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Update 2006年2月9日
Ver.5.6.1
 
 
「環境問題とは何か」
 

「環境問題とは何か」 富山和子著。PHP新書660円<税別>

本書の端書には以下のように書かれている。

 21世紀は環境の世紀。そしてその資源は水と土。日本人は古来、急峻な厳しい地形と闘いながら、この資源を作りあげ営々と養ってきた。だが現在、足元を見れば、山村の過疎、水問題、放置された森林などなど。山紫水明の地は「手抜き列島」と化している。著者は言う。山・川・海・米があるのも、それを守る人がいたから。その守り手の歴史と知恵を人類の生きる術として、世界に伝えていく、それなくして環境は語れない、と。「自然を守るとは農林漁業を守ること」と説く、全く新しい「環境問題の教科書」。

 私の祖父母の生まれたところは埼玉県飯能市の西北奥まった山道の中腹にある。二十年程前まで道は舗装されておらず、まったくの寒村だった。それでも祖母の実家は第二次世界大戦まで「旅籠」を営んでいた。この地にまだ電気は来ていなかった。

 40年程前(1960年代)の小学生の頃、夏になると親に連れられて、そこに行った。「戸丸」という地名のところである。当時こんな田舎に何で「旅籠」を営んでいたのだろうかという疑問が付きまとっていたが、この本を読みながら、山に人がいたのだと気が付き始めた。明治期には蚕で賑わい、その後も木材の産地として人が行き交っていた。山は決してひと気のいない、寂れたところではなかった。ただし、米は出来ず、主食は芋だったが。

 山では木を切り、また植え、川は水をたたえゆったりとした流れを作っていた。釣りをしたり、仕掛けで鰻を捕まえたりもした。私にもその記憶があるが、私の父は「戦前はもっと水量が多かった」と話す。

 山に守り手がいて、木をきればまた植えられる。雨水は森に染み込み、土の中で浄化されて飲み水が出来る。山が荒れてくると飲み水も不足するのではないかと著者は語る。都市の住民は山から恩恵を受けていることを再認識しないとしっぺ返しを食らうとしている。



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