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時々更新mn日記

( 2001/04 ← 2001/03 )


[ 「LICC」の効用 ]
「LICC」の効用

昨日は「LICC」を通して知り合いになった中島さんがわが社を訪ねてくれた。先だって私がHPを公開したことがきっかけで、近くにいるので「会いませんか」とメールしてくれたのである。
初めて電話を受け取った時、則ちゃんは「若い人だよ」といっていたがそのとおり、私とは親子ほど違った。長身の彼に対しては、東京の材木屋の現況を語ったのだが、独りよがりな意見をいったような気もするし、うまく表現できなかったものもある。
大学の院生という立場とパソコンの先生あるいはEビジネスの先駆けという立場を兼ね備える彼の話を今度はゆっくり聞いてみようと思っている。
「LICC」に参加していて良かったと思う一日であった。

2001/03/29(木) 雨


[ 材木屋をブランドに ]
「材木屋」をブランドに

私は一人で材木屋をやっているから、一般のお客さんが来ても手の回らないこともある。だからといって、エンドユーザーを軽視しているわけではない。おやおやいきなり変な話になった。ではどうするのか。隣の材木屋を紹介すればよい話なのである。お客さんが望んだものを達成するために何をするかが大事だと思うようになってきた。だから、材木屋が直接エンドユーザーと接触してもよいのだし、大工・工務店とエンドユーザーの接点として材木屋がいても良いのだ。それは材木屋同士の連携にしても然りである。したがって始めの話に戻る。
そこで何を当面したらよいのだろうか。名簿を作って公開すれば第一歩が踏み出せるのではないだろうか。中野区とか東京都とかに限ってみても30軒とか1000店舗くらいしかないのだから、そんなに難しいものではなくなったと思う。
そろそろ顔見知りになった若い人たちだけでも名簿を公開しませんか。ユーザーから見たらみんな「材木屋」として一括りになるのですから。

2001/03/28(水) 晴れ


[ 昭和の大名人逝く ]
昭和の大名人逝く

わが社に来ていた大工さんで誰もが認める人がいた。腕も人柄も。
その人は職人である。自分で請け負うということは少なく、来た仕事に対して誠実に対処するのである。一般木造住宅の墨付けから、刻み、内部造作、床の間、階段。鉄筋でも鉄骨つくりでも。初めてする仕事も多かったと思うのだが、難無くこなした。
書院つくりの家。玄関に本物の木が立っており、その木を這う様に二階への階段がついている家。どんな仕事もこの人がいれば大丈夫だという気にさせてくれ、また事実そのとおりだった。
ただ、一度だけ怒った所を見たことがある。次の仕事の関係で、それまで関わっていた仕事を途中で投げ出さざるを得なくなった時のことであった。もちろん自分がすべき仕事は済んではいたのだが、大工仕事全体が終わっていなかったからである。仕事はみんなでするもの。作り上げたときには皆で喜ぶもの。だから途中で投げ出した形になった時、請負師に対して怒っていたのである。
自分に責任のない借金や病気など晩年は恵まれたとは言いがたいが、私の父親宅の和室の納まりや纏め方を見れば、住む人を納得させる、居心地をよくさせる彼の腕の良さがわかるだろう。無名ではあるが大名人であったと思っている。そういう人がまた一人いなくなった。

2001/03/26(月) 雨


[ 送別会 ]
送別会

3月24日には、則ちゃんの会社の方々による、則子の送別会が開かれた。先輩や同期の温かい言葉に混じって、後輩からは「怖い」とか、「綺麗なので憧れていた」などという嬉しいようなそうでないような挨拶もあり、楽しいひと時が過ごせた。退社したからといって、遠くへ行くわけでもないので、これからも私の顔を見に来てくださいとは彼女のラストの弁であった。幹事の労をとっていただいた「はせがわ、おおの」のご両人に感謝しながら筆を置きましょう。それにしても、よく飲み、沢山しゃべり、よく歌いの一日でした。

