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時々更新mn日記

( 2019/09 ← 2019/08 → 2019/07 )


[ 水上温泉の現状 ]
水上温泉の現状



たいそうな大目を付けましたが、話は簡単です。
今を去ること60数年前、まだ私が小学生の低学年だったころ、夏休みに近所の材木店三社の家族でここに来ました。ひと家族は坂本材木店。中学生のおねーさんと英二さんがいました。この材木店はわが社の保証人です。次が島村材木店。埼玉県は飯能市の名家です。我が祖先の反応とは月と鼈くらい違うところに住んでいました。私より一つ上と二つ下の男の兄弟がいたと思います。そして我が家。4つ下の妹と二人でした。もちろんそれぞれの母親は来ていましたが、父親は仕事でした。夏休みを利用して家族ぐるみの付き合いをしていました。そして私の記憶にある場所が水上温泉と藤原ダムでした。

夏になると先に家族が遊びに来ていて週末に父親が迎えに来るというパターンでした。このとき何処に泊まったかは覚えていませんが、バスに乗て、出来上がったばかりの藤原ダムへ行った記憶があります。もっと正確に言うとバスに乗って山道を行き帰りした記憶が残っています。

あれから60年。

今回宿は松乃井にしましたが、このあたりで一番大きなところです。他に聚楽があります。その他のところはこの二つから比べると小さなところです。小さいから悪いということはありませんが、大きなホテルはつぶれてしまっています。

昼にラフティングをしたせいで腰をひねり、マッサージを頼みました。松乃井にはお二人ほどマッサージの方がいましたが、同時にできる時間帯がなかったので外注しました。70代後半の男の方と60代前半の女の方が見えました。


私は女性にお願いしました。その方の話によるとまず水上には芸者はいません。マッサージ方も聚楽にお二人と、今回来ていただいたところに3人。しかもそのうちお一人は高齢で休んでいるとのこと。精鋭二人にマッサージをしていただきました。

その女性の方は、21歳からこの業界にいて、水上には8年度度前に来たそうです。腕はありました。

その方の話を聞いてもうここにはマッサージの方も少なくなったことを感じてきました。まして8月は家族連れが多くなったせいか、需要は少ないとのこと。また団体旅行も無くなったことからこういう需要も無くなったことを理解しました。


さて、昼にはラフティングを楽しみました。というか腰が引けてしまったので、今日になって腰が痛いのですが、それはさておき、ラフティングのお店の方は、大半が外国人。実際のボートに乗っていただいたのは、ネパール人のお二人。9時出発で11時半過ぎに終了したのでお昼をどこで食べようかと迷っていたところ、水上駅前なら、ラーメン屋か蕎麦屋。もっと違うものが食べたかったら、セブンイレブンがあります、とのこと。

土産物屋も食べ物屋も大半はダメになっている現状を見た気がしました。

さて、家に戻ってから、25日には八日会の会合。お隣に座った佐藤さんから鳥獣戯画のあった京都の寺は、と聞かれ、自信なく高山寺と行ったのですが、後で調べて間違ってはいませんでしたが、全く自信がなく、記憶力の衰えを感じました。それなのに夜遅くまで飲んだのでもっと記憶がありません。





2019/08/26(月) 晴れ


[ 今年の夏休み ]
今年の夏休み


今年の夏休みは水上温泉でのんびりでした。

初日は雨。諏訪峡に行き、その後諏訪大橋でバンジージャンプを見ました。




翌日は、ラフティングです。








18キロほどボートで下りました。

終了してほっとした表情に戻りました。





3日目は、谷川岳一の倉沢に行き、その後ロープウエイとリフトで天神平まで登って降りてきました。









帰ってきた日は、川島商店街の夜店市。約束のお好み焼き、焼き鳥、焼きそばで、今年の夏休みは終了です。





2019/08/25(日) 晴れ


[ 監事会からの一週間 ]
監事会からの一週間



去る8月8日には、新東京木材の監事会が開かれました。今年の4月から6月末までの収支に関して報告をうけました。

賃貸事業は好調。さらに木材部の事業も在庫が増えていて、見かけ上はマイナスですが、在庫を入れればプラスに転じるそうです。

10月からの消費税の値上げを鑑みながら、事業は推進されてゆきます。木材販売が好調なのが何よりです。

もう昔みたいに柱が売れる、梁が市場で売れてゆくのはありません。少し悲しいですが、不動産事業がメイン。さらに工事込みの仕事と住宅機器がサブメイン。その後に新建材が続き、最後に木材、それも下地材が来る時代。仲買といわれた私たち木材業者にしても多額の固定資産税を支払うためには、不動産事業をメインにして、そこがあるので、最下層になる下地材を運んでいます。そういう下積みの仕事をする人はこれから少なくなるのでしょう。

