れ


[ 苗木からはじまる木のはなし ]
苗木からはじまる木のはなし

つくば緑友会では、先ごろ、「よくわかる木造住宅」シリーズの別冊を出しました。それが「苗木からはじまる木のはなし」です。
ここでは、「木材が一本の苗木からどのような過程を経て建築部材として姿を変えていくのかを、既存の木材流通のしくみを通して、皆様に紹介し、その役割と利点を解説したもの」と書かれています。
目次を見ましょう。

木材の本当の価値は樹齢
   植林
   間伐と枝打ち
   伐採
   森林育成
建築用木材は乾燥がいのち
   運送
   製材
住宅建築は地元の産業
   輸入材と国産材
   木材製品市場
   小売店
住宅は買うものではなく建て主とともに造るもの
   地元の大工さんや工務店
   消費者

二十ページ足らずのパンフレットですが、緑友会の三部作とともにお読みいただければ幸いです。
一冊250円(税+送料別)。
お問い合わせは「つくば緑友会」まで
tsukuba@ryokuyuukai.com

なお、私のところにも見本誌あります。買って読んで、また消費者にもお渡し下さい。


2001/04/02(月) 晴れ


[ 花見 ]
花見

今日は則ちゃんと二人で花見に行って来ました。「メトロニュース」の中にいくつか花見のコースが出ていて、そのうちの一つ「茗荷谷から本駒込」のコースを選びました。
先ずは「播磨坂」の桜並木。東京に長いこと暮らしていてもここは初めてです。道の両側だけでなく、真ん中に8メートル巾の遊歩道があり、ここにも桜。そして花見が出来ます。昼過ぎにここに着きましたが、ビニールシートを敷き詰めてお年寄りから若い人まで飲んでは食べての世界が広がります。毎年行われているのだな、と思わせる所は、人が通れる分だけ「歩道」が確保されていて、シートがはみ出さないようになっている所です。
町会の方々による出店もあり、そこで「赤飯と味噌おでん」を買い求め、桜花の見物です。「晴れて良かったね」「昼間からビールを飲むのは幸せ」・・・
その後、小石川植物園、白山神社、潮泉寺を経て、帰路に着きました。
「どこの桜が一番良かった」という問いに、「やっぱり播磨坂かな。量が圧倒的に多かったもん」と則ちゃん。
暖かな陽射しの中、のんびりしてきました。

2001/04/01(日) 晴れ


( 2001/05 ← 2001/04 → 2001/03 )


[ 管理者:大野満生 ]


- CGI-Island -

Thanks to CGI-StaTion & 手作りCandy