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時々更新mn日記

( 2024/04 → 2024/03 )


[ 中野支部総会開かれる ]
中野支部総会開かれる


去る4月20日、中野駅北口にある「第二力酒蔵」にて新東京木材商業協同組合中野支部の定期総会が開かれました。
10名の参加がありました。今年度は支部役員の改選はなく通常総会でした。事業報告に始まり、会計報告、今年度の事業計画案並びに予算案は、審議の結果滞りなく承認されました。
また理事会報告もなされ、中野支部規約も一部改正されて35年ぶりに皆さんのものにしていただきました。
これで4月は、中野支部2班、14日会に引き続き支部総会も終わり、ゴールデンウイークに入ります。






2024/04/24(水) 雨


[ 桜から藤へ ]
桜から藤へ


2024年4月5日 哲学堂テニス場桜満開



シェルター。2番コートは日よけにならず。手前に簾が欲しい。ベンチを奥側に移動して使用。


コートと排水溝の横には土。フェンスの下をボールが通り抜ける構造。この土のところに後からコンクリブロックを置いて補修。これはどうやら仮の補修ではないらしい。コンクリブロックの並べ方も個性的。フェンスの外側に置くもの、中心に置くもの、適当に並べたものなど。作る人の心が表れている。

今回の哲学堂テニスコートの設計者のお名前がわかりました。
株式会社都市計画研究所 代表佐藤憲璋
さんです。HPに施工例がたくさん載っていたので、一応この会社にはメールを打っておきました。


2024年4月16日、この日は風は強くて木の葉が落ち葉になった。枯葉ではないので、異常気象のせいだろうか。

この時期にこれほど溜まった記憶はない。


2024年4月18日の西落合テニスコートでは藤の花が開いていた。季節の移り変わりは早い。



2024/04/19(金) 晴れ


[ 14日会が出来てから ]
十四日会が出来てから



今から33年前の今日に十四日会は出来ました。中野支部員と問屋さんで構成されていました。すでに練馬二十人会や豊島新三日会、大森の八多楽会などが新東京内にありました。私は40歳になっていました。この数年前から仕事に行きつまり、新たな道や仲間を求めていました。新東京昭和会や新宿市場の青杉会の旅行に連れて行っていただき、製材工場やプレカット工場などの見学もしていました。

当時のプレカット工場は簡単な仕口しかできずにいました。一度作って建ててから「壊した」現場もありました。製材工場は外国産材に押されて瀕するところが多くありました。

そんな個人的な背景もあり、十四日会に参加しました。中野支部総会で「十四日会を作りました」という報告をいたしました。毎月一回の会合、2人で一組が担当幹事。会合での話の内容は幹事と役員で決める。役員は鈴幸と窪寺と大野の三人でした。週に一度のペースで会い、「何しようか」「どうしようか」と頭を悩ませていました。

二十人会の前会長である早川進氏に来ていただき、アドバイスを受けました。もともと二十人会の「弟分」的なところから始まりましたので、二十人会とのつながりはそのあとも合同開催、旅行への参加など広がっていきます。

会を作ってからの私はまず、木材新聞を購読し、パソコンを買い、木材関係の本を読みました。何せそれ以前は、「木材青年講習」を受けた際にいただいた本と、その講習は木場で行われたと思いますが、その時どこかの銘木屋さんの見学と、そのときの木材青年クラブの田原会長から声をかけていただいたことくらいしか覚えていませんでした。

パソコンは友人の増倉さんに秋葉原に一緒に行っていただき、本体、モニター、プリンターなどを買い求め確か40万円くらいだったともいます。まだ「MS―DOS」という時代でした。

それから三か月が過ぎたころに「木材新聞」に「十四日会結成」という記事が載りました。窪寺さんが木材新聞に定期的に記事を書いており、その中で発表してしまいました。そこからが忙しくなりました。組合からは取材が来るし、新三日会からは「どんな会なのか」偵察にくるし、引けなくなりました。中野市場で会の結成報告を9月の市で発表しました。

その始まりの日が4月14日です。もちろん14日に集まったので14日会です。



2024/04/14(日) 晴れ


( 2024/04 → 2024/03 )


[ 管理者:大野満生 ]


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