2001/03/25(日) 曇り時々雨


[ 昨日は誕生日 ]
誕生日

昨日は私の誕生日でした。
前々日の夜から小学校の同級生と日刊木材新聞の小林茂さんを交えて前祝をし、昨日は二人っきりで食事をしました。もちろん則ちゃんの手料理です。
舌平目のムニエルにマヨネーズあえの野菜。かぼちゃのスープ。たまねぎとレタスのサラダ。ビールで乾杯し、おいしく戴きました。
あと片付けの後、いちごを使ったバースデーケーキを作り、二人で食べて、記念すべき一日となりました。のんびり幸せ50歳。
手作りのものは人の気持ちを和ませて温かいものにさせてくれますね。
2001/03/23(金) 晴れ


[ 十四日会旅行 ]
十四日会旅行

3月の17日、18日は中野区の比較的若い材木屋さんの集まりである、「中野十四日会」の研修を兼ねた親睦旅行があった。行き先は新潟県の瀬波温泉である。夕日が日本海に綺麗に沈むことで有名な所である。あいにくの曇り空で、その場面には立ち会えなかったが、大きな露天風呂でのんびりとした時間が過ごせた。
さて、その始めは研修からである。「トーア」というプレカット工場の見学からである。「プレ+カット」という言葉からわかるように木造で住まいを建てる場合にも「工場で生産する」「あらかじめ組み立てられるように刻んでくる」ということが増えている。その理由は「安い、早い、その割に精度が高い」からである。その反面「加工パターンの画一化、技術の伝承が伝わりにくい」などといった欠点もある。住まい作りはその完成時から逆算して分解され、再び構築されるまでに至った。一枚のラフな図面に長さ、高さ、柱の大きさ、屋根勾配等の情報を与えてやれば、機械が加工してくれる時代になっている。この流れは変わらないであろう。
そうだとしても、その一歩、二歩先を知り、提案しなくてはいけない。そこに使われている柱は、なんという木ですか。産地はどこですか。本物ですか、集成材ですか。本物なら建築用材になるまで何年かかりましたか。梅雨の湿気に耐えられますか。柱という部材ひとつを取り上げてもいろんな情報が必要になる。機械に使われるのではなく、人間が機械を使うという立場にいないといけないのだと思う。


2001/03/19(月) 晴れ


[ 先ほどの出来事 ]
今日も窓越しに暖かな日差しが入ってきます。
先ほど、娘が小学校に入学するので、机を作ろうと思っている、というお客さんが見えました。合板よりも本物の方が良い。けれど予算もあるので、結局ペルポックを売りました。集成材です。娘のためにお父さんが手作りしようということでした。娘は可愛いですからね。ちょっと嬉しくなり「まけてしまいました」


2001/03/16(金) 晴れ


[ 昨日の木材新聞から ]
今日は暖かくて気持ちのよい日差しが事務所に差し込んでいます。則チャンはテニスの申し込みに中野駅まで出かけました。
さて、昨日の日刊木材新聞には、「つくば緑友会」に参加した記者の「力のわいた4時間半」という時評が書かれています。さる2月17日に緑友会主催のシンポジウム「苗木からはじまる木のはなし」がありましたが、今回のパネラー席には、植林・製材・木材業者ならびに建築関係の方に混じって二組の一般消費者が加わったことが記されております。
その方のお話では、住まいを建てたいと思った当初、「木材や木造住宅について教えてもらえる場所がなかった」が、緑友会を知り、勉強を積み重ねていく中で、納得できる住まいを建てることが出来た。時間はかかったが、出来上がりの満足感も高く、今は木材の恩恵を享受しているとのことです。
4年前に木材業界と一般消費者の接点を見つけるべく結成された同会の心意気がようやく花開いた感じを持ちました。これからもお互い少しでも前に進みましょう。
伝えないと伝わらない時代になっているのだと思います。

