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時々更新mn日記

( 2024/10 → 2024/09 )


[ ノーベル平和賞 ]
ノーベル平和賞


日本の被爆者の団体が先日、ノーベル平和賞受賞されました。

この被団協という団体の事務局長をされていて現在岐阜県にお住いの木戸季市さんは同志社大学の先輩です。今から十年ほど前に一度だけお話をお聞きしたことがあります。

その時の話では、長崎で5歳の時に被爆され、爆心地より南側で被爆したのち、家族を求めて爆心地を通ってきたとのことでした。そのことは大学在籍中は隠していたけれど卒業してから友人に話したところみんな知っていたとのこと。

その被爆者の立場から、現在の福島の原発事故、あるいはこれからもっと広く出て来る影響を見ると、原発はいらない、人類と共存できないのではないかと思う反面、被曝する人が増えて来ることも何かやる瀬ない気持ちになってしまうと、いう意味のことを話されました。

去る10月22日の旅想の会でも参加者のお一人は広島から見えて、母親が被ばくした被ばく二世であることをお話してくれました。被ばくすることが現実味を帯びている現在、「ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキ、ノーモアWAR、ノーモアヒバクシャ」は大事ですね。原発もなくて済むエネルギーを作りたいです。



2024/10/26(土) 曇り


[ 高校のゴルフコンペ ]
ゴルフコンペ


2024年10月24日、鎌倉にて高校の同期会の景品なしのゴルフコンペが開かれました。参加者にゆとりがあったので則子も誘われて参加しました。男子校だったので、今回女性を受け入れていただけるのか心配でしたが、同期生に快く受け入れていただき、二次会まで参加してきました。みんなありがとう。








2024/10/25(金) 晴れ


[ 旅想の集い ]
10月22日浅草にて、旅想の集いでのあいさつ

皆さん、ようこそ。東京へ。浅草へ。浅草はインバウンドで混雑しています。
さて、私は、「旅想」創刊2号から参加している大野と申します。橋本哲さんとは同じ大学を出ました。そういうつながりです。
集いは、今回で10回目ということですが、5,6,7回目は欠席しております。9回目に予定されていた中野サンプラザでは橋本さんの都合が悪くて取りやめになりました。その中野サンプラザは昨年7月末で休業となりました。中野は地元ですので、その案内も出来たかと思いますが、今回は浅草に場所をお願いし、開催することになりました。
さて、私が今までに「旅想」に書いたものは、ごく普通の旅行記+自分史です。別途、私の作った「仲間たち」をご覧いただこうと思いますが、これまで、生きてくる中で出会った方々に多くのことを教わりながら過ごしてきました。
そんな話を今回させていただければ幸いです。この二十年、「旅想とともに」生きてまいりました。「ありがとう」という感謝の気持ちを込めて参加させていただきました。本日は皆さんよろしくお願いいたします。

場所は浅草公会堂で開きました。参加者の写真は撮り忘れましたが、浅草公会堂には、「スターの手形」なるものがあり、先日急逝した西田敏行さんの手形には花が飾ってありました。




ごっつい手の方でした。ご冥福をお祈りしています。




2024/10/22(火) 晴れ


[ 法事 ]
法事


昨年11月に亡くなった叔母の法事が埼玉県の吾野にある法光寺で行われました。


中野新橋から吾野までは池袋に出て飯能まで行き、飯能から秩父行きに乗るのが楽なのですが、我が家から池袋に出るのがやや大変。そこで、中野新橋から中野坂上。中野坂上から練馬。練馬から飯能。飯能から吾野を選択しました。2時間以上かかります。飯能から秩父行きは一時間に二本しかないので乗り遅れないように早めに家を出たので一時間ほど早くついてお寺の近辺をぶらり散歩していました。

当日は天気も良く家族連れのハイカーや川遊びの方々。折り畳みの自転車で乗り込んでくる方々など行楽客で電車の中は一杯でした。巾着田の彼岸花は終わったようですが、三連休の真ん中とあり人の移動は多かったです。

さて、亡くなった叔母は父の弟の連れ合い。飯能の名家である小嶋家の出です。よく気の付く叔母さんでした。法光寺のある吾野から南へ山登りすると私にとっては祖父母の実家になります。そんな関係からこの地になく叔父がお墓を作ったのだと思います。叔母さんは澤江さんといいますが、飯能の市内の方ですので、このあたりまではあまり縁のない方だと思います。


さて、見晴らしの良いところにお墓はありますが、山の上まで登っていくのが一苦労の年になりました。そこでゴルフ場のカートが登場。女性軍はカートに乗り無事お墓まで到着です。


紅葉はもうすぐです。





住職のお話では、今年の吾野は例年になく暑くて35度以上の日が続き寺の本堂で法事をせずにエアコンの効いた部屋でお経をあげましたとのこと。四季は無くなり二季になりました、とのこと。また西武秩父線は1969年全線開通ばりましたが、現在の運転はワンマン。駅に駅員がいるのは飯能と吾野と西武秩父だけ。そのため無人駅にはその地元の方を常駐者として雇いたい意向があるとのことでした。日本の縮図はこのあたりまで影響があります。地元の方は少なくなりましたが、土日には外部の方が大勢見えて荒らしてゆくとのこと。自転車、ハイキング、山の駆け上りなど賑わいは見せているとのこと。熊は出ませんが、サルやイノシシはまだ多く、さらにシカは明かりを見ると止まってしまう性質があるので、夜の運転中にシカに出会った場合には明かり消してシカが行き過ぎるまでじっとしているのが運転マナーだそうです。

帰りも行きと同じコースをたどる予定でしたが、急行に乗ってしまい練馬で降りることはなかったので池袋経由で帰りました。池袋につくとひとの多いのに驚きましたが、JRで新宿につくと外人であふれていて、さらに人に酔ってしまいそうでした。


2024/10/13(日) 晴れ


[ たまにはエグーでパンケーキ ]
たまにはエグーでパンケーキ


このところバタバタしています。そこで新座まで出た帰りに小平のエグーまで足を延ばしてパンケーキを食べてきました。折からこの日は土曜日。混んでいましたが、たまにはおいしいものもいただきたいものです。









中野新橋は秋祭りでした。

2024/10/12(土) 晴れ


( 2024/10 → 2024/09 )


[ 管理者:大野満生 ]


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