さて、最近甥が設備屋になって十五年。独立して8年になりますが、事業を好調に進めているのを見ていて、材木屋も力を入れる所はそのあたりになるのかと思っています。

とはいうものの、木材にはその生い立ちから丸太から、その素材を集めるところから始まり、製材して、乾かせて、使い道ができれば、さらに加工していくというストーリーがあります。それを製材業者木材業者工務店大工施主が共有していくから、そこに家に建っている例えば柱を見て、その年輪、削り具合、節の状態を楽しんだり、触ることによって暖かさを感じたりできます。我が家にも一本だけ柱が建っていますが、毎日それに触れ、香りをかぎ、時には、背比べをして現在の背の高さを鉛筆で印をつけています。幸いまだあまり縮んでいませんが。この年になって木材はつくづく大したものだと感じています。それが安いので、そこだけで暮らせなくなってはいますが、幸いほかの事業があるので、それこそ合算して考えていけばまだ都会の業者には道があるように思えます。

新東京木材もその道を進んでいるように監事会に出て、感じてきました。







暑さに負けながらもテニスコートに立っています。昨日も今日も一昨日も雨に降られながらも、テニスができています。これはかなり不思議です。




夏休みに合わせて、クラス会も行いました。



2019/08/14(水) 曇り時々雨


[ 南三陸3 ]
石巻から女川へ


7月27日、8年前に訪れた石巻市の日和山公園をはじめ、女川漁港まで8年前と同じ道を通ってみました。

日和山から見る石巻の街は8年前に見た時には、お寺とその横にお墓が倒れていたこと。石森章太郎漫画館が被災していたことなどが思い出されます。今回はお寺の手前にはマンションが建ち、漫画館も再開されていました。







いまだ橋と道路つくりの石巻市でしたが、復興に前進していると感じてきました。


その後、笹かまぼこの「高政」により、お土産を仕入れた後、女川市へと行きました。ここは8年前に来た時には、何もなくなっていて、あぜんとした記憶があります。16Mの津波は高台にある病院の一階まで水が来たこと。当然ながらその下にあったものはいくつかの鉄筋鉄骨の建物を残して何もなくなっていました。あまりのすごさ、何もなくなっていたショックで、写真を撮り忘れました。道を走っていて下り坂の途中までは何事のなく来ましたが、その下には一回のサイディングが壊れた住宅。さらにその下には何もなくなっていたのを憶えています。さらにはるか山の上には、「土地分譲中」の旗がはためいていました。

漁港の建物には、二種類の喫水線が残されており、建物内部は軽天がむき出しでした。

それが今回、漁港の建物は豊洲よりも立派な建物が建っておりました。







さらに石巻から女川までJR線が走っていますが、その終点の女川駅は新しい駅ができて、そこを中心に新しい街づくりが始まっていました。

新しい駅舎です。



ここの2階には日帰り温泉がありました。



3階にある展望台からは、海が見えます。海に面した街にはやはり海が似合います。

海が見える右左には、新しい街づくりが始まっています。商店街が立ち並び、この日は土曜日と会って賑わっていました。



ここのお店の一つ、漁師さんが経営する「明神丸」で海鮮丼をいただきました。新鮮な海鮮と共にお米がおいしかったので、満足感がありました。



この商店街は昼間だけの営業です。津波が来たら「まず、高台に逃げる」ということで、人は住んでいません。

今回の旅行を通じて、女川が一番復興しているように思いました。海が見える街から海を取ってしまっては何も残らない、そんな気がしています。表面的な旅でしたが、8年前に何にも残っていなかったところが人でにぎわうのを見て、なぜかほっとしています。昨年は私の体調が悪くて来られませんでしたが、今回来て満足しています。




