私の持っている赤木に関する本をご紹介します。
私がファンの一人になったのは1966年。もうすぐ40年になります。いつもいつも気にしていたわけではないのですが、人生の節々に現れて私の記憶に残っていく赤木圭一郎を50歳を過ぎた今からもう一度見つめなおしてみようと思い初めました。
1966年フジテレビの番組で赤木を知りました。巨人戦が雨で中止になると赤木の映画に切り替わったのです。端正なマスクと孤独に溢れた表情にすっかりとりこになってしまし、テレビから流れる彼の映画を食い入るように見ていました。翌67年、高校二年生のときに初めてかったレコードが、「赤木圭一郎全曲集」でした。世界堂というレコード屋さんには、今ひとつ「台詞やインタビュー入りの選曲集もありましたが、両方は買えなかったので、前者を選びました。
翌68年には「紅の拳銃」を新宿日活で見ました。一人で映画館に入って見た映画として初めてだったと思います。このようにファンの心理は人を変えていきます。
この間「近代映画」という雑誌を買い、その中にあるトニー(赤木)の姿をいやというほど眺めました。そこに書かれている「詩」を真似してノートに書き綴っていたのも高校生の頃です。
その後、「赤木圭一郎を偲ぶ会」主催の「トニー展」が開かれました。大手町のサンケイホールだったと思いますが、このときには数日前に新聞で知って、すぐに行ってきました。確か3月22日に行われたと思います。なぜ覚えているかといえば、私の誕生日だったからです。このときにすぐに「偲ぶ会」に入会すればよかったのですが、まだ大きな遠慮があって、躊躇いました。時期が少し過ぎてから「偲ぶ会」に電話をしたのですが、「もう使われていません」でした。
それから数年の後、平塚市に雑誌「ぴあ」で知って「打倒(ノックダウン)」を見に行きました。
三十代に入るとテレビの深夜放送をよく見ていて、あるとき小林旭主演の「群衆の中の太陽」に中にトニーの姿を見つけました。
それから10年が過ぎたでしょうか、場所を忘れてしまいましたが、神保町辺りではなかったかと思いますが、やはり「偲ぶ会」主催でトニーの映画「浮気の季節」と「激流に生きる男」の二本を上映し、江木俊夫さんがゲストとしてトニーの思い出を語ってくれたのを覚えています。正直に言いますとそれはとてもつまらなく、又そのときに司会をされた女性の方も上手くなかったので、映画を見ただけといっても過言でもないと思います。
このホームページを作るにあたって、自分が継続的に何をしてきたのかを考え始めた時、「歌が好き、映画が好き、お笑いが好き、」ということに気付き、その中でも影響をうけた大きな一人として赤木圭一郎のことははずせないと思うようになりました。
私の手持ちの赤木に関する本
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