[ホームへ] [他の月を見る]


時々更新mn日記

( 2016/03 ← 2016/02 → 2016/01 )


[ テニスの団体戦に出てきました。 ]
テニスの団体戦に出てきました。


去る2月27日には中野区のテニスの団体戦に出てきました。6チームの総当たりで女ダブ、ミックス、男ダブの総計15試合で順位を決めました。結果は2勝3敗で4位。商品はありませんでした。私自身の結果は2敗。また明日からしばらく真剣に取り組みます。特に若い人のボールはスピンがかかっているのと早いので、そのあたりに落ち着いて対処できるようになりたいと思います。



さて、話は変わりますが、介護保険証がとどきました。介護保険料を支払うようになると手残りが減ります。年金生活者は、年金からの天引きです。「それで食えるのだろうか」というのが正直な感想です。


2016/02/28(日) 晴れ


[ 免許更新 ]
免許更新


運転免許の更新のために都庁の第二庁舎へと行ってきました。2月22日でした。風がまだ冷たい日でしたが、梅の花が咲いて、春の訪れを感じさせてくれます。

受付をして更新料を支払い、目の検査をして写真撮影。三人後ろに知り合いの方が偶然おりましたが、彼は30分講習。私は一時間の講習でしたので、免許証の受け取りは先を越されました。それでも無事5年間の免許証をいただいてきました。次回の更新は70歳。それ以後は3年更新になります。高齢者だということを意識して運転していきたいと思います。





西口にある都庁から東口を経て新宿三丁目まで歩きました。新宿を西から東へと30分以上歩きました。まず人が多い。外国語ばかりが飛び交う。昔行ったお店が少なくなった。などなど。時代が変わっていくことを感じながら歩きました。
2枚目の写真は3丁目にある寄席。このあたりへも久しぶりでした。




2016/02/24(水) 曇り


[ 甥の誕生会 ]
甥の誕生会


私の甥の誕生会を男二人で行いました。なんとなく私に似ている甥とは36歳違い。ウサギ年で似た要素満載です。中学生ぐらいまでは一緒に過ごした記憶がたくさんありますが、それ以後はわずか。その穴を埋めるべく二人でしこたま飲みました。楽しいお酒でした。29歳になりました。甥の人生に幸あれと思うのは私だけではないと思います。





2016/02/21(日) 晴れ


[ 友あり、遠方より来たる ]
友あり遠方より来たる


京都に住んでいる大学時代の同期生が東京の娘さん宅に見えたので、私たちも2月19日に会うことになりました。中野サンプラザで会食。中野駅周辺の散歩もしました。

話をしていたら彼女のお父さんは秋田県由利郡の方でしたが、お酒を飲みたくて、冬場にサンダル履きで酒屋へ行き、帰りに雪道で転倒。それが遠因となって亡くなったという話がでました。

そういえば私の祖父も夏にスイカを両手に二つ持って転倒。額を切ったのをきっかけにして半年後に亡くなりました。どちらも酒飲みという共通点があり、同じような話が聞けて、親近感が増しました。また来てね。
ちなみにこの日2月19日は祖父の命日でした。







2016/02/20(土) 曇り時々雨


[ 時々ランチ ]
時々ランチ


朝はパン、昼はおにぎりといった生活の中で時々ランチは、おいしいものを食べます。

先日は、小平の「マ・メゾン」でイタリアンのコース料理をいただきました。







11日には、最近気になっていた新中野にあるうどん屋「花は咲く」でぶっかけうどん。こちらもおいしいものでした。




また、9日の日には、テニス仲間と遅めのランチ。新井薬師の「三幸軒」で7人で会食。ここは餃子がおいしい店です。それよりも何よりも仲間と一緒にいることが楽しいのです。ビール一杯で酔ってしまいました。

時々ランチです。


2016/02/12(金) 晴れ


[ 国民の祝日 ]
国民の休日


我が家のカレンダーは東京シティー信用金庫からの頂き物です。これが非常に重宝しています。B4サイズで切り取らずに、一か月が終わると次をめくれば、翌月が出てきます。そして一年分の行動結果が残ります。これに自分の予定を書き込みそれに準じて一日一日を送っています。

さて、一年間のうち国民の休日は、元旦に始まり、12月の天皇誕生日まで16ほどあります。季節にかかわるものや天皇関係のものが数多くあります。その中で、根拠が少ないものをあげると、「海の日」と「山の日」に加えて「建国記念の日」があります。

このうち「建国記念の日」は、1966年政令で決められました。祝日法によって制定されていない唯一の祝日です。2月11日に決められたのは、明治6年に定められた「紀元節」がもとになっています。紀元節のもとになったのは神武天皇が即位した日を太陰暦から太陽暦に直し、計算した日となっています。紀元節の復活を狙ったものでした。そのため反対も多く、政令での制定と云う裏技を使いました。

これ日に定めたことに対する私見をいえば、現在では、神武天皇の実在性は高いものの、即位した時代や時期については、日本書紀が作られた時の政治的な事情から決められたもので日本書紀に書かれた辛酉の年の元旦というのは正しくありません。この日をもって「建国記念の日」とするには、無理があります。神武天皇はもっと後の時代の人で、いわゆる卑弥呼の時代の後、紀元250年くらいの方のようです。そろそろ違う日を検討したほうが良いと思います。

さて、この日を祝日に定めるにあたって多くの審議員の方が参加しましたが、そのおひとりに奥田東さんがいました。この方は当時京都大学の総長をされていて、建国記念日審議員を務めておられました。奥田さんは、この審議会に全会出席し、さらに2月11日とするには反対され、建国記念日は「人間社会ではなく、国土に重きを置くべき」として、審議委員の中で唯一「立春」を個別意見とした方として知られています。