2019/08/04(日) 晴れ


[ 気仙沼から陸前高田へ ]
気仙沼から陸前高田



7月26日南三陸を後にしてから、気仙沼と陸前高田に向かいました。

気仙沼は漁港です。多くの漁船が横付けされていて大きな港であることがわかります。



今日のお昼は気仙沼の海鮮丼です。魚はうまい。




ここを後にして陸前高田に向かいました。

本当に何もなくなってしまった街です。市庁舎などは内陸に作られ始めていましたが、海岸線は防潮堤を作っていますが、まだ、出来ているのは半分くらいかな。


一本松の近くに行ってきました。右となりはユースホステルだった建物です。



今日は工事の関係でいつもより手前までしか近づけませんでした。



祈念公園を作っていましたが、あまり人は呼べそうにありません。



産業のない街の復興はまだまだです。


2019/08/03(土) 晴れ


[ 南三陸2 ]
南三陸2

7月25日、今夜の宿は南三陸ホテル観洋です。このあたりで一番大きなホテルです。9階建てで、エントランスは5階。二階にお風呂がありますが、2階まで津波は来たそうです。

部屋に入ると海鳥の歓迎を受けました。このホテルの屋上で餌やりをしているせいか人に慣れています。



翌日、被災語り部バスに乗り、一時間くらいでしたが、被災状況や被災した場所などをホテル観洋の従業員の方が説明していただきました。おひとり500円ですが、30人ほどが参加してその話に釘付けでした。


まずは戸村小学校跡。鉄骨3階建ての小学校は、海からの距離250Mのところにあり、少し高台でした。日頃から地震の際には津波を警戒して避難訓練をしていました。大地震の二日前にも一度地震があり、その時は津波は発生しなかったそうですが、地震の際どこに逃げるかは教師の中でも常に話題になり、また日頃から議論をしていたそうです。結論はいつも出ませんでしたが、一番の候補になっていたのは小学校の屋上。3階建ての上にあります。ほぼ大丈夫でしょう。教師の方々もおそらく大丈夫だろうと思っていたそうですが、一人の女性教師が、屋上で大丈夫だろうけど、万が一の場合は屋上では孤立してしまうだろう、と考え、近くにある高台を望んでいたそうです。実際地震が起きて、校庭に集められた生徒は、校長の指示もあり、高台へと避難していったそうです。




結果、生徒も教師たちも避難したところから、さらに一段高台にある神社に避難して全員無事でした。その夜は寒い中歌を歌いながら夜明けを待ったそうです。


続いて高野会館。ホテル観洋が持っている建物なので、震災当時そのままで残しているそうです。屋上の一メートル下まで津波は来たそうです。








かさ上げしないところから見ると防災庁舎は間違いなく3階建てでした。あと十年このままで残すそうです。

語り部バスの話でした。

2019/08/02(金) 晴れ


[ 南三陸へ ]
南三陸


7月25日常磐道を北上して宮城県は南三陸町まで行ってきました。いわきから北の道は初めて通ります。昨年一昨年と来る機会はありましたが、今一つ気が進まなくて先延ばしにしていました。
いよいよ今年行かないと、もう行けないとの判断から車を進めました。福島県に入ると放射線量(空間線量率)計が設置されていて、広野ICを過ぎると0.1(マイクロシーベルト/時。以下同じ)。それが0.25。0.3。となり、第一原発のある双葉町に入ると1.0。さらに北上すると3.0.まで示していました。



それはやがて浪江を過ぎるころには、0.6になり、南相馬に入る頃には、0.1に戻りました。常磐道はいわきから先、基本対面通行ですが、所々で二車線になり、また、複線化の工事も行っています。この工事関係者もおそらく被ばくしているのでしょね。ちなみに私も被爆したことになります。

 さて、南相馬SAで休憩して



さらに北へ行きます。平日の朝から走っているので、混雑はありません。12時半には、春日というPAで仙台味噌ラーメンをいただきました。




ここから南三陸町のある志津川ICを目指します。車は順調に志津川に着き、今夜の宿である南三陸ホテル観洋を目指します。志津川で降りて海に向かうと右手に商店街が見えてきました。「さんさん商店街」でした。こちらに車を止めて、しばし散策。なんでも一時もう少し山の方に被災後造ったものを、元のというか、昔商店街があったところを、高さを10mほどかさ上げして、この商店街を作ったとのこと。こちらに寄ってから宿に向かいました。ここはモノの値段が全体に高めかな。





前方に防災庁舎の跡が見えました。三階部分しか見えないのは、現在の場所が10mかさ上げされているためです。






2019/08/01(木) 晴れ


( 2019/09 ← 2019/08 → 2019/07 )


[ 管理者:大野満生 ]


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