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竹寺を知っていますか
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竹寺を知っていますか
埼玉県飯能市にある竹寺は神仏混合の名残のあるお寺さんです。お寺ですが、ご本尊は仏様ではなくて、牛頭大王。京都でいえば八坂神社と同じです。スサノオノミコトといわれています。江戸時代は神仏混合が当たり前でしたが、明治政府によって「神仏分離」が行われてお寺と神社は分離されて江戸時代の伝統が大きく変えられましたが、ここ竹寺はそれをまぬかれた東日本唯一の遺構です。ここの住職さんは「大野さん」だと思います。といいますか、今から30年近く前に行った時の住職さんは大野亮雄さんといって、親戚だと教えていただきました。
この竹寺は飯能市の名栗と吾野の中間にありますが、ドンつまりです。大きな道を行っても枝分かれした道をたどって行きどまりにあるお寺です。
この竹寺から3キロほど下ったところにある「戸丸」という地名のところが私の祖母である平沼きのの生家です。今から30数年前に当時の母屋は火事により焼失しましたが、私の記憶をたどれば、そこは明治時代には旅籠として活用された所でした。
この戸丸の家から、上ってゆき、分かれ道を左側の道をたどれば、竹寺に行き着きます。右に曲がってすぐの道を左に上ってゆくと右手に宗穏寺というお寺があります。そこから2キロほど登ってゆくと祖父省三の実家にたどり着きます。そこが祖父の生まれた家であり、省三の父波蔵が興した分家です。ここへは幾度か行きました。小さなとき、多分私は小学生の低学年の時にここへ行きましたが、耳の中のハエが入ってしまい、耳が鳴り、気持ちが悪かったことだけを覚えています。多分祖父母の実家にひ孫である私を連れて行ったのだと思います。
何もない所です。今でも水上水道は沸き清水を引いていますし、3年前の大雪の時には、一晩で85センチの雪が降り、電気が止まり、この地域は孤立状態になったそうですが、秩父地方は孤立状態を放映されても、こちらの「南地区」は報道すらされなかったそうです。埼玉県の中でも携帯が圏外になるところです。
こんな田舎から100年前に出てきた祖父母は東京で八百屋を興して、成功しますが、今回私が行ってもやはり田舎であることには変わりがありません。
最近ではサルやイノシシが出るので畑つくりをやめた所ばかりだそうです。前回5年ほど前にここへ来ましたが、その時はまだ畑つくりを行っているところが多く、シカやクマの被害を嘆いていました。
さて、コンビニへ行くには車で20分以上走らねばなりません。そんな田舎が残っているのが飯能市です。
祖父母が出たこの地域には何かしらの用事がなければ来ません。12年前には父の葬儀の相談に。その後は法事の打ち合わせばかりでした。今回もそうです。この日はあいにく雨でしたが、竹寺に寄り、その後宗穏寺さんへ顔を出して、法事の打ち合わせをしてきました。
その途中竹寺へ寄り、御朱印をいただいてきました。

現在2017年7月30日10時45分。駐車場は空でした。私たちの後に4人の家族の方が来ました。




本堂です。


少し下ったところにあるうどん屋さんでお昼にしました。5年前にはなかったお店だと思います。お昼時で混んでいました。お店のおばさんはおこんなに混雑するのは久しぶりだと話してくれました。
2017/07/30(日)
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