さてさて、1969年に同志社に入学した私は、一般演習で神代修さんという中米の研究者の演習に振り分けられました。頭文字Oで始まる方々ばかりです。その夏に亡くなってしまった沖田君や京織物のぼんぼんである太田君などに交じって3人の女性がいました。大西さんと二人の奥田さんでした。奥田さんのうちおひとりがその奥田総長の娘さんだったのです。お父さんにそっくりの顔でした。丸顔の眼鏡をかけた方でした。

そんなことを思い出しています。ともあれ、国民の祝日も根拠のあるものが良いと思います。そうなると差し詰め、「曜日移動して、三連休を作る」必要性は薄らいだと思うので、成人の日などは、1月15日に戻すのが良いと思います。


2016/02/11(木) 晴れ


[ 墓参り ]
墓参り

2月は祖父と父の命日がありますので、いち早く墓参りする習慣になっています。今回は7日に行きました。前日雪がちらついたらしく、墓地も雪の名残がありました。風も強かったので、のんびりすることはありませんでしたが、先日インターネットで小平墓地に眠る有名人というのを調べていたら、松島詩子さんや山本七平さん、宮本百合子さん、佐野学さん、津村謙さん、有吉佐和子さんなどの名前が載っていました。そこで、今回は我が家だけでなく、他の方のお墓も見てみようと思い立ち、来ました。

寒かったので近くだけを探しましたが、結局見つかったのは宮本百合子さんのお墓だけでした。わかりやすい所にあったのと敷地も広く、周りをドウダンツツジで囲まれ右に木が植えられ梅の花が咲いていました。名前が書いてあるだけのシンプルなお墓でした。







2016/02/07(日) 曇り


[ 大東建託練馬支部報告会開かれる。 ]
大東建託練馬支部報告会


去る2月5日は、大東建託の練馬支部報告会が開かれて参加してきました大東建託で建物を建てた方々の集まりです。練馬区にあるホテルの一室です。

練馬支部は、練馬、西東京市、杉並区、中野区、武蔵野市板橋区、北区、豊島区、新宿区からなります。この管轄での戸数は5200余りですが、そのうち約3割が練馬区に集中しており、支店としても練馬支店が、メインの地域です。その次が板橋区で2割弱。中野区は6%強でした。

第一部の勉強会が終了し、懇親会へと移りましたが、中野支店の関係者は都合できておらず、一つのテーブルを囲みましたが、一人しか顔見知りの方がおらず、盛り上がりに欠けました。

午後2時近くにお開きとなりましたが、なんとなく光が丘の公園内を歩いてから帰り道にしました。それにしても光が丘は広いです。高層の建物が多く、その陰に入ると、ただ寒いだけ。太陽の光が恋しい季節には、通る道が限られるところだと感じてきました。




練馬支部内のお客さんを100名以上集めての勉強会並びに懇親会でした。



メインの通りを使わずに歩くと道に迷いそうなところです。春から夏にかけてなら歩くにはいいところですね。


2016/02/06(土) 曇り


[ 寒さに負けずにテニス ]

寒さに負けずにテニス


1月は18回ほどテニスを楽しみました。2月もそれくらいの予定です。これも皆さんのご協力のおかげです。コート取りに参加していただいている方から、抽選カードを提出していただいている方に加えて、実際に参加してくださる方々がいて初めて成り立っています。この日も新宿区にあるテニスコートで汗を流しています。寒さに負けずにです。




2016/02/04(木) 曇り


[ 12年経つと住まいもこうなる ]
12年が経つと住まいもこうなる。


現在の住居に移ってから早いもので12年が経ちました。13年目になります。

昨年の雨漏りには手を焼きましたが、それを除くと、今のところ電球の交換とトイレの部品を交換したくらいできました。外部のベランダに敷いた板は一度取り換えましたが、床も壁も天井も作った時のままです。

ところが、やはり12年もたつと、ぼちぼちこの辺りが危ないというところが出てきています。

まず給湯器です。先日ガスの出具合を検査していただいたところ、現在は問題ないが、数年後には取り換えるようだといわれました。

これに続くのがエアコンとIH機器です。特に二つあるエアコンのうち今で使っているものは使用頻度が高く、こちらが先に壊れるだろうと思っています。

年を取って、金銭に困るようになってから、住まいを直すことのないように早めにいつ頃直すかを考えておきたいと思います。

我が家の枠材はタモ材で厚みを30ミリで作りましたので、今でもしっかりしています。しかし、枠材などは松下電工(現・パナソニック)製を用いました。これを用いた理由は、不良在庫があったからです。そのためドア枠材などの厚みは25ミリです。この枠材が十年を過ぎるころから中央部が引っ張られて少し湾曲するようになりました。ドア枠はまだいいのですが、引違の枠やクロゼットの枠材などは、引張が強くて建具との間に隙間ができてしまいました。隣の部屋の明かりが漏れるレベルです。一人が寝室にいて眠ろうとしても隣の部屋の明かりが気になるということです。クッション材でもかまさないといけないかなと思っています。また壁や天井のクロスの継ぎ目がわかるようになりました。

12年も経つと家電は変わります。洗濯機、掃除機、冷蔵庫は一度取り換えています。テレビとパソコンと携帯電話は3代目です。材木で作った部分は変更がないので長持ちしていますね。



25ミリの枠では高さの中央部が壁側に引っ張られて引き手の上くらいの所がすいてきました。



クロスも繋ぎ目の所がはっきりとわかるようになってきました。






2016/02/03(水) 晴れ


( 2016/03 ← 2016/02 → 2016/01 )


[ 管理者:大野満生 ]


- CGI-Island -

Thanks to CGI-StaTion & 手作りCandy