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私が生まれた家
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私が生まれた家
私が生まれた家は、店舗併用住宅でした。間口二間半でお店が6畳ほど、そこを上がると6畳ほどの部屋があり、左奥に二階へ上がる狭い階段がありました。二階には細長い6畳ほどの部屋一つだけあり、そこが寝室でした。一階の奥には今一つ部屋がありました。そこから先は土間でした。左の奥には竈があり、薪でご飯を炊いていました。右の奥には井戸がありました。流し台がどこにあったのか憶えていません。トイレの位置も思い出せません。私が小学二年生の時に次の家ができました。もう62年前の話です。猫と鶏を飼っていました。

その家は新しい住まいを建てる時に裏側に曳家しました。中島さんと云うタクシー運転手ご夫妻が借りていただきました。
さて、その土地は昭和23年12月22日にまずそこに建っている建物を買いました。(木造瓦葺二階建居室一棟、建坪壱五坪七合五反、弐階壱四坪を三万三千円で譲り受けました。)戦争中に仮のお店を出していた近所の「石又材木店」の社長である石橋又一様より3万3千円で譲りうけました。(現社長のおじいさんです。) 翌年にはこの土地(78坪3合)を秋本弥五郎様から八十六万四仟円で買いました。昭和24年5月21日のことです。喜平さん25歳の時です。そして喜平さんは材木屋を始めました。さらにこの年12月14日に久江さんと結婚式をあげました。私の父と母です。
その一年数か月後、私はこの家で生まれました。お産婆さんが取り上げてくれました。
2020/09/27(日)
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