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時々更新mn日記

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[ 盛岡街歩き3 ]
盛岡街歩き3

本町通の「大同苑」で昼飯を食べた後には盛岡城址の方に行き、櫻山神社を見てきました。お宮の後ろに烏帽子岩があり、右側には亀岩のようなものがありました。ここらあたりが花崗岩の産地であることがよくわかります。中津川と北上川にはさまれたところにお城を立て、お城の北側に街を発展させた南部氏の思惑がわかります。






この後、盛岡歴史博物館へ行く予定でしたが、時間が押してしまい、岩手県庁の石割桜を見てから盛岡駅に戻りました。








2025/07/13(日) 晴れ


[ 盛岡街歩き ]
盛岡街歩き


2025年7月5日
14日会の研修旅行で盛岡へ行きました。中尊寺を見てから盛岡につきホテルにチェックインした後にまずは旭橋を渡って材木町へ。今日は土曜日夕方から、「よ市」があると聞いたので来ましたが、すでに人だかりが。聞けば50年ほど前から4月中旬から11月にかけて土曜の夕方は「よ市」を開催しているとのこと。まったく知りませんでした。地元の商店街のお店の商品や野菜、焼き鳥などの販売に交じって蒸し牡蠣を販売しているところには大行列。大きめの牡蠣が一つ200円。並んで食べたかったのですが、ちょっと無理。コーヒー店で井上さんとコーヒーを飲みましたが、そこのお店の内部のアンティークな家具、椅子テーブルが素敵。コーヒーだけでなく雰囲気を堪能。しかしそこにおいてある家具は、最近お店を占めた家具屋さんからの譲渡品とのこと。あまり売れないんだなー。ちょっとがっかり。しかしおいしいコーヒーと共に雰囲気も味わえました。 
 「よ市」を散策する前に光原社に寄りました。ここは宮沢賢治の「注文の多い料理店」を出版した出版社として知られ、近年は喫茶店と民芸品を販売するお店となっています。50年ほど前に行った時には、一番奥がレストランだと記憶しています。北上川に面しており、川の音とともに盛岡に来たら必ず寄るところになっています。
 今回は今一つ、町の銭湯に入ってみようと思い、着替えを用意してきましたが、肝心の「梅の湯」さんは廃業しておりました。

旭橋を渡って材木町へ。北上川の流れは前日の雨で急でした。

「よ市」


光原社内の「可否館。


雨にも負けず。壁にありました。


2025年7月6日
 午前10時に盛岡城址と盛岡八幡宮の中間にある「プラザおでって」に集合してガイドを付けの街歩きとなりました。岩手銀行赤レンガ館。東京駅と同じ辰野金吾の設計です。


岩手銀行赤レンガ館

基礎はレンガでした。


番屋と火の見やぐら。紺屋町は奥州街道に面しており、古い建物が数多く残っています。

南部煎餅を売っている「白浜せんべい店」。菊地さんという看板娘がいるとのことで予定外でしたが中に入りお土産を買ったため、時間が押してしましました。

花崗岩を割って自生するケヤキ。


中津川沿いに盛岡城址、岩手公園に入り、散策。この地は花崗岩が身近にあり、石垣も花崗岩を使ったところもあり、大きな岩を2つに割って使った「双子岩」の説明も受けました。


私が写りこんでいるので載せました。


中津川の川中にも花崗岩がありました。


銀座の柳と「第九十銀行」の建物。今は、啄木賢治青春館となっています。中央上にある「第九十銀行」の看板の字は渋沢栄一さんの手になるものだといわれました。

盛岡は明治維新の際に幕府方についたために不来方城といわれたお城は明治7年に取り壊し、お城跡は荒れ地になっていたのを明治39年、近大公園の先駆者といわれる長岡安平の設計により岩手公園として整備されました。宮沢賢治が青春を送った頃は盛岡が復興してくる近代化してくる時と重なったようで、敗者が復活するのは容易ではないのだと知らされた感じです。





2025/07/10(木) 晴れ


[ 中尊寺へ ]
中尊寺へ


中野十四日会の研修旅行で中尊寺と盛岡街歩きに行ってきました。
2025年7月5日、東北新幹線に乗り、一関で降りてタクシーで中尊寺へ。
まずは中尊寺蓮のお出迎え。



奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされた際、4代基衡の首桶の中に入れられたという蓮の種が800年の時を超えて花を開くことになりました。私が中尊寺に来たのは多分3回目だと思いますが、蓮の花が咲いているのを見るのは初めてだと思います。

そしてまずは宝物館へ。基衡の黒の首桶も拝見してきました。



金色堂はコンクリの覆い堂で包まれていますが、以前は木造の覆い堂でした。今回ガイドさんの案内で近くに移築された覆い堂も見てきました。覆い堂の内部構造も見てきました。




松尾芭蕉の句碑もありました。




ここを後にして昼食会場へ。この日は土曜日でしたが、土曜日の方が人が少ないのかしら。中尊寺を降り切ったところにある食事場所は10か所以上あるのに、開いているのは3か所余り。しかも団体客はあまり扱っていないみたい。

団体さんは観光バスで移動するので、お昼の会場も分散化しているのでしょうか。

この後、弁慶のお墓にも挨拶してきました。


ガイドさんが云うには、奥州藤原氏は100年の間平和を保っていたので、戦闘能力や実戦感覚がなく、あっけなく滅ぼされた由。戦後80年の今の日本も他人ごとではない感じでね。何せ世界の指導者はロシヤ中国アメリカイスラエルなど。なめられてたまるかの茂君で対抗できるのでしょうか。平和でいるのが一番良いと思いますが、きな臭い時代になりました。




2025/07/09(水) 晴れ


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[ 管理者:大野満生 ]


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