2001/03/14(水) 晴れ


[ 無垢のフロアー ]
今日は晴れてはいるが、風が強くとても寒い。
そんな折、
先だって床直しに「無垢のフローリング」を使って
いただいた仕事が終わり、先ほど入金があった。
マルホンという浜松の会社の「無垢のフローリング」
を台所に用いたものだ。厚み15ミリ、巾75ミリ
のそれは貼っていく手間(人件費)がかかるため、
たまにしか売れない。
通常はベニヤに薄い単パンを貼った物を用いる。
長さ1820ミリ、巾303ミリのそれは、フロアー
と呼ばれ、12ミリのものと15ミリのものが多い。
根太を303ピッチに入れていくにしてもその間に
人が乗っかると少したわむ。それを防ぐために下張りに
同じくらいのベニヤを入れて二重張りにする方法もある。
しかし、12ミリのフロアー、15ミリのフロアー、
無垢のフロアーと踏み比べてみると足の裏の感覚が
全然違う。落ち着いている。
足の裏の感覚を育て、しっかり生きていこうとするなら
無垢のもの、本物を薦めたい。

2001/03/13(火) 晴れ


[ 日帰りスキー ]
スキー

3月11日、尾瀬岩鞍スキー場で日帰りスキー。
参加者=中村さん、北沢さんに、則ちゃんと私の4人。
一人落ちこぼれの私は、午前中スクールへ。午後から
みんなと合流。ゴンドラに乗り、ミルキーウエーを一本滑った。三回転んだが何とか下まで降りて来れた。
あとは緩斜面で練習。こちらのほうが自分のレベルにあっている。ともあれ、13本滑って無事帰宅。
休日の関越、渋滞多数。
こんな感じです。




2001/03/12(月) 曇り


[ 最近読んだ小説 ]
「シシド」


「チッチッチッ、俺の面に色をつけたのは、お前で三人目だぜ。
前の二人は墓の下でオネンネしてらア」
赤木圭一郎主演の「抜き打ちの竜」のワンシーンでの
コルトの銀こと、宍戸錠のセリフである。
このせりふは受けた、と書いている。
「警察日記」でデビューし、二枚目から二枚目半へ。大部屋から主役へ。
そして常にトップクラスに位置し、300本近い映画に登場している
この俳優さんが私は好きだ。
その宍戸錠が本を出した。「シシド・小説日活撮影所」である。
昭和二十年代の後半から、三十年代の半ばまでの映画界の黄金期を
彼の行動と眼を通して描いたものである。
三国連太郎吹き替えを随分やったことや森繁久弥たちを四時間半
待たせたこと。自身の顔の豊頬手術。裕次郎の登場と
「嵐を呼ぶ男」での大爆発。その封切の日、浅草日活に三重の
長蛇の列が出来たことなどが語られている。
「チャンユー、アキラ、トニー、キッド」に続く五人目の男として
ダイアモンドラインに加わったが、裕次郎の骨折、トニーの事故死
で崩壊が始まる。
裕次郎がスキーで骨折した日、日活撮影所長山崎辰雄の電報を持って
この小説は幕を閉じている。
「ニッカツ ハイユウ スキー キンシ スグ カエレ」
日活最強の四番バッターの欠場。これが「シシド」をどんな方向に
走らせるのだろうか。

2001/03/10(土) 晴れ


[ mn日記 ]
ホームページを立ち上げることが出来ました。
関係各位に御礼申し上げます。
このコーナーでは心に感じたことを書いていきたいと思っています。
さて、おととい、開設を記念して則ちゃんと
居酒屋へ入ったのですが、
そこのママさんに「お宅ら不倫」といわれ、思わず二人で
左手の薬指を見せてしまいました。
mn日記とは、m(満生)+n(則子)=大喜という意味合いが
こめられています。
昨年の3月5日の則ちゃんのドレス姿ならびに
昨年の3月12日のメトロポリタンでのパーティー姿を
載せておきます。





2001/03/08(木) 晴れ


[ 始めに ]
この度ホームページを開くことになりました。一年前の写真が出発点です。

2001/03/05(月) 晴れ


( 2001/04 ← 2001/03 )


[ 管理者:大野満生 ]


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