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盛岡街歩き
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盛岡街歩き
2025年7月5日 14日会の研修旅行で盛岡へ行きました。中尊寺を見てから盛岡につきホテルにチェックインした後にまずは旭橋を渡って材木町へ。今日は土曜日夕方から、「よ市」があると聞いたので来ましたが、すでに人だかりが。聞けば50年ほど前から4月中旬から11月にかけて土曜の夕方は「よ市」を開催しているとのこと。まったく知りませんでした。地元の商店街のお店の商品や野菜、焼き鳥などの販売に交じって蒸し牡蠣を販売しているところには大行列。大きめの牡蠣が一つ200円。並んで食べたかったのですが、ちょっと無理。コーヒー店で井上さんとコーヒーを飲みましたが、そこのお店の内部のアンティークな家具、椅子テーブルが素敵。コーヒーだけでなく雰囲気を堪能。しかしそこにおいてある家具は、最近お店を占めた家具屋さんからの譲渡品とのこと。あまり売れないんだなー。ちょっとがっかり。しかしおいしいコーヒーと共に雰囲気も味わえました。 「よ市」を散策する前に光原社に寄りました。ここは宮沢賢治の「注文の多い料理店」を出版した出版社として知られ、近年は喫茶店と民芸品を販売するお店となっています。50年ほど前に行った時には、一番奥がレストランだと記憶しています。北上川に面しており、川の音とともに盛岡に来たら必ず寄るところになっています。 今回は今一つ、町の銭湯に入ってみようと思い、着替えを用意してきましたが、肝心の「梅の湯」さんは廃業しておりました。
 旭橋を渡って材木町へ。北上川の流れは前日の雨で急でした。
 「よ市」

 光原社内の「可否館。
 雨にも負けず。壁にありました。
2025年7月6日 午前10時に盛岡城址と盛岡八幡宮の中間にある「プラザおでって」に集合してガイドを付けの街歩きとなりました。岩手銀行赤レンガ館。東京駅と同じ辰野金吾の設計です。
 岩手銀行赤レンガ館
 基礎はレンガでした。
 番屋と火の見やぐら。紺屋町は奥州街道に面しており、古い建物が数多く残っています。
 南部煎餅を売っている「白浜せんべい店」。菊地さんという看板娘がいるとのことで予定外でしたが中に入りお土産を買ったため、時間が押してしましました。
 花崗岩を割って自生するケヤキ。
 中津川沿いに盛岡城址、岩手公園に入り、散策。この地は花崗岩が身近にあり、石垣も花崗岩を使ったところもあり、大きな岩を2つに割って使った「双子岩」の説明も受けました。
 私が写りこんでいるので載せました。
 中津川の川中にも花崗岩がありました。
 銀座の柳と「第九十銀行」の建物。今は、啄木賢治青春館となっています。中央上にある「第九十銀行」の看板の字は渋沢栄一さんの手になるものだといわれました。
盛岡は明治維新の際に幕府方についたために不来方城といわれたお城は明治7年に取り壊し、お城跡は荒れ地になっていたのを明治39年、近大公園の先駆者といわれる長岡安平の設計により岩手公園として整備されました。宮沢賢治が青春を送った頃は盛岡が復興してくる近代化してくる時と重なったようで、敗者が復活するのは容易ではないのだと知らされた感じです。
2025/07/10(木)
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